第五話:融合獣と禁忌詠唱《アレマサ》
その瞬間、リリアの身体──つまり、颯太の奥底に眠る“何か”が、深海で反転するように目を覚ました。
(……やるしかねぇ。……行くぞ)
空気がびり、と震える。
骨の芯にまで染み込む振動が鼓動と同期し、世界の呼吸と重なる。
リリアは静かに立ち上がる。
その瞳には、もはや一片の光もない。
意識は深く沈み込み、奥底で“かつての自分”が目をひらいた。
《認識コード、LILIA=再導入》
《アクセス:旧世界コード999》
《リンク:本体ユニット“犬飼颯太”──同期継続中》
指先から、黒い稲光のような“光”が奔る。
熱でも冷気でもなく、データが焦げる匂いを伴った異質な閃光。
「──これは、“書き換え詠唱”。この世界の記録ごと燃やす術……」
森のざわめきが止まった。
風が息をひそめ、葉の一枚すら揺れない。
(……いやいや、ちょっと待て。セリフが完全にラスボスなんだが?俺、勇者側じゃなかったっけ……?)
「《千魂葬陣・アレマサ》、起動詠唱」
世界が軋む。
木々の影が逆流し、大地に刻まれた足跡が一瞬で消えていく。
「天の階より名を奪いし者よ……」
声は、驚くほど澄んでいた。
「七十二の羽根を捨てし堕天よ……」
響きは、懐かしささえ孕んでいた。
──一拍。呼吸が止まる。
「再び、“黄泉の扉”を叩かん」
銀髪が風もないのに揺れ、瞳は虚ろに空を見上げる。
背中から放たれる気配は、颯太ではなく、リリアという存在そのものだった。
足元に滲む、漆黒の靄。
それは魔法陣ではない。
“魔法陣が記されていた場所”そのものが、エラーとして塗りつぶされていた。
(え、これ……チートどころかバグ技じゃん!? GMに怒られるやつ!)
「我が記録番号、旧約《No.999》」
「記録の外より顕現せし残響」
「されど、この手は断ち祓う刃を忘れず──」
指先が虚空に“羽根”を描く。
神聖で、同時に禍々しい輪郭。
(……いやいやいや、誰だよ今のポエム調。俺の口から出てるんだよなコレ!?)
天と地の座標が崩れる。
空を走る黄金と黒のグリッチ。
モンスターたちはログアウト中のアバターのように沈黙した。
《詠唱進行度:88%》
《座標リンク完了──天獄断層より影響波検出》
(進行度ってRPGかよ!やめろ、ラスボス戦のBGMが脳内で流れだすだろ!)
「《冥絶ノ書》第七頁──開帳」
「術式、再構成」
「属性:負。原初コード:ゼロ」
──空間が水面のように波打ち、リリアの影が幾重にも広がった。
「神よ、記せ。悪魔よ、祓え」
「この呪詛の詩に名を刻みし時──」
(……俺、もう完全に戻れねぇやつじゃん。てか演出濃すぎて読者引かない?)
「我が力と記憶は──永劫の螺旋に帰順せん」
《詠唱進行度:99%──最終認証完了》
そして、リリアは天に手を伸ばす。
祈りにも似た仕草。
だがその瞳には、何も映していなかった。
「……この術式が使えるのは、あと一度だけ」
「……それまでに、この世界を終わらせる」
(サラッと超重要情報言った!? あと一回って寿命制限アイテムかよ!!)
「《千魂葬陣・アレマサ》──いけぇ!!」
──ゴグンッ!!
耳の奥を砕く“世界の軋み”。
十本の黒き腕が背から咲く。
一本が空に触れた瞬間、風も重力も崩壊した。
地面が裏返り、草は根ごと蒸発する。
木々は粉塵となって宙に舞い、存在の記述がひとつずつ削除されていく。
(オーバーキルどころじゃねぇ!これ絶対エンディング後の裏ボス技だろ!)
──そして、静止。
森の中心に空いたクレーター。
そこにあったものは、記録ごと消滅していた。
空は歪み、音も風も色も失われている。
まるで“描き忘れられた世界”。
(……ゲームで見た勝利演出に似てるけど……なんで俺、ちょっとワクワクしてんだ?)
最後に、黒い羽根がひとつ舞い、光屑に溶けた。
リリアは静かに目を閉じる。
「……ふーん……けっこう気持ちいいじゃん、これ……♡」
(はい出た!ヒロインボイスで危険ワード!……俺、完全に闇落ちルート入ってない?)
(……ま、いっか♡)
その笑みは、あまりにも無敵だった。
──しかし。
削除領域の縁から、視線が刺さっていた。
振り返るより早く、“笑い声”が届く。
乾いているのに、艶を帯びた声。
男か女か判別できず、胸の奥にざらりと既視感を残す。
次の瞬間、その影は音もなく消えた。
残ったのは、胸に焼きついた視線の残像と、虚無に落ちる黒い羽根。
リリアは、それに気づくことなく──
静かに息を吐き、歩き出した。