『第二話・中編:融合獣《ナリソナレザルモノ》──禁忌コードの目覚め』
そのときだった。
森が、うねった。
焦げた草の奥から──“まだ息絶えていない何か”が、這い出してくる。
牙。泥。羽。黒い炎。
さっき倒したはずのワイルドウルフたちが、異様に**“融合”**していた。
一匹、二匹じゃない。
複数体が、再生バグのようにぐちゃぐちゃに混ざり合い──
秩序を踏みにじるような姿で、異形の“再構成個体”が立ち上がる。
(……は?)
(再生じゃない、融合……? この世界、敵までバグってんのかよ)
(“再構成個体”? 聞いたこともねぇ……)
──体毛と牙と羽が、まるで“命の残滓”みたいに折り重なって、ぐずぐずと呻いている。
その呻き声は獣でも人でもなく、古びた機械が無理やり動かされているような、濁ったノイズを含んでいた。
焦げ臭さに混じり、鼻腔を焼くような鉄錆と腐葉土の湿った匂いが立ち込め、喉がひりつく。
木々に宿っていた鳥や虫の気配すら、音を奪われたように消えていた。
葉の裏に宿っていた朝露さえ、黒い粒子となって弾け、空気に溶けて消えていく。
空気そのものがぬるく重くなり、肌の表面を見えない膜が覆っていく感覚があった。
(……混ざってる。肉体だけじゃねえ……意志まで、全部)
それは、生き物ではなかった。
どこかで間違えた“創造のやりなおし”。
──きっと、神か人か、何かの姿を真似しようとして、途中でやめたような。
そんな、バグと悪夢の合いの子だった。
視界の右下に、またしても青いフレームがふっと浮かび上がる。
《ENEMY STATUS》
【NAME:???(再構成個体)】
【Lv:???(変動中)】
【種別:不明(複合融合体)】
【属性:獣/闇/混沌】
【耐性:火-△ 氷-× 雷-× 負-吸収】
【状態異常:スタン-無効/毒-低減/バインド-低確率】
【主な行動:融合突進/黒炎咆哮/反転生成】
【弱点:ロック不可(部位構成が固定されていません)】
【ドロップ:データ破損中(未読)】
【エラーコード:#R-999.α】
(……見えた……でも、読めねぇ)
(“名前”の欄がバグってる。レベルも“変動中”? ……そんなの、アリかよ)
(こいつ……明らかに、“設計されてない敵”だ)
【NAME:???(再構成個体)】※通称
その名が表示された瞬間──画面のフレームさえ、一瞬だけ揺らいだ。
“名づけられない存在”の、仮初めの呼称。
プレイヤーであるはずの自分すら、ログインしていたことを後悔するような……そんな“気配”だった。
背筋を冷たい汗がつっと落ち、剣を握る手の甲までぞわりと粟立つ。
(……チッ、雰囲気悪ぃ……でもやるしかねぇ)
リリアの身体──つまり颯太は、ゆっくりと剣を構える。
手の感覚は自分のものじゃない。指の長さも筋肉の付き方も違う。
だが、一振りしただけで分かる。──この身体、速い。
脈打つ血流と筋肉の反応速度が、現実のそれより半拍早く返ってくる。
ただし、ゲームで操っていた“理想のリリア”にはまだ遠い。
踏み込みは重く、剣筋には自分の癖が滲む。
慣れてきたが、完全には制御できない──だからこそ、張り詰めた危うさが全身に残っていた。
指先が汗ばみ、柄の感触が手に馴染んでいくたび、脳が戦闘モードへ切り替わっていく。
融合体が奇声とも獣声ともつかない音を上げ、四肢をバラバラに動かして突進してくる。
正面からではない。右上から。……いや、左下か?
