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あるいは最強パーティーな連中の冒険 2

 翌日、一同はアレクサンドルが助けた娘さんをリリス教会に預け、旅を再開した。


 娘さんの両親は既に他界しており、旦那を失って天涯孤独となってしまった彼女は、まだシスターになるかは決めていないが、しばらくは教会でお手伝いをする代わりに住まわせてもらうことにしたらしい。幸いなことに、神父を初めとする教会の人たちは快く引き受けてくれた。


 その後、草原の中を真っ直ぐに駆け抜ける公道を歩きながら、特に会話も無かった中で、アレクサンドルが不意に口を開いた。


「……どうも、あれだな。リリス教というのは私には理解し難い」

「あん?」


 ガルフが訝しげに応じる。


「リリス教所属の聖職者ときたら、どこに行っても心正しく生きる清廉潔白な連中ばかりときている。組織とは長く存在すればするほど腐るものだ。それが五百年もの間、教義が一切曲げられることもなく、末端に至るまで腐敗せずにいられるなど、俄かには信じ難い。特にこの程度の文明レベルでは、庶民が神の言葉を疑うなど不可能だというのにな」

「それはあたしも同感ね」


 アグリアが深々と同意を示す。


「あたしの世界じゃ一つの宗教が幅利かせててね。そりゃもー、やりたい放題だったわ」

「私の育った地域で波及している宗教も、地球では最大の権威を誇ると言っても過言ではない宗派だった。私は決して熱心な信者というわけではなかったが、そう悪い宗教ではないとは思っておる。が、それは今現在の話であり、過去最大の隆盛を誇った時代などは、一応は信者の私から言わせても非道の一言しかない時代もあった」


 アレクサンドルの話を聞いたガルフは鼻で笑う。


「別に腐敗聖職者が現れねぇわけじゃねぇぞ。ただ、表沙汰になった時点で、どんな事情があろうと即刻破門になるだけでな」


 片手を振って気楽に言う。


「宗教なんぞ信じたい奴が信じれば良い。他人に信仰を強要すっから話がおかしくなるんだ」

「その言葉が貴様の口から出てくる時点でおかしいと私は言っておるのだ」

「どうしてだ?」

「それも結局は魔神の言葉であろう?」

「そうだが?」

「宗教など、綺麗事を並べ立てた後に、最終的には『信じる者は救われる』と神に“ほざかせる”ものだ」


 今度のガルフは楽しげに笑う。


「信じねぇ奴は救わねぇのか。神様のくせに随分と心の狭いこったな、そりゃ」

「神の心が狭いのではない。神の言葉を伝える人間の心が狭いのだ」

「おおっ、そりゃ真理だ!」


 がははと盛大に声を上げて笑うガルフである。


 アレクサンドルは無表情で横目にそれを眺めていたが、おもむろに続きを口にする。


「だが魔神は違う」

「魔神は救わねぇぞ。大昔はともかく、今じゃ引き籠っちまって、少なくともこの五百年は完全にノータッチだ」

「そちらではない」

「綺麗事を言わない、という部分ですね」


 クリスが言うと、アレクサンドルは首を縦に振った。


「綺麗事ではあるだろう。が、魔神の言葉はあまりにも現実的すぎる。どんなに都合のいい曲解を重ねようとも、神に対する奉仕だけが美徳だなどとは間違っても解釈できん」


 すぅっと目を細める。


「故に、我々のように『普通の世界』に育った人間には理解するのに酷く苦労する。宗教としてはあまりにも馴染みがない思考形態が、何か裏でもあるのではないのかと思わされるのだ。いや……裏が無ければおかしいとしか思えぬ、と言うべきか」

「そんなもんかねぇ?」


 ルスティニアの、しかもリリス教圏に育ったガルフにとっては、アレクサンドルの考えの方が理解し難いらしい。


 こういう部分が、ルスティニア人と異世界人の間に横たわる『感性の違い』として強く表れる部分であった。


「宗教感の違いというのは古今東西において人間同士の最大のトラブルの素となる。故に、異世界人を扱わなければならないロンダイク聖教も、招いた勇者が元の世界の宗教を熱心に信仰していたりすれば、信仰の強要まではせん。が、そうした勇者にしてみても、信じていた神が伝える言葉に近い言葉を吐くロンダイク聖教の方がリリス教よりも遥かに理解し易い」

