カタリナさんにも色々とあったようです。
これはまだ、アレクサンドル・ラヴァリエーレやガルフたち一行が魔王城にやって来て間もない頃の話である。
「おはようございます」
「あ、おはようござ……」
朝、軽い会釈ながらも、仕草一つで女としての格を見せつけるような佇まいで現れた女性に、先に来ていた面々が挨拶を返すが、誰一人としてその言葉を最後まで続ける事ができなかった。
「か、カタリナさん……?」
「はい?」
恵子の震えるような声音に、問い掛けられたカタリナがきょとんと小首をかしげるが、すぐに何かに気づいたような顔になり、柔らかい笑みを浮かべながら、自身の肩辺りで綺麗に切り揃えられた髪の毛を、手のひらでぽんぽんと軽く叩く。
「これの事でしょうか?」
「ど、どーしちゃったんですか!?」
「気分転換です。特に何があったわけではありませんよ」
「カタリナは昔から定期的に髪型を変えるのが趣味らしい」
カタリナよりも先に食堂へ来て、既に食事を済ませる寸前のアレクサンドルが補足した。
「まあ、お前ならどんな髪型だろうと似合うし、たとえスキンヘッドだろうとも私は気にせんがな」
誰を見る事もなく、静かに食事の手を進めながら、しれっと殺し文句を吐くアレクサンドルに、この場に居た女性陣の殆どが頬を染めてしまう。
平然としているのはメイドさんたちと一条千鶴、それに言われた本人のカタリナくらいのもので、彼女は、周囲の席が不自然なまでに空いているアレクサンドルの横に腰を下ろす。彼の周囲が空いていた理由は、小市民な日本人たちでは彼独特の雰囲気に気後れしてしまい、迂闊に近づけないという、なんとも言えない理由があった。
「ああいう台詞をさらっと言えるあたりが外人だよな」
日本人の青年、大島寛治が、隣の雨宮隆一に顔を寄せて囁く。
「リア充は滅びろ」
「つか、お似合いすぎて文句のつけようもねーだろ」
隆一が心底忌々しそうに吐き捨てるが、隣に座る山中果歩が白けた顔つきでツッコミを入れる。
「ああいう美男美女はとっととくっついてくれるに限るぜ、実際。じゃねーと望みがあると思い込んじまう犠牲者が後を絶たねーからな」
「何か私に含むところでもあるような目ね」
「別に?」
何でもなくは明らかになかったが、千鶴が追及する事はなかった。
「でもさ、話変わるけど、カタリナさんってハイエンドなんでしょ?」
恵子がカタリナと同じ魔道士の愛奈に向けて訊ねると、彼女は普段よりも幾分真剣に引き締めた顔でこくりと肯いた。
「強いですよ。たぶん、リュリュちゃんよりも強いです」
「……てか、リュリュちゃんってそんな強いの? なんか真っ黒な炎の魔法使ってたけど、ぶっちゃけ見た目が凄そうなだけで、リドウのドラゴンの魔法の方がずっと凄いでしょ?」
「リドウさんは最低でもフルダブルで竜華葬送を使いますからね。でも、あの時のリュリュちゃんのは、フルダブルでもディレイとの併用で威力が半減してた上に、炎自体を黒く変質させるために更に威力を落としてましたから、単純な技術レベルではむしろリュリュちゃんの使ってた魔法の方がずっと凄いです。竜華葬送と同じ魔法を使うだけなら今の私にはできない事もないと思いますけど、今の私にリュリュちゃんと同じ事はできませんね……悔しいですけど」
「ふーん……」
今でも魔法関連にはあまり触れていない恵子には説明されてもよく理解できなかったようだが、取り敢えず凄いという一事だけは理解できたらしい。そして、それを理解できたからこそ、彼女にとっては心配な事があった。
「でも、勇者の従者にもそんなに強い人がいるんじゃ」
「安心しろ。カタリナは特別だ」
唐突に遠方からアレクサンドルが会話に加わってきた。どうやら、今までは聞こえていない振りをしていただけらしい。
一同から一斉に注目を集めたアレクサンドルだが、そこは平然としたものである。
「私は元々従者など持っていなかった。足手纏いにしかならんからな」
「不思議ですわね」
と、千鶴。
「何がだ?」
「ロンダイク聖教圏ではハイエンド相応の才能を持って生まれる子供は居ない、というわけではないと思われますが」
