表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

「ウツロヒ」第3話



-「面」-


祭りというものは、本来古い神々を祀るための行事である。

そんな話を聞いたことがある。

神社の周りには屋台が立ち並び、夜の闇を下から艶やかにライトアップする。

照らされた木々の緑がその光を反射し、星々の光とは趣の違った煌きをたたえているのが見える。


参道に熱気を帯びた空気に充満し、浴衣をまとった一般客がひしめく中、

オレは苛立ちを覚えながら歩いていた。



どいつもこいつも。



屋台の列の一番端。

つまり入り口に一番近い場所で一瞬足を止め、今自分が歩いてきた場所を振り向くと、沢山の顔が目に飛び込んでくる。


狐。狸。ひょっとこ。おかめ。翁・・・。



どいつもこいつも、仮面をかぶってやがる。

内心じゃどう思ってるか、解ったもんじゃないのによ。


オレみたいに、な。



荒んだ気分でそんなことを考えて振り向いたオレはギョッとした。

ひょっとこが。いや、今度は本当にひょっとこのお面をかぶった人間がそこにいた。

面の下の目線など解るはずも無い。

しかし、オレはそのひょっとこの面をかぶっている人物が、じっと自分を見ているような。そんな気がしたのだ。


浮ついた熱気の真っ只中にいるはずなのに。

周りの喧騒が遠のいたような錯覚を覚える。

風などないはずのに、ヌルリと湿気を含んだ生暖かい空気が自分を締め付けた。


突如横から歩いてきた浴衣姿の女が視界に入り、目の前を通り過ぎるまではほんの一瞬のことだったと思う。

青い花のような模様を散りばめた白い色が通過する、その僅かな時間でひょっとこの面をかぶった人物はそこから姿を消していた。そこにはただいつも通り、鳥居の向こうに日常の夜が見えていた。


目の錯覚だったのだろうか。

仮面のことを考えていたから、そんなものが見えただけかもしれない。


つい先ほど、そこで出会った女と遊ぶ約束を取り付けたところだ。相手は着替えてから待ち合わせ場所に行くと言っていた。こんなこと、気にしている暇は無い。

頭を振って舌打ちし、オレは祭りの灯りから足早に離れていった。





木々の葉が、徐々に紅味を帯びる頃。


気持ちの悪い熱気はいつの間にか消え、涼しい風がオフィス街を吹き抜けている。

勤務先が変わって、オレは上機嫌だった。

秋は良い。夏の開放的な空気も悪いものじゃないが、この季節は汗をかかないからデオドラントスプレー類を持ち歩かなくても問題なくなる。服も多少洒落っ気のあるものを着れるし、この程よい気温が心地良い。


頭を少し触って、薄く茶色に染めてある髪をチェックする。

最近じゃ男もお洒落しないと、モテない世の中になった。

いかにも会社員的な地味な髪型じゃ、バカにされたり、髪型というただそれだけの要素で「暗い」とか「オタク」のレッテルを貼られるだけだ。

だが新しい場所での仕事は中々充実している。女子社員も多いし、前の場所よりも目立つことが出来る。良い気分だ。


一方で、頭の中に社長の顔や、元同僚達の顔が浮かんでくる。


あいつらはあそこで、ずっと地味なことをやってりゃいい。

オレはこの場所を足がかりに、もっと大きくなってやる。


職場のフロアに到着すると、全面ガラス張りの窓から差し込んできた朝の光が目を焼いた。先に来ていた女子社員の一人がこちらを見て、笑顔で挨拶をしてくる。それに答えるように、オレも笑顔を作った。爽やかな笑顔を。笑顔の仮面を。

2、3言軽口を交わす。社交辞令だ。そう、こんな会話は社交辞令のようなもの。

仕事もプライベートも、どれだけ自分のマイナス面を抑えて、相手にとって良く見せることができるかどうかがキーになってくる。そしてその積み重ねが、出世や自信に繋がっていくのだ。


