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「ウツロヒ」第2話



-「鍵」-


寒い。すごく寒い。


この季節に、外での仕事は辛いものがある。


俺は上司に指示されたとおり、納品用のダンボールを軽トラに積み込むべく、事務所と駐車場を行ったり来たりしていた。

1月下旬に入り、先日都内では雪が降ったばかりだ。刺すような冷気が軍手の網目の隙間から潜り込み、肌を冷たい火で炙っている。空はどんよりとした灰色の雲が太陽を隠し、吹き抜けていく風すらも同じような色をしているのではないかという錯覚を覚える。

それでもノルマを達成しようと、ただひたすらに動く。余計なことを生み出そうとする思考をシャットダウンし、何も考えず、目の前のことだけに注力する。それが結果的には、事務所の暖かい暖房の前にたどり着く近道になるのだ。


最後のダンボールを積み終わり、逃げるようにして事務所へ戻ると、ちょうど定時になったところだった。さっそく暖房の前に陣取り、軍手を外した手を温める。


あ~・・・暖けぇ~・・・


外気とのあまりの差に、ついつい間の抜けた声を出してしまう。

周りには俺の他は、社長と上司しかいない。



不思議だなあ。



続いて声が聞こえたような気がした。

あれ?今のは誰の声だ?上司か?


そう思って上司達のデスクを見るが、喋った様子は無い。

というよりも、その当の上司が怪訝な顔でこちらを見ている。何か書類をまとめている最中だったのだろう、デスクの上には分厚い資料の山と、書きかけの用紙が落ちそうになっていた。それを片手で抑えつつ、上司が口を開く。


何が不思議なんだ?


今度はこちらが怪訝な表情をしてしまう番だった。

何が不思議って、今のセリフは俺が喋っちゃったってことなのか。無意識に口走ってしまったのだろうか?そもそも自分が発した言葉だったとしても、何が不思議なんだか自分でもさっぱり解らないのであるが。

社長は相変わらずそんなことには無関心な様子で、これまた何かの書類と睨めっこをしている。自分のデスクに置いてあるお茶が明らかに冷え切っていることすら気付いていないのではなかろうか。


こちらの返事を待たずして、上司が続けて声をかけてくる。

「不思議と言えば、まさに不思議なのはお前のことだよ」と。全く意味がわからない。俺のどの辺が不思議だというのだろうか。

妙に思って聞き返すと、上司は呆れ半分の表情で口を開いた。



暫く前まで何か頼りなかったのに、最近になって急に精力的になったな。



その瞬間、石油ストーブの温風が、若干弱まったような気がした。


この事務所の中にあるたった一つの熱源。その熱源が弱ってしまうようでは困る。どうやら周辺の温度が上がりすぎたらしい。温度設定のボタンを数回押して設定温度を更に上げながら、そうかもしれないと胸中で同意した。


事務所内で暫く温まってからタイムカードを押して、お疲れ様の挨拶をしながら事務所を出た。温まっていた分、外の寒気が強烈に感じる。いつの間にか灰色から黒へ変貌を遂げた空を見ながら、肩をすくめて駐輪場へ歩いていく。

ダウンジャケットを着て少し膨らんだように見える自分の影が、事務所から遠ざかるにつれて段々と伸びていく。そしてまた別の灯りに照らされてその影は儚く消え、新しい影がぼんやりと浮かび上がってくる。灯りがあるたびに影は伸びたり縮んだりを繰り返し、その度に新しい影へと交代していく。


まるで、社会を表したようじゃないか?

そんなことを半ば自嘲気味に考えた。会社に入り、頭角を現すものもいれば、力を伸ばせずに淘汰される奴もいる。色んな部署があって、その中で出世したり辞めたり、新しい奴が入ってきたり・・・。社会はその繰り返しだ。


駐輪場に入り、自分の自転車を探す。この駐輪場は事務所があるビルの人口と全くつりあっていないキャパシティだから、受付のおっさんが整列しなおしてしまうのだ。そのために、時々自分の自転車が意図しない所に移動されてしまうことがある。

今朝自分が自転車を置いたところから1ブロック離れた所に、案の定自転車は移動されていた。

チャラチャラと金属的な音をたてるキーホルダーの中から自転車の鍵を探す。鍵が増えたせいか、ここの所探すのが面倒だ。

自転車のロックを外して跨ると、駐輪場を出て行く。



お疲れ様でーす。


おっさんの間延びした声を背に聞きながら、俺は自転車を強く漕ぎ出した。


風が。自分の顔を引っぱたきながら去っていく。



去年のことだった。ある人物にひどく馬鹿にされたことがある。今は別の勤務先で働いている奴だが、そいつは仕事もできて、イケメンで、女にもモテる。俺はそいつのことは嫌いではなかった。むしろ尊敬している部分もあった。

