桂木明人は普通の少年 1
桂木明人は素美形である。
そんな彼のある日の学校の休み時間。
お通夜かよ、と、自分の周囲に集まってしくしくと涙を流す友人たちに辟易していた。
彼らの主張を纏めると、こういう事らしい。
「ああっ、麻木さん。俺たちオタクの正ヒロインであるあなたが、なぜあんなリア充野郎と!?」
とまあ、麻木恵子が神崎芳樹と付き合い始めた事を、彼らは心底嘆いていた。件の二人が付き合いだしたのは夏休み前で、今はもうとっくに新学期が始まっているのに。
麻木恵子は普通にリア充な美少女であった。美少女であったが、彼女は決して彼らオタクを、オタクだからという理由で蔑んだ目で見たり、ましてや「キモっ」などと言ったりはせず、優しく笑いかけてくれるのだ。
当然と言うべきか、女子との触れ合いに慣れていない彼らは「自分の事が好きなんじゃないか?」と勘違いしてしまう例は多かった。
告白にまで及んだ者も少なくなかった。
でもそこからが先に、よくオタク少年が主人公な物語で、主人公の失敗談として語られる事の多い過去のリア充美少女と麻木恵子との決定的な違いがあった。
できるだけ気をつけていても、どうしても告白される事が少なくなかった彼女は、自分に告白してきて断った男子が他人から揶揄されて傷つく姿を見るのが嫌だったので、自分にできる限り、そういう時は人目に気を遣い、また絶対に誰にも話さなかった。そして更に、「断ったあたしがゆーのもあれだけど、無理しなくていいから、できればまた普通にお話ししよーね」と笑いかけてくれるのだ。
その心優しい気遣いが、夢破れたオタク少年たちにとっては嫌いになれず、いつしか『麻木さんは俺たちの正ヒロイン現象』が起こるようになっていた。
ちなみに、彼女より更に上位に一条千鶴の存在があったが、彼女は基本全無視だったので、よっぽど自分自身に自信がある連中くらいしか告白なんぞしたりするケースはなかった。
……オタク少年たちからは、誰の物にもならない女神として崇められてはいたが。
「くっ、リア充神崎めっ、いくらでも他に居るだろうに、どうしてよりによって麻木さんなんだ!」
「神崎死ね。リア充死ね。死ね死ね(エンドレス)」
「辛気臭いなぁ……」
「お前は悔しくないのか、桂木!?」
「冗談でも他人に『死ね』なんて口にするのは好きになれないな。別にいいじゃん、麻木さんが誰と付き合おうが。イメージ売ってるアイドルじゃあるまいし」
「裏切り者め! やはり素美形な貴様に拙者たちの気持ちなど分からんのだ!」
この台詞にはカチンっと来た明人は、切れ気味な笑みを浮かべる。
「僕は好きでオタクやってんの。オタクである自分が好きだし、プライドもあるの。それともなに? キミは自分がリア充になれない言い訳のために嫌々オタクやってんの? それってオタク馬鹿にしすぎじゃない?」
「う……相変わらず口だけはくるくると回りよるでござるよこの男……」
「大体ね、リア充が羨ましいなら、オタク辞めて努力すれば?」
「努力してモテモテになれれば苦労はせん!」
「そこら辺歩いてるカップルをよーく観察してみなよ。美男美女同士なんて滅多に居ないから。小奇麗な格好を常に心掛けて、女の子の話題に笑顔で受け答えできるように普段からリサーチを怠らず、自分から積極的に好かれようと努力をしてるだけ。それで浮気はしないこと。不特定多数からモテモテになって、向こうから告白してくれなくちゃイヤだなんて舐めた根性でいるようじゃ、そりゃ女の子からは嫌われて当然。オタク云々以前の問題だね」
「むっ、ぐぅ……」
「この世の原則は等価交換。対価を支払わずに得られる物は無い――ってアニメやマンガじゃ大概言ってるじゃんか。それに倣って努力すれば?」
「こ、コミュ障の拙者に」
「本物のコミュ障はそんなもんじゃないから。キミのは、自分より上に見える連中から馬鹿にされたくないから、自ら接触を避けてるだけの内弁慶。本物のコミュ障の人たちに謝れ」
「う……うわーんっ!」
席を立ち、泣きながら走り去ってしまった友人の一人を、明人は前髪の奥に隠れた目を冷ややかにして見送った。
「容赦ないな、お前」
「美形って理由だけで裏切り者扱いしてきたあいつが悪い」
