好きではありません。ただ、私の男に触ると殴ります。 ──羞恥心が筋肉になる令嬢は今日も婚約者を投げる
「サクラ・サークラ。君との婚約を破棄する」
楽団の演奏が止んだ。
月冠の舞踏会に、静寂が落ちた。
十八歳の第一王子レオン。
その婚約者である、同い年の公爵令嬢サクラ・サークラ。
誰かが息を呑み、誰かが扇で口元を隠す。
婚約を破棄された令嬢が取る行動は、おおむね三つだ。
泣く。
倒れる。
相手の不貞を暴露する。
だがサクラは、そのどれも選ばなかった。
「へぇ?」
レオンの胸ぐらを掴み、足を引っかける。
腰を落とし、勢いよく背負った。
王子の身体が宙を舞う。
ズドォォォン!!
美しい大理石の床に、王子の人型が刻まれた。
「殿下ぁぁぁ!?」
「誰か衛兵を!」
「待て! サークラ公爵令嬢を刺激するな! 次は城が投げられるぞ!」
会場が阿鼻叫喚に包まれる。
サクラは床に転がるレオンを見下ろし、髪をかき上げた。
「婚約破棄ですって?」
「ああ」
「思い上がるな! 破棄する権利があるのは私だ!」
「そこに怒っているのか?」
「当然でしょう? 私を破棄するなんて許せると思う?」
「いや、破棄するのは婚約であって……」
「聞こえん!」
サクラはレオンの胸元を踏みつけた。
「い、一応、僕は王子だぞ!?」
「今は床の模様だけど?」
にこり。
ただし、目は一切笑っていない。
「十年前から……投げ方が変わらないな」
「今日は社交界仕様よ?」
「……どこが?」
「ドレスを踏まないように投げたじゃない?」
「なるほど……気遣いが深い」
サクラの前に、半透明の表示が浮かぶ。
\\K.O.!//
【レオンの好感度:+10】
「ほら、また壊れてる!」
「何が?」
「こっちの話よ!」
十年間、レオンを投げるたびに好感度が上がっていた。
サクラはずっと表示の故障だと思っている。
「婚約破棄には理由がある」
レオンは床のくぼみにはまったまま、穏やかな笑顔でサクラを見上げた。
「聞いてあげる。床に寝たまま話しなさい」
「君が好きだからだ」
「理由になってない!」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:800%】
ズンッ……!!
サクラの靴の下で、大理石がさらに陥没した。
「殿下が沈んでいくぞ!」
「掘り出せ!」
「いや、待て! 彼女が離れてからだ!」
月冠の舞踏会は、始まって十分で修繕工事へ入った。
──その騒ぎの中。
会場の端で、宰相グロムだけが騒がなかった。
彼は床に埋まった王子ではなく、サクラを見ていた。
*
「それで?」
サクラは王宮の控室にある長椅子へ腰掛け、腕を組んでいた。
正面では、救出されたレオンが正座している。
侍女がテーブルへ二つの仮面を置いた。
「後半用でございます。月冠の鐘まで、あと一時間ほどです」
そう告げた侍女が、正座するレオンをちらりと見た。
口元が震えていた。
「ありがとう」
「……失礼いたしま、ぷぷッ」
侍女は肩を震わせながら、そそくさと退出した。
「……笑われた」
レオンが呟く。
「絵面が面白いからね。ところで──」
サクラは仮面をつまみ上げた。
「これ、必要?」
「一応ね。鐘が鳴れば全員つける決まりだから」
「床が直ってたらね」
「そこは僕も心配している」
「誰のせいよ」
「……君かな」
「もう一回埋めるぞ」
「僕です」
サクラは仮面をテーブルへ戻した。
「で、本当の理由は?」
その一言で、レオンの表情が変わった。
「気づいていたのか」
「あなた、嘘をつく時だけ半笑いになるのよ」
「よく見ているな」
「王宮じゃ有名よ。『殿下が半笑いしたら嘘』って」
「僕は半笑いになどならない」
レオンの口元が、半分だけ緩んだ。
「今それ」
「!?」
レオンは慌てて口元を手で隠した。
「隠すの遅い」
「……誰が知っている?」
「今、あなたも知ったから、これで全員ね」
「……」
「まあ、敵の弱点を観察するのは当然でしょう?」
「婚約者だよ?」
「破棄した奴は敵でしょ?」
「十年の付き合いなのに、ずいぶん冷たいな」
「そもそも、あなた私の好みじゃないし」
「……初耳だな」
「私が好きなのはボウズ、ヒゲ、マッチョ」
レオンが黙って自分の髪と顎と身体を確認した。
「一つもない……」
レオンの肩が落ちた。
「うん、そうだね」
サクラは何故か嬉しそうだった。
「十年間、僕は何と戦っていたんだ……」
「知らん」
「ま、まぁいい……聞いてくれ」
レオンは懐から一枚の紙を取り出した。
赤黒い文字で、こう書かれている。
『今宵、月冠の鐘が鳴るまでにサクラ・サークラとの婚約を公に解消せよ。さもなくば彼女を殺す』
つまり期限は、仮面舞踏会が始まるまで。
「三日前、僕の寝室へ届いた。紙には追跡を妨げる術と、君の血に反応する呪いが仕込まれていた」
「だから私との婚約を破棄した?」
「ああ。さっきの宣言で呪いは消えたようだ」
「呪いを警戒して……言えなかった、ってこと?」
「……そうだ。婚約破棄を公言する前に君や第三者へ事情を明かせば、その瞬間に呪いが発動する仕組みだった」
「で、このあと、あなたは一人で脅迫者を捜すつもりだったのね」
「紙に残った魔力は、この舞踏会場へ続いている。相手は招待客の中にいる」
脅迫状を持つサクラの指が、わずかに震えた。
自分が狙われたことなんて、怖くない。
怖かったのは、この男が何も言わず、自分の前から消えようとしていたことだ。