でもそいつはそいつ、俺は俺だって考えてた。でもそんなことがあってから、俺は考え方を変えた。そいつの仕事の仕方を研究して、どうやれば社内でうまく立ち回れるのかを徹底的に学んだ。そいつの仕草や話し方をいつもしっかり見て、どうすれば女にモテるのかなんてのことも考えた。服装も参考にした。それからだ。上司が感じているように、俺が変わり始めたのは。

今では仕事のスピードも段違いに速くなり、見違えるほどの成果が出ている。自信もついたせいか、女子社員から声をかけられることも増えた。



坂道にさしかかり、ペダルが重みを増す。

それでも考えている内容のせいか、気にはならない。

うっすらと街頭が照らすアスファルトの上を、速度を落とさず進んでいく。

向かい風はいつの間にか、追い風へと変わっていた。



俺は、変わることができたのかも。



いやいや、ちょっと熱く考えすぎたかな。

そもそもそんな暑苦しい考え方なんて、これまでの自分は・・・


考えたことあったかな??もう忘れた。



そんなことを考えながらひたすら自転車を漕いでいると、

いつの間にやら自分のマンションの前に到着していた。考え事をしていると、移動というのはいつもよりも早く感じる。更に気温自体は変わっていないのに、自分の家まで来たというだけで心なしか暖かくなったような気分になるから不思議だ。

足早にマンションの階段を登り、自分の部屋の前に着く。

ズボンの後ろポケットからキーホルダーを取り出し、自転車の時と同じように部屋の鍵を探す。


あった。


冷え切ったドアノブの鍵穴に差込んで回すと、無機質な音が通路に響いた。



ガチャリ



ノブを回転させ、扉を開く。

中には人がいた。


そこには、俺がいた。



部屋の中には既に俺がいた。

俺が俺の家の中から、驚いた表情でこちらを見て固まっている。



玄関口をはさんで、俺と俺が見つめ合っている。

こんなことがあっていいのだろうか。

あまりに突然のことに事態が飲み込めずにいるせいか、体が動かない。


ワァン・・・


羽虫が耳元を掠めるような、そんな音が頭の中で響いたような気がする。

まるで違う世界の扉を開けてしまったような。いや逆に何も無い、誰もいない空間に突如放り出されたような得体の知れない恐怖感が体に走るのと、部屋の中の「俺」の表情が恐怖を帯びて引きつるのとは同時だった。


とっさに、ドアを閉める。

表札は?

俺の苗字だ。間違いない。ここは俺の家だ。

じゃあ、今部屋の中にいた俺は一体誰なんだ。


頭が、今起きたことに追いついていかない。


そうこうしている内に、部屋の中から声がした。

「おい!」

バタバタと足音が聞こえる。部屋から玄関に来る足音だ。そしてこのドアを開けようとしてる。誰が?俺が。



うわっ!




気がつくと、自転車を漕いでいた。ひたすら漕ぐ。全力で。

さっきよりも闇を増したように見えるアスファルトが、濁流となって後ろへ流れていく。

漕ぎながら思い出す。あの時とっさに、ドアの前から逃げ出したことを。

訳が分らなかった。ただ得体の知れない恐怖感だけが自分の体を動かしている。

休むことなく必死に漕ぎ続け、いつの間にか隣町まで達してようやく、俺は自分の足を止めた。


真冬の空に、自分の吐く荒い息が煙草の煙のように消えていく。

嫌な汗が体を這い回っておさまらない。

肺から息を搾り出しながら、必死に自分を落ち着かせようとする。今起きた不可解な現象を整理しようとする。あれは確かに自分だった。顔、背格好、髪型、最後の声も。表札も間違いなかった。

ドッペルゲンガーという言葉が頭をよぎる。聞いたことがある。確か自分がもう一人現れるとかいうやつで、テレビのオカルト特集か何かでやっていた。出会ったら死んでしまうとか・・・。


頭を振って、嫌な考えを振り払う。

違う気がする。さっきのはそんなものよりも、上手く言えないが妙に生々しいものだった。幽霊とか怪現象とかそういうものではなく、確かにそこに生きている、生活している人間に見えたのだ。