「お前が美形に生まれたも、あいつが……つか俺らが非美形に生まれたのも、どっちにも責任があるわけじゃねーけどさ、少しは気持ち分かってやれよ。あいつ本当に麻木さんが好きだったんだよ。お前だって、あいつが努力しただけで麻木さんと付き合えるとは思えなかったろ?」
「そりゃね。あの子は難しいよ」
「だろ? あそこまでハイレベルな」
「違う。あの子が難しいのはそんな理由じゃない。中学時代はずっと同じクラスで見て来たから判る。あの子は普通の男の手に負える女の子じゃない。僕なら、彼女の方から告白されたとしても、麻木さんだけは御免だね……」
明人はこの時、同時に「ま、そんな事は“絶対にありえないんだろーけど”」とも考えながら言っていた。
「あの子と男女関係築くくらいだったら、まだビッチ相手にしてる方が気が楽だよ」
「何だそりゃ? ま、悔しいけど神崎は普通じゃねーけどさ」
「それも違う。あの程度の男に彼女は扱い切れないね。女の子の攻略フラグを見抜いて話を合わせるのが異常に巧いってとこは認めるけど、どうせすぐに外面をキープできなくなって、彼女を持て余して別れる事になる。賭けてもいいよ、あの二人はあと三ヶ月も持たない」
「それが本当ならいいけどな。よくそこまで自信満々に言えるよ……DTのくせに」
「童貞だけど、女の子と付き合った事なら何回かあるしね」
「なに!? 初耳だぞ!」
「中学時代はね、それなりに。女の子と付き合うのってどういう感じなのかって、かんっぜんに興味本位でしかなかったから、すぐに飽きちゃったけど」
デートだって言われて放課後や休日に連れ歩かされるのが面倒くさくて――と、平然とぬかす明人に、友人の少年はぐぬぬと唸る。
「や、やっぱりお前なんて裏切り者だーっ!」
というよりも、最低男と罵るべきだと思われたが、とにかく、残った彼も涙ながらに走り去ってしまった。
いきなり友情崩壊かと思われたが、実はこれが彼ら三人のいつもの感じでしかなかった。
素美形かつ毒舌な明人と友達やってられるオタクだという意味を考えれば自明の理だろう。どうせ数分もすればけろっとした顔で帰って来る。
そして、また休み時間になればこうして集まるのだ。明日も、明後日も、そのまた先も。
――そう、桂木明人もこの時までは思っていた。
それは、友人たちが泣き去ってしまい、暇になった彼が、色々と個人的マストアイテムが詰まったカバンを手に取った瞬間であった。
「な、何だ!?」
いきなり目の前が真っ白になった事で、普段は冷静なキャラで通っている彼も流石に慌てた。
そして次に目にしたのは遠くに西洋風の家屋が立ち並ぶ光景であり、自分は草原のど真ん中に突っ立っていたのだから。
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声を発してしまったものであった。
それからが大変だった。
彼は三人の男女と一緒に召喚されていたのだが、案の定と言うか当然と言うべきか、彼らは混乱の極致だった。後で彼らの話を聞いてみたら、特に近くに居たというわけでもなかったようであった。
田島和美と川村明子、そして小杉純也。この頃の三人は、個性を出そうとして逆に失敗しているのではないかと疑う茶髪ピアスという風体で、明人にとっては決して友人にはなりたくないタイプだった。
しかし、彼らを放って自分一人だけで逃げ出してしまう程、明人も冷血ではなかったし、あるいは彼自身も一人では心細かったのかもしれない。
オタク故にその手の知識には強かった明人は、幾つかの可能性を考慮した末に、最終的にはここが異世界であると無理やり呑み込んで、三人を説得した。
「オタクなんだから詳しいんだろ! お前がどうにかしろよ!」
と、事あるごとに責任転嫁してくる小杉純也には何度も切れそうになったが、調べた結果、闘気という即戦力を持つ彼を手放す事はできず、何とかなだめすかしながら、身元不明で大したスキルもない現代人の自分たちが手っ取り早く成れるのは冒険者くらいしかないと考え、当座の資金に制服を売る事に決めた。
「お前の持ち物売った方が早いんじゃないか?」
「バッテリーが切れればただのガラクタだよ。いずれは考えるけど、どのくらいの治安能力があるかまだハッキリしない以上、詐欺罪で捕まるのが嫌なら今は止めといた方が」