「当然、いる。だが、ルスティニアのハイエンド――たとえばガルフのような至天級の者たちとて、基本的には勇者に相当するレベルのキャパシティを生まれながらに持ち合わせていたわけではない。精々が……そうだな、アグリアの半分もあれば『膨大なキャパシティを秘めた天才』と称えられるレベルであろう。それでもハイエンド足り得たのは、本人の強烈な意思と鍛錬、そして数々の死闘を乗り越えた末の話。宮廷で“普通に努力している”程度で追いつけるものではない」
「普通ではない努力をさせようとはしないのですか?」
「ガルフたちは、天才と称される使い手百人が死んでいった中で生き残った唯一人、という事だ」
「させたくても、させられない。中途半端にさせてもさして意味は無い、という事ですわね」
「そうだ」
「ではなぜ、カタリナさんは例外なのですか?」
「私から話せる事は無い」
ぴしゃりと話を断ち切るアレクサンドルに物申せるようなツワモノなどこの場にはおらず、自分の事なのに一連の会話には加わろうとする気を見せず、今でも黙々と食事を続けるカタリナに好奇の視線が集まるが、
「申し訳ございません。己の口から他者へ語るには少々気恥ずかしい内容になりますので」
と、笑顔で丁寧に謝絶するカタリナに、それでも聞かせろと追及するほど悪趣味な人間は、幸いな事にこの場には居なかったようだ。
アレクサンドルの従者であるカタリナ。紫がかった黒髪の淑女然とした美女であり、おっとりとしたタレ目がちの容貌ながら、その所作は隅々まで神経が張り巡らされた美しさを常に保ち、ぱっと見はどこぞの深窓のご令嬢――二十代後半の外見年齢から、高級貴族のご夫人かと思われる事の多い女性であるが、それもそのはずで、彼女はれっきとした貴族のご令嬢であった。
しかし、ロンダイク聖教国家において、貴族令嬢は能力者として生を受けようと、まず戦闘に関する教育など受けない。能力を暴発させないよう、制御だけは学ぶが、それよりも貴族令嬢として実家の利益に適う婚姻を結ばれる事が好まれる。
極まった能力者ならば下手な政略結婚よりもよほど役に立ってくれるが、そこまで辿り着くには基本的に他の全てを犠牲にしなければならないもので、貴族令嬢としての教育を受けていられる余裕など、よほどの天才でない限りは有り得ない。それよりは普通に貴族令嬢として政略結婚してくれた方が安全だ。特に、美しく生まれたカタリナならば、尚更に。
しかも、老化速度の低下は腕前ではなく純粋にキャパシティの多寡だけが影響する。烈震のガルフや雪華のルビアンナ、または勇者と比較されるレベルではなかったが、生まれ付きかなりキャパシティが大きい方だった彼女の場合、余計に高く売れる。若くて綺麗でいられる時間が一般人よりも遥かに長いのが確定しているのだから。
カタリナは当初、それに関して特に不満は無かった。言ってしまえば、極々普通の貴族令嬢でしかなかった。
そして、結婚は十六歳の時だった。子爵家の次女であるカタリナに対し、相手は侯爵家の長男。誰もが羨む良縁というやつであった。
順調にいけば、その後は侯爵夫人として何不自由の無い暮らしが約束されていたはずだった。
しかし、現在がそうでない以上、そうはならなかったのだ。
不幸は結婚して五年後にやって来た。いや、唐突に訪れたわけではない。その原因は結婚当初から年月を追うごとにじわじわと染みを広げ、ついには五年の歳月を掛けて真っ白なハンカチを黒く塗りつぶしてしまった。
――カタリナは子供を産めなかったのだ。しかも、根本的に産めない体だった事が明らかになったのだ。
不妊が理由で仲を悪くしてしまう夫婦など珍しくない。ましてや、血と家を存続させる事こそが最大の仕事である貴族でそれは致命的で、男の子を産めないだけでも、嫁が役立たず呼ばわりされる事すら、珍しくないどころか一般常識とも言えるレベルの話だった。
愛があれば話は違ったのかもしれない。だが、無かったのだ。
離縁され、実家に出戻る羽目になったカタリナを待っていたのは両親からの冷たい視線と罵倒にさらされる日々だった。
しかしそれも長くは続かなかった。と言っても、カタリナにとってはとても幸福と言える話ではなかったが。いや、その後、そして現在を鑑みれば、幸福と言っても構わないのかもしれないが、それもあくまで切っ掛けとしての話でしかない。
伯爵家の現当主。御年六十二歳の後妻という縁談を両親が持ってきたのだ。
