第4話 曹操は、要らない2
貴重な紙を使い、書簡を送りつけてくる。
その内容は、ただの皮肉で、食糧逼迫の状況を改善するわけでもない。
故事に詳しく、説明をすればするほど、新しい反論を考えてこちらによこす。
悪意の塊と切って捨てればよいのだが、おそらく、本人にそのような感覚が無さそうなところが面倒くさい。
いや、それでも、あの時は、悪意があったと言ってもいいかもしれない。
◆ ◆ ◆ 袁家の嫁 ◆ ◆ ◆
西暦204年、曹操は、やっとの思いで袁家の本拠地であった鄴ぎょう城を陥落させ、城内へと進入した。
まず、曹操は、覇を争ったものの元は親友であった袁紹の墓に赴き、涙を流すパフォーマンスをみせた。
さらに袁紹の妻を保護し、下僕と宝物を返したうえ、貴重な絹や綿などを授けた上で、官から扶持米を与え、衣食を保証した。
もちろん、袁紹が親友であったことも、理由の一つではあるが、それ以上に、この河北の地では、袁紹の善政の記憶が浸透していることが大きかった。
民に曹操の良いイメージを植え付けるとともに、名家名族であった袁紹周辺の人物を、自分の麾下に取り込むためには、袁家に対して、仁義を切り、礼を尽くすことが大切であると、曹操の腹心で、自身もこの地方の名族・潁川荀氏出身の荀彧にこんこんと諭されていたからだ。
名族の繋がりは、日本でいうと、どこどこ大学出身、あるいは、どこの会社に帰属といったものに似ている。
例えば、長沼健、小倉 純二、田嶋幸三、川淵三郎、木之本 興三、岡田武史など、日本サッカー協会で、適当に名の知られた人物を挙げていくと、全て古河電工関係者だったりするといったのと同じ具合に、名族の繋がり・・・人脈が、全てモノをいうといった部分があるのだ。
こうして、曹操が、戦後処理に心を砕いている間に、ある慶事があった。
曹操の息子、曹丕の嫁とりである。
お相手は、その美貌で名高い袁熙の妻・甄氏。
袁熙とは、袁紹の息子のひとり。
幽州へと出陣している袁熙とは離れて、この鄴ぎょうの都に残っていた甄氏を、その屋敷に入りこんだ曹丕がさらうように我が物にしたのだ。
そして、事後報告に似た形で、曹操に自らの妻にしたい旨を伝えてきた。
曹操は、苦笑しながらも、首を縦に振り、甄氏は、曹丕の妻の座におさまることとなる。
しかしながら、ここで呼ばれもせぬのに登場してきたのが、あの男であった。
またもや、曹操に書簡を送ってきたのだ。
あぁ、そういえば、周の武王が殷王朝の紂王を討伐した際に、
稀代の悪女・妲己を弟の周公旦に賜ったといいますなぁ・・・
妲己は、紂王の妃で、その地位を悪用し、王を操って悪政を施し、殷王朝滅亡の大きな要因となったとされている。
実際は、武王は、妲己の首を斬って旗に吊るし、「紂王が滅んだのはこの女が原因である」と、さらし者にした。
広く知られたその話を、「妲己を、儒学で聖人に次ぐ扱いの周公旦に与えた」という、どう読んでもおかしな内容が書かれた手紙である。
曹操は、念のため、いったいどのような書物にこのような話が記載されているのかと、男に尋ねた。
「今回の曹操閣下が、甄氏を曹丕様の妻として与えたことから推測してみますに、きっと武王も周公旦に妲己を与えたのだろうと想像しました。閣下ほどのおひとがすることならば、きっと古の聖人も同じことをするでしょうからな。」
男は、恥じる様子もなく、このうようにうそぶいたのだ。
実際には、男は、分かっているはずなのである。
甄氏の出身である中山・甄氏は、世々二千石といわれる代々の名家。
袁紹の御曹司がために嫁に迎えるほどの家門で、冀州でも最上位にあたる。
曹操が、この地域を手っ取り早く掌握するために、中山・甄氏を中心に名家の繋がりを得る。
曹丕の嫁とりは、戦略上不可欠とまではいわずとも、必要なことであったのだ。
分かったうえで、皮肉った上に、こき下ろす。
なんとも、いやな男であった。
◆ ◆ ◆ 器を割る ◆ ◆ ◆
いびつで中途半端で実用性が皆無の大器の持ち主。
それは、孔子より数えて第20世の子孫に当たる名家中の名家の人物で、名前は、孔融。
不満分子となり得る人物・・・いや、水面下にしか存在しないはずの不平不満を水の上に浮かべることを好む、良く回る舌を持った人物。
このような人間を、大事な南征に連れて行って邪魔をさせるわけにもいかないし、留守居に置いておくわけにはいかない。
孔子の子孫ということで、『孔融の交友関係』は、名家・名族を中心にとにかく広い。
留守の間に、都で名家・名族による反乱が起こるなど、曹操にとって悪夢でしかないのだ。
