第一章 一幕 違和感と勃発
1章
日照りも強くなってきた6月末。
僕、月島天太は新しい生活の拠点となるこの月見高校に通い始めて早三ヶ月が過ぎようとしていた。
「なぁアマタ、宿題見せてくれよ」
そう腕を折って比較的大きめの男子がアマタへと頼み込む。
「うん」
机の中に手を入れてそのノートをガサゴソと探す。
「・・ハイ」
アマタは何一つ嫌な顔をせずそのノートを差し出した。
「お、さんきゅ」
そう言って、彼は後ろの席でガリガリとその答案を写し始めた。
彼の名は黒木和也。小学校時代からの古い付き合いで、ここまでずっと一緒に仲良く育った人間は彼だけだ。俗に云う、幼なじみなのだろう。
宿題こそやってこないものの、責任感が強く、時に助けられることもシバシバあり、今はこのクラスの室長を任されている。
アマタ自身、こういったクラスの中心となる人物とこうも友好的に接していいものかどうか、吊り合わないんじゃないだろうか、ともさすがに一度や二度考えたこともあるが、彼自らアマタへと接してくる以上、アマタも断る理由もなく嫌な顔はせずにいた。現に今はクラスでも打ち解けるようになって嫌な気分でもなかった。
アマタはこんなただの日常に退屈を感じたことはたったの一度もなかった。何もないように見えるこんな日常の中でも、毎日小さいながらも新しい発見が必ずある。仲良くしてくれる友人だって少なからずいる。
「お前さ、もっと明るく振る舞えよ」
と、一度和也に言われたことがあった。だけど、
「僕は今の自分が好きだから」
と、アマタは否定した。いつも弱気な彼に反した返答に和也は意外そうな顔をして、
「・・ま、お前がいいならいいけどな」
そう言って、和也はニッと笑った。
勿論、この日常に満足とは思っていない。これからもっと楽しいことが起きるかもしれないし、ましてや好きな人でもできるかもしれない。
そんな期待を膨らましていると、授業開始のチャイムが鳴った。
皆が急いで着席をして、教員が教壇に立つと、
「きりーつ、礼」
と背後の和也の声に習って、気だるそうに皆が頭を垂れる。
「今日は日照りが強いなぁ」
まだ二時間目だが、英語の教員はそう言っておもむろに教室のカーテンを閉め始めた。
(別にそんなに暑くはないんだけどなぁ)
アマタは窓際の後ろから二番目の席であり、その後ろが和也だ。よって、授業を退屈に感じた時などには窓の外を眺めるのが一環となっていた。特に程遠く離れると海が見えるので綺麗ではあるのだ。
だから閉じられると退屈凌ぎがなくなり、必然寝てしまうのが予測できた。
「えぇーではレッスン2の2から・・・」
男教師による英語が始まった。
十分程して、程よく眠くなってきたところで、
「では、ちゃんと復習しておくように。では自習」
そう言って、理由も話さず教室から出て行った。
「変だな」
その声は後ろ座席の和也だった。
「ラッキーなんじゃないかな。みんな授業が潰れて」
いや、と和也はアマタの言葉を切り捨てる。
「そうじゃない。・・外を見ろ」
皆が授業が潰れたことをいいコトに騒ぎ出す中、アマタと和也はカーテンを捲って外を見る。
「・・なにしてるんだろう」
目を向けると、そこには大多数の生徒達が校門から外へ出ている様子だった。それはまるで避難訓練かのような。
「しかもそれだけじゃない。アマタ、女子生徒のリボンを見ろ」
ここ、月見高校でのリボン着用は原則である。そして、そのリボンの色は一、二、三学年ごとに赤、青、緑と違っている。
それを踏まえ着目してみると、
「あ、青と緑ばっか・・つまり一年生はいない、てこと?」
あまりに人数が増えてきたので一人くらいは居るのかもしれない、という考えは捨て置き、大雑把に見た感想だ。
ガタッと音を立てて和也が立ち上がる。
「・・どうしたの?」
おかしな物を見るかのような目を向けるアマタを一瞥して、
「他の教室を回ってくる」
「え・・?あ、ちょっと」
