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加賀美よわいは極普通の女子高生である。
しかし! 学園が『境界』の『綻び』によって危機に晒される時! 学園の守り神(仮)にゃんさんによる『境界』操作の力を借りることで、スーパー鉄拳少女よわいちゃんへとマジカルチェンジするのだ!
がんばれよわい、負けるなよわい。明日の風紀を守るんだ!
どやっ(キリッ)と言わんばかりの表情で振り返る、副部長の姿がそこにあった。
「とりあえずマジカル成分はどこにも無かった。こぶし系ですね分かります」
とだけ返しておいた。マジカルな扮装の先輩は見たかったとは、素直に思った。
「つまりなんですか、あのにゃんさんがよわい先輩の筋力だか不思議パワーだかの境界をもにょもにょしてスーパーマンにしてるってことですか」
「だいたい合ってる」
まったくデタラメだな……。僅か半日で俺の常識は遥か地平の彼方である。カムバック日常。
「で、どうするんですか? いくらよわい先輩が不思議パワー発揮してるからって、あの大きさをどうこうするのは難しいと思うんですけど」
というか、不思議パワーが有ろうが無かろうが、よわい先輩に無茶はして欲しくない。
「まぁ、確かに『綻び』から実体化したモノはどうしたって普通の方法じゃ無くすことはできないから、よわいにやっつけてもらうってわけにはいかないよ。そこでコレですよ千草くん」
走りながらビシッとチョークを突きだして見せる。
「『修正』――ですか? でもあれ、現実化するのを防ぐ為にやるんじゃなかったですっけ?」
「のんのん。にゃんさんの『修正』は『境界』の越境その全てに適用されるから、ああやって現実化したものもくるっと囲ってトンすればキラッとナムサンなのです」
「へえ」
最後の辺りの表現はよく分からなかったが、大体分かった。とにかくデタラメは全部にゃんさんがなんとかするということで良いらしい。うん。しかし――
「あの、それは良いんですけど、よわい先輩見失っちゃってませんかねこれ……」
とっとこ走っている俺達なのだが、ヒューマン超えを果たしているよわい先輩と端からヒューマン違うツチノコは、既に視界から消えていた。
「ああ、それだったら――と、きたきた」
言いかけた椎華先輩の胸元から、彼女らしい快活なメロディーが響いた。着メロだ。
「ん。分かった。すぐに追い付く。もうちょっと粘っててー」
ブレザーの内ポケットから取り出した、黒と黄色の縞模様が目に痛いそいつに二言三言告げて、椎華先輩はくるりと振り返る。
「よわいから。三階の音楽室だって」
――音楽室か。なるほど広そうだ。
「急ぎましょう」
「はいよー」
そう言って一層速度を上げる。向かう先に居るモノを思うと死ぬほど気が重いのだが、よわい先輩のことを想えば、止まるわけになんていかないのだった。
●
――ぅ、おん。という風を切る音が、扉を開いて最初に出迎えたものだった。
「あっ――ぶ、ねえ……!」
鼻先すれすれを巨大な灰色が高速で横切っていく。
「しゅらららら」
目の前には体を起したデカツチノコの背中。小さな獲物を前に、ぶうんぶうんと巨体に合わせてでかい尻尾を揺らしているのだった。
よわい先輩は――居た。ツチノコの正面、比べるのも馬鹿らしい体格差の少女がちょこんと、けれど不思議なくらいに凛々しいファイティングポーズで対していた。
「先ぱ――」
(しっ! 心配いらないから、静かにね、千草くん)
すっ、と後から教室へ入って来た椎華先輩に窘められる。改めて視線を奥へ向けると、よわい先輩がちらりと視線を返していた。こくりと小さな頷きは、椎華先輩へのものだろう。隣を見れば、金色の頭がこくりと頷き返していた。
(千草くん、ツチノコくんがよわいに釘付けになってる間にラインで囲ってしまうのがあたし達のお仕事です。あとは、分かるよね?)
