男前会長の初恋は実らない
息抜きに。
ふむ、と最近育ってきて邪魔でしかない胸の前で腕を組む。
目の前にはびくびくと怯えるうさぎが二人。
いつも控えめでほのぼのと笑を浮かべているはずの彼は何故かその大きな目に涙をためて俯いている。
そんな彼を庇うように前に立ちはだかるのは、確か彼の幼馴染の可愛らしい少女。
そのバンビのようにすらりとスカートから伸びた二本の白い脚は怯えからかがくがくと震えてはいるが、後ろに隠した幼馴染を絶対に守ろうという意思を含んだ私を睨みつける目はとても綺麗で好感が持てる。
ふぅ……とため息をつけば文字通り小柄な二人は飛び上がっておどおどしだす。
「あ、あの……燈花先輩」
「要は黙ってて!」
こんな大女を目の前に、自分も怖いだろうに、少女は懸命に私を睨みつける。
もう一度ため息を付いて私はやっと口を開く。
「……つまり、君はもう私に、君の後ろにいる渡辺要に関わるな、そう言いたいんだな?」
「そうです! このままでは、余りにも要が可哀相です!」
可哀想と言われるようなことはした覚えがない。
眉を寄せて少女を見れば、怯えながらも懸命に言葉を吐き出した。
「いくら生徒会長だからって……どっかの社長令嬢だとしてもっ! 要を自由にする権利はあなたにはない! 生徒会でもない要を生徒会室に呼んで、お茶くみ係みたいなことさせてっ……! 要をパシリにするのはやめてくださいっ!」
パシリと言う言葉が何を意味するのかはよくわからないが、私が渡辺を扱き使っていると非難を受けたことは理解した。
頭上にまとめてある黒い長い髪を払い、少し考える。
そしておろおろと「真尋ちゃん、もういいよ」とか細い声をだす渡辺を見つめた。
「渡辺」
「は、はいっ!」
少女に掛ける声とは違う緊張をはらんだ声。
そのことを悲しく思いつついくつか質問をした。
「嫌だったのか」
「い、いえ」
「迷惑だったか」
「い、いいえ!」
「……私が、怖いか」
「そんな訳ありませんっ! 燈花先輩は、綺麗でかっこよくて優しくて、素敵で……」
私を褒め称える言葉を苦しげな顔で渡辺が紡ぐ。
そんな渡辺の震える肩を真尋、と呼ばれていた少女がそっと触れた。
「……私の傍は、苦しいか?」
「っ」
凍りついた渡辺を見て、私はそっと目を閉じた。
上流階級の子息令嬢が揃うこの学園で、外部生が肩身が狭いことは重々承知している。
少しでも彼らと確執がなくなるように、この学園を任された生徒会長として励んできたつもりだった。
曲がりなりにも階級意識の強いこの学園で生徒会長などという地位にいる私の影響力は強い。
……私は構う外部生として渡辺が変に注目を浴びてしまっていることも、理解していた。
私が気を付けていた範囲内ではいじめなどはなかったはずだ。
渡辺と同じクラスの生徒会役員からもそのような報告はない。
ほのぼのとした彼は無害そのもので敵を作りにくい性格をしている。
それでも私の友人と言う立場を巡って幼い頃から学友達が争っているのを幾度となく収めてきた。
だから、優しい渡辺が決して傷ついたりしないよう目を光らせてきた……つもりだった。
しかし、目の前で唇を噛んで俯く渡辺を見て自分を情けなく思う。
「無言は、肯定とみなす」
「っ! ち、ちが……僕、僕、燈花先輩の傍にいられるだけで……とても幸せでした」
「なら、何が苦しい? 何が渡辺にそんな顔をさせる?」
「そ、れは……」
震える渡辺の手を握り、少女が耐え切れないとばかりに声をあげた。
「もう、もうこれ以上要を傷つけないでっ!」
「──っ」
その言葉に、咄嗟に声が出なかった。
「……渡辺は、傷ついた、のか?」
「っ!」
それまで我慢していたであろう涙がぶわりと渡辺の大きな瞳を満たしていく。
悲しみが伝染したのか少女も目を潤ませて、懸命に私を睨みつけていた。
身を寄せ合ってお互いを慰め合う二人。
私が泣かせてしまったのかと愕然とする。
しばらくして涙を収めてすんすんと鼻をすすり始めた二人に、ポケットからハンカチを取り出して差し出す。
「……すまないが、生憎と一つしか持ち合わせていないんだ」
「「……ありがとうございます」」
素直にハンカチを受け取る二人を心から可愛らしいと思う。
「……こんなところに呼び出してすまなかった、渡辺」
「あ、そう言えば話って何だったんですか?」
金木犀が咲く校舎裏。
首を傾げる渡辺の目は赤い。
そう言えば呼び出したのではなく呼び出された要に着いてきたんだった……と少女が呟く。
「ああ、もういいんだ。気にするな」
「え……でも、燈花先輩が呼び出すぐらいだから何かとても大切な用事だったのでは……? ……こんなことになったら話せませんよね……僕になんて」
