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元最強勇者の充実した日々

 アレクサンドル・ラヴァリエーレ。その生涯は運命に翻弄された苛酷にして悲惨なものであったと言えるだろう。


 フランスにて、日本で言えば華族に当たる家に生まれ、幼少の頃は何不自由なく暮らしていた。国粋主義者が多いフランス人の割には古くから国際的な家柄らしく、海外の様々な有力者と血縁を持ち、そのせいなのか非常に美しい容姿を持って生まれ落ちる子供が多い家柄でもあったらしいが、アレクサンドルはその中でも格別に恵まれた美しい容貌を得て生まれた。

 しかも、その頭脳は神童と呼ばれるほどで、齢十一にしてかのマサチューセッツ工科大学に合格してしまったほどであった。


 その直後、入学前に、学術的興味から東南アジアの遺跡をひと巡りしたかった彼(何とも子供らしくないこまっしゃくれたガキんちょである)は、家族旅行とは両親の仕事の都合上いかなかったが、代わりに実家が用意してくれたその道の教授を保護者として旅立ったのだが、その際に搭乗した飛行機が事故を起こした。


 運良く……と、結果的に言えるのかは人によって首を捻るところであろうが、生き残る事は叶った。しかし、拾われた先は中東のゲリラだった。アレクサンドル自身はずっと後に知った事実だが、実家は彼の発見に多大な労力を掛けていたらしいが、結果的には意味をなさなかった。


 いくら頭脳は大人顔負けと言っても所詮は子供である。大人だったとしてもどうせ抗えるものではない。天才の弊害か、子供の割には冷静に状況を分析してしまう優秀な頭脳は、即座に彼へ諦念をもらたした。大使館まで逃げればいい? 無理だ。ゲリラたちが許すはずがなかった。


 生きるために人を殺した。殺して殺して殺しまくった。


 しかし、彼の優秀さは頭脳だけに留まらなかった。人殺しの業に関しても、彼はあっと言う間に達人へと成長してしまった。


 アレクサンドルが日本人の娘たち、特に一条千鶴へ肩入れしているのはそのせいなのかもしれない。彼女の境遇や能力に己の過去を重ね合わせてしまっているのだろう。

 一条千鶴とアレクサンドル・ラヴァリエーレ、その両者に違いがあるとするならば、それは己を庇護し、導いてくれる存在を得ていたかそうでなかったか、その些細にして大きすぎる部分だろう。

 誇り、矜持、プライド。それらの高さは生まれ付きだったアレクサンドルは、己の意に添わぬ殺人を強制してきた大人たちへ憎悪を抱いていた。そして、“確信”を得たその瞬間、彼は躊躇なく行動に出てしまう人間だった。以前に千鶴自身も言っていた――リドウに出逢っていなければ、自分はもっと暗い闇の底まで堕ちていたであろう、と。その、有り得たかもしれないIFの実物が若き日のアレクサンドル・ラヴァリエーレであったのだ。


 その時、アレクサンドル・ラヴァリエーレは十四歳。ゲリラに拾われてから僅か三年目の出来事。彼はゲリラたちを自らの手で皆殺しにしてしまった。


 その後、もう普通の生活に戻れるような精神状態ではなかった彼は傭兵となった。


 傭兵という完全にヤクザな商売であるが、やっている者たちは千差万別で、案外気のいい人間も多かった。若さ故に侮られる事も多かったが、可愛くて綺麗で、しかも実力もあるアレクサンドルは女性兵たちに大人気で、半ば男娼のように彼女たちに囲われていたものだったので、傭兵生活にあまり苦労は無かった。


 もうすぐ十六歳を迎えようという頃、数少ない男性の傭兵友達からバンドをしてみないかと誘われた。曰く、お前の容姿なら女どもが入れ食いだ、だそうだった。器用だし、楽器もすぐ馴染むだろうから、という理由も有ったらしいが。

 最初は興味が無かったので断ったのだが、彼を囲っていた女性兵たちから、やってみてはどうかと言われて、アレクサンドルは参加する事にした。どうも、仕事以外の時間は異性と体を重ねているか無表情で読書をしているかのどちらかしか無い十五歳の傭兵という少年が心配だったらしく、一つくらい趣味を作ってみろ、と言われたのだ。趣味は読書があると主張したのだが、彼女たち曰く、爆発物の専門書やリーマン予想を読むのを趣味とは言わないらしかった。