カタリナ自身、覚悟はしていた。子供が産めないという理由で出戻った貴族令嬢の価値など、貴族社会では無いに等しいのが現実なのだ。
それからのカタリナは人形のようだった。己の肉体を這う皺枯れた指に感じる怖気を、己の感情を殺す事で何とか耐える日々。
それでも、社交界に出れば笑顔で愛想を振りまかなければならないのが貴族の宿命。特に老伯爵は、若く美しいカタリナを見せびらかしたかったらしく、必要の無い場にまでカタリナを同行させた。
そしてそこで、不運にも彼女は恋をしてしまったのだ――不機嫌そうな顔でパーティーに参加していたアレクサンドル・ラヴァリエーレに。
老伯爵に対しての愛は無かった。大切に労わってくれたなら、もしかしたら歳の差があるなりに情の一つも抱けたかもしれないが、残念ながら彼はカタリナを、己の欲を満たすための物としか見ていなかった……少なくとも、彼女自身はそう感じていたし、役立たずの後家を貰ってやったのだから感謝しろ、と伯爵本人から日常的に言われ続けていたのも、またまぎれもない事実だった。
カタリナは泣きながら願った――自分を連れて逃げてくれ――と、“あの”アレクサンドルへ。当時は割と夢見がちなお嬢様だった彼女には、想いの命ずるままに己を攫ってくれる騎士様に対する憧れもあった。あるいは、そう妄想して己を慰めていたのかもしれないが。
しかし、そこは“あの”アレクサンドルである。その返答は冷ややか極まりなく、かつ酷薄だった。曰く、お前のように才能を腐らせ、性根も腐らせ、他人に頼る事しか能の無い女に興味など無い、だ。
普通なら、何て酷い男なのかしら、と恋心が醒めていただろうが、そこはハイエンド足り得る資質の持ち主であったというところだろう。カタリナは諦めなかった。
即座に家出し、貴族令嬢であった過去の自分と決別する、その己に対しての決意表明として、誰もが羨んだ美しい髪をばっさりと切ってしまい、血と暴力と闘争が支配する世界へと自ら飛び込んで行った。
……あるいは、どうせこのまま死んだように生きるくらいなら、いっそ死んでしまっても構わないという、やけっぱちな考えすらあったのかもしれないが、当時を思い返してみても、本人にはよく分からないらしい。
カタリナ自身は、その後の実家がどうなったかは今でも知らない。彼女の行いによって相当な被害を受けたのは考えるまでもなく確かだが、彼女自身の本音を言ってしまえば……わたくしの知った事ではありません、といったところらしい。
リドウやベアトリクスが聞けば顔を顰めそうな話だが、カタリナが受けた仕打ちを考慮すれば目を瞑るのだろう。少なくとも、彼女は自らの力で現状を獲得している。
アレクサンドルに振られてから、彼女は常に死を身近に置いてまで、彼に認められたい、ただその一心で努力した。それ程までに強烈な想いでもあったのだ。
そして再会の時はやって来るが、それまでには更に八年の時を要した。当時、カタリナはちょうど実年齢で三十歳。実力的には現在の愛奈以上、リュリュ未満というところであったろうが、たった八年でハイエンド一歩手前まで達したという、その事実に、再会したアレクサンドルも流石に驚嘆した。
これを『可愛らしいやつめ』と受け取るか、それとも『ヤンデレこわっ』と受け取るかは人によるだろうが、彼自身は『面白い』と思ったらしい。つまり、将来の己の敵として、だ。
当時のアレクサンドル自身には、カタリナに対する愛情はさほど無かった。というか、全く無かったと言っても構わないだろう。ただ、己の側に置いて、彼女が求めるように愛してやる程度の手間なら、彼女の『価値』を思えば別に構わなかったようだ。彼女自身、自分に構ってくれて、抱いてくれるなら、それ以外はどうでも良かった。再会した時には殆ど忘れられていた自分をいきなり愛せと言っても無理な事くらいは理解できる程度には、それまでの八年間に及ぶ血みどろの生活で彼女も現実を学んでいたのだ。
現在の、異性はもうお互いしか有り得ない、というような関係を築けたのは、それから十年以上に及ぶ互いの不断の努力が有ってのものであった。
質問されてしまった事で反射的に思い出してしまった己の過去に、自分も若かったなと微笑するカタリナ。今となっては、彼女にとっては笑って済ませられる話なのだ。何と言っても、今の彼女は幸福なのだから。