ああ、落ち着いた頭で理解する。俺らの仕事は絶対必須の下ごしらえ。よわい先輩はスーパーマンだが俺らはノーマル。よわい先輩の奮闘の陰でひっそりと任務遂行をしなくてはならない。よわい先輩があの小さな体で引きつけてくれているというのに、焦って声を上げるなどもってのほかだ。こくりと無言で頷いて、了解の意志を伝える。
(しかしどうするんです? 修正する為には円で囲まないとなんですよね? このままあいつ中心に周ってたら気付かれますよ)
(そこはよわいに任せよう。それじゃあ、行くよ)
そう言って身を低くしたまま椎華先輩がチョークを走らせる。右手に持ったそれに合わせて、進行方向は反時計回り。俺もその後に続く。
じりじりと白線を延長しながら視線をツチノコの方へ向ける。
「しゃらっ! しゃらっ! しゃららぁっ!」
ぎゅんぎゅんと風を切りながら襲いかかるツチノコヘッドを、ひらりひらりと紙一重で躱していくよわい先輩の姿があった。
――先輩……。急がないと。でも焦らず確実にだ。
(椎華先輩。そろそろ――)
横目にツチノコを収めながら、前を行く椎華先輩に声を掛ける。それに合わせる様に先輩も動きを止める。そろそろツチノコの側面。これ以上は視界に入る危険がある。
よわい先輩――
こっちに出来ることは少ない。今はよわい先輩を信じて待つだけだ。
長くて平らな体をしならせて襲いかかるツチノコを避け続け、時折拳を打ち付けながらもよわい先輩はちらりと視線を寄越した。次の瞬間、大振りに突っ込んだツチノコの横っ面目がけて、ひと際力の籠った拳が振るわれた。
「しゃ――ぎゅうっ」
潰れた様に情けない声を上げてよろめくツチノコを煽る様に、よわい先輩は左手へと駆けていく。
「しゃ、しゃらぁっ!!」
すぐさま体勢を立て直したツチノコが、一層気性を荒げて飛び付いた。
反時計回り。よわい先輩は円が完成する様、奴を誘導するつもりだ。
(椎華先輩)
(分かってる。行くよ)
ツチノコの動きに合わせてラインの延長を再開する。ポジショニングは常に死角に。じりじりとけれど確実に。
ツチノコをやり過ごす先輩の様子に危なげは無い。ラインの接続まであと僅か。ニ、三メートル程度だ。
(……ふう。ま、何とかなりそうね)
振り返った椎華先輩が、声が出せるならあっはっは! とでも笑いだしそうな笑顔で白い歯を覗かせた。同感ですねと返そうとした瞬間、
「しゃぁらぁああぁっ!!」
今までになく大きく、長く、ツチノコが声を上げた。ぐねぐねと体を捩り、その全身がぶるぶると震えている。
ああ、何か同じ様なのを見たことがある。そうだ、親父だ。ガキの頃何度注意されてもイタズラを繰り返えす俺に、仕舞いには顔を赤くして、ぶるぶると小刻みに体を震わせるのだ。そうして赤く赤く熱した鉄の様になった親父は――
「……やべぇ」
「しゃぁ――らうぅっ!」
――爆発するのだ。
巨体の向こう側ではよわい先輩が舌打ちをしている。そこから先はスローモーションだ。
音楽室に横たえられた巨体の半身が波打った。よわい先輩に狙いを絞ったものではない。ただ、己の内に溜まった怒りを発散するだけの暴走。
――ああ、面倒面倒と言いながら、いつもこれなのだ。頼まれるとなんだかんだ断れない。怠けたいのにやることはきっちりと。やるからには手を抜けない。
そんな自分だから、こんな風に体も動いてしまう。
「椎華先輩!」
「わっ――!?」
背後の変化に対応出来なかった彼女を突き飛ばす。くりりと大きな両目を丸くして遠ざかっていく姿を、視界の端でぼんやり眺める。
正面には、うねり波及して迫る、灰色。左側から極太の尾が唸りを上げるのを、スローの世界で知覚する。
ヘビって全身筋肉の塊みたいなもんだよな。締め上げる力凄いらしいな。――ああ、あんなの食らったら、ただじゃ済まねえよなぁ。
空気が水あめに変わった様に緩やかな世界。どこか他人事の様に感じるそこで、終わりへ向けて思考はゆるゆると溶けていく様で――
「――千草くん!!」
瞬間。透き通る様な清音が、糊化した思考を洗浄した。
速度を取り戻す世界。高速で奔る灰色の鱗模様。等速を超えて光速にシフトした思考が状況を読み上げる。
前方左側面にツチノコの尾。高速。椎華先輩は安全圏。代わりに俺は直撃コース。やばい。避けられない。
――結局のところ、間に合わない。
咄嗟に目を閉じて覚悟を決める。肉を打ち付ける低音。至近で弾ける空気の振動。
――痛みは――ない。
…………?