 が、やってみると案外楽しかった。音楽にも興味を持った。どちらかと言うと、ポピュラーよりもオーケストラの重厚かつ繊細で複雑な音色の方が好みだったが。

 しかしそれも長くは持たなかった。アレクサンドルを勧誘した男が戦死してしまったのだ。パートを一つ失い、同時にリーダー格でもあった男も失い、バンドは自然消滅してしまった。

 それが存外にショックだったのが、当時の彼にとっては我ながら意外だった。


 十八歳の時、愛人たちの努力の甲斐あって、ある程度まともな精神状態に落ち着きを取り戻していたアレクサンドルは、ふと思い立ったように実家を訪ねてみた。


 父母からは泣いて喜ばれてしまった。それを以って、アレクサンドル・ラヴァリエーレという個性は完全に立ち直る事ができた。

 それでも、最早まともな生活に戻れるものではなかった。何よりも彼は闘争を愛してしまっていたのだ。

 しかし、それからしばらく、彼は実家で過ごしていた。案外律儀な彼は、泣いて引き留める両親に、産み育ててもらった恩は返さなければならないと考えたのだ。


 が、平和な日常はあまりにも退屈すぎた。


 そんな時、ふと目に入ったのは格闘技の試合前の記者会見だった。俺こそが世界最強の男、と豪語するチャンピオンがそこには映っていた。


 それは凄い、と素直に感心してしまい、試してみたくなった彼は、チャンピオンの普段の行動を調べ、一人で居るところを襲った。正々堂々闘ってくれ、決して暴力事件にはしないと約束すると、案外簡単に乗ってきた。怖い物知らずの子供に世間を教えてやろうという気らしかったが、アレクサンドルには好都合なので黙っていたものだ。

 飛び道具までは持ち合わせていないだろうとは思っていたので、装備はナイフだけだった。なのに、それを見たチャンピオンから、卑怯者めと言われ、最初は何を言われているのか、アレクサンドルにはさっぱり理解できなかった。実戦において卑怯卑劣を嫌い、相手と対等の条件で勝負しようとするのは個人の自由だが、相手にまでそれを求めてどうするのか、彼にはさっぱり理解できなかった。殺しに来ている相手が卑怯者だったら戦わないと言うのだろうか? と。

 しかし、闘ってくれないのでは面白くないので、渋々とナイフを手放すと、憤慨したらしいチャンピオンがいきなり襲い掛かってきた。


 結果、八秒。それが、戦闘が始まってから、アレクサンドル十八歳を前にチャンピオン二十九歳が意識を保っていられた時間の全てだった。

 殺してやる、とよく口にする粗暴な彼ら格闘家だが、所詮はルール有りのスポーツなのだ。挌闘の技量を競い合うために日々訓練しているチャンピオンと、人間を破壊する事に主眼を置き、挌闘が目的を達するための術でしかない武術家にして戦闘家のアレクサンドルとでは立っている土俵が違いすぎた。ルール有りのリングの中でならば結果は違った可能性が高いが、戦士であるアレクサンドルと壊し合いで勝負になるわけがなかったのだ。無論、アレクサンドル自身の類まれな技量も有っての話ではあったが。

 またおそらく、所詮は未成年のチンピラ風情が相手だという油断もチャンピオンには有ったのだろうが、それも含めての実力だ。死んでから口にできる負け惜しみなど無い。そういう意味でも、チャンピオンは所詮、闘争においては素人同然だったという事だろう。路地裏で起きるチンピラ同士の喧嘩でも、いきなり相手の関節を砕きにくる者などそうはいないし、そんな街の喧嘩からも既に離れて久しかったチャンピオンだったのだから。


 その日、そのチャンピオンが右腕と左膝を複雑骨折して病院に搬送された事が各新聞のスポーツ欄を賑わせたが、本人は階段から落ちたと言うだけで、しかし怪我の内容は明らかに人為的なものだったので、真相は謎という事になった。まさか十八歳の素人(とチャンピオンは思っている。彼にとっては、過去の自分と同じ街のチンピラ風情という認識だったのだ)に手も足も出なかったとは、口が裂けても言えなかったのだろう。