レオンだけは、いつも戻ってきた。
*
──十年前。
その日、八歳のレオンは王宮の薔薇園から逃げ出そうとしていた。
「あら? 王子殿下、どちらへ?」
「ちょっと国外の方に……」
生垣の陰から現れた少女が、呆れた顔でレオンを見た。
サークラ公爵家の一人娘、サクラ・サークラ。
「国外って……ここ、王宮の薔薇園よ?」
「だから困っている。出口が見つからない」
「国外以前に、庭から出られてないじゃない」
「痛いところを突くな」
「王子なのに?」
「王子でも迷子にはなる」
「へぇ。王子って大したことないのね」
王宮でレオンを“大したことがない”と言った者は、サクラが初めてだった。
誰もが彼に頭を下げ、完璧な王子であることを求めた。
だが目の前の少女は、王子をただの迷子として見ている。
「君はここで何を?」
「礼儀作法の授業が怠くて抜け出してきたの。先生が『公爵令嬢は常に優雅であれ』ってうるさくて」
「優雅には見えないな」
「よし、今から殴るね?」
「僕より国外で生きていけそうだ」
「えと、褒めてる?」
「たぶん……?」
「ふふん!」
サクラは鼻を鳴らした。
「それで、どうして逃げてるの?」
「明日の式典で、次期国王として挨拶をする。失敗したら皆を失望させる」
「だったら失敗しなきゃいい」
「簡単に言うな。王子は失敗できない」
「途中で噛んでも、最後まで言い切れば失敗じゃないでしょ。最後に勝てば、途中の失敗は全部“前振り”になるのよ」
「ずいぶん都合のいい考え方だな」
「都合は自分でよくするものよ」
──サクラは七歳の祝福式で、奇妙な固有加護を授かっていた。
その日からサクラにだけ、加護に連動する意味不明な表示が見えるようになった。
【固有加護《乙女心は筋肉》】
【羞恥心を筋肉に変換します】
褒められれば椅子を砕き、異性に手を握られれば扉を吹き飛ばす。
笑われるか、怖がられるか。そのどちらかだった。
「私の加護、知ってる?」
「ああ」
「笑わないの? みんな笑ったから」
「便利な加護だと思う」
「乙女心を何だと思ってんのよ」
「うん、燃料かな?」
「はい! 今すぐ池に沈めるから、そこに正座し──」
グルルルルル!!
その時、生垣の奥から銀色の魔獣が現れた。
王都周辺には生息しないはずの──シルバーファング。
右耳の先が裂けている。
魔獣が地面を蹴る。
「──レオン、下がって!」
「魔獣? なぜこんなところに!?」
サクラがレオンの前へ飛び出した。
だが、両腕を広げた少女の膝は震えていた。
「レオン、いいから下がれ!」
「怖いのか?」
「当たり前でしょ! 怖くないように見える!?」
「なら、逃げろ!」
「あなたを置いて? それは、もっと嫌」
魔獣が跳んだ。
「サクラ! 右の首輪だ! 魔法石が操っている!」
レオンが石を投げ、魔獣の注意を引く。
「ちょ!! 無茶すんな!? この迷子王子ィィィ!!」
サクラが魔獣の首へ飛びついた。
けれど、力が足りない。
魔獣が暴れるたび、足が地面から浮く。
怖い。逃げたい。
それでも腕を離せば、後ろにいる少年が襲われる。
「君はすごい!」
「は? 急に何を言って──」
「怖いのに、僕の前に立った! 今まで会った誰より勇敢で──誰より綺麗だ!」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:500%】
「──人の乙女心を刺激してんじゃ──ねぇぇぃッ!!」
サクラは魔獣を担ぎ上げ、噴水へ投げ飛ばした。
ザバァン!!
首輪の魔法石が砕け、魔獣は水の中で気を失った。
力が抜けて崩れかけたサクラの身体を、レオンが支えた。
「ありがとう、サクラ。本当に綺麗だ」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:700%】
「だから今それ言うなァァァ!!」
サクラは反射的にレオンの腕を取り、同じ噴水へ投げ飛ばした。
\\K.O.!//
【レオンの好感度:+10】
「上がッ!? 投げたのになんで!?」
そして──
「僕が王になった時も、隣にいてくれる?」
水面から顔を出したレオンが、ずぶ濡れの手をサクラへ差し出した。
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
「い、いきなり重い!! ……ど、どうしてもって頼むなら、考えてあげる……」
「うん、どうしても」
「即答すんな!」
サクラは顔を背けたまま、その手を取った。
ぴろん♪
──そして、翌日の式典で、レオンは最初の一文を噛んだ。
貴族たちの押し殺した笑いに俯きかけた彼へ、サクラは最前列から叫んだ。
「何止まってんの! まだ前振りでしょ!」
会場が凍りつく中、レオンだけが笑った。
そして最初から挨拶をやり直し、今度は最後まで言い切った。
──レオンが、サクラに恋をしていると自覚したのは、このときだった。
*
──現在。
脅迫状を握る指に、十年前に触れた小さな手の温度が蘇る。
皆がサクラの力を怖がって離れていく中で、レオンだけは隣に立ち続けた。
何度投げても、翌日には何事もなかったように話しかけてきた。
その男が、自分から消えようとした。
「……なるほどね」
サクラは立ち上がり、拳を振り上げた。
「……ッ!!」
レオンは目を閉じ、歯を食いしばる。
けれど拳は落ちなかった。
代わりに、サクラの指がレオンの額を弾いた。
ビシィィン!!