自軍を南方に動かす直前に、曹操は、この使い物にならない邪魔な器を叩き割る決断をした。
つまりは、孔融を叩き斬ったのだ。
◆ ◆ ◆ 大好きな女の子 ◆ ◆ ◆
しかし、この孔融、実は、面と向かって相手を皮肉り短所を指摘する反面、その裏では、けなした人物の長所を称賛する発言もしていた。とも言われている。
そう考えると、孔融の内心は、これほど、皮肉った言葉を投げつけた相手である曹操のことを、敬愛していたのかもしれない。
好きな女の子に嫌がらせをする小学生のように・・・
◆ ◆ ◆ 曹操は、思索する ◆ ◆ ◆
曹操は、こめかみを叩く指先をピタリと止め、閉じていた目を開けた。
『孔融は、孔融ひとりで十分だ。』
今、この時、並ぶ群臣より、嘲笑を受けている益州の小男・・・この男の才は、孔融の足元にも及ばない。
そもそも、友好の使者としてやってきておいて、相手の新兵法書を昔からある等とこき下ろすのは、論外だ。
仮に似たようなものが存在したとしても、「まぁ、なんと素晴らしい兵法書でしょう。このような戦術は、見たことも聞いたこともございません。」・・・このように言う能力がある者こそ、外交の使者にふさわしい人間だ。
あぁ、孔融であれば、分かったうえで、相手をこき下ろすであろうか・・・どちらにしろ、外交の使者には、使えぬな。あれは・・・
そして、この男は、孔融ですらない。
現在の立場は外交官であるという自分の立ち位置すら、分かっていない、口だけの人間である。
斬るまでもない。
曹操は、そう判断した。
益州蜀の名門・張家の人間で、劉璋の家臣であるからして、そっと益州に返却してやればよいだけだ。
つまらぬところで、火種を作り、南征の際に益州人に後背をつかれるような心配事を作る必要などないのだから。
それよりも、我が家中だ。
曹操は、並ぶ群臣のなかで、ひときわ大きな声で腹を抱えて笑う男に目をやった。
『このサイコパスめっ。』
おそらく、目の前で震える益州の小男は、このサイコパスの手の平の上で転がされ、遊ばれたのであろう。
サイコパスの遊び道具は、すぐに壊れる。
人が、どう破滅するか・・・転がり落ちていくかを楽しんでいるのだから当然だ。
そして、その魔の手は、我が曹家にも伸びている。
それは、跡目争い。
ワシが滅ぼした袁家のお家騒動・・・長子の袁譚と、末子の袁尚の骨肉の争いが発生してから、その魔の手がうごめく様子が、顕著に見えてくるようになった。
そう、群雄のリーダー格でトップランナーであった袁紹は、生前に明確な後継者を選んでいなかった。
このため、長子の袁譚と、袁紹に最も可愛がられた末子の袁尚が、河北四州の支配権を争って、分裂したのだ。
ワシは、官渡の決戦において、袁紹陣営に勝利したとはいえ、袁紹の存命中は、その支配地域に足を踏み入れることさえ出来なかった。
袁紹は、普段より民衆に仁政を行っており、官渡での敗戦があったとはいえどもその軍を完全に掌握していたため、隙を見出すことが出来なかったのだ。
しかし、家中が分裂してしまえば、いくら袁家であろうと、それはそれは、脆い・・・
その最期は、あっけのないものであった。
このサイコパスは、袁家の末路を見て、新たな玩具を見つけた思いであったのであろう。
新たな玩具の名は、曹丕と曹植。
・・・ワシの息子たちだ。
近年は、特に曹植に近づくこと著しい。
『答教』と名付けたワシに対する想定問答集を作り、これを読み込んだ曹植の実績の底上げを謀っていることも、すでに判明しておる。
おそらく『素のまま』の曹丕と『能力値を上げ底した』曹植、どちらを後継者にするか、ワシが悩むように誘導しておるのじゃろうな。
◆ ◆ ◆ 汝を如何んせん ◆ ◆ ◆
宮廷に居並ぶ群臣たちは、立ちすくむ小才子・・・益州の小男を言葉でなぶりながらも、気もそぞろに指先でこめかみを叩く丞相・曹操の、心ここにあらずといった様子の原因を、この後に控える最大の難事、東呉・揚州攻めに気が向いているせいだと考えていたかもしれない。
しかし、そうではない。
『揚州』違いである。
曹操は、この事態を引き起こした元凶であろうサイコパスについて思いを巡らせていたのだ。
曹操は、思索する。
舌の回る孔子の子孫は、すでに排除した
我が力は、山を抜き、その気勢は、世を蓋う
時は今、天を下し、全てが我の味方である
さて、『楊修』の処分、如何にすべきか・・・
宮中に響く群臣の笑い声は、いまだ止まらない。
そして、曹操の指は、再びトントンとこめかみを叩きはじめた。