『Bランクの荷物持ちは囮に丁度いい』と裏切られた俺、死にたがりの裏ボス【魔神オルクス】と契約してデスゲームTRPGを開始する~ダイスでステータスもスキルも全て奪い、目覚めた奴らを皆殺しにした件~
鋼が肉を断ち切る音というのは、それが自分自身の腱である時、驚くほど鈍く響くものだ。
「悪く思うなよ、ノエル。どうせ八十キロの背嚢を背負ったままじゃ、階段まで走り切るなんて無理だったんだからな」
Sランクパーティー『黄金の炎』のリーダー、聖剣士のヴァンスは、俺を一瞥すらすることなく聖剣を鞘へと収めた。
俺は第五十階層の黒曜石の床に膝をついた。
切り裂かれた右足首から噴き出す熱い血が、擦り切れた革靴を濡らしていく。昨夜一晩中、こいつらの鎧を磨いていたせいで、自分の靴だけは修理する時間がなかったのだ。
「ヴァンス、頼む……!」
俺は奥歯を噛み締め、傷口を押さえながら呻いた。
「クロエ! 下級治癒でいい、魔力(MP)は5しか使わないはずだ! 立てるようになるだけでいいから!」
パーティーの聖女であるクロエは、胸の前で両手を組んだ。
その天使のような顔に、ギルド広場の群衆を感動させるために完璧に計算された「偽りの悲痛な表情」が浮かぶ。
「本当にごめんなさい、ノエルくん! さっきの通路で……魔力を全部使い果たしちゃったの! もう一滴も残っていないのよ、本当よ! あなたの尊い犠牲に、光の神々のご加護がありますように!」
嘘だ。
彼女の魔力がどれだけ残っているか、俺は正確に把握している。なぜなら、彼女が飲むポーションの数を毎日管理しているのは俺なのだから。
「急げクロエ、Bランクのゴミと喋ってる暇はねぇぞ!」
重装戦士のギャレットが忌々しげに吐き捨てた。
巨大な鎧に身を包んだ男は、俺の横を通り過ぎざまに鋼鉄の脛当てで俺の胸板を思い切り蹴り上げ、広大な部屋の中央へと俺を転がした。
さらにギャレットは、肩に掛けていた四十キロの未精製鉱石が詰まったサブバッグを外すと、俺の両足の上に乱暴に投げ落とした。
「最低でも二分間はあの化け物を足止めしなさいよ、荷物持ち!」
魔導師のリリアが、宝石の飾られた杖を天井に向けながら甲高い声で叫んだ。
「あんたをパーティーに入れてやってから、初めて役に立つ仕事じゃない!」
放たれた火球が入り口の上の柱を砕いた。
轟音とともに巨大な岩盤が崩れ落ち、わずかな隙間だけが残される。レベル90を誇る四人の「英雄」たちは、沈みゆく船から逃げ出すドブネズミのように互いを押し退け合いながら、その隙間から通路へと逃げ去っていった。
彼らの足音が遠ざかり、やがて消える。
隠された王座の間には、墓場のような静寂が落ちた。
俺は四つの巨大な背嚢の下敷きになりながら、自分の血溜まりの中で床に這いつくばっていた。
背後にある高さ十メートルの錆びついた剣の玉座から、重々しい足音が響き始める。
一歩ごとに床が震え、喉を焼くほど濃い漆黒の瘴気が空気を満たしていく。
【迷宮裏ボス:奈落の魔神オルクス ―― レベル:???】
血のように赤いシステム文字が、俺の網膜に浮かび上がった。
永き時によって焦げ付いた漆黒の鎧を纏う巨人が、俺のわずか二歩手前で足を止めた。
角の生えた兜の奥から、燃え盛る炭火のような双眸が俺を見下ろしている。その手に握られた大剣は、成体の竜を一刀両断できるほどの巨体だった。
俺は目を閉じなかった。祈りもしなかった。
ポケットから常に予備として持ち歩いている端切れの革紐を取り出すと、切り裂かれた足首の上を強く巻き、歯を使って結び目を作って止血した。
それから、魔神の目を真っ直ぐに見据えた。
オルクスが大剣を高々と振り上げる。
――そして、ピタリと止まった。
魔神は刃を下ろし、俺の仲間たちが逃げ去った通路を見つめ、それから再び俺を見た。
次の瞬間、柱の塵をすべて吹き飛ばすほど深く、苛立ちに満ちた溜息を吐き出した。
「……おい、冗談だろうが!?」
魔神の声には、怪物じみたおぞましさなど微塵もなかった。
そこにあるのは、神経衰弱寸前の男が上げるヒステリックな怒りの響きだった。
オルクスは大剣を床に突き刺すと、石の階段にドカリと腰を下ろし、両手で兜を抱え込んだ。
「三千年だぞ!」
裏ボスは天井に向かって吠えた。
「この俺を殺せるだけのステータスを持ったSランクパーティーが来るのを、このジメジメした部屋で三千年も待っていたんだ! 不老不死がどれだけ退屈か分かるか!? 俺はただ、栄光ある死闘がしたかっただけだ! 誰かにこの首を刎ね飛ばしてもらって、永遠の無へと還りたかっただけなんだぞ!」
魔神は装甲に覆われた指で俺をビシリと指差した。