「いっっっだァァァァ!?」
レオンは額を押さえて長椅子から転げ落ち、そのまま絨毯の上を二往復した。
「え、ちょっと!? さっき床に埋まった時より痛がってない!?」
「殿下!」
扉が勢いよく開き、衛兵二人が剣を抜いた。
だがサクラの姿を見るなり、ぴたりと動きを止める。
「……失礼しました」
衛兵二人は帰った。
「待て! 助けろ! 僕が殿下だぞ!」
返事はなかった。
「ほ、本当にそんなに痛いの? 見せなさい!」
サクラが慌ててしゃがみ込み、レオンの前髪をかき上げた。
額が真っ赤に腫れている。
「……赤い」
「君がやったんだよ」
「だ、大丈夫よ。死んでない」
「手加減の基準が生死なのか?」
レオンは額を押さえたまま、ようやく身体を起こした。
「……殴られると思った」
「だからデコピンで済ませたのよ」
「済んでない。額が終わった」
「大袈裟よ」
「殴られていたら、どうなってたんだ……」
「知らん。でも、それくらい腹が立ってるのよ。勝手に一人で決めて、勝手に私を捨てて、勝手に格好……つけて」
怒鳴った声の最後だけが、わずかに震えた。
「私はあなたの後ろに隠れるために婚約したんじゃない。隣に立つためよ。だから、勝手に置いていくな」
「サクラ……」
「あ、あと、こ、この国の上に立つためだし!?」
ぴろん♪
【羞恥心が上昇しました】
【攻撃力:300%】
「今は上げなくていい!」
レオンは額を押さえたまま、小さく笑った。
「もう君の戦いを、僕が勝手に決めたりしない。力を貸してほしい」
「……最初からそう言いなさい」
「脅迫者は、鐘が鳴ったあとに動くはずだ」
「全員が仮面をつけるからね。私でもそうする」
「ああ」
公に婚約を破棄されたサクラが帰ったと思わせたまま、借り物のドレスと仮面で別人を装い、会場へ戻る。
婚約者を追い払って一人になったレオンへ、脅迫者が近づいたところを捕らえる。そういう作戦だった。
「護衛は?」
「使う。宣言のあと、父上と近衛隊長には報告済みだ」
「中止にしないの?」
「舞踏会を中止すれば、犯人は姿を隠す。今夜を逃せば、次はどこから襲われるか分からない」
「なるほどね」
「ただし、脅迫状が僕の寝室まで届いた以上、城内に手引きした者がいる。近衛全員を信用するわけにはいかない」
「事情を知る人間は絞る、と」
「ああ。近衛隊長が選んだ六人だけだ。二人は給仕、二人は楽団員に扮する。残りは会場の出入口と馬車寄せを押さえる」
「あのさ? 出口を全部閉めて、朝まで誰も帰さなきゃいいんじゃない?」
「……招待客は百人以上いるぞ」
「犯人もその中にいるんでしょ?」
「王都の有力貴族を百人監禁する気か?」
「一人ずつ調べれば朝には終わるわ」
レオンが、じっとサクラを見た。
「……何をするつもりだ?」
「身体に聞く」
「却下」
「相変わらず甘いわね」
「僕を何だと思っている?」
「さっきまで床の模様だった男」
「評価の回復に時間がかかりそうだな」
レオンは苦笑したあと、サクラの前へ片膝をついた。
「僕と踊ってほしい。犯人が動くまで、そばにいてくれ」
「私を護衛として使う気?」
「護衛として頼りたい。君の力を借りたいし、僕も君を守りたい。だから、隣にいてほしい」
「……お願いは?」
「お願いします。僕と一緒に戦ってください」
「よろしい。特別に守らせてあげる」
サクラは少しだけ笑った。
「ありがとう」
「ただし、途中で勝手に消えたら両脚を折る」
「愛が重いな」
「体重を乗せて折るからね」
「物理的にも重いのか」
「おいぃ? 乙女に重いって言ったのか今?」
「ははは」
レオンは笑った。
*
月冠の鐘が鳴った。
魔法灯が一度消え、再び灯った時、招待客は皆、仮面をつけていた。
楽団が第二曲を奏で始める。
黒い仮面をつけたレオンが、深紅の仮面と借り物の黒いドレスで姿を変えたサクラへ手を差し出した。
「一曲、踊っていただけますか?」
「いいわ。受けて立つ」
「戦わないぞ」
「武闘会でしょう?」
「舞う方だ」
「……似たようなもんよ」
サクラがレオンの手を取る。
音楽に合わせ、二人が踊り始めた。
レオンが一歩踏み込めば、サクラが半歩押し返す。
身体を引き寄せれば、サクラが靴を踏む。
「痛い……」
「私より前に出た罰よ」
「ダンスにも勝敗を持ち込むのか?」
「私がいる場所には常に勝敗がある」
「恐ろしい世界観だ」
レオンがサクラの腰へ腕を回した。
「ち、近い!」
「ダンスだからな」
「もう少し離れて踊りなさい!」
「それでは守れない」
サクラの足が止まりかけた。
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:500%】
ドレスの袖が、ミシミシと音を立てる。
「レオン。あと五センチ近づいたら、天井を見ることになるわよ」
「僕は今、君しか見ていない」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:700%】
「十センチ離れろ!」
──その瞬間。
舞踏会場の魔法灯が、一斉に消えた。
サクラたちの足元に、黒い魔法陣が浮かび上がる。
「殿下!」
給仕に扮していた近衛が、盆を捨てて剣を抜いた。
楽団席からも二人が駆け出す。
だが、その刃が届くより早く、黒い光の壁がレオンとサクラを包んだ。
近衛の剣が弾かれる。
「結界です! 内側へ入れません!」