「あたしもそうだったわねー。あたしも別にそんな熱心な信者ってわけじゃなかったけど、リリス教だけは今でもあんまり理解できないわ。つかあれって宗教ってより道徳でしょ」

「同感だな。聖典は差し詰め道徳の教科書か。あれを宗教と言うには無理がある」


 話をしている間に森に差し掛かる。


 と、


「やれやれだな。ここら辺の馬鹿共はリドウが粗方掃除したのではなかったのか?」


 アレクサンドルはいきなり話題を変えた。


「一年もありゃ馬鹿なんざ幾らでも湧いて出るもんだ。それに実際は通りすがりの片手間だったらしいからな。“餌”が極上すぎたせいで喰いつきが半端じゃねぇって話だったぜ。カタリナ嬢ちゃんとアグリア嬢ちゃんも十分に高級品だろうよ」

「わたくし共はミミズか何かですか」

「あんな連中にモテてもなーんも嬉しかないわよ」


 ガルフも急な話題転換に戸惑うことなく話を合わせているが、聞いたカタリナとアグリアが心底嫌そうな顔をしている。


「へへっ」


 脂下がった汚らしい笑いを浮かべた盗賊たちが、木々の陰から表れて、一同を取り囲んだ。彼らは一様に、物静かに佇むカタリナと、面倒くさそうな顔をしているアグリアを滾った目で見ている。


 その後、彼らがどうなったかはご想像にお任せする。


 が、この面々はリドウよりも遥かに過激な連中だとは述べておこう。










 今現在、彼らが行っているのは既にユクリナス大陸のハイネリン王国だ。


 道すがらに向かってくる盗賊団を薙ぎ払い、時に極悪非道と悪名高い大盗賊団になると積極的に狩りに行っていた迫力の美男子を筆頭とする美女軍団。その情報は一年近く前の出来事だというのにまだまだ色褪せるものではないらしい。特にリドウがあっという間に“出世”してしまったせいで、むしろますます『月紅情報』は加熱しているくらいだった。酷いと『月紅が宿泊した宿屋』などという看板がデカデカと掲げられている始末だ。本人が知れば二度と立ち寄らないどころか、街自体にも近づきたがらないに違いない。


 おかげでアレクサンドルたちがリドウたちの足跡を辿るのに苦労は全く無かった。


 その道中で、一行は異様な光景を目にすることになった。


 先ほど盗賊たちに襲われた森を抜けた先だ。


「…………何これ?」


 森の出口で立ち尽くし、アグリアが長い沈黙を経て、ようやくそれだけを口にするが、他の面々は一様に無表情で辺り一面を見渡していて、反応は何も無い。


 彼らの目の前には広大な草原が広がっている。天気も良く、日向ぼっこでもしながら草の上でお昼寝でもしたくなるような、長閑な光景……


 ――のはずだ、本来だったら。


 しかし今は、あちこちが深く抉れていたり、まるで局地的な大地震でもあったのかと言わんばかりの巨大な亀裂が走っていたりと、とても和める雰囲気ではなくなっていた。

 道の部分だけは何とか修復してあり、一応は公道の役目を果たせるくらいにはなっているが、その部分が綺麗に目立つせいで余計に何かの大災害でもあったのかと思わせる殺伐とした光景になってしまっている。


「…………」


 アレクサンドルが黙ったまま歩き出してしまったので、他の面々も釣られて歩き出す。

 もっとも、周囲を見回しながらで、普段よりも幾分ゆっくりとした歩調になっているのは否めない。


「……明らかに戦闘跡だな。見る限りは気功士の手による物だが」

「いや、あそこを見てみな」


 ガルフが指さすのは、今アレクサンドルが見ている左方とは正反対の右方だ。草原の中に広く数十メートル四方が見事に地肌を晒しており、余程の高温で燃やされたのだろう、一度溶けてから冷やされて固まったと思しき様相を呈していた。