 だがアレクサンドルにとっては冗談だろうという気分だった。地面に倒れ伏すチャンピオンを前に、十秒以上の、数十回も死ねる時間を呆然としてしまっていたくらいだった。


 もう限界だった。それを機に彼は戦場へ戻った。実家に帰ってから五十日後の出来事であった。


 それからの二年間は特筆すべきものは無かった。いつも通り殺し合って、女を抱いて、本を読み、たまに趣味の合う女とデートがてらコンサートへ行く。そんな日々を漫然と繰り返していた。


 そして――ルスティニアへ召喚される日がやって来た。


 それからの何年間は彼にとって楽しい時間だったが、聞いた時は喜んだラウンドナイツへの加入以後は、特にガルフとの壮絶な殺し合いを経験していたせいで、余計に鬱屈していたと言えるだろう。トリスタンだけは割と楽しめる相手だったが、彼より年長の、今では引退してしまった連中はどうしようもなかった。

 唯一取った弟子を育てている時間は多少楽しめた気がしたが、育成に費やした時間も、彼個人としては無駄になってしまった。


 だがしかし……










 魔王城に来てからのアレクサンドルは、人生で最も充実した日々を送れていたと言っていいだろう。


「くははっ。いいぜ、よくやるもんだ、若いの!」


 ザイケンの繰り出す剣戟の嵐を、アレクサンドルは無言で捌き続ける。いや、呻き声を発していられる余裕すら無く、と述べる方が正しかった。


 クワッドキャストを用意していられるほどの余裕はザイケンが与えてくれない。ダブルキャストではザイケンに影響を与える事すら不可能。必然的に、主に用いるのはトリプルキャストになってしまうが、その程度ではやはり、容易くいなされてしまう。


(これが、別格の魔神を除けば最強と謳われる魔王、戦鬼。根本的に戦闘力の次元が違いすぎる!)


 気功士とか殲滅師とかいうカテゴリーなど関係ないと、アレクサンドルは思い知らされていた。


「余計な事を考えてっと、死ぬぜ」

「ぐはっ」


 肩から袈裟懸けに切り裂かれ、アレクサンドルは鮮血を迸らせながら地面に倒れ伏した。


「まあ、リドウ以外に俺とここまでやれた人間はお前さんが初めてだ。誇っていいぜ。人間としちゃここ三千年内じゃ一、二を争うって意味でもあるからな」


 すかさず魔法で己に治療を施すアレクサンドルを眺めながら、ザイケンはニヒルに笑う。


「いい時代になったもんじゃのう」

「まことに。五百年前には考えられませんでしたね」


 二人の闘いを見物していたリリステラやサキたちが側までやって来て、ほがらかに笑い合う。

 その他にも、この場には残る魔王のリーチェンと、ガルフとカタリナまで居た。いつぞやの日本人の娘さんたちの時のように、今はアレクサンドルたちの実力を確認されていたのだ。

 ガルフやカタリナも既にそれは終えているが、両者共にボロ負けしたとだけは言っておこう。


「しかし、リドウならザイケンやわしにも勝てる可能性もあろうが、おぬしでは難しかろうの。おぬし、概念魔法はさっぱりじゃろ?」

「だな。一度試しに余裕を与えてやったのに、使ってきたのは普通のクワッドだったしな。リドウなら問答無用で天破煉翔をぶちかましてたところだ。せめてその分を収束させるくらいはしねぇと、ただ威力がでけぇだけじゃ、俺らの領域になるとあんま意味ねぇぞ」

「むぅ……概念魔法ですか。使い方が分かりません」

「然様でございましたか……」


 アレクサンドルの回答に、リリステラが頬に指を添えながら首を傾げる。


「貴兄らもでしょうか?」

「うん? まあ。前にリドウが使ったのは見たけどよ、あの時は効果が終わってからようやく概念魔法だったんじゃねぇかと疑いを持てた程度だったしな」


 ガルフの隣ではカタリナも静かに首肯している。


「そういえば、七百年ほど前、一時的にハイエンドの魔道士が生まれなかった時期があったのう。お前様はキャスティングの研究であの時も殆ど引き籠りみたいなもんじゃったから知らなかろうが、その時に人間の中では失伝してしまったのかもしれん」