「手を離すな!」
──そして、床が崩れた。
二人の身体が、暗闇へ落ちていく。
サクラは反射的にレオンの手を握った。レオンも強く握り返す。
\\FINAL STAGE!//
【ヒント:その手を離すな】
「言われなくても!」
暗闇の底で、石造りの床が迫る。
「サクラ!!」
レオンは空中でサクラを引き寄せ、自分が下になるよう身体を回した。
「また一人で格好つける!」
「では、どうする!?」
「二人で飛ぶ!」
サクラはレオンの胸ぐらを掴み、壁へ向かって投げた。
「結局、僕を投げるのか!?」
「手は離すな!」
投げられたレオンがサクラの腕を引く。
二人は振り子のように軌道を変え、壁際に垂れた幕へ飛び込んだ。
布を巻き込みながら床を転がる。
直後、今まで二人がいた場所へ天井の瓦礫が落下した。
「……助かった」
「だから任せろって言ったでしょ」
「次からは作戦名だけでも先に教えてくれ」
「えっと。《婚約破棄済み恋人ぶん投げ振り子着地》だわ」
「ネーミングセンス!! 今考えただろう」
「あ、恋人じゃなかったわね」
「婚約破棄は撤回する予定だ」
「その撤回を却下する」
「撤回を却下する制度はない」
「今作った」
「法とは!?」
「勝者があとで書く反省文でしょ」
「君を王妃にしていいのか、急に不安になってきた」
「今さら?」
サクラは立ち上がり、周囲を見渡した。
そこは王宮の地下深くに造られた古い礼拝堂だった。
礼拝堂の中央に、巨大な銀色の魔獣が伏せていた。
四本の黒い柱から伸びた鎖が、その四肢を石床へ縫いつけている。
首には、赤黒い魔法石を埋め込んだ銀の首輪。
月明かりのようだった銀毛は汚れ、ところどころ傷ついていた。
右耳の先には、見覚えのある裂け目。
サクラは息を呑んだ。
「……あんた」
魔獣がゆっくりと顔を上げる。
金色の目が、サクラを捉えた。
「十年前の……シルバーファング?」
祭壇の前に、一人の男が立っていた。
宰相グロム。
国王の弟であり、レオンの叔父。
「よく来たな、レオン。まさか捨てた女を、仮面と借り物のドレスで連れ戻すとは思わなかったが」
「やはり、あなただったか」
レオンが剣を抜く。
「──敵でしょ?」
同時にサクラが床を蹴った。
「なっ!?」
拳がグロムの顔面へ迫る。
寸前、黒い障壁が弾けた。
バチィン!!
「ぐっ……!」
弾き返されたサクラが床を滑る。
「人が話している途中だぞ!」
グロムが声を荒げる。
「敵の説明を最後まで聞く馬鹿がどこにいるのよ」
「サクラ、普通は聞く!」
「え!? なんで!? バカなの!?」
「「とりあえず聞け!」」
レオンとグロムが口を揃えた。
「ふん……本来なら、その娘を帰らせたあと──」
グロムはサクラから目を離さず、低い声で話を続けた。
「馬車寄せへ向かう西回廊で待つ偽の近衛に連れ去る。僕はこの魔法陣で事故死。そういう計画か」
レオンがグロムの言葉をさえぎった。
「……正解だ。だが、その娘が自ら戻ってくれたおかげで手間が省けた」
「なるほどね」
サクラが一歩、距離を詰めた。
「……なぜ近づいてくる」
グロムが反射的に半歩退いた。
「ちゃんと聞いてるわよ?」
さらに一歩。
「その拳を下ろせ」
「あら? 聞くのと拳は関係ないでしょ」
「サクラ、三歩下がれ」
レオンが横からサクラの肩を掴んだ。
「敵に背中を向けろって?」
「背中を向けずに下がれ!」
「……注文が多いわね」
サクラはグロムから目を離さないまま、すごすごと三歩下がった。
「──それにしても、仮面をしてたのに、よく私だと分かったわね」
「王子の一言で二の腕が膨らむ女など、国中を捜してもお前しかおらん」
「しまった!?」
レオンが頭を抱えた。
「ま、待って!? な、なんで私の二の腕を見てたの!?」
「そこか?」
レオンが思わずサクラを見る。
「セクハラよーッ!? 衛兵さん、この人です!!」
「黙れ」
グロムが指を鳴らした。
パチン。
祭壇を囲む四本の黒い柱が光る。
同時に、シルバーファングの首輪に埋め込まれた魔法石が、心臓のように脈打った。
「王家の記録にも数例しか残っていない固有加護。国家の至宝を、女の照れ隠しに浪費させるには惜しい……ここで肉体から剥がし、この魔獣へ移す」
「……それ、私を殺すってことよね?」
「器が壊れようと、中身が残れば問題はない」
レオンの剣先が震えた。
「十年前の魔獣も、あなたか」
「お前が次期王に足るか試すためだった。そして、足らぬと知った。代わりに思わぬ国宝を見つけたがな」
グロムがシルバーファングへ視線を向ける。
「獣も回収し、加護を受け入れる器として十年かけて調整した。その娘の加護を移せば、最強の魔獣兵器となる」
「八歳の子供を魔獣に襲わせて、私もこいつも兵器として眺めてたってわけか」
パキパキッ。
サクラが拳を鳴らす。
「最低ね。顔面を床材にしてやる」
「兵器に名も意思も必要ない」
「彼女も、この魔獣も兵器ではない!!」
レオンはサクラの隣へ並んだ。
「レオン……?」
「サクラは……傲慢で、乱暴、粗暴、横暴。だが、僕の希望だ!!」
「悪口で韻を踏みながら告白すんな」
「脳髄まで筋肉でできている」
「……おい、殺すぞ……」
「僕は嘘はつけない」
「よし。決まった。殺す」
サクラからスッと表情が消えた。
「嘘のない告白にしたかった」
「あとで話し合いね」
「話し合いで済む?」
「済ませねーよッ!!」
ズドンッ!!