「……リドウか」

「多分な」

「奴め、敵に巡り合えぬ憂さ晴らしに暴れ回ったか?」


 くくっと含み笑いを漏らしながらのアレクサンドル。


「がっはっは。やっこさんがそこまで無分別だったら俺も楽だったんだがなぁ」

「笑いを取れたようで何よりだ」


 大笑いするガルフに、完全に冗談のつもりだったアレクサンドルは少しだけ満足そうに口角を吊り上げている。


「だからあんた、その人間離れした極悪美顔で、しかもそんな真顔で冗談を言うなっての。こっちは反応に困るのよ。ねえ?」

「私に同意を求められても、それこそ非常に困るのですが」


 クリスがアグリアを迷惑そうに見るが、彼女は意に介さない。


「大体、私やあの男が全力で暴れ回ったら魔法無しでもこの程度では到底済まん。幾つか、一ヶ所だけが異様に吹き飛んでいたりするし、明らかに二人以上の力が互いに打ち消し合ったという感じだな」

「ああ。それも“ここまで被害が広がるまで”決着をつけられなかった、ってことだ」

「貴様以外の至天かな?」

「アニーはねぇな。明らかにアニーが全力で魔法を行使した戦闘跡じゃねぇし、道場から離れたって情報も無かった。聖帝の嬢ちゃんもねぇだろ、一年前の今頃はギルメキア大陸で新領土開拓の手伝いだったはずだ」

「ならば雷光か? しかし……幾ら至天とは言え、四位の雷光にリドウが苦戦するとは思えんが」


 疑わしげなアレクサンドルの台詞に、ガルフが「そう言えば」と手を打った。


「以前に魔法を出し惜しみして殺されかけたっつってたな」

「あの男らしい」


 ガルフの発言に応えるアレクサンドルは、しかし楽しそうに笑っているだけで、リドウの行動を罵倒したりはしない。


「プライド馬鹿高ぇからな、やっこさん」

「殲滅師はどうしても純粋な気功士や魔道士に比べて圧倒的に有利な分、相手の土俵で勝負したがる悪い癖があるのだ。私もそうだからな、気持ちは理解できんでもない。それに奴の場合、勝利するにしてもできるだけ相手のダメージが少ない方法を選びたがる癖もある」

「天使さんの魔法、おそらく未完成っぽかったからな。最後の最後まで使おうとしなかったのも、加減を間違えておめぇさんの魂ごと消滅させたくなかったんだろ。多分他にも、殺傷前提でなきゃ使えねぇ文字通りの必殺技の幾つかは持ってそうな雰囲気もあったしな」

「つくづく甘い男だ」


 ふんっと鼻を鳴らすアレクサンドルだ。


「でも、そんな部分もお嫌いではないのですよね」


 間髪入れずに笑顔で余計なことを言ってくるカタリナを胡乱げに眺めるアレクサンドルであったが、何も言わずに視線を前に戻した。


「それで、雷光だと思うか?」

「それも薄いと思うぜ。雷光の得物はレイピアで、一点突破の刺突技が基本だったはずだ。おめぇさんの言った通り、その割には瞬間的に打ち合いになって出来た衝撃波の跡が多く残りすぎだろ」

「なら相手は誰だ?」

「……魔王じゃねぇのか?」


 ガルフは少しの沈黙の後に、自分でも半信半疑の微妙な顔つきで、しかし最も可能性の高い回答を挙げる。


「我々の推測が正しければ戦鬼と天武はなかろう。となると、残るは気功士は絶閃だけだが……」

「相手が絶閃だったらもっと派手なことになってやがるだろうな」


 八方塞がりになってしまった。自分たちの推測が間違っていると開き直って、戦鬼や天武も候補に入れたとしても、今までの分析の中で出た理由により、まず除外されてしまう。


「新たな魔王という可能性はありませんか?」


 すると、今まで黙って聞いていたクリスが口を挟む。アレクサンドルとガルフの注目を一斉に浴びても動揺しない辺りは流石と言うべきだろう。


「無名のまま下から這い上がってきた新たな我々クラスの人間と、騒ぎにならずに知れ渡っておらん新たな魔王か」

「微妙だな。どっちも有りそうで無さそうだ」


 結局、結論は「さっぱり分からん」となってしまった。


 その後、次の街に到着すると、一同はやはり気になって、戦闘跡地の情報を中心に集めてみた。


 それによると、正確な犯人は判明していないにしても、やはり容疑者は月紅だろうと、ほぼ確実視されているそうだ。

 しかし、当時はまだリドウがそこまでの使い手だと判明してはおらず、候補には挙がっていなかったらしい。やはり若すぎたのだ。


 リントブルムの一件がハイネリン王国まで届いてきた時には、当然既に彼は別大陸。しかも同時に、“この程度の些末事”で深追いなど間違ってもできない立場を彼は手にしてしまっていた。