「なるほど。では、わたくしがお見せ致しましょう。いずれ、貴兄らも破壊神と闘うおつもりがあるのでしたら、時と因果くらいは操れなければ話になりませんし」


 何気なく言うリリステラであったが、その内容に人間勢は一瞬本気で頬を痙攣させた。


「時と……」

「因果くらい……?」


 アレクサンドルとガルフが呆然と呟く。


「ええ。このように」


 とリリステラが言った瞬間だ。彼らの認識では、それと全く同時に、背後に彼女の気配が生じていた。


 はっと振り向く一同の目に、常の柔和な笑顔で嫋やかに腰の前で揃えて立つリリステラの姿があった。


「今のは時を止めましたが、本来は時の流れをゆるやかにするところから、徐々に完全停止へと近づけていくように訓練します」

「……リドウもできるのですかな?」

「できます。時を止める敵に対抗するには、己も同じく時を操る感覚を持つ必要があります。もっとも、完全停止はできずとも大丈夫です。時の流れを操られている中で動ける感覚を持つ使い手に、時止めの魔法は何ら効果を発揮しませんので」


 リリステラは意味深に笑みを深める。


「時止めの魔法は非常に高い危険を伴います。相手が時止めの感覚を持たぬなら絶対的攻撃権を有せますが、逆にその感覚を持つのであれば、己がその分のキャストを余分に割く羽目になるだけな上、敵が使い手の技量を凌ぐキャパシティを持つ気功士であれば通用しません。ですので、強敵が相手であればむしろ使用は控えるのが定石です。故に――決して貴兄が手加減されていたわけではありませんよ」


 魔王に手加減されるのは許せても、己が目下越えるべき相手と認識するリドウにそれは、どうしても許せないアレクサンドルであった。

 それを見抜かれたと気づき、一瞬目を泳がせたが、素知らぬ顔をして続きを促す。


「ちなみに、時を逆転させる事は可能なのですかな」

「不可能です。それはこの世の理に反します。貴兄らも魔法の深淵を目指すなら忘れてはなりません――『物の理』を超越する事は可能ですが、『この世の理』を越える事は赦されないのです」


 その回答に、ガルフとカタリナは「ふーん」といった感じに納得しているだけだったが、アレクサンドルは訝しげに目を細めてしまった。

 その反応を見て、リリステラは一瞬笑顔を消してアレクサンドルを見つめる。


「……なるほど。貴兄は千鶴さんと同じ種の人間のようですね。リドウのように訓練を施されたのではなく、自然と貴兄らのような人間が育つとは、地球とはよほど面白い世界なのだとお見受け致します」

「それは保証致しかねる。それより、因果を操る魔法とは?」

「広義では貴兄がリドウから受けた天破煉翔もその一つになります。この世の全ては原因があるからこそ結果ももたらされるものですが、原因と仮定を省いて結果だけを導き出す概念魔法の属性系統をそう申します。そうですね、例えば――」


 リリステラはおもむろに手を掲げる。そこにはいつの間にか小さな石ころ三つが現れていて、


「――極まればこのような業も可能となります」


 突如、その石ころたちは消滅してしまった。


 同時に、アレクサンドルたち三人の口から、いたっ、といった感じの声がそれぞれ零れる。

 普段ならその程度、彼らは痛みとも思わないが、いきなり不意打ちで刺激された痛覚は、想定外の痛みをもたらしてしまったのだ。


 三人とも、地面に落ちようとするその原因を反射的につかみ取って呆然としてしまう。リリステラが何らかの魔法、それもかなりの極大魔法を行使したのだけは理解できていたが、いつ、どうやってその石ころが彼女から撃ち出されたのか、彼らには全く把握できなかったのだ。


「その石が貴兄らを撃つという仮定を省いて結果だけをもたらしました。その対象を脳や心の臓へとしたらどうなるかお分かりになりますね?」


 一同はさぁっと顔を青ざめさせてしまう。流石にこればかりは冗談ではないようだった。


「概念魔法は避ける以外、対抗できるのは概念魔法のみです。気功士のラヴァリエーレ殿であれば、時止めの魔法も、敵の魔力を上回る闘気で自身を強化する事で対抗は可能ですが、貴兄らお二人は最低限の行使ができなければ、酷なようですが、たとえ魔王とその身を化そうとも、これから先の戦いでは足手纏いになるだけでしょう」

