プロローグ
私は、怯えていたのか。
もしかしたら、『愛される』という行為によって自分が駄目になってしまうかもしれないことを危惧していたのかもしれない。
私はもう駄目駄目やったのに、何を恐れることがあるねんやろ?
つまらない、可愛げがない、中身がない。そう言って十年連れ添った元旦那はどっかの女のもんになった。そんなバツイチ四十代女。子はいない。まあ、救いはない。
私が、離婚後知り合った、甲斐甲斐しく私の世話をしてくる十五も年下の男に髪を梳かれ、『愛』を囁かれた時、第一に感じたのは何故か恐怖やった。
嗚呼。嗚呼。嗚呼。
どうせあんたも元旦那のように、他の女にも『愛』を囁いてんやろ?
どうせ私なんか暇つぶしのお遊びやんな?
「好きです、先生」
やめて。
可愛いと思ってるあんたの雄じみたそんな顔なんか、見たくない。
やめて。
私の心の奥深くに仕舞い込んだ雌が息を吹き返して芽吹いてしまうから。
「もう失いたくない」
「俺はあんたから離れない」
だから、お願い。
ホンマの名前で呼ばんといて。
「……愛香さん」
嫌や。
艶めいた声で、吐息交じりの声で、優しく荒々しい声で、私を呼ばないで。
私は、アラームと同時に異常な頭痛で目を覚ました。
いや、この痛みの原因はなんとなくわかっとる。
酒の飲みすぎ。所謂、二日酔い。
恐らく私が寝ているのは柔らかい上等なベッド。
この寝心地には覚えがない。
私は、ベッドとかそういうもんは適当にネットで買ったやつを何年も使っとるし、こんなにふわふわな寝心地、あり得ん。
しかも、至近距離で寝息が聞こえる。恐らく、若い男の寝息。
やらかしてしもたか……?
私は、恐る恐る重い瞼を開き、私を抱きすくめて寝てらっしゃる男のご尊顔を見てみることにした。
「しもた……」
思わず声が出る。
私を抱きしめて薄着で寝ているのは、塚原という、私の知ってる編集者やった。
私は、十九で作家デビューし、デビュー作で某文学賞を受賞して一躍有名小説家の仲間入りをした。
最も得意とするのは恋愛や青春などのジャンルだが、依頼にはオールマイティに対応はしている。
仕事は順風満帆だが、私生活では、最近元旦那の不倫が発覚、私がキレて離婚をした。
幸い、子供は出来ず仕舞いだったのでその辺はめんどくさいことにはならなかったが、「あの人気小説家、神宮寺奏雨が離婚した!!」「しかも旦那に浮気されてたんだって!!」と少しばかり騒がれてしまった。
さて。塚原は、元旦那と離婚し、自暴自棄になっていた頃に、某編集社の担当編集が、新人教育にと連れてきた入社したての二十五才。私より十五才年下の若造や。
なんで、そんなやつと?
昨日、何があったかさっぱり思い出せん!!
「……せんせい」
「ひょわ!?」
私が頭痛に抗いながら昨日の事を必死に思い出そうとしていると、隣で寝ていた塚原がのっそり、と起き上がり、私は悲鳴を上げた。
「おはようございます……」
「お、お、おはよう……」
うっわ、気まずい。よく見たら思い切り情事の痕あるやん……。お互い(恐らく塚原も)すっぽんぽん……。完璧事後ですやん……。と私が頭を抱えていると、塚原がじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「え、あ、な、なに?」
「いや、細かったなぁと」
ちゃんと食べて寝てくださいね。
その塚原の言葉が、私は苦しかった。
私に、しっかり常人のように寝食する資格なんてないんだよ。そう言いかけて辞めた。
この『私の問題』に、この若造を付き合わせたらいけないから。
その直後から塚原は暇さえあれば私の家に来て、私の寝食の世話をしてくるようになる。
―プロローグ end―