問題は、どうすれば相手から良く見えるかだ。

その仮面をどうやって作るか。嘘っぽく見えたら意味が無い。

ただ、その仮面の作り方を一度覚えてしまえばこっちのものだ。そのテンプレートの通り、自分を形作る。演出する。それだけで良い。



陽が傾き、海へと沈んでいく。

青が紅へ移り変わり、やがて黒いカーテンが空を染め上げる。

眼下に広がるアスファルトの上を、おそらく帰宅しているのであろう車達の群れが、テールランプの灯火を引きずりながら走っていくのが見える。


ネオンの幻想的な輝きを写した窓は、同時に明るい室内の光景を反射させる。

ふと、窓に映りこんだ自分の顔が硬い表情になっていることに気付いた。

いつのまにか、こんな表情になっていたとは。

これじゃ周りにとっても話しかけづらいし、良い印象を残せない。


再び、爽やかに見えるように顔を作る。


時間は定時を過ぎ、数時間残業状態になっていた。

声のトーンが高くなるように意識してからお疲れ様の言葉を交わして、オレは勤務先を出た。勿論、その前に仲良くなった女子社員の一人と言葉を交わすことも忘れない。後でメールでも送っておくか。ひょっとしたらキープできるかもしれないしな。



ビルの自動ドアがガラガラと音をたてて開くと、すぐ前の大通りを車が行きかっていた。

道行く人々の列に加わり、駅を目指して歩く。



ヌルリ



涼しげな風の心地良さを実感していたオレを、

あの祭りの日に感じた、生ぬるい空気が包んだのは突然のことだった。



何だ。


気持ちが悪い。


誰かに見られている気がする。



脳裏の暗闇に、ひょっとこのお面がボウっと浮かび上がる。



面の下から、自分を見つめる視線。

ジっと、自分を舐めるように見ていたあの視線。


思わず足を止め、キョロキョロと周りを見回したが、それらしい人物は何も見えない。

ビルの隙間の影。場違いなほど明るさを湛えたコンビニの中。うつむきがちに歩くサラリーマンやOL達。路肩に止まり客を待つタクシー。

それらのいずれも、自分を見ている人物はいない。


なんとも形容しがたい気色の悪さを感じながら、オレは一人歩道の上に立ち尽くしていた。空はいつしか雲に覆われていたのか、星の輝き一つ見えなかった。






雪を連想させる冷たい寒気が町を包むようになり。


オレは、たびたびあの視線を感じるようになっていた。

それはいつも意図しない時に限って起こった。正直気味が悪い。

だがそんなことばかり気にしてはいられない。気にしている暇があったら、自分がより良く見えるように研究した方が自分のためになる。そう言い聞かせて考えないようにしていた。きっと気のせいだ。

こんなことでビクついていることがバレたら、せっかく定着しつつある仮面にヒビが入ってしまう。


新しい勤務先での仕事も、順調だった。

早くも業績に成果が出始め、思惑通り狙っていた女子社員とも深い仲になれた。

年末のイベントでも目立つことが出来たし、

年が明けてからもそれは変わりはない。


今日も定時であがり、相手と二人で飲みに行こうということになった。

手を繋いで歩道を歩く。社内恋愛は推奨されていないが、一度会社を出れば遠慮することは無い。まだ空は黒ではなく、灰色だった。



くだらない話をしながら歩いていると、ふと視界の隅に誰かが入った気がした。

気になってよく見てみると、ちょうどビルの横、明りがあまり届かない場所に、一人の女が立っているのが見えた。

普通なら気付かないほどの存在感だ。何をしているのだろう。


女は何か丸いものを手に持っている。

横を通り過ぎながら見てみると、それは小さな手鏡だった。

化粧でもチェックしているのか。


化粧も、言ってみれば仮面の一つだ。それ次第で相手の印象がガラリと変わる。

まあもっとも、あの女の雰囲気じゃ誰にも相手にしてもらえないか。


関係の無い、全く知らない他人だというのに、

無意識にオレはその女のことを嘲っていた。


「作り方」が下手なんだよ、と。




2人で軽く飲んでから、オレは家に帰ってきた。

前の勤務先ではこうはいかない。

こんな早い時間、飲んで帰ってこれるのも新しい環境のおかげだな。

そんなことを考えながら、優越感に浸る。


ソファに体を投げ出し、深く息を吐く。


静まり返った室内にいると、考えようともしていないのに、

最近よく感じるあの視線のことを思い出してしまう。


初めて感じたのはあの祭の日だった。

ひょっとこのお面をかぶった人物を見たあの時。


そして無機質なその面の視線。


いや、本当にあの時が初めてか?


ひょっとしたらそれより前から?




チャリチャリ



ふと、そんな音が聞こえた気がする。

金属がぶつりかり合う音だろうか。ぼんやり考えていると、今度はもっと具体的な音が室内に響き渡った。



ガチャリ



鍵だ。鍵の開いた音。オレの部屋の?