全身を襲う筈だった衝撃は訪れず、一瞬の静寂がその場を支配していた。恐る恐る目を開く。
目の前には小さな背中。未だ挙動においてけぼりにされた、しっぽの様な黒髪を宙に踊らせる加賀美よわいの姿があった。
「――っく、う――」
「先輩!?」
黒髪がぱさりと重力に従うのと、苦悶の声が漏れるのは同時だった。
ツチノコが癇癪で放ったデタラメな尻尾の一振りを、よわい先輩がその両腕に受けていた。俺を庇う様に。
頭の位置に構えた腕に、重々しい尾が張り付いた様に乗っている。その下で先輩は苦しそうに顔を歪めている。いくらにゃんさんの助けがあるといってもあれをまともに受けたのだ。ダメージが無いわけがない。
「にゃん! にゃん!」
先輩の頭の上にしがみ付いていたにゃんさんが心配そうに鳴いている。
――くそ。なんて様だ。椎華先輩助けるつもりが、俺が助けられてるじゃねえか。
「……怪我は、無いかい?」
自分の不甲斐なさに歯噛みする俺に、そんな言葉が落ちて来た。見ればよわい先輩が苦しげな表情に無理やりな笑顔を貼り付けて微笑んでいた。
……なんて表情するんだよこの人は。心配されなきゃならないのはあなたの方でしょう。
「――!? 先輩!」
苦しい笑顔を向けるよわい先輩の背後で灰色が蠢いた。爆発し制止したツチノコが、背後の異常に気付いたのだ。一瞬の放心から目覚めた様に、頭をもたげた。
「しゃらぁっ!」
「くっ――!」
声を漏らしよわい先輩が構えるが早いか、ツチノコの頭がその巨大な口を広げて突っ込んできた。
「う、わ――」
「動かないでっ」
なんにも出来ず、ただたじろぐ俺の前で、よわい先輩はその場から一歩も動かずそれと対した。
よわい先輩の背丈など軽く収まる顎が上下から迫る。危ないと叫ぶ間もなく閉じられるそれだったが、
「ぐ、う、う、うぅ」
がつん、という打撃音と共に目の前にあったのは、下顎に足を掛け、両手で上顎を支えるよわい先輩の姿だった。
「先輩……」
全身が小刻みに震え、そのか細い両腕はじりじりと高さを落としていく。先のダメージがしっかりと効いているのは明白で、今にも上下の顎は一体となりそうだ。
「ぐ、ぐ、千草くん……、今の内に離れなさい」
そんな状態だっていうのに、先輩は無理やりに笑顔を作って見せる。ああ――まったく、まったく――!
「こお――んの、ヤロウッ――!」
まったく、馬鹿だと思う。
「ぐん、ぬうううっ!」
思わず飛び込んでいた。ずしりと上下から圧力が掛かる。万力の間に居ればきっとこんな感じだろうか。
「千草くん!? 何やってるんだ君は!」
真横、端正な顔を歪めて叱責する、よわい先輩の顔があった。でもそんなことを言われても困る。そんな細い腕で、そんなに華奢な体で、あんな無理な笑顔を向けられて、放ってなんておけないじゃないか。
「俺も、手伝います……、ぐ、ぬぅ」
「無茶だ。ここは私ひとりで十分だから君は――」
「腕、震えて、ますよ。……あと、足も」
「……まったく、君は馬鹿だなぁ」
そう言って、諦めた様にくすりと笑った。
ああ、まったく馬鹿だと思う。何の力もない癖に万力顔負けのツチノコマウスに突っ込む俺も。……先輩も。
「ぐぎぎぎぎ」
くっそ重てぇ。上下から掛かる力はぎりぎりと増していく。非力な一般人一人が加わったからといってどうこうなるレベルじゃない。はやく、はやく――
「椎華先輩っ!」
視界の端で踊る金色に、力一杯に声を投げる。今まで似合わぬ無音を貫いたスピーカーヘッドが快活に応えた。
「あとちょっと! よくやった! 偉いぞ男の子!」
チョークが奔る。ツチノコの死角で白い円は成った。
「よわい!」
「千草くん――」
椎華先輩の声に応える代わりに、よわい先輩の視線は俺へと向けられていた。静かに、真っ直ぐに向けられたそれは、信頼と呼んで間違いないと思う。
「――――」
こくりと頷く。応えないわけにはいかない。正直しんどい役だが、ここで見せなくて、どこで男を見せるのか。
よわい先輩の両手が顎から離れる。
「――っご。お、お、おんぎぎぎぎぎ――」
ずしん、と先程までとは比べものにならない荷重が掛かる。あははは! ナニコレ! 何秒も保ちませんことよ!