とは言え、己の人生を翻弄し続けた男たちが目の前に現れた日には、きっと反射的に殺してしまうだろうな思ってしまう程度には、今でも恨んでいるのも、実のところ間違いではなかったが。
と思った時、カタリナはふと、それとは全く関係のない事柄を連鎖的に思い出す。
「そういえば、『ある男』とはあなたの昔の恋人か何かで?」
千鶴へ向けられた問い掛けに、同級生たちからの「恋人が居たのか!?」という視線が彼女へ集中するが、本人は一瞬顔を強張らせたと思うと、強い眼差しでアレクサンドルを見ている。
「私が話したわけではない。カタリナ自身が英語を理解できるだけだ」
「……Is that true?(本当ですか?)」
千鶴が微かに戸惑った様子でカタリナへ、試しに英語で問い掛けるが、彼女は普段通りの笑顔を崩さない。
「Yaeh. My dear tought me. I feel fuckin' sorry with that matter I heard. But I think it's your fault to burst into speech in such a place(うん。私の愛しい人が教えてくれたの。聞いちゃったのはちょー悪いと思うけどさ、あんな場所でぶっちゃけだしたそっちが悪いでしょ)」
千鶴はほんの僅かの間、呆気にとられたように口を半開きにしたが、すぐに表情を引き締め直す。
「But……Why have you learned English?(ですが……何で英語を?)」
「It's so useful to have a secret talk. Besides, it's relatively easy to learn English. I never thought to use it without the case between us as long as I'm this world(内緒話に便利だからだ。それに、英語は比較的修得が容易な方だからな。この世界で私たちの間以外に使う事になるとは思わなかったが)」
既に食事を終えたらしいアレクサンドルが、カタリナに代わり、食後のコーヒーを啜りながら、すました顔で答える。その内容に、確かにそういう使い方をしたのは自分も同じだけど、と迷惑そうな顔をした千鶴は、その表情を決然としたものに変え、カタリナを見つめる。
「Never ever say the word in front of us again, or……(二度とその言葉を私たちの前で仰らないでください。でないと……)」
「Or what? (でないと、なに?)」
「Well……(いえ……)」
「C'mon, don't be shy(遠慮しないで言っちゃえって、ほら)」
言葉を呑み込んでしまう千鶴に対して、そこで笑顔をとても楽しげなものにしながら誘ってしまうこの様子が、このカタリナという女もまた、救いようが無い系の人種であるという事実を如実に表している。
一見する限りではリリステラと同じ系統のパーフェクト・レディなのに、案外性格悪い女だな、と思いながら、千鶴は溜息一つ、首を横に振った。
「……Nothing. Please promise me, Lady Catalina(……何でもありません。お約束下さい、カタリナさん)」
「Make sure that you mean just you guys, will you?(確認しておくけど、あんたたち、なのね?)」
「Sure. Not just myself(そうです、私のみの話ではありません)」
「Apparently, it wasn't the case that you didn't wanna be known by Sir Rydoh. It seems like my vulgar guesswork. Sorry about that(どうやら、リドウ殿に知られたくなかった、というわけじゃないみたいね。下世話な憶測だったみたい。しっつれい)」
千鶴は、そう思われていたのかと知り、だからこの女にしては、こんな場で話題にしてくれたはずだと納得したが、色々な意味で面白くはなかったらしく、いささか憮然としている。