「今の四人のピエロどもは、全員レベル87を超えていた! 聖剣を持ち、魔力は満タン、強化された盾に最高級のポーションまで揃えていた! 四人掛かりで俺に挑んでくれば、68パーセントの確率で俺を殺せていたはずだ! それなのに何だあれは!? 最初の咆哮で小便をちびり、レベル24の荷物持ちの足を斬りつけて、剣すら抜かずに逃げ出すだと!?」
オルクスは心底うんざりした様子で、黒い炎を床に吐き捨てた。
「俺は戦神であって、物乞いの虐殺者じゃねぇ。仲間に裏切られた丸腰の荷物持ちを踏み潰して、何の誉れがある? 死ぬ気すら失せたわ」
俺は足首の止血帯を締め終えると、手の甲で唇についた血を拭った。
「もしあいつらが戦っていたとしても、勝率は68パーセントじゃありません。ゼロです」
俺は掠れた、だが落ち着いた声で言った。
オルクスが首を傾げる。
「ほう? そりゃまたどうしてだ、小僧」
「あの四人の馬鹿は、自分たちの装備がどうやって動いているかすら理解していないからです」
俺は痛みの代わりに、冷たく澄み切った氷のような思考が胸の内に広がっていくのを感じながら答えた。
「ヴァンスの剣を研ぎ、奴に気づかれないよう麻痺毒を塗っていたのは俺です。ギャレットの盾を修理していたのも俺。リリアのポーションを安定させ、クロエの横領を隠蔽していたのも俺です。俺がいなければ、あいつらはゴブリン四匹以下の価値しかありません」
オルクスの炭火のような目が、暗闇の中でギラリと輝いた。
巨体を前に傾け、巨大な兜の顔を俺の目の前へと近づける。
「お前の目には、恐怖の欠片もねぇな、人間。あるのは真っ黒で、濃厚で、純粋な憎悪だけだ。……気に入った」
魔神がパチンと指を鳴らした。
俺たちの間の床から、小さな物体がせり上がってきた。
古代の何らかの生物の骨を削り出して作られた、黒い『百面ダイス(1d100)』だった。
「契約をしようぜ、荷物持ち」
オルクスは獰猛な笑みを声に滲ませて提案した。
「あの四匹のウジ虫どもは、まだ上の階への階段に辿り着いていない。俺の権能を使えば、時間を圧縮し、奴らの精神を『地獄のゲームセッション』へと叩き込むことができる。この迷宮での三秒間が、奴らの頭の中では数時間に相当する。奴らは自分がすでに迷宮を脱出し、街の酒場で祝杯を挙げていると錯覚するはずだ」
彼は黒いダイスを俺へと差し出した。
「お前がディーラー(親)だ。そして俺がゲームマスター(GM)になる。奴らにはダイスロールで、自分の持つすべてを賭けさせる。レベル、ステータス、伝説のスキル……。テーブルの上で奴らが失った力はすべて、現実世界のここでお前の肉体へと引き渡される」
オルクスが俺の切り裂かれた足首を掴んだ。
生温かい黒い炎が肉を包み込み、わずか一瞬で腱が繋がり、以前よりも強靭に再生した。
「見返りに求めるものはただ一つ」
俺を立ち上がらせながら、オルクスは言った。
「お前が奴らの力をすべて喰らい尽くし、この部屋で最強の存在になった時……その力を使って俺を殺し、今度こそ永遠の安らぎを与えろ。乗るか?」
俺は骨のダイスを拳の中に握りしめた。冷たく、ずっしりとした重みがあった。
「契約成立です、オルクス様」
俺は微笑んだ。
「ただし、ハウスルールは俺が書かせてもらいます」
* * *
「哀れなノエルの冥福を祈って! ボスの胃袋の中で安らかに眠れ!」
街で最も豪華な酒場『黄金の牡鹿亭』のVIP席で、下品な哄笑が弾けた。
ヴァンスは金貨五十枚はする年代物のワインが注がれたクリスタルグラスを掲げ、ギャレット、リリア、クロエと杯を合わせた。
周囲の席では、下位ランクの冒険者たちが羨望の眼差しで彼らを見つめている。テーブルの上には、とても食べきれない量のロースト肉やジビエ、高級菓子が山積みにされていた。
「ノエルがパニックになって化け物の口に自分から飛び込んだって報告した時の、ギルドマスターの顔を見たか?」
ギャレットが猪の骨付き肉を歯で食い千切り、まだ半分以上肉が残っている骨をテーブルの下へと放り投げながらゲラゲラと笑った。
「おかげで今月のあいつの分け前すら払わずに済んだぜ! 金貨二百枚の丸儲けだ!」
「せいせいしたわ」
リリアが絹のハンカチで顔を扇ぎながら吐き捨てた。
「あいつ、いつも濡れた革と薬草の臭いがして不快だったのよ。どうせ才能のないBランクなんだし、『黄金の炎』のために死ねたんだから感謝してほしいくらいね」
「可哀想なノエルくん、今夜は私、彼のためにお祈りするわ」
クロエが蜜のように甘い声で相槌を打ちながら、テーブルの下でこっそりとパーティーの共有財布から金貨を三枚抜き取り、自分の袖口へと滑り込ませた。
――バァンッ!!