サクラは地面に拳を突き立てた。
「戯言は終わりだ」
グロムが忌々しげに顔を歪めた。
四本の柱から黒い光が走り、シルバーファングの首輪へ流れ込む。
バチィッ!!
魔獣の巨体が弓なりに反った。
「グオォォォォォン!!」
悲鳴にも似た咆哮が、礼拝堂を震わせる。
四肢を縛っていた鎖が少し緩んだ。
「サクラ、正面を頼む! 僕は首輪を狙う!」
「はい! 危険な正面を婚約者に任せる男はここでーす!」
「君が殴ったら首輪ごとこいつの首が折れる!」
「……あ」
サクラは、ぽん、と手を打った。
「否定してくれ!」
「……できない」
「……否定してくれよ!?」
「正面ね! 分かった!」
シルバーファングが石床を蹴った。
巨大な前脚が、レオンとサクラへ振り下ろされる。
レオンが剣の腹で爪を受け流した。
軌道が逸れたところへ、サクラが滑り込む。
「いくぞ!! 令嬢格闘術──舞踏会回し蹴り!!」
ドレスの裾を優雅に翻し、シルバーファングの前脚を横から蹴り払う。
「これが噂の令嬢格闘術!! なるほど、回転が優雅だ!!」
「優雅に蹴るのが令嬢よ!!」
シルバーファングが身をひねる。
太い尾が、サクラの背後から迫った。
「サクラ、後ろだ!」
「見えてる!」
サクラは床を蹴り、迫る尾を飛び越えた。
その勢いのまま、シルバーファングの肩へ飛びかかる。
「くらえ!! 令嬢格闘術──貴婦人の嗜み・ドロップキック!!」
「なるほど!? 踏み込みが貴婦人だ!!」
「この踏み込み方こそ貴婦人でしょう!?」
ズドム!!
両足が魔獣の肩へ突き刺さる。
巨体が横へよろめき、尾がレオンの頭上を通り過ぎた。
レオンはその隙に首輪へ駆け寄る。
「よし──」
首輪の魔法石が赤く輝いた。
シルバーファングの身体が強制的に跳ね上がり、前脚がレオンを殴り飛ばす。
ガスン!!
「ぐは!!」
「レオン!」
サクラが床を蹴る。
壁へ叩きつけられる寸前のレオンを、両腕で抱き止めた。
「……た、助かった」
「生きてるね。よかった」
「君の腕の中は安心するな」
「ッ……!!」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【攻撃力:1000%】
サクラの腕が震えた。
「あれ? 投げないのか?」
「怪我人を投げるほど鬼じゃないわよ」
サクラは壊れ物を扱うように、そっとレオンを床へ下ろした。
「ふふ」
レオンは嬉しそうに笑った。
「何笑ってんの?」
「いや。君は優しいなと」
「やっぱり投げるぞ」
背後で、シルバーファングが低く唸った。
サクラが振り返る。
魔獣の脚は震えていた。
牙を剥きながらも、金色の目は怒りではなく、恐怖に揺れている。
一歩踏み出そうとするたび、首輪の魔法石が光り、巨体に黒い稲妻が走った。
「……違う」
「サクラ?」
「こいつ、私たちを殺したいんじゃない。怖がってる」
シルバーファングが苦しげに喉を鳴らす。
「獣は命令に従えばよい」
グロムが冷たく言い放った。
「人も獣も、力を持つなら正しく使われるべきだ」
「それを決めるのは、あんたじゃない」
「この国には力がある。だが、兄上は平和だ共存だと、それを腐らせている」
「……まさか、戦争を起こす気か?」
レオンの声が震えていた。
「戦争ではない。征服だ。その娘の加護をこの獣へ移せば、隣国の砦など一夜で落ちる」
「最低ね」
サクラが吐き捨てた。
「国とは、奪える時に奪うものだ」
「……なるほどね。まぁ、分からなくもない」
「サクラ!?」
「うるさい。欲しいものは取りに行く派なのよ、私は」
サクラはシルバーファングを見た。
「でもね。首輪をつけて、選ぶ権利まで奪うのは違う」
「何が違う。強者が弱者を従える。それが勝利だ」
「それ、勝ってないでしょ。相手が勝負するかどうかすら選べないんだから。ただの押しつけよ。気持ち良くない」
「国は、人が生きるためにある。人を使い潰すためじゃない」
レオンが剣を構えた。
「だからお前では駄目なのだ、レオン。獣一匹、女一人に情をかける男に王は務まらん」
「情じゃない」
レオンがグロムを睨みつける。
「私もこいつも、自分で選ぶの。あんたの道具になるかどうかもね」
サクラもグロムを睨みつけた。
「もう遅いがな」
四本の黒い柱が一斉に輝いた。
【警告】
【固有加護が封印されました】
「は……!? え……力が抜けていく……」
サクラの身体から、一瞬で力が抜けた。
膝が石床へ落ちる。
