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第19話 劉璋は、ファザコン2

董扶は、歯噛みをした。


巴郡臨江の大豪族、甘家の暴れ者の反逆が、あっさりと失敗したという知らせが入ったのだ。


金をかけ、李傕の書簡を偽造し、飢饉によって司隷より流れてきた士大夫・孟達を介し、あたかも密書であるかのように甘家の暴れ者の手に渡させるなど、手の込んだ仕掛けをしたが、無駄になった。


外からの流れ者の集まりである東州兵の狼藉は、日に日にひどくなっていく。


董扶や賈龍、趙韙らが、招き入れた劉焉。


彼も、その言動にひどい部分が見受けられはしたが、これが没し、跡を継いだ子の劉璋は、劉焉に輪をかけて、ひどい。


いや、民に無関心であるというべきか・・・


益州の安定のために引き入れた中央の力・・・劉焉。


その子の劉璋が、逆に、この地に混乱を引き起こすのであれば、そのような領袖など担ぐにあたらない。


これを廃し、自分が、立つべきか・・・


いや、しかし・・・


秋風が、身を揺らす。


 チリンチリン


どこからともなく聞こえた鈴の音に、ピクリと身を震わし、董扶は、部屋の扉を閉めた。


間もなく、その音も消え、あたりには静寂だけが残った。


 ◆ ◆ ◆ 明日、世界が終ろうとも  ◆ ◆ ◆


父の死の枕元。


あの日、劉璋は、決意を固め、小さくうなずいたのだ。


張魯の弟・張徴。


張魯の母・盧姫。


時々、ふたりを処刑したあの日を思い出す。


献帝の使者として、長安より益州の地に足を運んだ自分を、父は、象将棋の駒のように扱った。


南の日当たりのよい贅を尽くした2つの部屋は、あの2人の部屋であった。


自分は、暗い西の離れの部屋。


扉の前には、いつも数人の警護兵が、立った。


警護とは、名ばかりの監視である。


事実上の軟禁生活は、馬騰の長安攻めまで続いた。


これに呼応した父も、漢中方面より兵を出そうと計画したのだ。


計画は、事前に漏れ、兄2人は、処刑された。


長安に戻ることは、もはやできない。


帰る場所の無くなった自分は、軟禁生活を解かれた。


しかし、父の目が、こちらに向くことはなかった。


張魯の弟・張徴を、あたかも実の息子のように可愛がる。


夜は、張魯の母・盧姫の部屋に通う。


その瞳に、自分の姿がうつることはない。


父にとって、死んだ2人の兄も、自分も、ただの駒でしかないのだ。


綿竹が焼け、成都に遷っても、何かが変わったかといえば、何も変わらない。


老いた父が、少し弱ったように見えただけだ。


その死が近づいて、「後継を、劉璋とする」という言葉を、父は、はじめて発した。


「やっと」のことであった。


それまでは、なにの権利も持たぬ、ただの部屋住みだったのだ。


気まぐれで、臨終の間際の父と目を合わせようとしてみた。


しかし、その目は、白く濁っており、おそらく自分のことなど、瞳の中にうつってもいなかったであろう。


父の心を奪った盧姫。


そして、張徴と張魯の兄弟。


たとえ、明日、世界が終ろうとも、彼らのことを許すことは、無い。


 ◆ ◆ ◆ 三国鼎立の分水嶺  ◆ ◆ ◆


その日、劉璋は、黄権を左遷させることにした。


「漢中を、劉備公に与えましょう。」


西暦210年、張松が、「劉備を使って張魯を排除させ、漢中に置き、これを防壁とすること」を劉璋に献策する。


「劉備公の勢力は、荊州の地を孫権に借り受けて一息ついたとはいえ、基本的には、放浪の傭兵部隊に近い存在です。その地位は、確立したものではなく、自らが、根を張るための地域を窺っております。彼に兵と食糧を与えましょう。そして、漢中を攻め取るように命じるのです。これは、他の誰にもできることではございません。同宗の劉姓である劉璋様によってのみ、成すことができる策にございます。」


赤壁の戦いの後、荊州の主要部を孫権勢力の周瑜が支配することとなった。


周瑜自らが、次の攻撃先を益州と公言しており、さらに、その軍勢には、益州・巴郡臨江の大豪族であった甘寧が先鋒部隊将軍として所属している。


その視線の先に、劉璋の支配する益州の攻略があるのは、明らかである。


「だからこその、劉備公なのです。」


漢中に入る劉備は、張魯の代わりとなる人物で、過去に曹操を撃退した実績もある。


そう、劉表の客将として、新野という場所に駐屯した際に、同じことをしているのだ。


そうして、仮に、周瑜軍が、荊州から出撃してきた場合は、漢中から劉備が出撃、成都からは、東州兵が出撃することで、二面体制で、これを防ぐことが可能である。


そうして、赤壁の戦いの前には、曹操に使者を派遣し、多少なりとも繋がりを作っているのだから、彼に合肥あたりから、孫権の支配領域を攻めてもらえば、周瑜は、その軍を引かざるを得ない。