「ふん、上等だ。逆に、使えるようになりゃ、こいつにも勝てるようになるって事だろ?」

「ほざけ。貴様がいくら成長しようと、私はそれ以上に成長してみせる。人生に飽いて怠けていた己を呪うがいい」


 火花を散らし合う古き好敵手同士。彼らももういい歳だというのに、まだまだ若いらしかった。










 少し時間を遡って、アレクサンドルとシュリの出会いを語ろう。


 二人の出会いは至って静かなものだった。


「…………」

「お兄さんもお客様ですか?」

「……そうだな。アレクサンドル・ラヴァリエーレという」

「うちはシュリです」


 魔王城にやって来たその日、麻木恵子の訓練に一通り付き合い終えた彼は、今度は彼女を案内役にして魔王城の中を歩いていたのだが、その途中でたまたま遭遇した際、アレクサンドルも真ピンク魔法少女姿には一瞬硬直したものだった。


「……お前、年齢は幾つになる?」

「あ、それあたしも気になる」

「九十八歳です。でも十二歳です」


 九十八歳って実際に口にされると驚くわねと呟いている恵子の横で、アレクサンドルは沈痛そうに眉間を指で押さえながら目を閉じている。


「……つまり、人間換算では九十八年生きているが、精神年齢は見た目相応という事でいいのかね?」

「そーです」

「お前は自分が大人だという意識はあるか?」

「んーん、ぜんぜん。だって姫様たちはうちが子供だと思ってるもん」

「そういうものなのか?」

「精神って、外側から影響を与えなきゃあまり変化しないんだって。ここに住んでる存在は精神の移り変わりがとっても緩やかだから」


 アレクサンドルは腕を組んで、なるほど、そういうものなのかと深く納得している様子だ。


「……では私もお前を子供だと認識して今後は接する事にしよう」

「はーい」


 彼らしかぬ穏やかな笑みを浮かべながら頭を撫でられ、シュリもへらっと笑いながら応じる。


 その光景に驚くのは恵子だった。てっきり、「目上にはもっとしっかり敬語で話せ」とか叱るくらいはすると思っていたらしい。


「あん……優しいんですね、子供には」

「案外、と言ってしまって構わんぞ」

「い、いえ……」

「子供は可能性の塊だ。徒に型に嵌めては可能性を狭めるだけで面白い事にはならん」


 本当にこの人、あの男に似てるよなぁ、と恵子は上の空で思う。大人なら女でも容赦しないくせに、子供にだけは無条件で優しくなれるのはどうしてなんだろうと思ってしまう。


「ん……?」


 その時、シュリが不意に天井を見上げるように顔を上げ、疑問の籠った声を発した。


「え? はい、うちのところに。はーい、侍女長」


 独り言の割には誰かと受け答えするような内容にアレクサンドルが訝しげな顔をするが、恵子の方は既に経験済みだったので、こてんと首を傾げながら質問する。


「業務連絡?」

「んーん。若様から連絡。ラヴァリエーレさんに質問だって」

「なに?」

「いーですか?」

「ああ」

「じゃ、今リュリュと繋ぐからちょっと待ってください」


 リュリュ、というのが何者かは知らないアレクサンドルであったが、特に訊こうとはせず、シュリがこめかみに指を当てながら、んー、と小さく唸っている様子を興味深そうに眺めていた。


「えっと……何だかね、ラウンドナイツの人たちの事を教えてほしーんだって」

「なぜだ?」

「んっと……パーシヴァルのレイチェルって人を捕まえたんだけど、尋問するのにある程度情報があった方が助かるって」


 アレクサンドルの瞳が物騒に煌めいた。


 パーシヴァルと言えば、単純な戦闘力では自分とガウェインの次に位置し、歴代ラウンドナイツの中でも五指に入ると言われた女だ。それを殺さずに生け捕りとは、相変わらずやってくれる、と。また、そうでなくては、と。


「そうだな。名前と容姿くらいなら構わんぞ」

「若様もそれでいいって。お願いします」


 無邪気な笑顔で子供さながらに頼んでくるシュリの頭を撫でながら、アレクサンドルは一連の名を挙げていく。


 喋っている途中で邪悪としか言えない哄笑が鳴り響くのを傍で聞く恵子は、何でこの人って割といい人っぽいのに、どうしてもそうは思えないんだろうかと深く疑問に思ってしまう。


(リドウもそゆーとこあるけど、言動がいちいち悪っぽいせいなのよね)