驚いてソファから飛び起き、ドアを見つめる。誰だ!

何の抵抗も無くドアが開いた瞬間、そこにいた者を見てオレは固まった。



こいつだ。



驚いた表情のそいつの目を見て、オレをヌルリとしたあの感覚が取り巻く。

去年の夏ごろから感じ始めた視線。

あのひょっとこのお面はこいつだ。直感がそう告げている。


知らず知らずの内に、自分の仮面が恐怖を帯びて引きつる。


ドアが開いてから何秒たったのだろうか。それとも一瞬かもしれない。

突如そのドアがバタンと音をたてて閉まる。

オレは今の奴を知っている。前の勤務先で同僚だった奴だ。

ビルの影で見た女みたいに「作り方」の下手な奴。気持ち悪い奴だった。


正体を知ったせいか、

言い知れぬ不快感と怒りのような感情が一気に吹き出て、

オレは思わず叫んだ。



おい!



そのままドアに向かって歩く。

ピッキングか、それとも合鍵でもあるのか、とにかく鍵が開けられたんだ。とっ捕まえてどうしてそんなことをしたのか吐かせてやる。


力任せにドアを開けると、

そこにはすでに誰もいなかった。外に出て通路を見渡すも、後姿すら見えない。

逃げられたのか。

急いで鍵をかけなおしてからマンションの階段を駆け下り、

さっきの奴が去っていったと思われる方向を暫く歩き回ったが、自転車にでも乗っていったのかどこにも奴の姿はなかった。


上がった息を落ち着かせながら自分の部屋に戻り、

ひとまずドアを閉め、鍵をかける。

念のためチェーンもしっかりかけておく。


先ほどのようにソファに身を横たえ、オレはどうすべきか考え出した。

常識的に考えて、今のは不法侵入だ。

今オレがもしいなかったら、部屋を荒らされていたかもしれない。

警察に電話するべきか?


しかし・・・



ここで警察を呼んだりして、オレの「仮面」が変わってしまわないかという奇妙な不安が渦巻いた。


せっかく「デキル男」の仮面が出来上がってきたところなのに、

こんなところでそれに傷を付けられてたまるか。一度この仮面が剥がれたら、二度目はない。印象と言うのは簡単に壊れる。そして修復するのはひどく時間がかかるのだ。


それと同時に。

一度吹き散らされた恐怖感と鈍く光る怒りが、再び自分の体を蝕んでいくのを感じた。

理由はわからないが、あの男はずっとオレを見ていた。


不思議と男の顔ではなく、あのひょっとこの面が脳裏に浮かぶ。


今までオレに気付かれないようにオレを見ていた。

そして、住んでる場所も知っていて、鍵も開けられる。これはどういうことだ。

気温のせいではなく、体が冷え込んでいくような感覚が襲ってくる。


考えた末、やはり警察には言っておくべきだと考えたオレは、110番で今あったことを伝えた。暫くして事情を聞いたパトロールがやって来てオレから情報を得た後、周辺の聞き込みや調査に向かったが、目撃証言も無く足取りはつかめなかったようだ。


それ以上進展が望めないということで、パトロールは一旦帰ってしまうことになった。

警察はオレに、念のため戸締りをしっかりするということと、何かあったら署に連絡してくれという旨を残して去っていった。

この対処には不満だったが、一度顔を見られて逃げ去ったのだ。今日中にあいつが再びここに来ることもないだろうと考え、渋々ながらそれを納得することになった。




12時を過ぎ、オレは念のため護身用のため置いていた金属バットを傍らに寝ることにした。



今日のところは大丈夫だろう。


無理やりそう思いこんでいた。


なのに。




ガチャガチャ




ドアノブが動く音がして、オレは飛び起きた。




チャリチャリ




また、あの音。まさか。


ドアに近寄り、覗き窓から外を見ると、あいつが立っていた。


何でだ。何でまた来るんだ。


あいつは別に不審なそぶりも見せず、鍵らしきものをドアノブに突っ込んだ。

開けようとしている。



この野郎っ!!



オレはそっとチェーンを外した。


何故そんなことをしたのか、今思うと悔やまれる。

武器を持っているという安心感なのか。それとも恐怖や怒りが混在してそうさせたのか。


ドアが開き、再び見えたそいつの頭に向かって、


オレは力いっぱい、バットを振り下ろした。




地面に転がったそいつの目が、オレを見ている。


その瞳に、能面のようなオレの顔が小さく揺らいでいた。




-<「面」終>-


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