四本の柱から伸びた黒い鎖が、サクラの両腕と両脚へ絡みついた。
「サクラ!」
レオンが駆け寄ろうとする。
だが首輪が赤く光り、シルバーファングが二人の間へ飛び込んだ。
魔獣は苦しげに首を振りながら、それでも命令に逆らえず、レオンの前へ立ちはだかる。
「魔獣に気を取られている間に、封印術式は完成した」
グロムがサクラを見下ろした。
「力を失えば、ただの小娘だ」
「ふうん。それで?」
「……何?」
グロムが眉をひそめる。
サクラは鎖に繋がれたまま、ゆっくりと顔を上げた。
力は入らない。指一本、まともに動かせない。
それでも、その目を見たグロムの足が半歩だけ退いた。
「力がなくなったら、私が大人しくなるとでも思った?」
サクラが笑う。
目は、一切笑っていない。
「舐めんな。力があろうがなかろうが、テメーは絶対にぶっ飛ばす」
次の瞬間、サクラは鎖に噛みついた。
ガリッ。
歯と金属が、嫌な音を立てる。
「……何をしている」
「見て分かんない? 外してんのよ」
「歯でか?」
「他に動くとこがないのよ!」
もう一度、噛みつく。
グロムが、さらに半歩退いた。
「……正気か?」
「敵の前で正気を失うバカだと思う?」
「……」
「何よ。今さら怖くなった?」
グロムの顔が歪む。
すぐに冷笑を取り戻し、サクラを見下ろした。
「十年待った。その力は、今から私が使う。お前の意思など必要ない」
「黙れ……」
「選ぶ権利があるとでも思ったか?」
「黙れ!」
鎖へ力を込めても、びくともしない。
怖い──。
十年前と同じだ。
けれど今は、レオンの前へ立つことすらできない。
首輪が輝く。
シルバーファングの前脚が、レオンへ振り下ろされた。
「右!!」
サクラが叫ぶ。
レオンは紙一重で爪をかわし、その勢いのまま封印柱の一本へ剣を叩き込んだ。
柱が砕ける。
サクラの左腕を縛る鎖が消えた。
同時に、シルバーファングの左前脚を柱へ繋いでいた鎖も弾け飛ぶ。
サクラは自由になった左手を石床へついた。
「一人で全部やろうとすんな!」
「僕はもう、君の戦いを勝手に決めない!」
「だったら私にも働かせろ!」
シルバーファングが再び爪を振るう。
「下!」
サクラの声に、レオンが身を沈めた。
爪の下をくぐり、残った鎖を踏み台に跳ぶ。
二本目の柱へ剣を振り下ろした。
柱が砕ける。
サクラの左脚を縛る鎖が消えた。
シルバーファングを操る鎖も、また一本切れる。
サクラは片膝を立てた。
「あと二本!」
「分かってる!」
魔獣の動きがわずかに鈍る。
金色の目がレオンを見る。
苦しみながらも、必死に前脚を止めようとしていた。
「こいつも抵抗してる! 右から行け!」
レオンが着地と同時に身体をひねり、三本目の柱へ剣を突き立てる。
柱が砕けた。
サクラの右脚を縛る鎖が消える。
同時に、レオンの剣が根元から折れた。
残る封印柱は一本。
自由になっていないのは、サクラの右腕だけだった。
「よし!」
サクラは立ち上がろうとした。
だが右腕の鎖が張り、身体が強く引き戻される。
「くっ……!」
「サクラ、無理するな!」
「いやよ!!」
サクラは鎖を掴み、歯を食いしばる。
「私をここから出せ! そしたら二人でやる!」
「もう少しだ……!」
レオンが折れた剣を握り直す。
だが、魔獣の首輪がひときわ強く輝いた。
「グオォォォォォン!!」
シルバーファングが悲鳴を上げる。
「レオン、後ろ!!」
サクラが手を伸ばす。
届かない。
抵抗していた前脚が強制的に持ち上がり、レオンの背中へ叩きつけられた。
「がっ……!」
「レオン!!」
床へ倒れたレオンの額から、血が流れる。
シルバーファングも苦しげに身を伏せた。
自分がレオンを傷つけたことを理解しているかのように、金色の目が揺れている。
それでもレオンは、折れた剣を杖にして立ち上がった。
「もういい! そのままじゃあなたが死ぬ!」
「よくない……十年前、君は怖いのに僕の前へ立った」
「だからって一人で戦うな!」
「分かっている。だから──サクラ!」
「何よ!」
「君の乙女心を借りてもいいか!」
「……は? どういうこと?」
「僕が火をつける。封印を砕くのは君だ!」
「……うん」
「君の力を勝手に使いたくない。許可が欲しい!」
サクラは一瞬だけ目を閉じる。
「……必ず返しなさいよ!!」
「約束する」
「半端なこと言ったら、あとで埋める」
「分かった」
レオンはまっすぐにサクラを見つめた。