そう、数秒。けど数秒だ。それで十分だった。
黒い突風が視界の端を駆け抜けた。長いしっぽの様な髪が文字通り尾を引いていく姿は、まるでほうき星。駆け抜けたほうき星はシームレスなその動きのままに、右手を頭上に、そして白線の前に。
「にゃんさん!」
「ん、っにゃん!」
跳ねる黒。緊張感の無い着地音と共に、白線が閃光する。
「しゃ――!?」
ツチノコの驚愕が聞こえる。そりゃそうだ。今から消えちまうんだしな! ハハッ! ざまぁ!
みしり。
「……あれ? みし?」
円の完成。修正開始。全部終わってツチノコもさよならで大団円の筈なのだが、何か、重いんですけど。
「しゃらららぁ……」
「うっおおおおぉ!?」
消える筈のツチノコは何故だか健在で、未だに俺のボディーを鯖折りなう!
え、ナニコレ!? だって円が完成したらピカーッでさらさらパシューじゃ――って、あー! そういや光った円はじりじり消えてってそれで完了だったけ! なんてこった!
「おーれーるー……」
……ああ、いや、そりゃ無いよな。うん。
ほうき星は舞い戻る。
瞬きする間にツチノコの真横で滞空した彼女の姿を捉える。ふわりと風を孕んで揺れるスカート。捻りの加えられたしなやかな体。腰の位置で畳み構えられた白く細い右足が、踊るスカートから露わになる。
そこまでコマ送りの様に知覚して、必勝を確信する。途端、再び世界は加速した。
ごうん。という最早生体から発せられるとは考えられない音。
「っ――――!」
声に成らぬ声を上げながら、ツチノコはその巨体を折り曲げた。勿論くの字に。さっきより鋭角。
上下からの圧からの解放に安堵するよりも先、よわい先輩が静かに着地する音を聞いた。
さらりと重力に従って落ちる黒髪とスカート。すっと立ち上がってぴしりとする姿は、凛として格好よくて、けど――
「先輩」
ぐったりと動かなくなったツチノコを横目に駆け寄る。先輩は小さく笑った。
「ご苦労さま。お陰で何とか片が付いたよ。ありがとう、千草くん」
「いえ、俺は何も」
「はは、謙遜だな。本当に良い活躍だったよ。よし、それじゃああとは修正の完了を待つだけだ。行こう」
そう言って円の外側へと歩いていく先輩の背中を追いかける。
「…………」
凛々しくて恰好のいい先輩の背中は、けれど、年相応の少女らしく――いや、それよりもずっと小さくて――
「はいはいー、おつかれさーん!」
円の外側で待っていた椎華先輩が、元気良く俺達を出迎えた。と言っても、お互いずっと見える位置に居たので、表現としては微妙だけど。
「いやぁ、大活躍だったね千草くぅん。椎華さん、惚れちゃったかも……」
ぱちぱちと両目を瞬かせながら上目遣いする金髪さん。すみませんが今そういうのに付き合う元気は残ってないです。
「アー、ソリャウレシイナー」
「よわいも、お疲れ様」
「ああ、椎華も」
「――! にゃんっにゃんっ!」
労いあう俺達の足元で、にゃんさんが不満げに吠えている。
「ああ、すみません、勿論にゃんさんも大変お疲れ様でした」
「んにゃん」
よわい先輩からの労いに、満足そうにひと鳴きした。現金なヤロウである。……メスかもしれないが。
「いやー、しかし思いの外苦戦したねえ。いや、UMAも侮れませんなぁ」
じりじりと消えていく光の円を眺めながら椎華先輩が言う。普段がどんなだか知らない身としてはなんとも判断に困るが、これが簡単、の部類に入らないらしいことだけは素直にほっとした。いや、だからといって今日みたいなことを歓迎するわけじゃないんだが。
「そうだな、こうまで巨大な姿で顕れるとは予想していなかったからな。情報元に則って『成って』いたなら、簡単な捕り物だったんだろうが」
だよなー。三十センチ程度のヘビもどきの捕獲作戦とか、ただのドリームだもんね。それがヒト一人丸呑みモンスターだもんなぁ……ん? 丸、呑み……
「あぁー!」
脳内を閃光が駆け抜ける。
「うわ! ちょっと急に何さ千草くん」
びくん、と体を震わせる椎華先輩だが、それどころじゃない。
「まー、ままま、マッチョ! 丸呑み!」
そうである。完全に忘却の彼方だったが、あのツチノコの腹の中にはマッチョ先輩が収まっているのだ。
