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―転生の果てⅣ―  作者: MOON RAKER 503


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プロローグ

時計の音が、部屋を満たしている。


……


カチ、カチ、カチ。


規則正しく、永遠に続くような音。


それは鼓動に似ていた。


生命のリズム。


でも、ワタシの鼓動は、もうそれほど強くない。


……


ワタシは天井を見つめたまま、その音を数えている。


白い天井。


何度見つめただろう。


何度、ここで目を覚ましただろう。


……


何度目の夜明けだろう。


……


窓の外は、まだ暗い。


深い、静かな暗闇。


夜と朝の境目、世界が息を潜める時間。


ワタシの呼吸も、それに合わせるように静かになっていく。


吸って、吐いて。


吸って、吐いて。


……


身体が重い。


いや、重いという感覚すら、もう曖昧だ。


指先が、遠い。


まるで、他人の指のよう。


……


動かそうと思っても、反応が遅い。


命令が、届かない。


……


足の先も、腕も。


すべてが、ワタシから離れていく。


……


ワタシという輪郭が、少しずつぼやけていく。


境界線が、溶けていく。


……


かつて、この身体は確かだった。


手を伸ばせば、届いた。


足を動かせば、歩けた。


……


でも今は、違う。


……


身体は、もうワタシのものではない。


いや、ワタシが身体のものではなくなった。


……


痛みは、ない。


激しい苦しみも、ない。


長い間、この身体は悲鳴を上げていた。


……


背中の痛み。


関節の軋み。


内臓の重さ。


……


でも今は、静かだ。


……


まるで、役目を終えた道具のように。


使命を果たした器のように。


……


感覚が、一つずつ消えていく。


……


温度。


触覚。


重さ。


……


ただ、静かに、何かが遠ざかっていく。


……


ワタシは、この部屋で多くの人を見送った。


泣く人、怒る人、笑う人。


様々な感情が、ここを通り過ぎていった。


……


ある人は、ワタシの手を握って泣いた。


「ありがとう」と何度も繰り返して。


冷たくなっていくワタシの手を、両手で包みながら。


……


ある人は、黙ったまま頷いただけだった。


言葉は出なかったが、その目には光があった。


感謝の、静かな光。


……


ある人は、怒っていた。


「なぜ、もっと早く」


その言葉は、ワタシへの怒りではなかった。


自分への、後悔。


……


ある人は、笑った。


「やっと、楽になれるね」


その笑顔は、悲しくて、でも温かかった。


……


ワタシは、ただそこにいた。


言葉を選び、手を差し伸べ、時には何もせずに寄り添った。


正しい言葉など、なかった。


完璧な対応など、なかった。


……


ただ、そこにいた。


それだけで良かった。


……


それが、ワタシの役割だった。


……


助けることが、生きることだった。


……


でも、助けられたのは、ワタシの方だったのかもしれない。


人の痛みに触れること。


人の最後に立ち会うこと。


それが、ワタシを生かしていた。


……


そして今、ワタシ自身が通り過ぎる番なのだろう。


……


不思議と、恐怖はなかった。


悲しみも、後悔も。


あるのは、ただ静かな満足感。


「ああ、もう十分だ」


そう思えることが、こんなにも穏やかだとは知らなかった。


……


時計の音が、少し遠くなる。


カチ、カチ、カチ。


呼吸が、一つ浅くなる。


吸って……吐いて……。


……


窓の外が、ほんの少し明るくなった。


夜明け前の、あの独特の光。


青でもなく、灰色でもなく、名前のない色。


世界が生まれ変わる瞬間の色。


……


ワタシは、微笑んだ。


誰に見せるでもなく。


ただ、自然に。


心の中で、静かに呟く。


「ありがとう」


……


誰に向けた言葉だったのだろう。


助けた人たちに、だろうか。


それとも、ワタシを助けてくれた人たちに。


あるいは、この人生そのものに。


……


わからない。


でも、それでいい。


言葉は、もう必要ない。


……


呼吸が、また一つ浅くなる。


吸って……。


……


時計の音が、遠い。


カチ……カチ……。


……


窓の光が、少しずつ強くなっていく。


朝が来る。


新しい一日が、始まろうとしている。


……


ワタシの中で、何かが静かに解けていく。


境界が、曖昧になる。


身体と心の境目。


自分と世界の境目。


すべてが、ゆっくりと溶けていく。