「え、偉そうにするんじゃねーよ!」
「……ごめん。偉そうに見えたなら謝る。とにかく、明日はもっと詳細な情報を集めよう。特に政治体系や宗教関係とか、オーソドックスなファンタジーならかなり怖いから」
その夜、彼らは、自分たちが出現したイーサンの街の宿に泊まったが、ランクは中位のものを選んだ。これは純也や女子たちがワガママを言ったのではなく、明人の「あまり安すぎるところは危ない可能性がある」という判断だった。
取った部屋は二つ。しかし、その部屋割は明人の一人部屋と、そしてその他の三人部屋だ。
そこで何が行われているのかは、わざわざ考えるまでもなかったが、明人は見て見ぬ振りをした。決して察しの悪い方ではない彼は、女子たちが自身の感じている不安を紛らわせたかったのと、また、現状を生き抜く明白な力を持つ純也のご機嫌を本能的に取っているのであろうと知っていたから。明人はそれを責められる程に潔癖ではなかった。
ただ、純也が何か言い出すたびに、「そーよ、そーよ」と彼に賛同を示し、明人の意見に反発しようとするところは、彼も常々イラっとしてしまったものであったようだが。
そのくせ、最後は結局、明人の意見が通るのだから。純也は、本当は自分の意見よりも明人の意見の方が正しいか、少なくとも有益だと理解していながら、必ず一度は何かしら反発し、最後は『自分が許可してやった』という形を取りたがった。自分の方が常に明人より優位であると示していられないと不満だったのだ。一々反発される明人からしてみれば「こいつマジでメンドクセー」であった。
常に純也寄りな態度を取り、全くフォローをしようとしない女子たちにしても、いくら明人自身、彼女たちがそういう態度を取り続ける理由を分かっているとはいえ、所詮は高校二年生の彼からしてみれば、「少しは円滑に進むように協力してくれよ!」とストレスの対象でしかなかった。
後に彼は、この頃の自分自身を振り返り、自分も余裕が無かったのだから責められる謂われは無いと思いながらも、ちょっと子供すぎたかなとも反省している。彼女たちには『純也に賛同する以外に選択肢は無かった』のだと、彼は気づけていたのだから。
話を戻し、それから、リリス教圏の方が明らかに自分たちには暮らし易そうだと判断して、すぐにイーサンを出発した。本当ならもう少し情報を集めてからにしたかったが、どうにもガラのよろしくなさそうな街であったので。
マフィアの国、と知ったからには、途中の街は全力で避けた。
そのせいでなのかは判らないが、盗賊に襲われる事もあったが、純也が皆殺しにする事で、その際の嫌悪感から色々と問題は発生しても、肉体的には何の大過もなく済んでしまった。
それがいけなかったのだと、日々のストレスで限界に近かったこの時の明人には気づけていなかった。
カーライス王国に到着する頃には、純也はすっかり調子づいていた。
そして、ラスティアラとの出会い。
エーテライスまで招かれるのに支障は無かった。何せ、この頃には全ての決定権を握っていた純也が率先して賛成したからだ。
この出会い自体が最高の幸運であったのは、明人も特に否定しない。
無論、ラスティアラの申し出を疑う部分はあった。何せ話が美味すぎる。しかし、これ以上純也たちと共に居続けるくらいなら、いっそ賭けに出るべきかと、彼も相当に疲れていたのだ。麻木恵子の名があったおかげで信用性が生まれたという面もあったが。
そして、桂木明人は知る事となった――この世界の真の化け物は桁が違いすぎる、と。
明人も正直、この時までは、小杉純也の力があればどうにかなるだろうと高を括っていた。何せ彼の力は、明人の眼から見れば、まさに化け物としか思えなかったのだから。
もし、自分たちの物語があるとすれば、小杉純也こそが主人公なのだろうとすら思っていた。最近では、凄い才能を秘めた少年にくっ付いている、本来なら目立たない友人Aの位置にいる少年が真の主人公だったりする物語もあるらしいが、生憎と明人は、自分を主人公だと思えるほど楽観的ではなかった。
まあ、自分たちが何かの物語の登場人物であるなどと思っていたわけでも特になかったのだが、仮にそうなら、きっといずれ小杉純也は何かの壁にぶち当たって心を入れ替えて、最後は主人公らしい活躍をするのだろう。