酒場の正面扉が激しく開き、壁に叩きつけられた。
夜の冷たい風が店内に吹き込み、ロウソクの火の半分が一瞬で吹き消される。冒険者たちのざわめきが喉の奥で凍りついた。
入り口に立っていたのは、俺だった。
右足首のあたりには乾いた血がこびりついていたが、俺の足取りは確かで、真っ直ぐで、静かだった。
石のように固まった群衆の視線の中を歩き抜け、俺は四人のSランク英雄たちの宴席の目の前で足を止めた。
ヴァンスの手からグラスが滑り落ち、床で粉々に砕け散った。
「ノ、ノエルだと……!?」
リーダーの顔から血の気が引いた。
「どうして生きている!? 俺たちは……天井を崩したはずだ! ボスはお前のわずか二メートル後ろにいたんだぞ!」
俺は答えなかった。
空いている椅子を一脚引き寄せ、テーブルの上座に静かに腰を下ろした。
そして掌を開き、彼らが食べ残して無駄にしている皿の真ん中に、黒い百面ダイスを落とした。
カラン、コロン、カラン……。
ダイスが止まった瞬間、テーブルの木目から黒い炎の衝撃波が噴き出し、酒場全体を包み込んだ。
店内にいた他の客たちは全員、ジョッキを宙に掲げたまま塩の柱のように固まり、恐怖に見開かれた目玉だけを動かして俺たちのテーブルを見つめることしかできなくなった。
ヴァンス、ギャレット、リリア、クロエの四人は武器を抜こうと立ち上がりかけたが、彼らの腰と両足は見えない鉛の鎖で椅子に溶接されたかのようにピクリとも動かなかった。
ご馳走の皿がテーブルの木の中へと沈み込んでいく。
代わりにテーブルの表面が隆起・変形し、迷宮第五十階層の部屋を完璧に再現した三次元のジオラマ(盤面)へと姿を変えた。その上には、彼ら四人に生き写しの小さな塗装済みミニチュア駒が四体置かれている。
俺の背後には、腕を組んだオルクスの巨大な影が実体化し、天井のシャンデリアを覆い隠した。
黒と真紅に彩られたシステムウィンドウが、全員の目の前に浮かび上がる。
【TRPGセッション開始:臆病者たちの部屋】
【ゲームマスター:魔神オルクス / ディーラー(親):斥候ノエル】
『テーブルへようこそ、三流の英雄ども』
オルクスの声が、場にいる全員の脳内に直接響き渡った。
『貴様らは戦うことなく俺の部屋から逃げ出した。ここではその逃走劇を、全4ターンで再現してもらう。だが、他人を犠牲にするのが大好きな貴様らのために、三つのシンプルなルールを用意した』
魔神が装甲に包まれた三本の指を立てた。
【ルール1:ステータスの賭け(ベット)】
百面ダイス(1d100)を振って自分のターンを生き残るには、プレイヤーは自身の『レベル』『ステータス』『スキル』を賭けなければならない。盤上のミニチュアが受けた苦痛は、100%そのまま現実の肉体に適用される。ダイスロールに失敗した場合、賭けたものはすべてプレイヤーから剥奪され、即座に親へと譲渡される。
【ルール2:リアル・メンテナンス】
ダイスロールの成功確率はプレイヤーの名声ではなく、現在身につけている装備の『実際の物理的状態』に基づいて算出される。
【ルール3:スケープゴート(生贄)】
ダイスを振る前、プレイヤーは受ける肉体的ダメージの50%を、同じテーブルに着いている他の仲間一人に押し付けることができる。
「何だこの茶番はァ!?」
ギャレットが丸太のような腕の筋肉を膨らませ、椅子の肘掛けを引きちぎろうともがきながら怒鳴った。
「サイコロ遊びだと!? てめぇは薄汚いBランクだろうが、ノエル! どんなイカサマを使ったか知らねぇが、俺たちのステータスはSランクだ! パラメータ判定のダイスで俺たちが負けるはずがねぇだろうが!」
【ターン1:重装戦士ギャレット】
【盤面の状況:ボスの大剣が頭上から振り下ろされる。ギャレットはパーティーを守るため、タワーシールドで一撃を受け止めなければならない】
「ハッ! ただ防御すればいいだけかよ!?」
ギャレットはテーブルに唾を吐き、高笑いした。
「俺の防御力は940、しかも装備しているのは『ドワーフ王のタワーシールド』だ! 望み通り全部賭けてやるよ! 俺の【レベル88】、【筋力】、ユニークスキル【アダマンタイトの肉体】、ついでに俺の両腕も全部ベットだ! この盾があれば成功率は最低でも95パーセントはあるはずだぜ!」
システムウィンドウに初期計算が表示される。