「愛している」
ぴろん♪
【羞恥心を筋肉に変換します】
【封印許容量を超過しました】
【攻撃力:測定不能】
目の前にいつもの表示が出た。
けれどサクラは、初めてそれを見なかった。
──今はただ、レオンだけを見た。
「……遅いのよ」
封印に押さえ込まれていたサクラの力が、一気に噴き上がった。
全身を赤い光が包む。
残った右腕の鎖が引きちぎれ、最後の柱が内側から粉々に砕けた。
シルバーファングを縛っていた最後の鎖も弾け飛ぶ。
ドレスの袖も裂けた。
「えぇぇ!? 袖ぇぇぇ!!」
「弁償する!」
四本の柱を失った術式が、激しく明滅する。
サクラから引き剥がしかけていた加護の力が、行き場を失って暴走した。
赤い光が礼拝堂を駆け抜け、シルバーファングの首輪へ雪崩れ込む。
赤黒い魔法石が、異常な速さで脈打ち始めた。
「グオォォォォォン!!」
シルバーファングが苦痛にのたうち回る。
「レオン。欲しいのは私? それとも私の力?」
「君だ。力を失っても、君が君である限り」
「よろしい。なら国も私も両方取りなさい」
「簡単に言うな」
「二つあるなら二つとも取れ。勝者は選択肢を減らす側じゃない。増やす側よ」
「ずいぶん都合のいい考え方だな」
「都合は自分でよくするものよ。私が隣で手伝ってあげる」
「ッはは!! それは頼もしいな!」
レオンが笑い、苦しむシルバーファングを見上げた。
「術式の核は首輪の魔法石だ。僕が外殻を開く!」
「剣は折れてるわよ!」
「まだ柄がある!」
「それで何すんの!?」
「殴る!」
レオンはシルバーファングへ走った。
「それなら拳の方が早い!」
サクラが叫ぶ。
「君と一緒にするな!」
レオンが走りながら振り返った。
「え……傷ついた……」
サクラの肩が落ちた。
魔獣が苦しげに前脚を振り下ろす。
レオンはその爪をかわし、前脚から肩へ駆け上がった。
首輪を覆う外殻の隙間へ、折れた剣を突き立てる。
「開けぇぇぇ!!」
柄を両手で掴み、全体重をかける。
亀裂が走った。
首輪の外殻が左右へ割れ、内側の赤黒い魔法石が露出する。
「サクラ、来い!」
「ええ!」
サクラが走り出す。
シルバーファングの金色の目が、サクラを見た。
次の瞬間、魔獣は苦痛に震えながらも、巨体をわずかに沈めた。
サクラはその前脚を蹴り、肩へ駆け上がる。
首元に立つレオンが手を差し出した。
──サクラはその手を掴む。
「行け!」
レオンが全身を使ってサクラを投げる。
「私を投げるのは百年早いってのォォォ!!」
サクラの身体が、露出した魔法石へ向かって飛ぶ。
空中で拳を構えた。
怒り。
羞恥。
恐怖。
十年間、言えなかった言葉。
全部を拳へ乗せる。
「いくわよ!! 令嬢格闘術──淑女の正拳突き!!」
「おお! あのガニ股! 腰に引き絞った両拳! まさに淑女!!」
「レオン! 十年もその女と一緒にいたせいか!? さっきから令嬢の基準が壊れてるぞ!?」
グロムが思わず叫んだ。
「どっせーーーいッ!!」
サクラの拳が魔法石へ突き刺さった。
世界が白く染まった。
次の瞬間。
砕けた首輪と赤黒い魔法石が、王宮の屋根を突き破った。
夜空へ打ち上げられ、光の尾を引きながら遠ざかっていき、そのまま星になった。
「あぁ……僕の好きな人が……『どっせい』って言った……」
レオンの膝が崩れた。
「何か言った?」
「いや、いいんだ……」
首輪を失ったシルバーファングは、力尽きたように石床へ伏せた。
サクラが、その鼻先へ手を伸ばす。
魔獣は一瞬だけ身をこわばらせた。
それから静かに、サクラの手へ額を預ける。
「もう、誰にも使われるんじゃないわよ」
「グルル……」
シルバーファングは、低く穏やかに喉を鳴らした。
その時。
瓦礫の中で、グロムが短剣を抜いた。
狙いは、傷つき、膝をついたレオンの背中。
「その女は私のものだ──!」
グロムが踏み込む。
「おい、私を無視すんな」
その手首を、サクラが掴んだ。
「誰があんたのものですって?」
「なに……?」
「残念ね。力だけ見てたから、私がどういう女か分からなかったのよ」
サクラが笑う。
ただし、目は一切笑っていない。
「だから、教えてあげる」
サクラが大きく息を吸い込む。
「私はレオンが好きでは、ないッ!!」
「サクラ!?」
「黙ってなさい。──ただ、私の男に触ると殴るッ!!」
サクラが腰を落とし、拳を引いた。
「ま、待て──」
「どっせーいッ!!」
ドゴォォォン!!