……あるいは、単なる蹂躙系で終わるのかもしれないけど、と冷めた思考をしたりもしていたようだが。
そうと明人も思ってしまうほど、膨大な闘気を持つ純也の力は圧倒的に見えていた。
しかし、だ……。
リリステラは愛息子が旅立つと、すぐに眷属たちを世界中に派遣したので、明人たちが保護されたのは召喚から僅か数十日後の出来事で、リドウと恵子が一条千鶴との出会いを果たしている頃だった。
この頃、若様絶対至上主義のリュリュは、リドウが自分の居ない間に外界へ旅立ってしまった事でかなり荒れていた。
むしろ、荒れ狂っていた。
どっかんどっかんと爆裂音を轟かせながら城が大きく揺れ動きだしたのだから、まさか噴火でも起きているのかと思えば、ラスティアラ曰く、城の外で同僚が鬱憤晴らしに大暴れしているのだろうと言うのだ。
ちょっと注意してくると言って離れようとするラスティアラ。
最初は恐れていたが、原因が判明し、安全と分かると、すぐ美少女メイドたちに夢中になる純也。
それを見て不機嫌な顔になる明子と和美。
そして明人は、純也たちと一緒に居る事にうんざりしていたので少しでも離れていたかったのと、純粋な興味本位から、ラスティアラに頼んで同行させてもらった。
そして連れて行ってもらった先で見た光景は――
「あぁあああああああっ」
見た目小学生くらいの少女が、大声で叫びながら、眼前の方へ巨大な光の魔法を放っている姿で、その魔法が炸裂した場所を中心に、自分たちの通っていた学校などすっぽり収まるであろうと思われる巨大な範囲を吹き飛ばしたのだ。
「あぁあああああああっ」
それが、瞬きする間に連発された。
「ふ……ざけるなぁ――――――ッ‼」
三発目は更に巨大な光線が大地を穿った。
明人はこの時、思わず呟いてしまった――
「メイドコス魔砲少女……」
いや、ぶっちゃけそんな可愛らしいもんじゃなかった。何せ最後の一発など、ちゅどーんと炸裂してキノコ雲を生み出してみせたのだから洒落にならない。広島原爆くらいの威力はリアルにあるんじゃないかと、この時の明人は、頭だけは冷静に思っていた。
「リュリュ」
明人には理解できなかったが、ラスティアラは風の拡声結界を用い、あくまでも静かにその名を呼んだ。
リュリュは八つ当たりを止め、静かに振り向く。
「……その人間は?」
「例の麻木恵子嬢のご友人で、桂木明人殿です」
「……そう」
リュリュの目が厳しく細められたが、特にそれ以上に何かを口にする事は無かった。
「彼が怖がります。落ち着きなさい」
「……ん」
一瞬前までの激発した様子など嘘のように静かな態度に、本人も気づかない内に本能的な恐怖で身を震わせていた明人も、未だに微かな怯えを残しながらではあったが、静かにリュリュへ視線を落とした。
リュリュもじっと明人を見上げる。
「あの……さっきのは?」
「……クワッド。素粒子系光属性。特に名は無い」
「くわ……素粒子……?」
「気晴らしには丁度いい」
「いや、そういう意味じゃなくって……」
しかもクール系か、コミュニケーションを取るのが難しそうな子だな、と明人は瞬時に把握した。
これが後に、明人プロデュースの魔王風ゴスロリ魔法少女が誕生する出会いなわけだが、お互い一気に打ち解けたわけではなかった。
リュリュと別れ、城の中へ戻った明人は、傍らを歩くラスティアラへ躊躇いがちに問い掛ける。
「あの……リュリュ、さんって、相当強い部類の人なんですよね?」
「ええ。私よりは遥かに」
明人は心底ほっとした。アレが大した事のないレベルだなんて言われた日には、全力で安全地帯を探して引き籠るしかないと考えていたが、どうやらその心配は無さそうだ……と思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
「相性にもよるでしょうが、侍女長の次か、その次くらいにはやるでしょう」
あんなのと同等以上なの少なくとも複数名は居るのか、と明人は戦慄した。正直、あれってこの世界のロリ魔王とかなんじゃないの? とすら思っていたのだ。まさか、本当に魔王と呼称される存在がいるとは、まだこの時には知らずに。もっとも、話の流れで直後に知る事となったが。