【ギャレットの基本成功率:94%(01〜94の出目で成功)】
ギャレットがダイスを掴もうと手を伸ばした瞬間、俺は人差し指を一本立てた。
「待ってください、マスター。『ルール2:リアル・メンテナンス』の適用を申請します」
俺はテーブルの上で指を組み、微笑みながらギャレットを見た。
「なあギャレット、昨日の夜、宿屋で言ったことを覚えているか? お前の盾の中央の留め金にヒビが入っているから、鍛冶屋でミスリル製のボルトを買うために銀貨五枚が必要だって俺は言ったよな」
ギャレットが眉をひそめた。
「あぁ!? たかがボルトごときに俺の金を出すかよって言って、てめぇの頭にジョッキを叩きつけてやっただろうが!」
「その通りだ」
俺は静かに頷いた。
「そしてお前が銀貨五枚を出さなかったから、俺はミスリルのボルトを買わなかった。今朝、お前の盾の装甲板を繋ぎ止めるために俺が使ったのは、馬小屋のゴミ箱から拾った『腐った麻紐』に銀色のペンキを塗ったものだ」
ギャレットの顔から笑みが消えた。
「てめぇ……何をしたって……!?」
「今この瞬間、お前が背中に背負っているその盾の構造強度は、腐った木の鍋蓋と同等だ」
システムウィンドウが赤く点滅した。
【装備の物理検証完了:腐った麻紐による固定を確認。防御力ペナルティ:-92%】
【更新後の成功率:2%(01または02の出目のみ成功)】
「なっ、待て! 嘘だ、こんなの無効だァ!」
冷や汗を滝のように流すギャレットの腕を、オルクスの黒い影が強制的に動かし、黒いダイスを投げさせた。
骨のダイスがジオラマの上を転がる。
【ダイスロール(1d100)➔ 出目:98 ―― 致命的失敗!】
盤面の上で、ミニチュアの盾が木っ端微塵に砕け散った。
それと全く同じ瞬間、現実でもギャレットの背中に括り付けられていた本物のタワーシールドが、千切れた麻紐と金属片の雨となって爆発した。
ゴキッ、バキィッ! と恐ろしい破砕音が店内に響き渡り、巨漢の戦士の両腕が椅子の肘掛けの上であり得ない方向へとへし折れた。
「ぎゃあああああああっ!! 俺の腕が! 俺の腕があああっ!!」
ギャレットが血を吐きながら絶叫する中、彼の胸から眩い黄金の光の奔流が無理やり引き剥がされ、俺の胸へと真っ直ぐに飛び込んできた。
俺の筋肉が膨張し、骨が溶けた鋼鉄のように高密度化し、インターフェースの数値が凄まじい勢いで跳ね上がっていく。
【プレイヤー『ギャレット』はレベル1に降格。筋力:5】
【親がレベル56に上昇! ユニークスキル【アダマンタイトの肉体】を獲得!】
「狂ってるわ……こんなの悪夢よ!」
隣で苦悶にのたうち回るギャレットを見て、リリアが死人のように青ざめながら悲鳴を上げた。
【ターン2:魔導師リリア】
【盤面の状況:ボスが前進する。リリアは純粋魔力エリクサーを飲み、極大氷結魔法『コキュートス・ランス』を放って足止めしなければならない】
「わ、私は今すぐルール3を使うわ!」
リリアは一秒のためらいもなく、呻いているギャレットを指差して叫んだ。
「肉体ダメージの50パーセントを、この役立たずのギャレットに押し付けるわ! そして私の【レベル89】、【魔力1120】、ユニークスキル【無詠唱】、それから私の『声』を賭ける! どうせ私は麻紐で修理するような武器なんて使ってないもの! 私の杖は本物だし、ポーチに入っているポーションは錬金術ギルドで買ったSランクのエリクサーよ!」
【リリアの基本成功率:89%】
「マスター」
俺は掌に顎を乗せ、穏やかな声で言った。
「ここでも、リリアがポーチに入れているエリクサーに対してルール2の適用を申請します」
リリアが血走った目で俺を睨みつけた。
「ハッタリはやめなさいよ、下僕! そのエリクサーは昨日の夜、私の目の前で濾過させたばかりじゃない!」
「ああ、そうだな」
俺は答えた。
「三日前、お前は俺の顔に煮えたぎった薬瓶を投げつけたよな。『標準のエリクサーは苦い後味が残って、私のいい香りの息が台無しになる』と言って。そして、液体がシロップみたいに甘くなるまで、底に沈んでいる黒い粉末をすべてフィルターで取り除けと俺に命じた」
「当然でしょう! あの苦いカス、吐き気がするほど不味かったんだから!」
「その『苦いカス』はな、親愛なるリリア、黒マンドラゴラの根の粉末だ」
