閑話 劉備と曹操 鎌倉とアフガニスタン そして元親1
今作は、冗長にならぬよう1話2500字を目安とすることにした
まず書き上げて、予約投稿をする
投稿したら、推敲を始める
気づくと、朝が近い
いつの間にか、文字数は、4000字を超えている
推敲とは、なんだったんだろう?
泣く泣く文字数を減らし、話のつじつまを合わせる
よしっ、目標は、1話3500字前後に変更だ
そして、人物は、まだ4人しか出てきていないのに、なぜか書き始めた時と性格が違う人物が、すでに複数人も居る
そもそも、話の内容からして、変わってきている
そんな三国志物語の箸休め『閑話』を書いてみた
◆ ◆ ◆ 禁酒令と劉備 ◆ ◆ ◆
稔りの秋。
しかし、その年は違った。
曹操は、宮廷に上奏し、禁酒の制を定めた。
その理由は、「酒によって滅びた、亡国の戒め」である。
しかしながら、酒の原料となる穀物を供出させることが、本当の目的であった。
私は、閣下が、
『ただただ、穀物を惜しんで法令を布告した』
そう考えています
アル中の孔融は、そう皮肉って批判した。
稔りの秋。
そのはずだったが、劉備勢力でも、穀物が足りない。
とっても困ったので、禁酒令を出した。
「食べ物が足りないので、酒造り禁止!」
すごく分かりやすい布告であった。
劉備自ら、街に出て、かつて酒造所だったと思われる場所を捜索する。
思った通り、密造することも可能な、酒造り用の道具が置いてあった。
「この者どもを捕らえよっ!」
指示する声に、衛兵が動く。
その時であった。
古くからの部下である簡雍が、声を上げた。
「殿、あちらを歩いている男女も、捕らえるべきです。」
「ん?あやつらは、酒造り用の道具など、持っておらんようだが?」
どうみても、手ぶらにしか見えない1組の男女。
劉備は、いぶかしげに簡雍を見つめる。
「いえいえ、あの2人は、淫行の道具を持ち歩いております。風紀の乱れを許してはなりません。」
「何を言っておる。2人は、手ぶらではないか。」
「その股間に、凶悪なものを持っておりまする。」
この答えに、劉備は、大笑い。
その場で、酒造り用の道具を持っているだけでは、罰を与えないことを約束した。
しかし、ここで、簡雍は、確かに「男女を捕らえよ」と言っていることに注目したい。
男性が、それをぶら下げていたというだけでなく、女性の側も、簡雍から見て、凶悪な何かを持っていたということであろう。
◆ ◆ ◆ 孔融は指折りの文化人 ◆ ◆ ◆
建安七子の一人に数えられる文化人、孔融。
ただ、孔子の子孫という割には、「親がクズなら、見捨てて他人を助けろ」のように、孝道から外れた意見を述べるなど、あなた儒教家?と言いたくなる言動・・・逆に言えば、孔子の子孫だから、こんな無茶を言えたんだろうな。って思う。
孔子って誰?っていう状態ならば、「クズ人間は、見捨てろ」って言うだけで、炎上しそうだもの。
実務・・・特に、行政と、軍務に向いておらず、屁理屈をこね、政策には、名家の人脈と、豊富な先例の知識を源泉に鋭い舌鋒で、思いっきり皮肉をこめて、反対することが目的にしか見えないの反対意見を発する。
曹操でなくとも、はらわたが、煮えくりかえるだろう。
うーん、探したらどっかの職場にもいそうだな。
そういう人に限って、閑職に追いやられたり、解雇されたら、不当解雇を訴えて裁判なんかはじめちゃいそう・・・
「いや、だって・・・実務につけたら、仕事の邪魔するんだもの・・・倉庫の仕事くらいしか、まかせられないよ・・・」
ただ、孔融と違うのは、コミュ障で職場に友達が少ない人の割合が、多そうだということ。
曹操が、孔融の処刑をためらったのは、孔子の子孫であることと、文才を惜しんだこと、そして、孔子と文才に惹かれた人々・・・広い人脈が理由だろうから。
って、ことは、閑職に追いやられそうだと思う人は、周りの人と良好な関係を作って、会社に対抗すれば・・・いや、そんな人なら、そもそも閑職に追いやろうって、会社側が思わないか・・・
話は戻って、孔融。
本当は、曹操のこと大好きだったんじゃないかな。
だって、曹操さん、知的レベルが高くて、戦は強く、行政手腕が高くて、なによりそれらについての説明が論理的。
孔融としては、この人相手に、理屈をこねて反論を考えるのが楽しくて仕方がない。
他の(孔融から見て)無能な人と違って、無視せず、ちゃんと、実生活に役立たない議論の相手をしてくれるんだもの。
だから、嬉々として、皮肉をたっぷり詰め込んだお手紙を出していたような気がしなくもない。
◆ ◆ ◆ 鎌倉幕府は、いい国をめざす ◆ ◆ ◆
鎌倉に、武士による政権を打ち立てた源頼朝は、「勤倹礼節」を守らせようとした。
出陣の儀式の品も、質素なものとし、酒と打鮑と搗栗と昆布を通例としている。
これは、「敵に打ち勝ってよろコブ」縁起のよい語呂合わせ。
※うち(あわび)
アワビの身を細く切って薄くのばしたものを、乾燥させたもの
酒の肴で、おつまみ
※かち(ぐり)
皮のまま干した栗を、つぶして、皮部分を除いたもの
これも、お酒のおつまみ
※こぶ
昆布っ!もぐもぐ
で、幕府の執権・北条さんは、「勤倹礼節」「お酒の飲みすぎには、要注意!」って、つねづね言ってたんですけど・・・
泥酔している武士が、往々にしてみられる。
そこに起こった、建長4年(1252年)の日照り。
米稗粟麦・・・とにかく、穀物というか、食べるものがない。
幕府は、「沽酒の禁」を出すことにした。
これは、お酒の売買を禁止するもの。
民家にある酒つぼ、1戸につき1つぼだけ残して、ぜーんぶ打ち壊す!