動きが不規則すぎて、軌道がブレる。
足元の土がえぐれ、黒い煙が舞い上がり、森全体が敵の呼吸に合わせてざわめいた。
光が枝葉の隙間で不自然に屈折し、影が逆方向に流れていく。
時間の流れすら、一瞬ごとにねじれているかのようだった。
(フェイント混じりか……いや、“身体が複数”みたいな挙動だな)
剣を逆手に構え、一歩だけ横に滑る。
その瞬間、空を切った黒炎が背後の木を抉り、灰と化す。
灰は風に乗らず、まるで重力を失ったように宙を漂い、形を保ったまま消滅した。
肌を撫でる空気が一瞬だけ熱くなり、次の瞬間には氷のように冷たくなる。
(ヤベ……かすっただけでコレかよ)
二撃目、三撃目。融合体の腕や牙が、時間差で襲いかかる。
普通の相手なら間合い管理で避けられるが、こいつの攻撃は“タイミングそのもの”が狂っている。
しかも一撃ごとに、敵の形が変わる。腕だったはずの部位が次の瞬間には牙になり、背から羽が突き出る。
形態は安定せず、攻撃ごとに“存在の法則”すら書き換わっていく。
視覚で追っても間に合わない。感覚の奥に“ズレた拍子”が叩き込まれる。
(……動きが読みにくい。でも──)
颯太は口元をわずかに歪めた。
一瞬前までまとわりついていたぎこちない身体感覚が、戦闘本能に塗りつぶされていく。
心拍が上がるたび視界の色は濃く、耳は不要な音を切り捨てる。
残るのは、敵の呼吸と心音だけ。
──そして胸の奥で、かつての“ゲームのプレイ感覚”が鮮烈に甦った。
(慣れてきた……この体、思った以上に“勝手に”動く)
ステップ、ステップ、スウェー。
足捌きと同時に、腰のひねりで剣を振り抜く。
刃が融合体の外殻を掠め、黒い血のようなデータが飛び散った。
ギィイイ……と、耳障りなエラー音のような悲鳴。
その声には、単なる苦痛だけではない──“怒り”と、“助けを求める響き”が同居していた。
ほんの刹那、胸がざらりと疼く。だがその一瞬の情けは死に直結する──直感が鋭く告げていた。
(効いてる。でも、キリがねぇな……)
融合体は傷口から煙を上げながらも、逆に動きが速くなっている。
切ったはずの部位が、別の部位に“融合”して再生する。
目の位置すら変わり、視線を読むことさえ困難だった。
(……このペースじゃ押し切れねぇ)
──そのとき。
融合体の全身が一瞬だけ膨らみ、四肢が裏返るようにねじれた。
空気が吸い込まれ、周囲の音がすべて消える。
世界が一秒だけ「待機状態」へと凍りつき、敵と自分だけが取り残された。
森の色が抜け落ち、影と光の境界すらも消えていく。
存在そのものが“読み込み中”に置き換わったかのような虚無。
“次の一撃で決まる”──そんな確信が骨の芯まで突き刺さる。
(……やべぇ、このままじゃ……)
一瞬だけ深く息を吐き、剣先を下げた。
掌の奥で、見えない熱がじわりと膨らむ。
同時に胸の奥、心臓に刻まれた“封印の呪文”が軋みを上げ、背中の奥から羽根の幻痛が疼いた。
鼓動が世界の音と同調し、瞬きごとに視界が金と黒の閃光で裂ける。
(しゃーねぇ……使うか)
リリアの双眸が、金とも黒ともつかない光で淡く揺れる。
指先が、見えない何かをなぞるように震える。
そして次の瞬間──彼女は静かに右手を掲げた。
空気が震える。
森全体が剣先に吸い込まれるようにざわめき、融合体の呻き声はノイズ混じりの咆哮へと変わる。
それは獣の声ではなかった。
まるで“世界そのものが拒絶”の声を上げているような──悪夢の警鐘。
木々の葉が一斉に裏返り、影が地面から剥がれ落ちて、宙に浮かぶ。
風は吹いていないのに、世界がざわめき、森がひとつの巨大な心臓のように脈打った。
──だが、もう止まらない。
リリアは、自分の意志でその力を解放した。
その解放が何を呼び込むのか──森を救うのか、それとも世界を壊すのか。答えは、まだ闇の中だった。