「……このルスティニア全体でどのくらいに位置するかは分かりますか? 大体でいいです」
「人型種族で限定するなら二桁台前半は確実と思われますが」
「あれで“二桁前半にしかならない”……?」
呆然と呟き、慌てて我に返る。
「人型種族って事は他に何かヒューマノイド・タイプが居るんですか? 例えばエルフとか」
「えるふ? いえ、我が主を筆頭とする魔王様方がいらっしゃいますが」
「ま、魔王!?」
「はい。人の進化の究極系と言われる不老不滅の超越者です」
「あ、ああ……なるほど、魔王って名前だけで実態は仙人みたいなものかな」
ファンタジーならそのくらいはありかと、そこはすぐに呑み込んだ。
その筆頭との出会いは衝撃であった。
ゆるふわ金髪お姫様系爆乳美女魔王とか、なんてファンタジーな存在なんだよ、とか上の空で思いながら……
明人は決して見惚れる事はできなかった。
女性に対して冷めていたからではない。
今でも当時を思い返すと、直前にリュリュとの出会いを果たしていなかったら、自分だって素直にドキドキしてしまったであろうと、明人は考える。
ただ、何となく理解できてしまったのだ……
(この人は本気でヤバい。絶対ヤバい。あのリュリュってロリが文字通りに可愛く思えるレベルだ、きっと……)
純也が言葉も無く見惚れ、女子二人は、自分たちの庇護者の心をひと目で奪い去ったリリステラに敵意を向ける中、明人は自分でも知らない内に全身を小刻みに痙攣させていたのだ。
その様子を見て取ったリリステラが、一瞬だけ興味深そうに笑みを深めた。
(やべっ。興味を持たれたか……?)
その感想は、他の三人が部屋を出されても一人だけ残された事で、正しかったのだと証明された。この時の彼自身の心境はガクブルだった。
「桂木明人さんと申されましたね?」
「は、い……」
「それは何でしょう?」
「え?」
「その鞄の中身です。微弱ながら電子の波動が感じられますね」
明人は愕然とした。
(まさか、電子機器の漏電を感知したとでも言うわけ!? スマホすら、いざって時のために電源から落としてんだぞ。どんな感覚器官してるんだよ……)
「よろしければお見せ願えませんか?」
「はい。喜んで」
不快に思われないよう、つっかえる事の無いよう気をつけて言葉を紡いだ明人であったが、その声の震えまで抑制しきるのは難しかったようだ。
もっとも、リリステラは美麗に笑うまま、咎めようとはしなかったが。
鞄を受け取ったリリステラは、開けてもいいかと許可を求めてから中身を取り出した。
明人たちの通っていた学校は、生徒の自主性を尊重するという名目のもと、非常に校則が緩い事で知られていた。彼もそれが最大の理由で進学先に選んだのだが、おかげで彼は個人的マストアイテムを毎日持ち歩けていた。
彼女が興味を持ったのはやはり電子機器で、スマートフォンやDVDポータブルプレイヤーといった、学業には全く関係の無い代物が数々見つかる中、リリステラが最も興味を惹かれたのはデジタルカメラだったらしく、目の前に掲げ、上下左右に動かしながら、じっと観察していた。
黙ってその光景を見つめていた明人であったが、リリステラの指がおもむろに電源スイッチへと動いた事で唖然としてしまった。
実はこの時、明人には理解できなかっただけで、リリステラは魔法で解析を行っていたのだ。
もっとも、解析できたからと言って、その内容を理解できるだけの知識と頭脳がなければ話にならないので、やはり驚嘆すべき事であるには違いなかったが。
その通りに、明人は無事に起動を果たした事で更に呆気に取られてしまう。
その後も、リリステラはたまに手を止めて悩む素振りを見せる事はあっても、明人に質問しようとはせず、しかし順調に操作を進めていった。
「……なるほど」
とリリステラは納得の声を発しながら、明人へ向けてデジカメを構えると、シャッターボタンを押してから、画面を確認して、そしてなぜか申し訳なさそうな顔で明人を見つめた。
「どうやらこの品は風景を写し取って保存するための小型の装置であるとお見受けしましたが、保存された映像を幾つか勝手に拝見してしまいました。お詫び申し上げます」
「い、いえ……別に見られてまずいもんなんて入ってませんから、お気になさらないで下さい」