早足で和也は教室を後にした。そして当然、アマタはそれを見送るだけだった。ついて行けるほどに行動力は伴っていなかった。
一人、女子生徒が近寄ってくる。
「和也、どうしたの」
そうアマタへと声を掛けたのは里見深夏。クラスメイトであり、このクラスの周知の事実として共通認識されている、つまるところ和也の彼女であった。
人に対して関心を持たないアマタにはその程度の認識でしか無かったが、和也曰く中学時代からずっと仲良くしていて同じ高校で同じクラスになった瞬間に思い切って告白をしたらしい。
目に見えて相思相愛の素振りや行動を取らないものの、彼曰く、
「一度も里見に対して不満を持ったことがない。唯一あるとすれば俺以外にも優しすぎるところだ」
と仰っていた。
この結果から、二人がそう簡単にこの関係を崩すことはないだろう、とアマタは踏んでいた。
何しろ幼少時代から和也を見てきたアマタでさえも、和也の悪い部分を見つけることは困難を極めた。
正直なところ、アマタには憧れる部分もあり、
「理想的だよなぁ・・・」
と思わず呟いてしまった。
「え?」
アマタの突然の独り言に里見は首を傾げる。
「あ、いや・・ほら外を見てよ」
カーテンを捲り上げ、里見にもその光景を見せつける。
「これ・・何してるの?避難訓練?あ、いやでも私たち参加してないし・・とゆうか、一年生がいないのか」
パッパと頭を回転させ、一つ一つの事実を確認してはウムムと疑問符を浮かべて唸る。
そんなこんなで和也が帰ってきた。
「和也、どこに行ってたの?」
心配そうな顔をして里見は和也に問いかける。
「他の教室を回ってきた。・・やっぱりおかしい。どのクラスも自習になってて教員がどこにも見当たらないんだ」
「ふぅん・・」
だからと言ってアマタは何の行動も起こそうとも思わなかった。別に、またつまらない理由なのだろうと腹を括っていたからだ。興味なさそうに外を見ていると、
「あ・・」
「どうした、アマタ」
「英語の先生・・」
アマタは指を指し、示す。
「どうゆうこと・・」
自習と言っておきながら自分は外出、とゆうのは一体どうゆう理由なのだろうか。
「嫌な予感がする」
「・・そんな、和也大袈裟な。別に自習、て言われたんだから黙って座ってればいいじゃない」
里見が苦笑いでそう寄り添う。
アマタ自身の意見としては和也に対して大いに肯定的だった。何しろ、昔から勘が鋭い上、特に嫌な時ばかり的中する。
「ほら見ろよ校門辺り。明らかにこれからなにか起きるものを見る目だろ、アレは。まるで今か今かと待ち構えているように、そう見えないか」
「そんなこと無いと思う。和也の思い込みじゃないの?それとも」
里見は溜息を吐いて間を開ける。
「・・これからこの校舎が爆発でもするの?」
「里見さん・・それはちょっと」
アマタは苦笑するが、和也はその眼差しの色を変えない。
「そんな大規模な話じゃない、か・・たしかにその可能性が一番高いと思うし、そう会ってほしいとも思う。
だけど・・どうしてもあの目は同じ学校に通う生徒を見る目じゃないと思う」
「だったら、どうするの?」
髪を揺らして、里見は首を傾げる。
「・・ここを出よう」
「え?」
ここを出よう、その言葉をアマタは予感していた。和也ならそう言うに決まってる、と確信を持てていたからだ。驚嘆の声は里見のものだ。
「で、出るって・・どこに?」
「裏山しか無いだろうな。校門はあんな様だし、街に出たらすぐに見つかる。・・見つかってはいけない理由に見当なんて無いけど」
「だとしたら、今すぐ行った方がいいんじゃないかな」
アマタは和也にそう助言した。もうその時、既にほとんどすべての一年生以外の生徒や教員は校門より外へと出ようとしていた。
「何かアクションを起こされるとしたら・・一年生だけがこの校舎の中に残ったその瞬間だと思うから」
「だな。よし行くぞ、深夏、アマタ」
「え?えぇ・・」
里見だけがこの行動に対して積極的になれず、少しイヤイヤ混じりだったが、二人について行く。