俺は一音一音を噛み締めるように説明した。
「高濃度に圧縮されたSランクの魔力が、肺の粘膜に触れた瞬間に沸騰するのを防ぐための、唯一の錬金術的安定剤なんだよ。つまり、今お前の小瓶に入っているのはエリクサーじゃない。ただの『不安定な魔力強酸』だ」
【アイテム検証完了:所有者の命令による安定剤の除去を確認。魔力逆流確定ペナルティ:-88%】
【更新後の成功率:1%(01の出目のみ成功)】
「え……!? 嫌よ! 飲まない! 私はダイスを振らないわ!」
泣き叫ぶリリアの指が勝手に跳ね、黒いダイスを盤面へと放り投げた。
【ダイスロール(1d100)➔ 出目:99 ―― 致命的失敗!】
盤面の上で、魔導師のミニチュアが蒼い霧となって破裂した。
テーブルの横では、押し付けられた50パーセントのダメージによってギャレットの肋骨が砕ける音が響き、同時にリリアの喉から蒼い蒸気が噴き出した。
貴族出身の魔導師は首を両手でかきむしり、悲鳴を上げようと口を大きく開けたが、その唇からはもはや何の音も出なかった。ヒュー、ヒューという掠れた呼気だけが漏れる中、彼女が誇った膨大な魔力の海がすべて俺の体内へと吸い込まれていく。
【プレイヤー『リリア』はレベル1に降格。魔力:0。声を喪失】
【親がレベル79に上昇! ユニークスキル【無詠唱】および魔力1120を獲得!】
テーブルに残されたのは、クロエとヴァンスの二人だけになった。
聖女は歯の根が合わないほど激しく震えていた。彼女は俺を見つめ、次にヴァンスを見つめると、すぐさま美しい頬に大粒の涙をポロポロと流し始めた。
「ノエルくん! ノエルくん、聞いて!」
クロエは誰よりも甘く、悲痛な声で懇願した。
「私はあなたを置いていきたくなかったの! 全部ヴァンスがやったことよ! 私、彼に脅されて……! それに迷宮で魔力が切れていたのは本当なの、光の神々に誓うわ! もし魔力が1ポイントでも残っていたら、絶対にあなたを治していたわ!」
【ターン3:聖女クロエ】
【盤面の状況:ボスの怒りを鎮めて即死攻撃を回避するため、クロエは『神聖なる誠実さの試練』を突破しなければならない。迷宮で本当に魔力が尽きていたのであれば、自動的に成功となる】
「はいっ! 私はそれに賭けます!」
クロエは希望にすがりつくように叫んだ。
「私の【レベル87】、ユニークスキル【聖女の祝福】、そして私の生命力を賭けます!」
「本当にいいのか、クロエ?」
俺は首を傾げた。
「ゲームマスターのシステムは、お前の口先だけの言い訳なんて聞かない。逃走した瞬間の、お前のインターフェースとインベントリの履歴を直接読み取るんだぞ」
俺はテーブルをバンと平手で叩いた。
「マスター。第五十階層にいた時の、クロエの本当のステータス画面を全員に見せてやってください」
オルクスが低く笑い、酒場中の全員から見える巨大な光のスクリーンをテーブルの上空に投影した。
【システム履歴照会完了 ―― プレイヤー:クロエ】
・ノエル放棄時点の残存魔力(MP):1450 / 1450(100% ―― 完全満タン)
・個人インベントリ内の隠匿所持品:ヴァンスの個人財布から密かに盗み出した金貨4200枚 / ギャレットを言いなりにするため毎晩彼のワインに混ぜていた『従順の毒薬』3瓶。
酒場の中に、凍てつくような沈黙が落ちた。
ヴァンスの首が、ギギギ……と音を立てるようにゆっくりとクロエの方へ回った。聖剣士の額には、今にも破裂しそうなほど太い青筋が浮き上がっている。
「てめぇ……このクソ売女が……ッ!!」
ヴァンスは口から泡を飛ばして呻いた。
「俺の金が消えていたのはてめぇのせいか! そしてあの馬鹿のギャレットがいつもお前を庇っていたのも、毒のせいかァッ!」
「ち、違うのヴァンス、説明させて……!」
「リアクションでルール3を使うぞ、ゲームマスター!」
ヴァンスがオルクスに向かって咆哮した。
「この泥棒女のミニチュアを叩き潰して、盤面で俺の肉の盾にする! それを次の俺のターンのボーナスにしろ!」
『承認しよう!』
オルクスが愉快そうに轟いた。
【仲間割れ成立! 神への偽証およびリーダーからの背面攻撃によるペナルティ:-95%】
【ダイスロール(1d100)➔ 出目:96 ―― 致命的失敗!】
神聖なる恩寵の黄金の光がクロエの体から一気に抜け出し、俺の胸へと流れ込んできた。