「では、不躾ながら、この可愛らしい服飾についてお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
何やらリリステラの瞳にわくわくとした期待が籠っている事に明人は気づいた。
差し出されるデジカメに視線を落とせば、某夏の祭典で魔法少女のコスプレをした女性の姿が映っていて。
リリステラが手を動かせば、他にも巫女コス、メイドコス、獣人コスなどなど、アニメのキャラクターに扮した女性の映像が次々と。
「これと言った統一性が見られませんね。地球には随分と多彩な服飾がおありになる」
「あ、いえ……」
一瞬否定しようとした明人であったが、面倒くさくて、
「はい」
と言ってしまった。これが世に云う『桂木明人の大失敗其の一』であった……本人的には特に失敗と思ってはいないらしかったが。
リリステラは更にコンテンツを進めていくと、中には剣士を始めとする戦士と思しきコスプレをした者たちの映像もあり、
「武器類に関してはこの世界の物との差異はあまりお見受けできぬようですね。ん? これは何でしょう」
「ああ、銃ですね。これも武器です」
「銃、と。どのような用途でしょう? 恥ずかしながら、あまり想像がつかないのですが」
と言うので、明人が大まかな原理を教えると、リリステラは上目遣いに小首を傾げていたのだが、やおら片手を前に突き出した。
前触れも無くその手に現れたのは、まさに映像の中にあった銃で。
ただし、リリステラは弾倉の部分へ手動で弾を込めてから、真横へ向けて引き金を引いた。
「うそ、だろ……」
弾が壁に減り込んで、ぱらぱらと塵を地面に散らしているのを、明人は引き攣った顔で見やっている。
「ふむ……」
と自前の銃を眼前に持ち上げて観察するリリステラ。
「このような感じでしょうか?」
「……いえ、それじゃ見た目がハンドガンなだけで、種類としてはマスケット銃って大分原始的なやつとしか言えないでしょうね」
「銃の内容と使用目的としては妥当であるという事でよろしいでしょうか?」
「ええ、まあ……」
どうやらそれを確認してみたかっただけのようだと知った明人であったが、彼は迂闊にもある質問をしてしまった。
「やっぱ、オートマのハンドガンまで作るなんて無理ですよね」
本当は、明人としては、否定してほしくて言ったのだが……これが世に云う『桂木明人の大失敗其の二』であった。これに関しては本人も失敗だったと素直に認めている。
「不可能、と? このわたくしに向かって仰る? おほほほほほ」
嫋やかに口元を手で隠しながら笑うリリステラであったが、その瞳は全く笑っておらず、
「いいいいいえそんな滅相も」
「よろしいでしょう。その銃の詳細な内容をお教えなさい」
明人が顔を真っ青にして否定しようとしたが、リリステラの口調は彼へ反論を許さなかった。
そして約二十分後、三度の試作品をボツにしながらも、とうとうベレッタF92が完成の目を見た。
……見てしまった。
これが世に云う『桂木明人の大失敗其の三』である。もっとも、あくまでも切っ掛けとしての意味しか持っていなかったが。
「どうやら桂木さんは、恵子さんに比べると、大分具体的な知識をお持ちでいらっしゃるようですね」
「麻木さんが何か?」
「ええ。そちらは科学的な技術による文明が発達していると恵子さんからお聞きしましたところ、例えば車両や飛行機といった概念を教えて頂きはしたのですが、それがどういった原理で作動しているのか、そうした具体的な内容になると彼女はさっぱりでしたので」
「ああ、でしょうね。どうやってうちの学校に合格したのか不思議になるくらい、お頭の方は残念な子でしたし」
まあ、中学時代はずっと同じクラスだったので、受験前に彼女が必死で勉強していた姿は彼も知っているのだが、それも受験が終わると同時に頭の中からすっぽ抜けていってしまったらしいとも、彼は知っていた。
「そうだ。大したお礼にはなりませんけど、保護してくれるお礼に、自分でよければ幾らでもお話しさせてもらいますよ」
と、ご機嫌取りのために自ら申し出てしまったのだが、これが世に云う『桂木明人の大失敗其の三』における全貌であった。