 そんな事を考えていると、アレクサンドルの口から思ってもみなかった言葉が語られる。


「ラウンドナイツに限らず、勇者は異世界特有の能力を持つ者も少なくない」

「え……? そーなんですか?」

「ん? ああ。言ってしまえば超能力といった類のものだ。生物学的には人間で、我々地球人やルスティニア人との交配は大概が可能とするようだが、ほんの僅かながら、我々とは肉体か精神の構造が根本的に違うのであろうよ。ハイエルフという、種族的に人間ですらないパーシヴァルとの交配ができるかはかなり怪しいと思うが、魔物使いのスキルを持つユーウェインなどは既に子供も居るしな」

「まもの……つかい……!?」


 何気なく語ったアレクサンドルであったが、恵子は瞬時にそのユーウェインと例の事件の関連性を思いついた。この子は決して馬鹿ではないのである。


「あ、あのっ、今外の世界じゃ伝説級の魔物の同時襲撃事件が起こってるんで」

「まあ、十中八九はユーウェインの仕業であろうな」


 アレクサンドルは恵子の声を遮って、皮肉気に笑いながら言う。


「それ、リドウに教えてあげてください!」

「……よかろう」


 魔物に対しては特に何の感情も抱いていないアレクサンドルでは、いくら彼でも恵子やリドウの想いが即座に察せるものではなかったようだが、別に断る理由は感じなかったらしい。


 そして、全てを語り終えたアレクサンドルは、牙を剥くように笑う。


「――これで全て答えたな? あとは私からの忠告だ――精々腕を磨いておけ。次にまみえた時は、必ず貴様の余裕ヅラを崩した上で、私が雪辱を果たす」

「情報料の謝礼代わりに、次もぶっ潰してやるぜ――だって、若様」

「くくっ。それでいい。ふふっ、ふははっ」


 悪役三段哂いを鳴り響かせるアレクサンドルに、


(やっぱりこの人怖いぃ――!)


 と、恵子は涙目でドン引きだったが、シュリはキョトンとした顔で見上げるだけだった。










 その後、アレクサンドルは愛奈とシャイリーにも会いたがった。どうやら、彼の方は一方的に二人を知るらしく、その成長ぶりが気になったらしい。

 シュリを経由して侍女連絡網で確認してみると、二人はサロンに居るらしかったので、恵子も揃って三人でそちらに向かう。


 サロンに入ると、今までに保護された日本人たちが殆ど勢揃いしていた。


 新たに現れた天上の如き美貌の主に、一同は男子まで含めて魂を抜かれてしまったかのように呆然となっていたが、一人だけ、即座にアレクサンドルへ寄ってくる少年が居た。


「あなたがアレクサンドル・ラヴァリエーレさんだね?」

「左様、流化闘法使いの小僧よ。短い期間にもかかわらず、大分腕前を上げているようだな」

「……僕を知ってるの?」

「アグリアとの戦いは観させてもらっていた。まあまあ楽しめたぞ」

「……気づかなかったな」


 極めて面白くなさそうに憮然とするシャイリーに、くくっと笑ってしまうアレクサンドルは、そのままシャイリーの横を通り過ぎて、椅子に座ったまま固まっている愛奈の元へと歩み寄り、彼女の顎を摘み上げ、正面から顔を覗き込む。


 酷く怯えを露わにしている愛奈に構わず、じっと観察を続けるアレクサンドル。その腕が横合いから握り締められ、ちらりと視線だけ動かす。


「やめてくれる?」

「ふっ……若いな」

「そう、若いんだ。若いと血の気が多くて困るね。勝てないと判ってても喧嘩売ってみたくなっちゃって」

「今の私は非常に気分がいい。見逃してやるから殺気を静めろ。こんなにも心地いい殺気を叩きつけられてしまったら、思わず縊り殺してやりたくなってしまうではないか」

「試してみます?」

「やめておこう。純粋な流化闘法使いと闘ってみたくはあるが、今のお前ではまだ基礎力が足りんな」


 微笑ましそうに言いながら、愛奈から離れてドアの方へと向かう。


 廊下に出た途端、「なにあのナチュラルV系!?」とか「あのルックスは反則くせぇな」とかいった感じに背後のサロンが一気に湧き上がる気配が伝わってくる中、アレクサンドルは邪悪に笑う。


(あの小娘、もうアグリアでは手が付けられんな。才能はずば抜けているとは思っていたが、既に一条クラスか。どこまで伸びるか想像がつかん)