 それにハイネリン王国としても、別にそこまで気にしてはいないらしい。どうもリドウはあの災害戦闘の後、ハイネリン王国へのお詫びのつもりなのか、あの草原から貿易都市シュライゼルまでの間はいつも以上に積極的に盗賊を狩りまくったらしく、その上で懸賞金はその一切を拒否していたとのこと。その総額を考えれば、あの一帯の公道の修繕費は十二分に賄えるし、公道がまともに使えない間に出た商業関連の損失を完全に補填しきれる程では流石になかったものの、今後の月紅との関係を考えれば、無暗に追及しようとは考えていないようだ。


 特に今は……


「フェンリルか」


 そう、伝説級同時襲撃事件を彼らが知ったのはこの時が初めてだった。


 例によって酒場でたむろしている中、アレクサンドルが感慨深げに言った名の魔物は遺跡九十五階レベル。現在各国を襲撃している魔物の中でも上位五本指に入る超希少危険種だ。現在ラーカイム王国を襲撃しているケルベロスとほぼ同レベルだが、この等級となるとエーテライスにも一種族十匹前後しか存在しない。ましてや外界にとなると、片手分も現存しているか怪しいものだった。


 ハイネリン王国自体はこの事件の被害を受けてはいないらしい。が、次は我が身とはよく言ったもので、その際に月紅のリドウの人格が本当に伝え聞く通りならば決して無下にはされまいと、王政府は考えているようだった。


 アレクサンドルの言ったフェンリルの襲撃を受けているのは、リドウたちの出発地点であるユリアス王国だ。彼の表情を見る限りでは、是非自分が……、と考えているのがありありと見て取れる。


 カタリナやクリスは澄まし顔で何も言わないし、アグリアも、アレクサンドル一人で十分だろうし、自分には関係ない……てか、そんな化け物に挑むなんて絶対ごめんよ、という顔だ。


「それよりおめぇさんよ、ロンダイク聖教が企んでたのを知らんかったのか?」

「知らん。大規模召喚の件にしても、私は連中が行ったのを一応は知っていただけで、一切係ってはおらんのだ。そんな暇があれば鍛錬していた」


 タバコを口に銜えたままで喋りながら、今でも全く興味が無さそうに手を翻す。


「だが、おそらくはユーウェインの仕業であろうよ」

「ユーウェイン卿の?」

「ああ。あれにはお前も会ったことはあるだろう?」

「ええ。あなた様を譲れ、と、面と向かって言われた時は流石に殺意が湧きましたね」


 いつもの柔和な澄まし顔から一転して憮然としながら言うカタリナ。


「ユーウェインはいわゆる『魔物使い』というやつでな。あれの世界でもかなりレアな技能だという話だが、その名の通り、魔物を従わせることができるのだ」

「ふーん。でも、無制限ってわけじゃなさそうね。際限なく操れるなら、とっくに各国の主要都市は壊滅してるでしょ」

「あれの世界では、あれは魔物使いとして最高位の使い手だったらしいぞ。もっとも、本人の証言だけだがな」

「どんくらいの魔物まで操れるのかしら?」

「あれはいつも言っていたな――この世界は人間も魔物も規格外すぎる――と。あれの世界で最強格でも、この世界の魔物で言えば七十階相当らしい。その程度なら二、三匹は完全に操れるらしいが、フェンリルとなると……」