「I'm glad that I finally made you know the truth(ようやくご理解頂けたようで何よりですわ)」
ちょっと嫌味っぽくなってしまう千鶴であったが、カタリナに気にした様子は無かった。
「Once again, you mean about the man, don't you?(それともう一つ、例の男の話の事でいいのよね?)」
「Exactly(その通りですわ)」
「Whatever as much as you want. But I think it's too late now(べっつにー? わたくしは構わないけど、もう意味無いんじゃない?)」
「Why?(なぜ)」
「Everyone already heard what we talked(もうみーんなに聞かれちゃったけど)」
「Listening to is rather correct than hearing in this case, I think……(『hear』というよりも『listen to』の方がこの場合は正しいと思いますが……)」
「You guys understand English, don't you?(あんたたち、英語分かるんでしょ?)」
忌々しそうというか、面白くなさそうというか、面倒くさそうというか、微妙な風に顔を歪める千鶴には構わず、カタリナが、自分たちに注目している日本人の面々に向けて問い掛けるが、その反応は芳しくなく、戸惑いを表す者たちの方が多かった。
が、中には、
「えっと……レス、ザン、ハーフ……?(半分くらい……ですけど)」
と、自身無さげに答えるのは朝霧三波。そして、
「I almost understood your conversation(大体は分かりましたよ)」
と、そこはかとなく得意気に答える雨宮隆一であったが、特に彼は、直後にこの行為を大いに後悔する羽目になる。
なぜならば、千鶴は今までになくきつい眼差しをその二人に置いており。
「Never think, talk with anyone and try to know what is the man meaning……Never ever. Got it?(あの男という言葉について、決して考えてはいけないし、話題にしてもいけないし、知ろうとしてもいけないわ……決して、二度と。よろしくって?)」
千鶴は数瞬の間、二人へ交互に殺気まじりの目をやっていたが、可哀そうに、肝心の二人は彼女の視線が外れても、涙目でぶんぶんと頭を振り続けていた。
その光景を、カタリナは不思議そうに眺めていた。
「変ですね。高等教育を受けた人間なら大半はそれなりに話せるものだと聞き及んでいたのですが」
と、アレクサンドルを見やる。
「そのはずだが? 元々、某国が世界最大の国力を誇るという理由以外にも、習得の容易さから世界共通語として普及する理由の一端となった面がある言語だ。お前に教える第二言語に英語を選んだ理由もそれだからな」
「お恥ずかしながら、日本人の高等教育修了者の英会話習得率は世界有数の低さだそうですわ」
「それは知らなかったな。知り合いの日本人の傭兵はもちろん、私を雇った連中も大半は通訳を必要とせん程度にはフランス語か英語を話せたものだが」
そりゃ、護衛を付けてまで戦場に赴こうという物好きが、英語すら話せないというのも妙な話である。
「せんせー。何でわざわざカタリナさんに英語を教えたんですか?」
未だ先の千鶴に怯えを残す他の面々とは違い、既に慣れっこな恵子がのほほんと手を挙げる。
「我々の会話を聞いて……理解できなかったのだな」
「はい。できませんでした」
爽やかとすら言える笑顔で応える恵子である。完全に開き直っておるわ、こやつ。
「地球の言語なら、堂々と話していても他人に理解されんからだ」
「つまり、堂々と内緒話をするためですか?」
「そうだ。お前が我々の英語での会話を理解できぬように、未知の言語など暗号と何ら変わらん。多少は馴染みのあるお前でもそうなのだ、ルスティニア人や他世界出の勇者になどまず理解される恐れは無い」
「でも、何でフランス語にしなかったんですか?」