 くっくっくっと邪笑を浮かべるアレクサンドルを、ついて来たシュリが楽しそうに横から見上げていた。


「ラヴァリエーレさんは誰が一番好みですか?」

「ん? どういう意味だ?」

「聞いた事はないけど、若様はああ見えて、基礎を疎かにして奇抜な一発逆転技にばかり頼るよーな使い手を武人とは言いたくねーな、って主義だから、完成度が高いシャイリーくんだと思うんだ。姫様は視野が広くて軍師としてもいける千鶴さんだと思うけど。ちなみにうちは愛奈さん」


 少しだけだけど教えてあげてたからね、と笑う。


「ふむ……」


 アレクサンドルはシュリの質問の意図を正確に理解し、真面目に考える。


「将来的に、ではあるが、試合ならシャイリー。何でもありなら一条。本気にさせる事ができるならば高坂……といったところか」

「あー……」


 なるほどなるほど、と頷くシュリは、アレクサンドルの前に回り込み、普段のへらっとした笑み、その中に微かな迫力を込めて彼を見上げる。


「だからって、人質とかやったら姫様も若様も激おこプンプン丸だからね?」

「……肝に銘じておこう」


 回答が紡ぎ出されるまでの僅かの間で、それはそれで面白そうだな、と一瞬でも本気で思ってしまうあたりが、バトルジャンキーの救い難さである。










 それからの日々、アレクサンドルは連日、魔王城の住人たちとの死闘に明け暮れたものだった。


 一対一のガチンコバトルばかりではない。時には彼自身とガルフ、カタリナ、ザイケン、リーチェン、サキ、更にはサリスまで加わり、三つどもえどころか七つどもえの激戦が繰り広げられたりもした。誰も誰の味方もしない、正真正銘のバトルロイヤルだ。

 いつでもタイマン上等なんて実戦もありえない。こういう訓練も彼らのようなガチ実戦派には、たまには必要なのだそうな。

 また、桂木明人がリドウの求めにより外界へ出張しに行くのに、サキも一緒に行くらしいのだが、明人がアレクサンドルの扱きにより撃沈している間、お別れ会的に開かれた催し物という意味合いもあった。……普通にパーティーが開かれるのではなく、ガチンコバトルがお祝い代わりになるというのだから、どいつもこいつも救いようがない戦闘脳である。


「まったく、昨今の人間は本当に油断ならんのう!」

「ほざけ魔王めっ」


 既に九本の尻尾を出すサキと互角の闘い繰り広げるアレクサンドルの背後に、突如メイドさんが現れる。


「お沈み下さい」

「Damn it!」


 罵声を上げながら空間を渡る。傭兵時代の名残で、咄嗟の罵声は英語になってしまう事があるらしい。


 上空へと適当に転移したアレクサンドルの眼下では、そのままサキとサリスが凄まじい魔法の応酬を繰り広げている光景が目にできる。


「なぜあれほどの使い手がメイドなのだ!? 色々と間違いすぎておろう!」

「死ねや!」

「貴様がな!」


 アレクサンドルは振り向きざまに魔力砲を撃ち出す。


「ここでこの前の借りは返すぜ!」

「そう遠慮するな。首が回らなくなるまで貸してやるぞ!」


 空中で腰だめに構えるガルフの両手に黒い靄が収束していくのを見て、空中を疾走するアレクサンドルの顔が歪む。


「くらいやがれ!」

「Holy shit!」


 重力波砲の回避が間に合わず、闘気を最大にして防御するも、地上へと墜落するアレクサンドルを迎えたのは、“封印を解き放ち、本来の老人の姿を取り戻した”リーチェンの手だった。

 アレクサンドルは墜落するベクトルをそのままに、更に力を増幅して地面に叩き付けられてしまう。


「がはぁっ!?」

「ほっほっほ。おぬしはここらで落ちておくがよい」

「ごふっ」


 仰向けに倒れながら更なる掌底を叩きこまれ、肺の中身を全て吐き出してしまう。


 意識を失う直前、アレクサンドルは上空でガルフがザイケンに切り裂かれている姿を見る。カタリナは既に脱落しているのを先ほど確認している。


(ああ、楽しいな。この世界は――最高だ)


 アレクサンドル・ラヴァリエーレ。元歴代最強の勇者と謳われた男は、今日も今日とて絶好調で平常運転だった。










 ちなみに、彼が意識を取り戻したのは約二時間後の事であったが、ザイケン、リーチェン、サキの三名はまだ闘い続けており、結局決着がつかず、リリステラが「今日のところはその辺にしておきなさい」と呼びに来た事でお流れになったそうな。

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