 アレクサンドルは少し天井を見上げて考えてから、軽く首を傾げる。


「一時的に行動を制限するくらいで精一杯ではないか?」

「それじゃ何もできないじゃない」

「あらかじめ用意した転移魔方陣に追い込んで、発動まで大人しくさせておく……くらいなら可能ってことだろ?」


 ガルフの回答はまさにアレクサンドルが言いたかった事らしく、彼は銀髪をさらりと揺らして頷いている。がしかし、アグリアはそれでも疑わしげな顔だった。


「でもさ、ガルフさん。そんなピンポイントでの非対称長距離転移魔法儀式なんて聞いたことないわよ?」

「そもそもピンポイントである必要がどこにもねぇだろ、対象は魔物なんだからよ。正直、儀式魔法は専門外なんだが、『国のどっか』くらいに漠然とした一定範囲にランダムテレポートなら、専門家なら十分にできるはずだ。対象が人間じゃ危なっかしくて間違っても使えたもんじゃねぇがな」

「あそっか」


 納得したところで、肝心のフェンリルに話題は移る。


「それで、どうされますか?」


 クリスが訊ねるが、これは「フェンリルを倒しますか?」という意味ではない。そんなのは既に決定事項だと彼は理解している。この発言の真意は――ガルフとアレクサンドルのどちらが戦うのか――という意味であった。協力して戦うという選択肢が無いことくらい、これも彼は訊くまでもなく理解しているのであった。


「リハビリがてら、私が殺ろう」


 邪悪に笑んで言う。酷薄な美貌と相まって、完全に悪役よろしくだ。


「まあ待てよ。おめぇさんはついこの間、リドウと散々楽しんだじゃねぇか。錆落としには丁度いいレベルだからよ、俺に殺らせろや」


 どっちもどっちで『殺』なのが酷い。


「ふざけるな。魔物戦は対人戦とはまた違った楽しみがあるのだぞ」

「そっちこそふざけんじゃねぇぞ。おめぇさんともまだ稽古で軽くしかやれてねぇんだ。それもおめぇさんのリハビリ用のな。散々付き合ってやってんだから譲れや」

「あ?」

「お?」


 互いの視線の間で火花を散らし出した化け物たち。


 まあガルフのストレスが溜まっているもの無理はない。この二人クラスが稽古にしても全力を振るった日には、その被害はとてつもない事になる。滅多な事で全力戦闘などできないのに、目の前にはアレクサンドル・ラヴァリエーレという、人間限定なら世界で三指に入ると目される極上の獲物が常に居るのだ。ずっとお預け食らっている飢えた獣も、今のガルフの状態からしてみればまだ可愛らしい。


 アレクサンドルにしても、体調の方は既に万全を取り戻しているのだが、如何せんリドウに負けっぱなしなわけで、少しでも多くの戦闘経験が欲しい。『魔物から国を救う』という、労せずして大っぴらに暴れられる都合のいい理由が目の前に転がっているというのに、目を瞑って見ない振りをするなんて考えられなかった。


 結果――


 二人はがたっと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。


「表に出ろ。二十年前の決着をつけようか」

「後悔すんじゃねぇぞ。病み上がりだからって手加減なんざしてやらねぇからな」

「思い上がるなよ。私に勝てると本気で思っているのか?」


 ガルフは鼻で笑って、両手を胸の前で組みながら天井を見上げる。


「おめぇさんの神様に祈っておきな――せめて生きていられますよーに」


 その表情がまた、嫌味っぽく笑っている。


「よくぞ吠えた。望み通り殺してやろう」


 揃ってどす黒い殺気を撒き散らしながら店を出て行くのを、店員やお客たちは固唾を呑んで見送っていた。


 クリスは淡々と側に居た店員に声を掛けて会計を済ませてから、カタリナと視線を合わせて無言の内に一定の合意に達すると、「お互い苦労しますね」と微笑で語り合い、揃って先に行ってしまった二人を追う。


 二人が店の出入り口に向かう際、


「お願いします、カタリナ殿」

「礼には及びません」


 という会話が二人の間でなされる。余人には今一不明瞭な会話だったが、ガルフとアレクサンドルは今頃、既に空へと飛び立って、闘い易そうな場所を見繕っているはずなので、クリスでは二人を追い駆けるのにカタリナの力を貸してもらわなければならないのだ。


