79,幸せな気持ちのまま眠りにつくことと母から受け継いだところとアルバイト
「ただいま」
「ああ、おかえりなさい」
家に入ると、父と母は、居間でテレビを見ているところだった。母が言う。
「お昼は食べてきたのよねえ」
「うん」
「そう」
母はテレビに視線を戻す。旅番組をやっている。
別に僕の心配なんてしていなかったようだ。だったら、もう少し彼と一緒にいたかったけれど、しょうがない。
僕は二階に上がる。彼と会えてうれしかったけれど、久しぶりの外出は、やっぱり少し疲れた。
小説は、後の楽しみに取っておくことにして、少し休もう。着替えて、僕はベッドに横になる。
最近は、左腕を庇いながら着替えることも、ずいぶんうまくなった気がする。ぼんやり天井を見ながら考える。
彼はもう、駅に着いて電車に乗っただろうか。ここから彼のマンションの最寄り駅まではけっこうかかる。
途中で乗り換えがあるし。こんなに遠くまで会いに来てくれて……。
目を閉じて、今日あったことを一つ一つ思い返す。
公園のベンチに向かって歩いて来る彼を見たときは、ちょっと小此木山で初めて会ったときみたいだった。素敵すぎて目が離せないっていうか。
ケガのことを心配してくれて、お母さんとのことを気遣ってくれたのも、彼らしくてうれしかったな。僕の好きな本を買って、感想を言い合おうって言ってくれたのも。
用賀くんと会った僕の気持ちを心配してくれたことも、「ちょっと嫉妬した」なんて言ってくれたことも、久しぶりに一緒に食事をしたことも、家の近くまで送ってくれたことも、全部全部すごくうれしかったし、幸せだった。
だって、あんな素敵な王子様が、僕に優しくしてくれて、僕のことを好きでいてくれるんだよ。あんなパーフェクト・オブ・パーフェクトが、僕の恋人なんだよ……。
僕は幸せな気持ちのまま、いつしか眠った。もしかすると、眠りながらほほえんでいたかもしれない。
そんなふうにして、毎日彼とチャットしたり電話したり、ときどき会ったりしながら日々は過ぎて行った。そろそろギプスが外れるという頃には、梅雨も明けて、すっかり暑くなっていた。
そんなある日、部屋で彼と電話していた僕は、思い切って切り出した。
「あの、ずっと考えていたことがあるんだけど」
「うん? 何?」
「うまく話せるかどうかわからないんだけど……」
僕の言葉に、彼が優しく言った。
「いいよ。大丈夫だから、話してみて」
「うん。あのさ、アルバイトのことなんだけど」
「うん」
「僕がケガをしたとき、お母さんが叔父さんに電話して、ケガが治るまでアルバイトを休むって言ったことは話したよね」
「うん」
「でも、お金はお見舞いとして今まで通り払うって言われて」
「うん」
「それじゃ申し訳ないからって、お母さんが掃除に行くようになって」
「うん。お母さんのそういう律義なところ、晴臣くんも受け継いでいるよね」
「えっ、そう?」
「そうだよ。僕はとても素敵なことだと思うけどね」
「あ……」
「ごめんごめん、話の腰を折っちゃったね」
「そんなことはないけど」
「それで?」
「ああ、うん。もともと僕のために作り出してくれたも同然のアルバイトだけど、ケガをする前はともかく、何もしなくてもお金をくれるっていうのは、なんていうか、ボランティアどころじゃないっていうか……。
僕の言いたいこと、わかる?」
「わかるよ。つまり、言葉は悪いけど、施しみたいっていうか」
「そう、そんな感じ。お父さんは、あいつは金持ちなんだから気にせずもらっておけばいいって言うんだけど」
「なるほど」
「叔父さんはとても優しい人だし、好意でそうしてくれていることはわかっている。でも僕は、やっぱりそれは違うと思うんだ。
お金は、ちゃんと働いた対価としてもらうべきで、そうじゃないのに、ずっともらい続けるなんてできない」
「そうか。それで、晴臣くんはどうしたいの?」