わずか一秒で、彼女があれほど誇っていた陶器のような肌と艶やかな髪から生気が失われ、レベル1の抜け殻となって椅子の上にぐったりと崩れ落ちた。
【親がレベル94に上昇! ユニークスキル【聖女の祝福】を獲得!】
これで、残るは一人だけ。
偉大なるリーダー、レベル92の聖剣士ヴァンス。
彼は潰れた仲間たちの体に囲まれ、たった一人でテーブルに残されていた。小刻みに震えてはいたが、その瞳にはまだ「自分こそが世界の主人公だ」と信じて疑わない傲慢な光が宿っていた。
【最終ターン(ターン4):聖剣士ヴァンス】
【盤面の状況:ボスとの最終直接対決】
「俺を追い詰めたつもりか、荷物持ちがァ!」
ヴァンスはテーブルに拳を叩きつけて吠えた。
「あいつら三人は最初からただの足手まといだったんだよ! 第三十階層のヒュドラや、第四十階層のゴーレムを一撃で斬り伏せたのが誰だと思ってやがる!? この俺だ! 俺の【黄金の炎の聖剣】だ! 小細工なんざ必要ねぇ、俺の【レベル92】、【剣聖術】、俺の両足、そして俺の命そのものを賭けてやる!」
【ヴァンスの基本成功率(クロエを生贄にしたボーナス込み):90%】
俺はゆっくりと立ち上がり、テーブルの縁に両手をついてヴァンスへと身を乗り出した。
「第三十階層のヒュドラと、第四十階層のゴーレム、か」
俺は静かに囁いた。
「なあヴァンス……お前、一度も不思議に思ったことはないのか? お前があの大振りで、予備動作だらけで、隙だらけの必殺剣を振りかぶるまさにその瞬間、どうしてボスモンスターたちがいつもピタリと二秒間だけ動きを止めてくれたのかを」
ヴァンスが目を瞬かせた。
「それは……俺の覇気に怯えて硬直していたからだ!」
「違うよ、間抜け」
俺は氷のような笑みを浮かべた。
「奴らが止まっていたのは、この二年間、俺が毎朝お前の剣を研ぐたびに、刃の血溝(樋)へ『深淵百足』の毒腺から抽出した無臭の神経毒を塗り込んでいたからだ。最初の浅い切り傷が皮膚に付いただけで、どんなボスだろうと三秒間は神経系が麻痺する。お前みたいな自惚れ屋の無能でも首を落とせるようにな」
ヴァンスの呼吸が止まった。
「う、嘘だ……!」
「そしてルール2の面白いところを教えてやろうか?」
俺は彼の腰に下げられた黄金の鞘を見つめた。
「今朝、野営地でお前に温かい朝食を持っていった時、お前は『パンが固い』と言って俺の頭から熱いスープをぶちまけたよな。だから俺は、お前に剣を返す前に刃から神経毒をきれいに拭き取り……代わりに、調理の残りカスから取っておいた『腐った豚の脂』をたっぷりと塗っておいたんだ」
俺は微笑んだ。
「さて、豚の脂が塗られた刃で【黄金の炎】を発動させたら、いったいどうなると思う?」
【武器検証完了:麻痺毒の不在(-70%)。刃に極めて引火性の高い動物性脂肪を確認:【黄金の炎】発動時、炎が柄まで逆流して使用者の手の中で爆発(-20%)】
【ヴァンスの最終成功率:0%(神の奇跡『01』が出た場合のみ生存可能)】
「い、嫌だ……待て! 賭けを取り消す!!」
ヴァンスは子供のような裏返った声で叫び、テーブルをひっくり返そうともがいた。
「持っている金は全部やる、ノエル! お前をパーティーのリーダーにする! だからダイスを振らせるなァッ!!」
「ダイスを振れ、ヴァンス」
俺は命じた。
彼の震える手から、黒い骨の塊が滑り落ちた。
ダイスはヴァンスのミニチュア駒に跳ね返り、三回転して止まった。
【ダイスロール(1d100)➔ 出目:100 ―― 絶対的致命的失敗!】
黒い炎の柱がミニチュアを飲み込んだ。
現実のテーブルの下で、ヴァンスの両足首の腱が、迷宮で俺の腱が切れた時と全く同じ鈍い音を立てて破裂した。
絶叫しながら椅子から転げ落ちるヴァンスの体から、最後の、そして最大のレベルと筋力と剣技の奔流が引き剥がされ、俺の肉体へと融合していく。
【親がレベル99(カンスト)に到達!】
【パーティー『黄金の炎』の全ステータス、全スキル、全才能が親によって回収されました!】
ヴァンスは酒場の床を這いずり、迫り来る死の恐怖に目を見開きながら、俺の革靴へと血まみれの手を伸ばした。
「ノ、ノエル……助け……」
俺は彼を見下ろし、パチンと指を鳴らした。
「――セッション終了だ」
* * *
フラッシュ!!