……


痛くない。


苦しくない。


ただ、静かに。


……


時計の音が、聞こえなくなった。


いや、聞こえているのかもしれない。


ただ、ワタシがそれを聞く場所から、離れただけ。


……


呼吸が、止まる。


最後の息が、静かに部屋に溶けていく。


……


窓の外の光が、部屋を満たし始める。


オレンジ色の、柔らかな光。


朝日。


……


ワタシは、その光の中で微笑んでいる。


身体はもう動かない。


でも、何かが確かにそこにいる。


……


光が、強くなる。


……


そして。


……


ワタシは、光になった。


いや、光に還った。


……


身体という器から、静かに離れていく。


まるで、服を脱ぐように。


まるで、靴を脱ぐように。


……


いや、それよりも自然に。


呼吸を吐き出すように。


水が蒸発するように。


……


自然に。


穏やかに。


……


抵抗する理由がない。


留まる理由もない。


……


重力も、時間も、痛みも。


すべてから自由になっていく。


縛るものが、何もない。


……


身体という重荷。


名前という枠。


役割という檻。


……


すべてが、解かれていく。


……


これが、魂というものなのだろうか。


形を持たない、でも確かに在る何か。


……


見えないが、感じられる何か。


……


それは、軽い。


……


羽根よりも、息よりも、光よりも。


……


そして、自由だ。


……


部屋の中を、光が満たす。


朝日が、すべてを照らす。


ベッドに横たわる身体。


微笑んだままの顔。


時計の針。


カーテンの揺れ。


……


そして、ワタシ。


光の中に溶けていく、ワタシ。


……


不思議な感覚だった。


消えていくのに、広がっていく。


失われていくのに、満ちていく。


……


これが、終わりなのだろうか。


それとも、始まりなのだろうか。


……


わからない。


でも、それでいい。


……


光の中で、ワタシは思い出す。


助けた人たちの顔。


握った手の温度。


交わした言葉。


流した涙。


……


あの日の雨の音。


あの人の笑顔。


あの時の沈黙。


……


すべてが、光の粒になって漂っている。


記憶が、感情が、経験が。


ワタシという存在を形作っていたすべてが。


……


それは重くない。


苦しくもない。


ただ、そこに在る。


……


そして、それらは今、ゆっくりと形を変えていく。


個から、全へ。


ワタシから、何かへ。


……


役割は、終わった。


「助ける者」としての使命は、果たした。


……


では、次は。


……


光が、また強くなる。


オレンジから、黄色へ。


黄色から、白へ。


そして、透明へ。


……


色が消えていく。


でも、光は残る。


……


ワタシは、その光の中で溶けていく。


静かに。


穏やかに。


抵抗することなく。


……


これが、自然なのだと知っている。


川が海へ流れるように。


雨が土に還るように。


……


時計の音は、もう聞こえない。


呼吸の音も、ない。


あるのは、ただ光。


……


そして。


……


世界が、白く染まる。


……


すべてが、一つになる。


……


境界が、消える。


……


ワタシは、もういない。


でも、ワタシは、まだいる。


……


光の中で。


……


これから始まる、新しい何かの中で。


……


時間が、止まる。


……


そして、動き出す。


……


朝日が、部屋を満たす。


新しい一日が、始まった。


……


ベッドには、身体が残っている。


穏やかな顔で。


微笑んだまま。


……


でも、ワタシは、もうそこにはいない。


……


ワタシは、微笑んでいる。


どこかで。


……


光の中で。


……


まだ、見ぬ場所で。


……


これから始まる、何かの中で。


……


光は、優しい。


……


包むように。


導くように。


……


そして、永遠だ。


……


終わりがない。


……


ただ、変化があるだけ。


……


形を変え、場所を変え、在り方を変える。


……


でも、消えはしない。


……


ワタシは、これから何になるのだろう。


……


海か。


風か。


それとも、また誰かの中に。


……


わからない。


……


でも、それでいい。


……


ただ、進んでいく。


……


光に導かれて。


……


……


……


(了)

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