各クラスの前を走り抜ける度に妙な視線を感じながらも、アマタはそう気になることもなかった。それはやはり、この和也とゆう存在に執着しているからだろう。他人について行くのは簡単でラクだ。何を考えていてもいいし、いつでもその道から外れることだってできる。
何しろ和也は強い。彼が先導するのなら胸を張って任せられる、それがアマタの考えだ。
下駄箱まで走り、靴に履き変えていると、
「待ちなよ」
背後からのその呼び声に慌てて振り返ると、
「み、美月ぃ!」
里見がその少し暗かった表情を一変させ、その女性へと抱きつく。
「ちょ、ちょっとやめなよ・・」
美月、と呼ばれる女性は無理矢理里見を剥がす。
「事情は分かってる。ここから出るんだろう?私も行く」
アマタにとってこの女性、荒谷美月に対しての印象は酷く虚ろなものだった。里見といつも一緒にいるクラスメイト。そして・・男っ気が強いくらいだ。
「ありがとう。人数は多いほうが安心できる。でも、これはあまり褒められた行動ではない。それは分かってるか?」
「当たり前だ。アタシだって、ただアンタ達と遊びたかったわけじゃない」
よし、と和也は何かを確信して、
「じゃあ、協力しよう」
いつものようにニッと唇の端を尖らせた。
「でも、美月、なんで・・?」
「アンタらが目の色変えて教室出て行ったからさ。む、これは何かあるな、と思ってよ、窓の外見たら妙な光景が広がってんだ。面白そうだし付いてきたってわけだ」
結局好奇心じゃないか、と口を開こうとするが、小心者の自分に言えるわけがないと薄ら笑いを浮かべてアマタは後ろを歩く。
「だったら早く行こう。こうして歩いている時間ももったいないくらいだ」
そう言って走りだした和也にアマタ達は走って付いて行った。
「そうだ、深夏」
ハァハァ息を切らしながら、
「・・何?」
「リボン外しとけ」
「・・え?」
スッと。荒谷は里見のリボンを抜き去った。
「きゃああ」
「これ付けてると一年生だって丸分かりだからな。今一年生だと悟られるのはマズイ、てことくらい分かるだろ」
「あぁ。深夏、外しとけ」
「・・うん」
リボンをポケットへと突っ込み、走り続ける。
校舎裏側のドアノブに手を引っ掛け、和也はそっと周りを見渡す。そして、誰も居ないことを確認すると外へと出た。
ズサズサと整備のされていない山林の中を歩いて行き、大体校舎裏から出て二〇〇メートルほど登ったところで足を止め、腰を下ろす。
「・・結局、何も起きないんじゃないのかな」
里見がそう呟く。和也は硬い表情を和らげると、
「・・それで俺達が怒られて終わりなら、それが一番なんだけどな」
やはり、和也はまだ何かが起きると疑念を残している。アマタにはそう感じ取れる。
校舎表側では今何が起きているかは判らないが、何やらざわついているのは感じ取ることができる。
「もう少しだけ、離れようか」
そう言って立ち上がった和也に従い、三人とも立ち上がろうとしたその瞬間。
校舎の最上階、つまるところ全一年生が自習をしている階が。
横幅全域に渡って、突然爆発したのだ。
「きゃああ」
爆音に耳を取られ、アマタはそれを気にかけることなどできない。だが、和也が里見の手を握っている。
「え・・?」
アマタはそれを実の現実として受け止めることは簡単にはできなかった。
目の前で、自分たちが数分前には授業を普通に受けていた教室が突然消滅したのだ。
崩れ去る、そのコンクリートの破片が下へと落ちていくのをただ見ることしかできなかった。
「ど、どうなってるんだ・・!」
和也はあまりの驚きにそのリーダーシップを発揮することはできないでいた。
「これは・・笑えないね・・」
呆れたように、荒谷は現実から目を背ける。だが、
「アンタらについていってよかったよ」
と。そう口にした。
「と、とりあえず、もう少しだけ離れよう」
急ぎ足でアマタたちは校舎から距離を離した。