しゅん……と項垂れる渡辺のふわふわの色素の薄い茶髪に風に乗った金木犀の小さな花が幾つも彩る。
苦笑してそれを払ってやると、俯いていた渡辺がはにかむような笑顔を向けてきた。
その笑顔を見て、言わずに去ろうと思っていた言葉が、口から溢れた。
「渡辺、君が好きだ」
目尻に溜まっていた最後の雫を人差し指で優しくぬぐい取ってやる。
溢れんばかりに見開かれた愛らしいどんぐり眼。
「渡辺が傍にいてくれるだけで、私はいつも安らぎを覚えた。初めは……失礼かもしれないが愛玩動物のような感覚だったことは認める。でも、」
そっと風に揺れた髪を撫で付けてやる。
それだけで初々しく染まる紅い頬。
「っ……!」
「……いつも振り返れば、私の傍で穏やかに微笑んでいる君を見て愛おしいと思った。この柔らかな栗毛も私を写す大きな瞳も。楚々とした振る舞いも全てが好ましく……傍に置いておきたかった」
渡辺の隣で同じく目が飛び出してしまうのではないかというぐらい目を見開く少女をみて苦笑する。
「彼女の言うとおりだ。私は権力を振りかざし、嫌がる君を拘束していた。……すまなかった」
頭を下げれば頭上から息を飲む音がした。
「ちょ、ちょっと待って! だ、だって、生徒会長が婚約するってっ……! 二階堂様達が自慢げに婚約者候補だって!」
「……二階堂達は決まっても居ないことを言いふらしていたのか?」
「ってことは決まる可能性だってあったってことですよね!?」
「そんなことは私がさせない」
少女が言う”二階堂様達”と言うのは世迷言を言い出した娘をさっさと結婚させようと最近急遽集められた私の婚約者候補達だ。
全部話すまで離してくれそうにない勢いの少女に、苦笑して恥ずかしいことだが正直に話す。
「好きな人にプロポーズしたい。その許しが欲しい」そう宣言したときの父母や兄の顔と言ったらなかった。
神妙な態度で挑んだのがいけなかったのか三人は困惑顔で私を見つめた。
代表して、兄が私に問う。
「ま、まさか同性か?」と。
期待を裏切って悪いが、私にレズビアンの趣味はない。
確かに可愛らしい女の子を見ているのは楽しいが、それは微笑ましく思っているだけで恋情など欠片も抱いたことはない。
そうきっぱりと言い切れば両親と兄は大きく安堵の息を吐いた。
そのことを不快に思いつつ「外部生なんだ」と告げれば、両親は眉を潜め、兄はそれはまずいと言う顔をした。
そして次の日からお見合いの連続だ。
既に世間に名を馳せた優秀な大人たちから、同じ学園に通う上流階級の子息達。
彼らとの有効な関係は確かに重要で断るのには苦労した。
それでも両親と兄を説得し、兄を味方に付け「俺がいいとこのお嬢さん貰って頑張るからさ。好きにさせてやってよ」と言った兄の言葉は決め手となり昨夜、やっと許しを得た。
その際両親に「……それに上手くいくかもわからないしさ」と兄が囁いたことを私は知らない。
「え、え? じゃあ、全部、要に告白するために……?」
「ああ、自慢するわけではないが私は上流階級の人間だ。なんの根回しもなく私が勝手に想いをぶつけるだけでは渡辺には負担にしかならないからな」
そこで言葉を切って未だ目を見開いたまま固まっている渡辺を見る。
本当に、好きだったのだ。
小さく深呼吸をして射抜くように渡辺を見た。
そしてふっと力を抜く。
「君の入れてくれるミルクティーがとても好きだった。……もう飲めないと思うと残念だ」
「っ……せ、せんぱ……」
何か言葉を紡ごうとする優しい後輩の頭を軽くなでる。
「二人とも、気を付けて下校するように。ではな」
未練を断ち切るように二人に背を向け鞄を取りに生徒会室に向かう。
「ま、待って!」
少女が呼んだが私は振り返らなかった。
+++
「ま、待って! ……要、要、ごめん、私、余計なことしちゃった! ごめん! お願いだから戻ってきて! 今すぐ会長を追いかけてーっ!」
「ま、ひろ、ちゃ……! はなし、て! 行けないっ」
「あ、ごめん」
思いっきり腕を鷲づかんで揺さぶっていた真尋が手をぱっと離し、僕はそのまま後ろに尻餅をついた。
いたた……とお尻を摩るが僕はそのまま地面を見つめて項垂れた。
「ちょっと! 追いかけるんでしょ!? 何ぼーっとしてんのよ、このヘタレっ!」
「……いや、だってさ。真尋ちゃん見たでしょ? ……燈花先輩、すっごいかっこよかった」
「ええそうね! 惚れちゃうぐらいにね! 今までくだらないって思ってたけど、あれなら皆がきゃーきゃー言うのも納得だわ。……なぁんであんたみたいなヘタレ」
「……だよね」
そう思うと足が動かない。
はい、と透き通った鋭利な声がしたと思えば階段を上がる凛々しい横顔。