暫くたってから、俺は携帯電話を取り出した。

電話帳から友人の番号を選び、電話をかける。今はとにかく、「俺」ではない誰かと話したかった。




駅近くの居酒屋で待ち合わせてやって来た友人は、俺の尋常ではない雰囲気に少々驚いたようだった。挨拶もそこそこに、まくしたてるように先ほど体験したことを話す。

有名な漫画のキャラクターのセリフを思い出した。

「自分でも何を言ってるのかわからない」

まさにその通りだった。友人はその間口を挟まず目を白黒させながら聞いていたが、運ばれてきたビールを一口飲むと、まあ落ち着けよ。と話し出した。


僕は霊感なんてゼロだし、そういうことにはあまり詳しくないけど。


そんなセリフが1番に出てきて、少々拍子抜けする。


友人は、尚も話そうとする俺を手で制しながら言葉を続けた。

一番可能性として高いのは、疲れていて幻覚を見たということだろう。ただ、もしそうでなければ、よく怪談話に出てくるドッペルゲンガーとかなんじゃないのと言う。

そしてそれでもなければ、パラレルワールドというのもあるのかもしれない、と。


あくまで友人はそういうものは信じていなかったが、こちらの切迫した様子を見て色々考えてはくれたようだ。

パラレルワールドというのは並行世界のことであり、時間の流れの中にある様々な分岐点から、同じ時間軸内で複数の世界が平行して成り立っている。という解りづらいものらしい。

いまいち飲み込めない俺の様子を見て、友人はこれまた有名な某猫型ロボットの登場するアニメの名前をあげた。

あれの「もしもボックス」で作られた世界と、そうではない世界が同じ時間内に存在していて、その扉みたいなものを偶然俺が開けてしまったのではないか。


そんなSFというか、非現実的なことがこの世に起こるわけが無い。

でもそうとでも考えないと、俺が今体験したことの説明がつかないのだ。

では、その扉だか何だかわからないが、その鍵を俺が持っていて、開けてしまったというのだろうか。そんなバカな話があるわけない。あるわけないが・・・。


何とも判断がつかず、酒を前に俺は黙り込んでしまった。

しかし一通り話すことが出来たせいなのか、それとも友人の突飛な意見を聞いたからなのかはわからないが、少し落ち着けたようだ。



中ジョッキの外側にびっしりとついた小さな水滴が、他と合わさって大きくなり、机へと落ちていく。


それを見ながら、俺はあることに疑問を持った。

友人はそういうのは一切信じないし、霊感もゼロだと自称している。それなのに、何故こんな突拍子も無い話を聞いて、意見まで述べてくれたのだろう?

それに対して、友人は頭を掻きながらバツが悪そうに答えた。


実は僕も最近、家で変なことがあってさ。ちょっと気味が悪かっただけだ。



どれくらい時間がたったろうか。

その後は、他愛も無い話ばかり花を咲かせた。既に時間は12時を回っており、俺も落ち着きを取り戻していた。結局、俺が体験したことは「疲れていて幻覚を見た」ということで一応結論をつけることにして、俺達は別れた。


別れ際、友人は俺に言った。


最近仕事で急激に変わったみたいだけど、あまり無理するなと。

そして手を振りながら言葉を投げてきた。



またな、スミダ。




お互い少し酔っているみたいだった。あいつも友人の名前まで間違えてた。

俺も少し気が楽になったせいか、酔いが思った以上に回っている。

自転車を漕ぎ、再び自分のマンションの下についた時には、さっき逃げ出した時の動揺はほとんど無くなっていた。


そうさ。疲れていて幻でも見ちゃったんだろう。


そういえば、さっきは鍵を開けたまま逃げてしまった。

やばいやばい。この間に空き巣でも入られたら笑えない。


通路を歩いて、自分の部屋の前まで来る。



ドアノブに手をかけてから、少し躊躇する。


また俺がこの中にいたら。



まさか。頭を振ってその妄想を追い出し。

さっきよりも冷えたように感じるドアノブを回す。


あれ?おかしいな、ドアが開かない。

ガチャガチャと音をたてて何度か回してみても開かない。

鍵がかかっている。


さっきと同じように、ズボンの後ろポケットからキーホルダーを取り出し、

鍵を探す。


焦ってるのか、いつもより時間がかかる。

通路に、チャリチャリと金属的な音が響く。

どうしてかな、昔はすぐ鍵を見つけられたのに、最近は上手く見つけられない気がする。


鍵を探し当てて、それをドアノブに差込み、回した。


ガチャリ。


開いた音。おかしいな。どうしてさっき開けたはずのドアに鍵がかかってるんだ。


さっきのことが頭をよぎって、念のため表札を見る。





カケイ





間違いない。ここは俺の部屋だ。

ドアを開けて、中に入ってさっさと寝よう。



ドアを開けたのと同時だったかもしれない。

何か硬いものが、頭に振り下ろされたんだと思う。



最後に見えたのは、


倒れたオレを見下ろす、俺だった。




-<「鍵」終>-


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