拳がグロムの顔面へめり込んだ。
「ぐぼぉぉぉぉッ!!」
グロムの身体が祭壇へ突き刺さる。
「あぁ……また『どっせい』……」
レオンは遠い目をした。
\\K.O.!//
【黒幕を撃破しました】
\\STAGE CLEAR!//
「サクラ!! 今、私の男と言ったな?」
背後から、やけに弾んだレオンの声が飛んできた。
「……しょ、所有物の確認よ」
「それを普通、愛と呼ぶんだ」
「次はあなたが祭壇になる?」
「ごめんなさい。でも好きだ!」
ぴろん♪
「……無視、しとく」
サクラはそう言いながら、倒れかけたレオンの身体を支えた。
今度は投げず、彼の腕を自分の肩へ回す。
「歩ける?」
「君が隣にいるなら」
ぴろん♪
「……そういう燃料は、帰ってからにしなさい」
*
戦いのあと。
崩れた礼拝堂へ、星空から夜風が吹き込んでいた。
レオンは床に座り、サクラがその額へ包帯を巻いている。
「痛い」
「我慢しろ」
「少し優しくしてくれないか」
「さっき優しく抱き止めたでしょ。一年分は使い切ったわ」
「では、来年また頼む」
「予約制じゃないのよ」
サクラが包帯を結ぶ。
「今日は何度も倒れたな。王子失格だ」
「でも最後まで立ってた。なら失敗じゃない」
「それを教えたのは八歳の君だ」
「覚えてたの?」
「君の言葉は、全部覚えている」
包帯を巻くサクラの手が止まった。
「……重いわね」
「君ほどではない」
「今、どっちの意味で言った?」
「はは、好きな方で」
包帯が少しだけ強く締まった。
「痛い」
「知らん」
レオンは笑い、サクラの手を取った。
「僕が君を好きになったのは、助けてもらったからじゃない」
「私が美しかったからでしょ?」
「自分で言うのか?」
「事実確認よ」
「君は怖かったのに、僕の前へ立った。強いから守ったんじゃない。怖くても見捨てなかった」
サクラの指が止まる。
「僕が失敗しても、王子に相応しくなくても、君だけは僕を見捨てなかった」
「投げたけどね」
「それでも最後には、僕の手を取ってくれた」
「気のせいよ」
「今日も僕を抱き止めた」
「忘れなさい」
「一生忘れない。僕が王になりたいと思えたのは、君が隣にいたからだ」
サクラは顔を背けた。
卑怯だ。
そんなことを言われたら、何も返せなくなる。
嬉しいなんて、絶対に言えない。
置いていかれるのが怖かったとも、言えるはずがない。
「だから、サクラ」
レオンは傷ついた身体で、サクラの前へ片膝をついた。
「今度は一人で決めない。僕と一緒に決めてほしい」
「何を?」
「僕と結婚してください」
ぴろん♪
「……嫌では、ない」
「では、受けてくれる?」
サクラは髪をかき上げ、精いっぱい偉そうにレオンを見下ろした。
「あなたが床に頭を擦りつけて頼むなら、考えてあげてもいいわ」
レオンは迷わず両膝をつき、額を床へ下ろした。
「喜んで」
「本当にやる奴があるか!」
「一生、君の尻に敷かれる覚悟はできている」
「……へぇ?」
サクラの口元が吊り上がった。
「言ったわね?」
「何を──」
サクラはレオンの腕を取り、足を払った。
王子の身体が宙を舞う。
ドスン!
仰向けに倒れたレオンの上へ、サクラが堂々と腰を下ろした。
「望みどおり、敷いてあげる」
「比喩のつもりだった」
「私は常に本気よ」
「人が来るぞ」
「もっと嫌がりなさいよ」
「なぜ?」
サクラは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「私が恥ずかしいでしょうが!」
ぴろん♪
礼拝堂が揺れた。
\\K.O.!//
【レオンの好感度:+10】
【レオンの好感度が上限を突破しました】
【結婚ルートが確定しました】
「私、勝ったのよね?」
表示は黙って、祝福の花びらを降らせた。
「なんで勝ったのに結婚するのよ!?」
「二人で勝ったからじゃないか?」
レオンが当然のように答える。
「……ッ!?」
サクラは言い返そうとして、やめた。
代わりに彼の胸元を掴む。
「……はぁ。次に一人でいなくなろうとしたら、投げるだけじゃ済まさないから」
「分かった。一緒にいてほしい」
「……どうしようかな」
レオンが手を差し出す。
サクラは顔を背けたまま、その手を取った。
ぴろん♪
*
──翌朝。
レオンは昨夜の招待客全員の前に立った。
「独断の婚約破棄によって、サクラの名誉を傷つけたことを謝罪する」
「はい、二度としないも追加」
サクラが小声でレオンに囁く。
「……二度といたしません」
「はい、美しいサクラ様も追加」
「……美しいサクラ様」
そのうえで、改めてサクラへ求婚した。
王宮修繕費と結婚式の予算が、そろって国家予算に計上されたという。
ちなみに、元宰相は祭壇から掘り出され、投獄された。
王宮の庭に銀色の魔獣が住み着き、サクラにだけ懐いているという。レオンにだけは、いつも攻撃的だそうだ。
なおレオンは後年、夫婦円満の秘訣を尋ねられ、こう答えた。
「皆さん、災害が来たらどうしますか? 勝とうとはしない。収まるまで待つでしょう。そういうことです」
その直後、王妃となったサクラに投げ飛ばされた。
今日もシルバーファングの尻尾が嬉しそうに揺れている。
──ぴろん♪