母国語なんだから、当然それが一番得意なはずで、一番教え易いはずじゃないかと疑問を発する恵子であるが、ある意味快挙なのか、この質問はアレクサンドルに本気で呆れた顔をさせる事になった。
「……母国語を教えようとしても、自動的に翻訳されてしまうため、教えられん。やろうと思えばできぬ事もあるまいが、私が英語を教えるよりも遥かに苦労する羽目になるだけだ」
どの道、アレクサンドルが話す第二言語がカタリナに通じなくては意味が無いという、もっと根本的な問題があるのだが、そこまで言及するのはもう面倒くさくなったらしく、彼はあえて語ろうとはしなかった。
「あれ? でも桂木はリュリュちゃんたちに日本語を教えたって……」
「ルスティニアの言語に存在しない語句を、意味と一緒に教えただけよ――『マジ鬼畜』とか。その部分以外はルスティニア語を喋っていたわよ、彼女たち」
ルスティニア語の部分は自動的に翻訳され、日本語の部分はそのまま音が届いたため、発音さえしっかりしていれば、日本人には何の違和感も無く聞こえるという仕組みである、と千鶴。
「あ、なるほど。案外さ、違う言葉喋ってるって知ってても、よっぽど注意深く観察してないと気づかないわよね」
「案外そんなものよ。私だってそうだもの、あなたに限らないわ」
ぽんと手を打つ恵子に、毒気を抜かれて苦笑いしてしまう千鶴である。
「しかし、カタリナさんは、なぜ英語になるとそんなにけい……砕けた言い回しが多いのですか?」
軽薄、と言いそうになって、何となく言い直す千鶴であったが、質問されたカタリナは、その質問の意味自体が理解できないらしく、目を瞬かせながら小首を傾げている。
「そうですか?」
「それは私のせいだな」
え? という疑問の声が、千鶴とカタリナ、両者の口から零れるが、両者のそれには僅かにタイムラグがあった。なぜなら、カタリナはアレクサンドルの言葉に純粋に驚いたのであったが、千鶴が驚いたのは、カタリナがその事を理解していなかったらしい事に対してだったからだ。
「そもそも私が英語を用いていたのは大概が戦場での話。自然と染まっている。お前と話す時は、お前がスラングを理解できるか判らなかった故、それなりに気を回して話しておったが、カタリナには私が最も馴染み深いままに教えてしまったのだ」
「ラヴァリエーレ様?」
「……なんだ?」
「わたくし、これでも淑女としての自分にはそれなりにプライドがございますの。自分が俗語を易々と口にしているなんて我慢なりません」
「……Gotcha. I'm gonna teach ya(……分かった。教えてやる)」
何となく迫力な笑顔で己の主を見るカタリナに、ご本人は珍しく気圧された様子で、粛々と了解の意を示した。
傍で聞く千鶴が、言ってる側からメチャクチャねと思ったが、いちいち指摘するほど意地が悪かったりはしなかったようである。
朝食をとり終わると、カタリナと愛奈は共に、ガルフといつも修業している場所まで向かう。彼の方は、彼女たちが食堂に着く前には、クリスと共に既に朝食を済ませていたらしい。
その道中の廊下を歩きながら、カタリナは、朝食の際に少し気になった事を愛奈に質問する。
「愛奈さん。あなたはリドウ殿と同じ魔法を覚えようと考えてらっしゃるのですか?」
「え? いえ、そっくりそのままなんて無理ですよね? 親和属性が殆ど正反対ですし」
「今の内に忠告しておきますが、リドウ殿に限らず、あなたと同じ親和属性を持つラヴァリエーレ様でさえも同様に、他の使い手の真似をされても、あなたにはあまり意味がありませんよ」
「え?」
「もちろん、魔法を学ぶために他者の模倣をするのは構いませんが、“同じになろう”としてはなりません。ラヴァリエーレ様の『氷花乱舞』や『御雷天衝』、リドウ殿の『竜華葬送』や『天破煉翔』、これらはあくまでもお二方御自身のための魔法です。同じ親和属性の持ち主が同じだけの魔力を込めて使用したとしても、必ずしも同じ威力にはなりません――と申すよりも、まずかなり落ちた威力でしか再現される事はありません」
そうなんですか、とかなり驚いた様子の愛奈がいる。やはりどこか、今でもゲーム的に魔法を考えていた彼女にとっては寝耳に水だったようだ。