うーん、もったいない。
この時、割られた酒つぼは、合計で3万7千247。
1個を割らずに残すところが、日本らしいって思うか、247の端数まで記録するところが、日本らしいって思うか・・・
ただ、3万7千程は、壊したってことは、だいぶん密造酒があって、売買されてたんだなぁって思う。
だって、重度のアルコール中毒状態になるほどに、毎日いっぱい飲まなければ、民家にそんなにお酒があっても、自家消費できないでしょ?
◆ ◆ ◆ タリバぁンは、いい国を ◆ ◆ ◆
2022年1月2日のこと。
アフガニスタン首都カブールの運河に流されたのは、3000リットルのお酒。
「イスラム教徒はアルコールの製造・供給を絶たなければならない」
ってことで、強制捜査で、押収されたお酒をぜーんぶ河に流して処分。
ドラム缶のお酒を流し込まれた運河のお魚は、酔っぱらわなかったでしょうか?
そして、当時は、コロナ禍真っ只中。
捨てるくらいなら、蒸留してアルコール度数を高め手指の消毒などに用いればいいのに・・・
そういえば、あそこらへんの農作物・・・名産品は、ケ・・・し・・・の実から採ったなにか。
そっち、捨てたほうが・・・いやなんでもありません。
◆ ◆ ◆ そして元親 ◆ ◆ ◆
長宗我部元親百箇条。
それは、土佐の大名、長宗我部元親が、1597年5月10日(慶長2年3月24日)に発布した分国法。
分国法って言われると、今川家のイメージだなぁ。
で、長宗我部分国法・・・主な内容は、
喧嘩・口論は硬く停止!
この旨に背き、勝負に及べば理非によらず成敗!
国家への反逆や、国中への悪口、流言飛語は重罰刑!
博奕、賭博禁止!犯人隠匿には、連座制をもって処罰!
『★大酒禁止!』、踊り禁止!、相撲見物禁止!、遊山振舞禁止!
隠田禁止!・・・もてあます場合、百姓の首をはねる
武士は、第一鉄砲、弓馬を専ら心がけること!
密懐法!!!
武家の夫は、妻が密通を行った場合、妻を殺害すべし
しない場合は夫、妻、姦夫の三者すべて処刑!
あまり言われていない気がするけれども、最後の密懐法は、結構、危ない内容な気がする。
ただ、今回は、大酒禁止の話。
ある日のこと、土佐領内で禁酒令を出していたにもかかわらず、長宗我部元親は、城に大量の酒を運び込もうとしていた。
そこに通りがかったのは、福留儀重。
「おっさん、あんた、この前、禁酒令を出したよね?」
「あっ、いや・・・その・・・」
こうして、禁酒令は、重臣・福留儀重に諌められ撤回することになりましたとさ。
いやぁ、劉備にとっての簡雍。
元親にとっての福留儀重。
こういう諌言をする忠臣がいると、素晴らし・・・ん?
福留儀重
1549年?月?日(天文18年)- 1587年1月20日(天正14年12月12日)。
あれ?九州の戸次川の戦い?
あの仙石秀久が、秀吉の持久戦指示に反した上、元親の反対した未熟で無謀な渡河戦術で島津軍を積極的に攻めて、長宗我部信親や十河存保を戦死させた上、戦場から讃岐国まで、一目散に逃げた戦争。
そこで、福留儀重も戦死してる?
戸次川の戦いは、1587年1月20日(天正14年12月12日)。
長宗我部元親百箇条は、1597年5月10日(慶長2年3月24日)発布。
天正年間に死んでる人が、慶長年間の法の運用に諌言?
うーん、幽霊のお話なら、夏のホラーの時に書けばよかった。
そういえば、高知の飲み会で、「わたし、お酒飲めます」って言ったら、大変なことになるので、要注意。
って、あまりに長いので、劉備と曹操 鎌倉とアフガニスタン そして元親2 に続く