第28話 馬謖と作者は、巴蛮に怯える5
山を越える際には、谷沿いを進み、高みを見つけては、高地に場所を占める。
戦に入る際は、高地から攻めくだり、自らより高い地を占拠する敵に向かって、攻め上がってはならない。
これが、山地にいる軍隊の原則である。
つまり、傾斜地をもつ戦場では、上に陣取るものが、有利。
孟徳が新たに書いた「改訂版・孫子の兵法書」にも記されている、兵法の基本中の基本であった。
山よりくだる蜀漢軍は、曹魏の軍を圧倒するはず。
坂道から岩を転げ落とすように、加速をつけて攻め寄る馬謖本隊に、ためらい、怯え、足踏みする敵部隊。
これを、位置エネルギーを味方にし、勢いをもって押しつぶすのだ。
馬謖と参軍・陳某は、目を合わせ、ニヤリと笑う。
自軍の勝利を確信したのだ。
しかし、机上の計算は、テーブルの上でしか通用しない。
現実は、そう上手くいくものではないことを、彼らは知らない。
間もなく、ふたりの顔の笑みは消え、その軍は、恐慌状態に陥るのであった。
◆ ◆ ◆ 諸葛亮の挫折 ◆ ◆ ◆
諸葛亮の悄然とした表情は、取り繕いようのないように見えた。
彼を、鬱然とさせるなによりの原因は、自身の人を見る目の無さ。
すなわち、馬謖である。
「馬謖に、軍の指揮だけは、任せてはならない!」
劉備は、死の床にありながら、諸葛亮に対し言い含めるように指示を遺した。
人を惹きつける魅力以外、この領袖に劣ることなど何一つ無いと考えていた諸葛亮にとって、この劉備の人物眼の確かさは、意外で、彼はいま、目を開かされる思いであった。
それは、王平についても同じ。
わずか10個の漢字しか知らぬ異民族の男は、軍を・・・しかも、現地で得たばかりで、部隊に取り込んだばかりの兵を見事に統率しただけでなく、敗残の兵を収容し、整然と退却戦を戦い、見事にしんがりを務めた。
英俊の馬謖・・・諸葛亮の愛弟子ともいえるこの才子が見せた恐慌ともいえる醜態とは、対照的な振る舞い。
自分が、小才子のきらめきに幻惑されたのに対し、劉備は、本質を見抜いていた。
自分が、学の無い異民族の王平など、現地人の慰撫要因としか考えていなかったにもかかわらず、彼は、見事に軍を率いた。
眼力の無さといえば、敵陣営に対する見落としについてもだ。
実質的には、3代目。
昨年、皇帝の座についたばかりの魏の明帝・曹叡
彼は、自ら軍を率い、長安まで親征してきた。
つまり、劉禅のようなボンクラではない。
いや、自身の眼力の無さを考えると、「劉禅がボンクラ」という評価も、よく観察し、これを見直すべきなのかもしれない。
そうして、反転攻勢に選ばれた将軍は、張郃。
宗室の筆頭格である曹真ではなく、張郃であった。
曹魏は、人材が豊富だ。
自身と同じ水準で、物を考えることができる人間が、かの帝国には、何人も存在するのであろうか?