 しかし、自分たちが店を出ようというこの時に至っても、一人だけ席から立ち上がらない人物に二人は気づく。


「アグリア殿?」

「あたしはいいわよ」


 どうぞご自由にに行ってらっしゃ~いと、二人に背を向けたまま手をひらひらさせている。


「怪獣大決戦に興味なんて無いから。あの二人なら超魔法戦になるでしょ? ならここからでも感知はできるでしょーから、終わったっぽかったら追い掛けるわ。最悪、行き先は大体分かってるし、適当に魔法撃ってくれれば見つけられるわよ」

「ここで別れても一向に構いませんが?」


 カタリナが静かに提案すると、アグリアがようやく振り向いた。


「……前々から思ってたけどさ、あんたってあたしのこと嫌い?」

「ええ」


 一切の迷いなく真顔で首肯するカタリナに、流石にアグリアも口の端っこを小刻みに痙攣させている。


「あたし、あんたに嫌われるような事したっけ?」

「いえ、特には。ただ、敵を罠に嵌めて逆らえないのをいいことに、一方的に痛めつけて心から愉悦に浸れる部分や、年端のいかぬ美しい若者が苦痛と快楽で表情を歪めるのを心から楽しめてしまうあなたの人格が生理的に受け入れ難いだけです」

「あんたそれって単に嫌いってより万倍ヒドくない!?」

「そうでしょうか?」


 不思議そうに首を傾げるカタリナに、アグリアは口元の引き攣りが目元にまで行き渡ってしまう。


「昔っから薄々思っちゃいたけど、あんたってそんな虫も殺せないよーな顔しといて、割とナチュラルに毒々しいわよねっ!」

「そんな褒められると照れるじゃありませんか」

「褒めてないわよ!」

「冗談ですよ」

「あ、あのね……」


 眉間を指で摘みながら心持ち顔を俯かせるアグリア。


「あんたら、主従揃って冗談ゆー時に何で一々真顔なのよ。どこで笑えばいいのか本人以外に判断できない冗談って誰得? ホント、似た者同士である意味これ以上ないくらいお似合いのカップルね」