段上に上がった彼女は切れ長の涼し気な目元を和らげふっと口元を笑ませた。
「新入生諸君、入学おめでとう」と。
その瞬間から、僕は彼女──生徒会長から目が離せなくなった。
大衆に埋もれ、会長をいつも見ていた。
もみくちゃにされ、ボロボロになり……それでも大衆に混ざって会長を追いかけた。
そんな僕に、チャンスが訪れたのだ。
体育祭委員。
誰もやりたがらない、めんどくさい委員。
もちろん押し付けられた。
すごく忙しいし、疲れた。
片付けもそこそこに打ち上げで皆いなくなってしまった。
クラスでも委員でも、僕は雑用係。
気が弱くて決して断らないイエスマン。
はぁ……とため息を何度も吐きながら用具を片付けていたら、用具倉庫に僕と同じく片付けを最後までしている人がいた。
それが、僕が憧れてやまない生徒会長だったのだ。
「おや、まだ誰か残っていたのか」と会長は苦笑した。
その笑顔に見惚れていると会長が僕の頭を、ペットを愛でるかのように撫でた。
「ふわふわだな。……実は一度触れてみたかったんだ」、いつもその頭だけ見えていたんだと会長は微笑んだ。
何でも昔飼っていた犬の毛並みを思い出すらしい。
片付けが大方済んだ後は生徒会室で二人だけの秘密の打ち上げをした。
打ち上げといっても紅茶を飲んだだけだ。
自ら紅茶を入れようとしてくれた会長からポットを奪い取り、僕がいれた。
微笑ましげに紅茶を入れる姿をじっと見られとても緊張したが、僕の入れたミルクティーに口を付けた瞬間、会長は目を丸くしたあと……破顔した。
そのこぼれ落ちるような優しい笑に、僕は会長に抱いているこの気持ちは憧れではなく恋なのだと自覚した。
それから何故か度々生徒会室に呼ばれるようになって、「燈花と呼べ」と名前を呼ばせて貰えることになった。
ドジで間抜けな僕が上手く立ち回れるはずも無く、僕の存在はすぐに知れ渡ってしまった。
”生徒会長の小間使い”そう言って心無い言葉を何度も吐き出され、教科書を駄目にされたこともある。
それでも、燈花先輩の傍に要られることが嬉しかった。
そんな生活に終止符を打つ出来事が起こった。
副会長の二階堂先輩が、僕に言った。
「会長は俺と婚約をするんだ。いつまでもお前のような犬に傍にいてもらっては困る」と。
今まで僕の存在に何も言わず、嫌がらせからも何度か助けてくれたことのある二階堂先輩からの言葉だったからこそ、僕は深く傷ついた。
せめて、燈花先輩の口から聞きたかった。
自分勝手な思いだとは分かっている、それでも僕は何度も泣いた。
……真尋ちゃんが心配して暴走してしまうくらいには。
「……僕、このままじゃ恥ずかしくて燈花先輩を追いかけるなんて出来ないよ……」
僕は鼻水を垂らしてみっともなく涙を流す。
「……燈花先輩は、僕のために、努力してくれたのにっ……ぼく、なんにも、してないっ……!」
「そーね」
「与えられた立場に甘んじて、燈花先輩が呼び出してくれるのをいつも待って……僕から、何もしたことない……」
「そーね」
真尋は容赦なく「そのとおりだわ」と言葉を返す。
「ぼくっ! 男に、なりたいっ! と、か先輩を……ちゃんと、追いかけられるように!」
「……あんたが? 甘い汁啜っときなさいよ。今いかなきゃ、会長絶対他の男に取られちゃうよ? 形だけでも付き合っといて、その間に釣り合える男になればいいじゃない」
リアリストな幼馴染の言葉が耳に痛い。
ずるっと鼻をすする。
「それじゃ、だめなんだっ! 今度は僕から……告白、する」
「そのとき彼氏がいたら?」
「っ……! う、奪い返せる男になるもんっ!」
「……五尾に、もんっ! とか付ける男が?」
「な、なる!」
「はぁ……前途多難ね。とりあえず顔、洗ってきなさいよ。そんでもって、泣くのも今日で禁止」
燈花先輩が渡してくれたハンカチをぎゅっと握り締め、僕は袖で乱暴に涙をぬぐった。
差し出された真尋の手を断って一人で立ち上がれば、真尋が笑った。
「私も協力してあげるから、頑張りなさいよ、男の子っ!」
「っ!」
ばしん! と背中を叩かれてよろけた僕を、真尋が早速睨みつけたのだった。
燈花 学園の生徒会長。財閥の令嬢。
常に癒しを求めている。
要 一応これから頑張って燈花を大学まで追いかけて告白します。
このとき燈花には婚約者有り。しかし頑張る要。
真尋 将来はインストラクターを目指して専門学校へ。
熱血幼馴染。
スパルタで要を男にする手伝いをする。
二階堂 燈花の幼馴染。小さいときからずっと燈花が好き。
モデル並みのイケメン。
癒やし要素ゼロなため、燈花からはあまり構ってもらえない。
普通にいい奴。
こんな人物設定で書いてみました。暇つぶしにどうぞ。