いや、あるいは、皇帝である曹叡自身が、これを考えたかもしれない。
この北伐・・・失敗である。
辺境のモザイク状のオセロ状となった盤面を、一気に蜀漢の色に染めるという目的の達成は、もはや成らないだろう。
今後の対曹魏戦略を考えると、悲観的なイメージしか浮かんでこない。
悄然とした表情を隠しきれぬまま、諸葛亮は、大きなため息をついた。
◆ ◆ ◆ 事件は、踊る現場にて・・・ ◆ ◆ ◆
「ダメです。囲まれましたっ。」
前後左右。
山上に陣を敷く馬謖の本隊を曹魏の軍隊が、前方より包み込むように押し寄せたのだ。
参軍・陳某と司令官・馬謖には、南山のふもとを囲む全てが、敵兵に見えた。
「陳某よ、どうする?むしろ、敵中へ一点の突破を狙うか?」
「しかし、それには、数が・・・」
曹魏の軍隊は、分厚い。
複雑な地形であればまだしも、この南山のように、高さも平凡でシンプルな形の山であれば、数の力がモノを言うのだ。
・・・馬謖が率いる軍は、何もできなかった。
ただ時間だけが過ぎていく。
「私は、撃って出る。参軍は、本陣を守れっ!」
しかし、事ここに至っては、攻めるしか道はないのだ。
ふもとを囲む兵は、全て敵なのであるから。
ならば、このまま、ずるずると守り負けするよりも、曹魏の軍のど真ん中を突っ切る形で敵中突破し、大将首を狙う方が、マシである。
馬謖は、各部署より、荊州より付き従う漢族の精兵のみを引き抜いて集めた。
敵中を突破する予定である。
これより先は、少数精鋭のまとまりのみが、自身を救うはずだ。
馬謖が撃って出ようと一声を発するその瞬間であった。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
ふもとから、大きな喚声があがった。
決断が、遅すぎたのだ。
準備の整った曹魏の軍が、山上めがけて前方より攻め登ってくる。
一般に、傾斜のある戦場では、上に陣取るものが、有利。
あらゆる兵法書に書かれている基本中の基本である。
しかし、馬謖の軍勢は、司令官の動揺を鏡に映すように混乱していた。
その上、先ほど少数精鋭の漢族の兵を守備前線から引き抜き、敵陣中央突破のための軍へと編成し直したばかりである。
南山に拠る馬謖の陣は、防御力を著しく低下させていた。
この状態では、いくら、上は下にあるものに対し、強い攻撃が出来るのが原則と言えども、曹魏軍の攻勢にあらがうのは、難しい。
「くっ、引けっ!引くのだ。」
今度は、荊州より付き従う漢族の精兵を集めていたことが、幸いした。
馬謖の撤退命令が出た瞬間、彼らは、整然と動き始めたのだ。
退却のため敵陣の穴を見つけ、そこに集中的に攻撃を加える。
「蟻の一穴は、包囲の破れ」である。
小さな穴は、やがて大きな穴となり、馬謖と参軍・陳某は、山を下りることに成功した。
しかし、山に残された蜀漢軍にとって、この行動は、たまったものではない。
現場の責任者のうち、No1とNo2が、何の指示も無く、いきなり離脱したのだ。
こうして、山中の戦いは、蜀兵1に対し、魏兵3が当たるような凄惨なものとなっていった。
◆ ◆ ◆ 振り返れば、張郃がいる ◆ ◆ ◆
小さな穴を作って見せることこそが、そのコツである。
味方の兵力が、敵の10倍であれば敵軍を包囲し、5倍であれば敵軍を攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、少なければ退却し、味方の力が及ばなければ隠れる。
さらに、敵を囲む時は、どこか逃げ道を開けておくべきで、完全に包囲してはならない。
孟徳が新たに書した兵法書にも、そう記されていた。
当然のことながら、張郃は、これを知っている。
山上に陣を敷く蜀漢隊を見つけた張郃は、相手が迷い、逡巡するうちに、その水の手を切り、これを断たれた蜀軍の士気が下がるとみるや、包み込むように攻撃を仕掛けた。
さらに、張郃は、逃げ道を開ける。
相手が見つけやすいであろう穴を作って見せたのだ。
これにより、脱出した馬謖と陳某は、張郃部隊の追撃をうけ、どんどんと兵数を減らした。
振り返れば、張郃がいる。
少数精鋭の漢族のみを集めていたのだから、元々、数は多くない。
にもかかわらず、次々と、脱落者が増えていく。
もはやこれまで・・・
張郃の追撃隊に追われながら、残り十数騎となった馬謖と陳某の目の前に、新たな部隊が、立ちふさがる。
ふたりは、討ち死にの覚悟を決めた。
前方の部隊は、整然と陣鼓を鳴らし、進軍してくる。
そうして、馬謖と陳某の横を通り過ぎ、張郃の追撃隊へと攻撃を加えた。
「馬謖殿、無事でござったか!」
目の前に居たのは、副将・王平。
別働隊を率い、異民族の集団を懐柔し、これを新たに軍へと組み込んだ彼の部隊は、山のふもとに陣どっていたのだ。
これにより、蜀漢軍は、劣勢ながらも、一息をつくことが出来た。
そう、馬謖は、これに救われたのである。
◆ ◆ ◆ 目の前に、張郃がいる ◆ ◆ ◆
少し、時間を逆に巻き戻してみよう。
予定通り、南山の上に陣を敷いた馬謖。
その横に控えるは、参軍・陳某。
別行動をとっていた副将・王平も山のふもとに到着し、陣を敷くための準備を始めたと報告を受けた。
すべては、予定通りであった。
あとは、敵が現れた瞬間、勢いよく南山よりくだる馬謖本隊が、曹魏の反攻部隊を叩き潰すのみっ!
