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The Trip and Talk  作者: スカラベ
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1夜目 そうだ、旅に出よう

 大人達が寝静まる頃、ベッドから少年が抜け出す。

 恐らくエレメンタリースクールに通い始めたくらいであろう彼は、水色と濃い青色をした2種類の線が、縦にいくつも走るパジャマを着ている。スリッパは少し大きめ、歩く度に音がなる。

 廊下を抜け、玄関でスリッパをキャラクター物の運動靴に裸足のまま履き替える。

 目的地は、庭にある離れ家。年のせいで電子機器の発する電磁波が苦手な祖父の為に、両親が設けた。尤も、最初はただのプレハブだったが、祖父はその歳を思わせない働きぶりで増設していき、今やレンガの煙突がついている辺りでは珍しい小屋となっている。

 缶に入ったコーヒーとココアをそれぞれ手に持ち、芝の絨毯を駆け抜け、両親の部屋から見えるであろう場所をなんとか潜り、祖父の住む家へ向かう。

 それが、この少年が老人から合鍵を貰ったその日からの日課だった。


「お爺さん、起きてる?」

 橙色の炎は消えて、ルビーのような炭の残る暖炉の前、椅子に腰掛けた老人がゆらゆら揺れている。眼鏡をかけ、表紙も中身も堅そうな本に目を落としていたが、自分に話しかける少年に気がつくと本を閉じ、にっこり笑った。

 少年の方は、老人が2日かけて作ってくれた自分の椅子を引っ張って、丁度真向かいに座る。

「ああ、起きているよ。今日も眠れないのかな?」

 たくわえられた髭は、丸く肉付きの良い顔をより柔らかく見せている。髪は頭頂の辺りが前線として残っている程度で、その残りも雪のようにとは言わずとも真っ白だった。

 関節がごつごつした手で、少年の頭を撫で付ける。少年が老人にこうされるのが好きであったように、老人もまた、毎晩遊びに来る孫が好きだった。

「折角の髪が台無しじゃないか」

 所々はねている少年の髪が、老人の手で元のクセの無い状態に戻っていく。

「ありがとう、お爺さん。はい、これ」

 少し冷えてしまった

「ああ、ありがとう。暖炉で暖めるとしよう」

 お手製のレンガで作られたそれの上に、2つの缶の液体で満たされたやかんをぶら下げる。ついでに、薪をいくつかくべる。

「さあ、今日は誰の話をしようか。盲目のアンドロイド・ハンター? 旅芸人に扮する義賊? 雪山の頂で独り働く役人? それとも――」

「お爺さん」

 少年がもじもじと下を向いて言うので、老いの為に耳が遠い老人はよく聞き取れなかった。そろそろと顔をあげようとする少年と老人の目が合い、少年の方は驚いて目線が下がり、頬と耳が暖炉の炭のように、みるみる赤く染まっていった。

「なんだって?」

 孫の緊張を解すように優しく言う。そうすると少年は、上下左右、様々な方向を泳いでた目を老人に向け、

「お爺さんの話が聞きたいんだ」

 そう言ってまた、首を折ってしまった。

「私の話か? 何でまた?」

 老人は心底驚いた。普段は自分と同じように古いアクション映画の話や、ワールドリーグで活躍する野球選手の話、つまり自分とは全く関係の無い話の方が好きな孫が、自分の話をしてくれと頼んだからだ。

「お爺さん、僕くらいの頃は旅をしたんだよね。その話、聞きたいなー、って」

 両手の指を握ったり離したり組んだりしながら、自分の希望を伝える。

「ああ、あれはとても長い旅だった。全部話すには何日もかかるかもしれない、大丈夫かな?」

「大丈夫だよ、お爺さん」

「それじゃあ、話をしよう。まずは旅に出る切っ掛けから、あれは今から何十年も昔だ――」


「ケンジ! 早くご飯の支度をしなさい!」

 アルコールとタバコでつぶれてしまった喉から出てくる声は、聞いていてあまり気持ちの良いものではなかった。

 そう、その日も朝早くから2人の大人と2人の姉に兄、あとは3人の弟と妹の洗濯物を干していた。南の方の地域にも雪の降る時期でね、自分の服が濡れるのも構わずにせっせと物干し竿にかけていたよ。母さんに怒鳴られながらね。

「今すぐ行きます」

 私はいつも通り返事をして、洗濯かごをそのままにキッチンへ向かった。洗濯と料理と掃除、それがまだ7つの私の役目だった。

 朝早くから洗濯、朝御飯をこしらえて、弟や妹の世話をしながら片付け。それを夕方までやったら干していた洗濯物を部屋に運んでアイロン。最後に夕食の準備と片付けで、1日の仕事は終わりだった。

 その日のメニューはスクランブルエッグとウインナー、ちょっとしたサラダにトーストをして、一番下の妹にはミルク、今でもはっきり覚えているさ。

 朝食を済ませて、昼食も腹に収めて、兄弟の世話をしていると、母さんがまた癇癪を起こした。やんちゃな弟が、皆のおやつにと思って作っておいたミキサーの中身をぶちまけたんだ。そして、片付けを終えてヘトヘトになった私に向かってこう叫んだ。

「お前なんか、出ていけ!」

 それからが大変だったよ。小学校――まだエレメンタリースクールのことを小学校と呼んでいたんだが、そこにすら通っていない私は愚かで、そして日頃の疲労とがのし掛かってきていたもので真に受けてしまった。

 私の本当の母さん、ああ、その時私を怒鳴り散らした母さんは2人目の母さんでね。産んでくれた母さんは前の年に亡くなってたんだ。父さんは2人目の母さんと再婚したんだ。

 ともかく、産んでくれた母さんが亡くなる前にくれたリュックにいろんな物を詰め込んだ。母さんとの思い出の品や、遺してくれた物が中心だった。色んな道具が1つに収まっているナイフ、山に釣りに行ったときの仕掛け、ボーイスカウトが着けてるよりも大きな黄色のバンダナ、そしてお金。

 何か目的地があるわけでもなかった。その頃の私は日本語しか喋れなかったから、言葉が通じるなら何処でもよかった。終点なんていらなかった。

 不意な話で無計画。外に出るなんて考えてもみなかったから、それは興奮したね。

 斯くして、私の旅はゴールも見えないまま、突然スタートを切った。

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