「「「「ぎゃああああああああっ!!」」」」
四つの絶叫が、迷宮の湿った空気を引き裂いた。
ヴァンス、ギャレット、リリア、クロエの四人は、わずか三秒前に自分たちが崩落させたばかりの第五十階層の扉の隙間の前で、黒い石の床に膝から崩れ落ちた。
現実の世界では、まばたき四回分の時間すら過ぎていなかった。
四人は狂ったように自分の首を、両腕を、両足を触りまくった。
五体満足だ。酒場ではない。まだダンジョンの中にいる。
だが、彼らの全身は氷のような冷や汗でびっしょりと濡れ、すべての神経が、あのダイステーブルで味わった100パーセント現実の激痛の記憶で激しく痙攣していた。
四人は恐怖に引きつった顔で互いを見つめ合った。
(予知夢だ……!)
ヴァンスは喉の奥で心臓が早鐘を打つのを感じながら思考した。
(裏ボスの予言の呪いだ! もし今ここで俺たちがノエルを見捨てて逃げたら、あいつは魔神と契約し、今夜酒場であの呪われたテーブルに俺たちを縛り付けて皆殺しにするんだ!)
(絶対に彼を見捨てちゃダメよ!)
クロエもガタガタと震えながら考えた。
(今は気づかないフリをして、彼を利用してここから生きて脱出するのよ! そして帰り道で寝首を掻いて殺せばいいわ!)
一秒にも満たないうちに、四人は目配せを交わし、人生で最も嘘くさく、卑屈で、愛情に満ちた笑顔を顔に貼り付けた。
そして一斉に俺のもとへと駆け戻ってきた。
「ノエル! 我が兄弟!」
ヴァンスが目に涙まで浮かべながら、俺の上に投げ捨てられていた重い背嚢を慌てて退かした。
「生きていてくれて本当に良かった! 今の俺たちの完璧な作戦を見たか!? ボスを騙してお前から引き離すために、わざと通路へ逃げるフリをしたんだぞ!」
「そ、そうよ!」
リリアが俺の腕を掴んで立ち上がらせようとしながら、裏返った声で言った。
「私たちが、かけがえのない仲間であるあなたを見捨てるわけがないじゃない! 私たちは『家族』でしょう!?」
「今すぐ足の怪我を治すわね、ノエルくん!」
クロエも引きつった笑顔で付け加えた。
「そして、みんなで力を合わせてこのボスを倒しましょう!」
俺は誰の手も借りずにスッと立ち上がった。
ズボンの埃を払い、完全に治癒している右足首を軽く回してから、穏やかな笑顔を彼らに返した。
「ああ、もちろんだ」
俺は優しく言った。
「俺たちは家族だからな。みんな、先に前へ出てボスを攻撃してくれ。俺はすぐ後ろで……みんなの『背中』を守るよ」
「さすがノエルだ! 背中は任せたぞ!」
俺を丸め込めたと確信したヴァンスが勇ましく叫んだ。
四人は向き直り、一刻も早く戦闘を終わらせようと、それぞれの奥義の名を大声で叫びながらオルクスの玉座へと突撃した。
「【アダマンタイトの肉体】! シールド・チャージ!」
ギャレットが咆哮する。
「【無詠唱:コキュートス・ランス】!」
リリアが杖を振るう。
「【聖女の祝福】! 【黄金の炎の聖剣】!!」
クロエとヴァンスが同時に叫んだ。
――何も起きなかった。
ヴァンスの剣からは火花一つ散らない。
リリアの杖の先からは、灰色の煙がぷすぷすと出ただけだ。
ギャレットに至っては、自分自身の鎧の重さに耐えきれずに足がもつれ、盾を持ち上げることすらできずに顔面から床へと激突した。
四人は玉座の数メートル手前で足を止め、凍りついた。
玉座の上では、オルクスが拳に頬杖をつき、死ぬほど退屈そうに彼らを見下ろしている。
震える手で、ヴァンスが自分のステータスウィンドウを開いた。
【ヴァンス ―― レベル:1 / 筋力:4 / 魔力:0 / スキル:なし(すべて親へ譲渡済み)】
「な、なんだこれ……!?」
ヴァンスは全身の血が凍りつくのを感じながら呟いた。
「どうして全員レベル1なんだ!? 酒場でのあれは……ただの精神幻覚じゃなかったのか!?」
彼らの背後で、俺は片手だけで第五十階層の巨大な石の扉――片側十トンはある双扉――を掴み、耳を劈く轟音とともに閉ざして部屋を完全に密閉した。
ズゥンッ!!