そんな山上に、ある知らせが届く。
「敵軍を率いる将軍は、『張郃』っ!」
これに、大きく反応したのは、参軍・陳某であった。
「これは、マズいですぞっ!」
「どうした?」
「張郃は、この地域の住民をよく知っておりまする。彼らは、もともと張郃が、管理を任されていた民衆ですっ。」
その昔、曹操による漢中の張魯征伐において、張郃は、巴東・巴西の2郡を降し、そこに住む民や部族を指揮し、この地へと移住させた。
また、楊阜による武都周辺からの移住策も、経験者である張郃が、これを助けた。
「おそらく、彼は、この略陽の街泉亭周辺において、現地の異民族の調略をすでに行っております。『敵の10倍であれば敵軍を包囲』します。また、『自らより高い地を占拠する敵に向かって、攻め上がってはならない』も、兵法の原則。張郃部隊の兵力は、我が軍の倍はあるように見えますが、10倍というわけでは、ございません。にもかかわらず、自軍より高い地点を占拠するこの本隊を叩こうと前方より包囲する姿勢を見せております。この自信の元は、何か?馬謖殿、おそらくですが、これは、街泉亭周辺の部族が、彼についたという証拠でしょう。」
「なるほど、陳某。おぬしの言うこと、分からぬでもない。しかし、忘れておらぬか?山上には、この馬謖が在り、山下には、王平が在る。先ほど、おぬしが述べた兵力差が倍あるというのは、誤りだ。王平の部隊を合わせると同数か、こちらがやや勝っておる。」
「おっしゃる通りであります。しかし、残念ながら・・・王平の部隊は、敵軍と考えるべきです。彼は、巴西の『板楯蛮』・・・蛮族でございます。そして、敵将・張郃は、以前、張魯を降した際に、『板楯蛮』の指導者・杜濩や朴胡とともに、王平も、その指揮下に置いておりました。彼の部隊は、現在、山の下に陣取って、我ら本隊を支える兵ではなく、敵将・張郃の麾下にございます。われらを包み囲む敵の先兵とお考え下さい。」
馬謖は、絶句した。
山上に本陣を構え、山下には、これを支える遊軍を置く。
孟徳の新書にいう、万全の陣であるはずだった。
しかし、気づいたならば、馬謖は、この山上にて完全包囲を受ける態勢となっていた。
関ケ原において、大谷翔・・・ではなく、大谷吉継が、小早川秀秋などの裏切りにより、死地に追いやられたのと同じような状態。
馬謖は、陳某の言葉を信じた。
何故なら、陳氏は、後漢時代に陳禅を輩出した巴西の著姓の漢族。
王平は、いわゆる「賨人」であり、「巴蛮」であり、「板楯蛮」。
異民族である。
どちらが正しいかなど、考える必要すら無い話だ。
前後左右。
山上に陣を敷く馬謖には、前方より包み込むように押し寄せた曹魏の軍隊だけでなく、南山のふもとを囲む全てが、敵兵に見えた。
兵法書を読み込み、正道をもって曹魏軍に立ち向かった馬謖。
これに対し、自らの名声をうまく使い、周囲すべてが敵と相手方に思い込ませる奇策で勝利をおさめた張郃。
机上の計算は、あくまでテーブルの上であるからこそのお話。
「馬謖、これ正道を知るも、奇の道を知らず。」
戦いの後、張郃は、周囲にそう語ったといわれる。
世に言う「街亭の戦い」は、こうして、曹魏軍の圧勝で幕を閉じることとなった。