「肝心なのは『意思力』です。この世界では様々な面に人の意思力が大きく作用しますが、特に魔法においてはそれが顕著に表れます。どれだけ大きく強い意志を魔法に込めたかで、結果はかなり違ったものになるでしょう。たとえば、特定の魔法を『これは自分の必殺技である』と日頃から己へ強く言い聞かせ続けるだけでもかなり違ってきます」
「思い込みで強くなれちゃうって事ですか!?」
「はい。そのために、必殺技には独自に名を付ける使い手が多いです。それによって言霊が限定され、より『己の物である』という認識や『この魔法は強い』という認識が己の中に育まれ易くなるからです」
なんか、中二病な人が強く成り易そうな話だな、と上の空で思う愛奈であるが、少なくとも魔法に関してはその認識であながち間違えではない。もっとも、しっかりと落とし穴もあったようだが。
「ただし、これは逆説的に、他者の完全模倣でしかない場合、いくら本人が『これは己唯一の物である』と思い込もうとしても、所詮はその時点で模倣でしかないと本人の深層意識は理解してしまっているのですから、我々が独自に持つ必殺技ほどの強烈な意志力の作用は決して望めません」
これである。つまり、本人オリジナルの中二妄想を魔法で具現化する場合はかなりプラス要素になるだろうが、好きなキャラの模倣をしても普通の魔法にしかならない、という意味かと愛奈は理解する。
となると、自分が今現在唯一ハッキリと創り上げた必殺技『トールハンマー』はどうなのだろうか、とも愛奈は少し心配になる。元ネタは北欧神話の雷神様だが、明確に何かのキャラクター的な物からあやかったわけでもない。というか、適当な名前が思いつかないからあやかっただけだ。しかし、この場合はどちらに属するのだろうか、と。どうせ頭打ちが決まってしまっている魔法なら、今の内にもっと有効な魔法を考えて練習した方がいいのではないか、と。
するとカタリナは、それなら問題ないだろうと保証してくれた。邪魔になるのは『彼のようになりたい』といった種類の思い、なのだそうだ。
「あともう一つ。何でもかんでも『己にとっては必殺技である』と考え、威力の向上を望んでも全くの無意味ですので、ご注意を。その必殺技の数の分だけ意思力が分散されてしまうだけです。いわゆるメモリー不足と言われる現象の一つですね。多くても、親和属性で片手以内、それ以外の属性ならば一つか二つ、合計して十個程度が、バランスを考えると最適ですね」
十という数字を多いと受け取るか少ないと受け取るかは人によるだろうが、愛奈は後者だったようだ。基本的にその十個の魔法だけでどんな相手とも戦えなければならないのだと思うと、戦闘それ自体に慣れ親しんできた今だからこそ、彼女にとっては少ないと感じられた。
が、必殺技以外にも魔法は普通に使えるのだから、それを巧みに駆使するセンスが魔道士には必要であるとカタリナは説く。
「とは言え、言っては悪いのですが、今のあなたはまだそのレベルには程遠いですから、頭の片隅に置いておくだけで構いません」
これは最低でも自分――ハイエンドへ至った先に求められるレベルの話だと述べるカタリナに、愛奈も特に傷ついた様子はなく、素直にはいと頷いている。
「それと、今無暗に必殺技を創ろうとするのはお勧めしません」
「何でですか?」
「必殺技に大切なのはインスピレーションです。これ、と己の中で思い浮かんだ直感を素直に魔法へ具現化するのは往々にしていい結果を招きますが、無理に創っても逆効果になるだけです。また、意思力の分散を恐れ、一度己の中で必殺技とした魔法を『そうではない』と決め、意思力のメモリーを稼ごうとするのは満更不可能ではありませんが、その場合は二度と同じ魔法を必殺技にはできないと思って下さい。なぜなら」
「その時点で『絶対の意思』を自分から捨てちゃうから、ですよね?」
「ご理解が早い」
と笑う様がまるで教師のようで、愛奈はやっぱり似た者夫婦なのだなと、どこか微笑ましい気分になる。
しかし、と愛奈は、会話が途切れた途端、人知れず思う――法則性はある程度見出されているようだけれども、ステータス的な数値で簡単に片づいてくれないから、やっぱり強くなるのに面倒くさい世界だなー、と。
特にカタリナさんの会話部分は、真面目な受験生の皆さまは絶対に鵜呑みにされないよう願います。