四人が弾かれたように俺を振り返る。
俺は【聖女の祝福】の黄金のオーラを纏い、左手に魔導の蒼い炎を躍らせ、右手に純粋な黄金の光の刃を携えて、彼らへとゆっくりと歩み寄っていた。
【ノエル ―― レベル:99 / クラス:奈落のディーラー】
「酒場の光景は、お前たちの頭の中の幻覚だ」
俺の新たなステータスの重圧で黒曜石の床にヒビが入る中、俺は静かに説明した。
「だが、お前たちがテーブルに着いて同意した『ゲームの契約』は100パーセント現実のものだ。お前たちはすべてを賭け、ダイスに負けた。――さて、賭け金の最後の残りを回収させてもらうぞ。お前たちの『命』だ」
「ま、待ってノエルくん! 私たちは家族だって言ったじゃない!」
クロエが逃げようと悲鳴を上げたが、レベル1の農民並みのステータスでは二歩進むことすらできなかった。
俺はリリアの【無詠唱】とギャレットの【アダマンタイトの肉体】を発動した。
料理でも倉庫管理でも、俺は絶対に食材や資材を無駄にはしない。ましてや、今手に入れたばかりの魔力を無駄遣いするはずがなかった。
毎朝彼らの鎧の留め金を締めていた俺だからこそ知り尽くしている「装甲の隙間」を正確に捉えた、【黄金の炎】の水平な一閃。
音のない光の閃光が空間を薙ぎ払った。
四人のSランクの裏切り者たちは、どこから斬られたのかを理解する時間すら与えられず、同時に黒曜石の床へと崩れ落ちた。
* * *
王座の間に、再び静寂が戻った。
剣の玉座の上で、魔神オルクスが立ち上がり、ゆっくりと拍手を始めた。鋼の手甲がぶつかり合う音が洞窟の天井に反響する。
「見事! 実に素晴らしい!」
オルクスは歓喜に目を輝かせながら階段を下りてきた。
「完璧な復讐劇、そして古の英雄すら凌駕する圧倒的な力! やはりお前に賭けた俺の目に狂いはなかったぞ、小僧!」
巨大な戦神は俺の目の前まで来ると、大剣を床に投げ捨て、ドシンと両膝をついた。そして太い首筋を晒すように頭を深く垂れた。
「さあ、俺が三年間待ち続けた瞬間だ!」
オルクスは感極まった声で吠えた。
「来い、ノエル! 吸収したすべてのステータスをその刃に込め、お前の最強の一撃でついに俺の首を刎ねろ! この呪わしい不老不死から俺を解放してくれ!」
俺は彼を見下ろした。
それからチン、と金属音を立てて光の刃を収めると、ヴァンスの死体の横にしゃがみ込み、指から指輪を、腰から金貨の詰まった袋を、無傷の竜革のブーツを、そしてベルトに残っていたポーションの小瓶を手際よく回収し始めた。
十秒が過ぎた。そして三十秒が過ぎた。
オルクスが片目を開け、困惑した様子でわずかに顔を上げた。
「……おい。何をしている?」
「資材の回収ですが」
俺は視線を上げることなく、リリアの魔法の絹のローブを(縫い目を破かないように注意しながら)脱がせ、一つ目の背嚢の中に丁寧に折りたたんで収納した。
「この装備一式、王都の市場に流せば最低でも金貨一万五千枚にはなります。ダンジョンの床で腐らせるなんて、犯罪的な無駄遣いですよ」
「そんなボロ布などどうでもいいわ!」
魔神が半ば立ち上がりながら怒鳴った。
「俺たちの契約はどうした!? あいつら四人の力を手に入れたら、俺を殺すと約束しただろうが!」
俺は立ち上がり、Sランクの武具や金塊、食料でパンパンに膨れ上がった三つの超大型背嚢のバックルを締めると、それを次から次へと奈落の魔神の胸へと放り投げた。
オルクスは反射的にそれを両腕で受け止めてしまった。
「殺す? 正気ですか?」
俺は世界で一番馬鹿げたことを聞いたかのような目で魔神を見た。
「今の時代、信頼できる荷物持ちを雇うのにいくらかかるか知ってるんですか? あんたは身長三メートルで筋力は無限、飯も食わなければ水も飲まない、絶対に疲れないし分け前も要求しない。おまけに盗賊に襲われたら時間を止めることまでできる」
俺は黒い百面ダイスを指先で宙に弾きながら、第五十階層の出口へと軽い足取りで歩き出した。
「口頭で結んだ契約では、確かに『この力を使ってあんたを殺す』と約束しましたが、履行期限までは決めていませんでしたよね。俺が引退して隠居できるだけの老後資金が貯まる六十年後くらいに、ちゃんと首を刎ねてあげますよ」
奈落の恐怖と恐れられた伝説の魔神オルクスは、二百五十キロの荷物を両腕に抱えたまま、部屋の真ん中で石のように固まっていた。
「なっ……口頭契約の抜け穴で俺をハメただと!? 俺は戦いの魔神だぞ、貴様の荷物運びのロバじゃねぇ!」
「早く来てくださいよ、マスター」
俺は振り返りもせずに扉の前から声をかけた。
「第四十階層に、あの馬鹿四人が中途半端に放置していったミスリルゴーレムの残骸があるんです。他のパーティーが来る前に解体しないと、一番高く売れるパーツを取られちゃいますから」
薄暗い王座の間から、不死身の魔神の絶望の呻き声が響き渡った。
彼はたった今、『死』よりも遥かに恐ろしいもの――『無期限雇用のブラック雇用主』を見つけてしまったのだと悟ったのだった。
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