「ああ、そういえば」
ぽん、と手を付くよわい先輩。暢気である。
「そういえばって、このままツチノコ消えちゃったら――って、どあぁぁ! もうラインほとんど残ってないし!」
見れば光の円は粗方消えてしまって残すところ僅かに数センチ。ああ、もう間に合わない。アディオスマッチョ。安らかに筋トレしてください。
「ああ、それなら心配ないよー、ほら」
黙祷を捧げる俺の横で、椎華先輩がからりと告げる。釣られる様に円の方へ視線を向けると、丁度ツチノコの姿が消えていくところだった。嗚呼、南無阿弥陀仏……って、あれ。
ゆらりと陽炎の様に歪んで透過していくツチノコの中に肌色。きれいさっぱり消えてしまった跡に、ノビたマッチョが横たわっていた。
「お、おお……?」
「『境界』の『修正』はあくまで越境対象に限られるからね。元より正しくこちら側のものは当然ああして残るというわけだ。……ちょっと残滓が見られるが」
よわい先輩の解説に、改めてマッチョ先輩を見ると、唾液なんだか胃液なんだか、なんかすげえネバネバベタベタしているのだった。
なんだ。焦って損をしたよまったく。……考えてみればこのマッチョは居なくなる方が健全な男子生徒のためだったのかもしれないとか、ちらりと考えた。
「ともかく、これで今日の活動は完了だ。……千草くん」
「はい?」
よわい先輩がそう言葉を切って、くるりと振り返った。表情は笑っているけどどこか寂しそうな、丁度そう、俺が部員で在り続けるつもりはないなんて漏らした時と、同じ様なものだった。
「今日は本当にありがとう。本当はもっとその、安全で簡単で、ちょっとだけ変わってるだけの活動内容なんだけど、こんなことになってごめんね。うん……、一日だけだったけど、三人の活動、楽しかったよ」
両手を腰の位置で遊ばせながら、寂しそうにそんなことを言う。袖から覗く両手は、腕どころか手の甲まで青く痣になっていた。あんなに白くて華奢な、きれいな手が。
凛として格好いい先輩。
ちょっと小さな先輩
颯爽とバケモノ退治する先輩。
かわいい先輩。
「他に、良い部活が見付かると――」
続けて話す先輩の言葉を無視して、思わずその痛々しい手を取っていた。
「――っ、千草くん? えぇと、どうかしたかい?」
驚いた様子の先輩がきょとんと俺を見上げている。
「手。ちゃんと冷やして、薬塗って、包帯巻いてくださいよ」
「あ……。はは、君はよく気が付くね。大丈夫だよ。これくらい。ふふ、それだけ気を回せるなら、どこへ行ってもきっと歓迎されるよ」
そんなことを言いながらも、痣に手を触れると小さく顔をしかめるのを見逃さなかった。まったく、本当にこの人は――
「俺、よく効く薬知ってるんで、明日持ってきますよ。そうですね、部活のときに塗りましょう。ほら、明日は今日みたいな荒事はないんでしょうし、線引きとか、俺やりますし」
アンバランスだ。
格好よくて強いよわい先輩だけど、やっぱり、小さくて華奢な女の子なのだ。
「そうか、明日――え? 明日、部活?」
不思議そうにぱちぱちと瞬く顔が、またかわいい。
「ええ、だってほら、俺部員でしょ? 明日から、正規の」
「――――ああ、そうか。そうだね。うん。……うん」
本当にいいのか? なんて野暮なことは訊いたりしなかった。ただ、何度も頷くその表情は、とても嬉しそうで、気のせいか目じりに輝くものまで見えた気がする。
部活なんて面倒なのは変わらずで、今日みたいのはやっぱりごめんだけど、なんかこう、放っておけないとか思ってしまったのだ。この、小さくて強い、アンバランスな彼女を。どこか、危なっかしい、なんて。
――まぁ、何の力も無い自分に出来ることなんて、大して無いんだろうけど、それでも。
「それじゃあ、改めて。ようこそ、境界倶楽部へ」
「ええ、よろしくお願いします。よわ……先輩方」
花咲く様な笑顔に握手を返す。言葉尻は途中で変更。
「まぁまぁ、青春ですなぁ」
すぐ隣でいやらしくニタつく、金髪さんがいたからだ。
「……まぁ、とにかく、明日も三人で頑張りましょう」
お茶を濁す様に呟く。
「んにゃん!」
勢いよくにゃんさんが鳴いた。
――ああ、はいはい、四人、でね。
― おわり ―