『第一話・前編 (1):ぬいぐるみ勇者、首吊られながらパンツの章突入!?』
朝露が残る森の小道。
木々の間から斜めに差す光が、ゆらりと揺れる緑を照らしていた。
鳥の声と、足元の湿った落ち葉の感触──空気には、土と苔の匂いがほんのりと混ざっている。
時おり、草葉の影で青白く光る胞子がふわりと浮かび、風に揺られて儚く散っていく。
その軌跡はまるで、誰かが空中に短い物語を描いては消していくようで、現実世界では決して見られない“幻想の呼吸”だった。
つい昨日、俺たちは森の奥にある小さな村を後にした。
村人たちは見送りながら「気をつけて」と笑っていたが、リリアは「たぶん大丈夫!」とだけ返し、元気いっぱいに森へ踏み出した。
──その声と笑顔が、いまも背中を押してくれている気がした。
「ねえワン太、もうちょっとで森を抜けるよ。たぶん!」
(いや、“たぶん”って……お前また完全に道、分かってねぇだろ)
(……てか、俺がどうしてこんなぬいぐるみ姿で森の中にいるのかも、いまだに謎のままなんだけどな)
白いショルダーバッグの口から、俺──ぬいぐるみ“ワン太”は今日も顔だけ出している。
といっても中身は、ただの犬のマスコットじゃない。
俺の正体は、《エデン・フォース・オンライン》で世界を制した最強プレイヤー、犬飼颯太。
かつては“リリア”という美少女キャラを使い、魔王討伐から国家統一までやり遂げた伝説の男だ。
──で、今はそのリリアに拾われて、なぜかこの世界で一緒に旅をしている。
(あー……なんかもう、ツッコミが追いつかねぇんだよな)
拾った側の彼女、リリアは──どう見ても俺のアバターそのまま。
少し幼くなった気もするが、髪型も目の色も、顔つきも声も……まさに“作り込みの集大成”。
だが、なぜか記憶がほとんどない。
名前だけは「紙に書いてあった」と言っていたが、最強だった“あのリリア”のことなど知らない様子だ。
(こっちはまだ混乱してんのに、当人は「旅、たのし〜♪」って……天然か、運営の陰謀か、はたまた物語の始まりか)
「よいしょ……あっ、ちょっと滑る〜……!」
リリアが湿った根っこを踏み外し、ぐらりとバランスを崩す。
その瞬間、森の奥から木霊するように小枝の折れる音が返り、わずかに鳥の声が途切れた。
バッグの中の俺はブンブン振られ、中綿が右脇に寄っていく。
(おい、こっちは完全に命綱ぶら下がり状態なんだぞ)
(首が変な方向向いてんの、分かってるか!?)
「ごめんねワン太。もうちょい頑張って♡」
(が、がんばれって……俺は吊るされてるだけなんだけど!?)
(必殺技=『動かないで見守る』。……いやそれ、ただの置物スキルじゃねぇか!)
(中綿ちぎれたらどう責任取るつもりだコイツ……! 裁縫スキルLv1で縫えると思うなよ!?)
振り回されながら、俺はなんとかバランスを保とうと必死だった。
──が、その最中、ふと目に入ってしまった。
リリアのスカートの裾が、後ろのパンツに思いっきり挟まっているのを。
白い布地がひらりとのぞき、森の木漏れ日にさらされながら、彼女は気づかず前のめりに歩いていく。
(……いやいやいや! それ、俺の首の危機よりよっぽど緊急事態だろ!!)
(っていうか俺、ぬいぐるみだから目を逸らすこともできねぇんだぞ!? これ完全に強制視聴モードじゃねーか!!)
(おい運営! バグ報告だバグ報告!! 勇者リリアの伝説、ここで“パンツの章”に改竄すんなよ!!)
──森の鳥たちが一斉に黙り、風すら止んだ気がした。
その沈黙の中で、俺の心臓だけがやけにうるさく響いていた。