益州の防衛は、とても、簡単なものになるであろう。


大がかりではあるが、魅力的な提案であった。


しかし、これに異を唱えたのが、益州巴西郡出身の主簿・黄権であった。


「私は、反対です。左将軍・劉備を我らいち武将と同等に扱えば、不満に思うでしょうし、賓客として扱えば、彼は、国を乗っ取ることを考えるでしょう。」


さらに言う。


張魯は、独立しているが、益州の劉璋政権に大きな脅威を与えているわけではない。


むしろ、これまでは、益州に攻め込もうとする勢力からの盾として、十分機能している。


曹操は、赤壁で打撃を受けたのだから、長安から、大軍が攻め寄せて来る可能性は、低いだろう。


それならば、張魯をそのまま置いておくほうが、問題が起こる可能性は低い。


さらに言うと、劉備は、信用のおけない梟雄で、人の下にいつまでもいる者ではない。


前漢の景帝の第9子、中山靖王の末裔というが、嘘の可能性が高い。


むしろ売りが、挙兵の際に、詐称したと考える方が自然である。


彼の、過去の行動を、見てほしい。


渤海の公孫瓚の元へ身を寄せ兵を養い、徐州の陶謙の元でその地位を虎視眈々と狙う。


陶謙が死去したならば、直ちにその座を奪い徐州を乗っ取るも、呂布や曹操に追われ、袁紹の元に奔る。


袁紹の家臣団は、さすがに分厚い。


名門である袁家の麾下に入り込む隙が無いとみるや、汝南の地へと逃亡し、袁紹が曹操に敗れると見るや、すぐさま、荊州の劉表の元へ。


劉表から、荊州を奪えなかったのは、劉備にとって痛恨であったであろう。


劉表の死後、陶謙の時と同じように乗っ取りを企むも失敗。


いや、蒯越、傅巽、蔡瑁といった 故・劉表の忠臣たちが、その地を良く守ったというべきである。


そうして、今は、孫権に荊州南部を借りる客将。


「このような、虎狼の如き男に、漢中を預けては、何が起こるか分かりませんっ。」


黄権は、唾を飛ばした。


大広間に集まる群臣は、高い椅子に座る領袖の長の次の言葉に注目した。


「劉備公は、わが宗族である。ゆえに、益州の国難を助けることはあろうとも、窮状に陥った我らを攻撃するような真似はせぬであろう。」


劉璋は、冒険に出た。


劉備を、益州に招き入れる決定をしたのだ。


父の心を奪った盧姫。


そして、張徴と張魯の兄弟。


劉璋の決定に、心の奥底に眠る、父の愛情を奪った張魯とその母子への恨みが影響したかどうかを知るのは、彼のみである。


しかし、結果的に、これが、中華が三国鼎立へと進む分水嶺となる。


劉備に送る使者は、司隷扶風郡からの流れ者、法正が選ばれた。


彼の祖父が「玄徳先生」と称されたことから、同じ字を持つ劉備と相性が良いだろうと張松が推薦したのだ。


そして、劉璋の要請に従って、劉備が軍を率いて益州へと入ったのは、皮肉なことに益州を狙った周瑜の死んだ翌年、西暦211年のこと。


彼は、涪城にて劉璋と会見した。


「天に二君なし。国に二人の主なし。まもなく戦が始まるであろう。」


この知らせを聞いた、黄権は、空を仰いでつぶやく。


彼は、左遷先の広漢県にて、その後に起こる事態を憂い、ひどく嘆いたといわれている。


 ◆ ◆ ◆ 劉備の明徳 ◆ ◆ ◆


雷によって焼け落ちた綿竹に、董扶が新たな屋敷を構えたのは、劉璋が劉備と会見したその年であった。


その翌年、羊の皮を脱ぎ捨てた劉備は、益州攻略を開始した。


この地の名士であり、有力豪族でもある董扶は、綿竹の指揮官である李厳や費観、呉懿らを説得し、劉備への投降を促した。


はたして、綿竹は、容易に劉備の手に落ち、戦況は、劉備軍優勢なまま進む。


雒城で、張任が斬られ、劉循が敗走し、劉璋の本拠地の成都も、危うくなる。


これにより、周囲の郡県が降伏する中、黄権は、城を堅守して劉備軍に屈することをしなかった。


西暦214年、成都が包囲され、劉璋は降伏する。


黄権は、この知らせを聞き、やっと劉備に投降することを決めた。


「信用のおけない梟雄」


 「中山靖王の末裔は、詐称」


  「乗っ取りの常習犯」


   「益州を狙う虎狼」


佞臣は、劉備の入蜀の際に、黄権が訴えたこの内容を告げ口のように報告した。


これを聞いた劉備は、かえって黄権を褒めたたえ、「これ、忠義の臣なり」と、彼を偏将軍に任命し、重く用いた。


人は、劉備の徳を称え、成都の人心は安定し、この話は、遠く離れた綿竹まで届いた。


 ◆ ◆ ◆ 領袖のお試し ◆ ◆ ◆


戦の匂いが残る綿竹城内の、まだ新築に近い屋敷。


粗末な椅子に座るのは、齢80を超えた董扶であった。


彼は、その椅子に腰かけたまま、仕事を終えたとばかりに、大きく伸びをすると、南の空を眺めた。


 「益州に天子の気あり」


彼は、劉焉を招き入れた。


彼が望んだのは、益州の安定であった。


確かに、劉焉は、この地に短い安定をもたらしたが、彼が望んだのは、東州兵の力をもって都を得ることであった。


その子・劉璋は、都を望むことは、なかった。


彼は、ひたすら、益州に引きこもることを選んだ。


しかし、劉璋は、益州に安定を、もたらすことが出来なかった。


次に試すべき英傑は、劉備である。


評判は、悪くない。


しかし、劉焉も、最初期は、温厚であり、離反した者達を迎え入れ、寛容と恩恵で住民に慕われた。


 チリンチリン


秋風に乗ってこの部屋をにぎわせる鈴の音が、董扶の耳を慰める。


ここから、劉備が、益州に徳を施すか、それとも、益州より搾取を行うか。


 「見守らねばならぬ。まだ、死ぬわけにはいかない。」


彼は、小さくつぶやいた。


すべては、自分の故郷、益州の混乱を治め、安定を図るためである。


族長である自分が、その地に住む一族の安泰をはからなくてはならないのだから・・・

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