「光栄です」

「ああっ、もうっ……」


 どんな嫌味を駆使しようと柳に風な気がしたアグリアは、しっしと手を振る。


「もーさっさと行ったんなさい」

「そうですね。参りましょう、クリス殿」


 クリスは何も言わずに、先を行くカタリナに黙って従った。


 残ったアグリアは肺の中身を全て吐き出しながら項垂れる。


 が、それもほんの一瞬のことで、不都合な記憶はさっさと忘れ去ると、店員に追加のお酒を注文する。


 するとその時、一人になった彼女に、好機と見た男が意気揚々と近づいてきた。


 いかにも小物臭が漂うチンピラ冒険者といった風情で、アグリアは気配を感じてちらっと見たっきり視線を前に戻してしまう。


「なあ、ねぇちゃん」

「好みじゃないの。失せなさい」

「そうつれなくすんなよ」


 この手の小物には、拒否されたらこの台詞と共に相手の女に馴れ馴れしく手を掛けなければならないという法律でもあるらしい。


 が、当然アグリアはぺしっとその手を払いのける。


「あたしらの話、聞いてなかったの? 魔道士よ、あたし」

「だから何だ? 魔道士ってったって、この距離で戦士に敵うとでも思って」


 男が得意げに述べていられるのはそこまでだった。


 突如、男の全身がカッキーンッと凍りつき、脂下がった笑いを浮かべたままの醜い氷の彫像と化したのだ。


 店内の客も店員もその光景に、絶句して目が釘づけになっている。


「馬鹿ねー。本物の魔道士に息する以上の間なんて与えていいわけないのにさ。あ、そこのお嬢ちゃん」


 アグリアは終始、ナンパ野郎に視線を置くこともなく、至って普段通りの軽い調子で給仕の少女を呼ぶ。


「は、はい!」


 応える彼女はかなり緊張している様子だが、無理もない。


「こいつ、他に仲間とか居るか知ってる?」

「い、いえ、見たことありません。おそらく仕事でたまたま立ち寄られた流れ者の冒険者ではないかと……」

「そっかー。あんま長くこのまま放っておくと死んじゃうのよねー。“凍らせただけ”だし、お風呂にでも突っ込んどけば死なないと思うんだけど」


 自分でやるのは面倒なのよね、とアグリア。男の命なんて何とも思っていないらしい。給仕の少女はドン引きだ。


「ま、いっか」

「ええ!?」

「このまま置いとくのは店に迷惑だろーし、外に出しておこっか。ドア開けちゃってくれる?」

「え? いや……その……」

「それともあんたがこいつをお風呂に入れる? 生き返った途端、憂さ晴らしに襲われちゃうわよ? きっと」

「そ、それは……」


 容易に想像できてしまい、動揺を隠せない様子で逡巡していた少女であったが、しばらくすると、とぼとぼと力なく出入り口の方に歩み、ドアを開けて、そのままアグリアを力なく見る。


「あの……これからどうすれば……?」

「ああ、そのままそーしててちょーだい」


 アグリアは背後のドアの方を振り返りもせず、真横の氷の彫像を指で軽く押しやる。


 すると、まるで力一杯に突かれて打ち出されたビリヤードの球かのように、氷像は勢いよく弾かれて、ドアの外へとすっ飛んで行った。


「きゃっ」


 驚いた少女が小さな悲鳴を上げるが、向かい側の建物の壁にぶつかって止まった氷像に呆然と目を向けている。


 アグリアは既に氷像の行方には全く関心が無い様子で、お酒を飲みながら嘆息する。


「ラヴァリエーレならドアを開けるトコからして自力でやるかしら……」


 言ってから、自分が今、迂闊な発言をした事実に気づくも、別に誰にも聞かれてないし、聞かれてたとしても、こんな場所に『ラヴァリエーレ』の名の意味を知る人間が居るわけもないだろうと、すぐに開き直る。


「あたしみたいにフルキャストがリミットまで来た馬鹿魔力持ちって、小器用に加減すんのが逆に難しいのよねぇ」


 と、小声で愚痴を零す。


「あ、ご苦労さん」


 戸惑いが未だに治まらない様子でとぼとぼと戻ってきた給仕の少女に、アグリアは労いの言葉を掛けるが、少女の方は何と答えていいものか判らないらしく、


「はい、チップね」


 しかしアグリアにとっては関係の無い話で、銅貨をぴんっと指で弾いて少女に渡し、それで一連の話を全てお仕舞にしてしまおうと、暗に態度で示す。少女はこれ以上係わるのも何だか怖い気がしたのか、何も言わずに一礼して仕事に戻っていった。


 その後のアグリアは、しーんと静まり返ってしまい、異様な雰囲気に包まれている店内の様子など知ったことではないとばかりに、平然とした態度で飲み続けていた。


 その内心で思うのは、先ほどのカタリナの台詞だ――ここで別れても一向に構いませんが――という。


 アグリアとて居たくて一緒に居るわけではない。が、“今は”まだ困る。


 そう――


 せめてオルライン帝国が潰れるまで。


 ――は。


 自分と長谷川勇気を欠き、残りの勇者は二名。それなりに年季は入っている連中だが、二人纏めてようやく自分と同レベル。クリスが曲がりなりにも「アグリアも勇者としては上位に数えられる」と評したのは伊達ではない。

 しかも『ランスロット卿』を動かすために莫大な資金を投入した結果、すっかり貧乏に成り果てている。


 どっかの国からのちょっかいで潰れるのも時間の問題だろう。


 そうなっても、ロンダイク聖教が存在する限りは完全に安心しきるのも不可能だが、しかし大分違ってくるのは確かだ。


 それまではアレクサンドルの庇護下に居たいというのがアグリアの本音だった。


 だがしかし……!


 アグリアはこの日から数十日もする頃には、この時のこの選択を己が人生で最大に後悔する羽目になる。そう――魔の森までは愚痴を言いつつも付き合って、それでようやく抜けた先が『大結界エーテライス』だった時に。










 ちなみに、アレクサンドルとガルフの勝負は――ハイネリン王国の経済活動には殆ど影響が無いのが一抹の救いであったが、広大な面積を向こう十数年は不毛の大地となることを余儀なくしながら、大方の戦闘力通りにアレクサンドルの勝利で終わったそうな。

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