第18話 劉璋は、ファザコン1
「斬れっ。」
劉璋は、趙韙にそう命じた。
趙韙は、父・劉焉の益州赴任の際に、これに付き従った益州巴西の豪族の一人である。
「しかし、彼らは、漢中の張魯の・・・」
「うるさいっ!斬るのだっ。縊り殺せ!!」
こうして、女とその息子は、斬られることとなった。
◆ ◆ ◆ 半グレ集団の反逆 ◆ ◆ ◆
男は、激怒した。
劉焉の跡を継いだ四男は、あまりに豪族をないがしろにする。
甘寧。字は興覇。
益州・巴郡臨江の大豪族だ。
劉焉政権では、若くして会計報告係に推挙され、ほどなく蜀郡丞となったが、官を棄てた。
遊侠を好み、地元のヤンキーを集めてチームを組み、武装させる。
彼は、地元の反社、半グレの頭領となった。
甘寧一党は、自地方の領内で犯罪があれば、その者に私的制裁を行ったが、近隣地域では、かぶき者と表現できるほどの派手な装いで外出し、張り巡らされた水路を使った略奪を繰り返した。
彼らは、腰に鈴を携えていたため、「腰鈴党」と呼ばれ、この鈴の音を聞いただけで、人は、「熊」の子を散らすように逃げ去ったという。
西暦194年、劉焉が没し、その四男が、跡を継いだ。
東州兵は、劉焉の入蜀時に編成された、外来の益州軍である。
この兵たち、前の領袖・劉焉の元では、ある程度のコントロールが効いていた。
しかし、この四男の元では、その制御力が、ややルーズになった。
益州の豪族が持つ利権は侵害され、新参者が、我が物顔に闊歩し始める。
「劉焉が四男・劉璋・・・この者、頼りにならずっ!」
甘寧は、檄を飛ばした。
齢30を超え、流石にそれは恥ずかしいと、派手に徒党を組むのをやめてから久しい。
彼の半グレ集団は、半ば解散状態であったが、しかし、その集まりは、早かった。
「劉璋は、漢帝国の皇帝の血を引いております。しかも、益州牧の任にあります。これを討つには、大義がございませんのでは?」
配下の半グレの中にも、年を取り、知恵を付けた者がいた。
知恵者は、益州の領袖である劉璋の権威に、逆にこちらが、つぶされる可能性を指摘した。
「大丈夫だ。益州牧は、父親の劉焉であって、劉璋は、ただの人でしかない。そして、我らには、これがある。」
甘寧が、懐から取り出したのは、1通の書簡であった。
「これは、長安におられる李傕様より、直接送られてきた文書である。漢中に、新たな益州刺史として、扈瑁殿を派遣したとある。その補佐を任せたいとの旨が書かれてあるのだ。」
李傕、字は稚然。
董卓配下の武将として活躍し、政変によって董卓が殺された際は、都・長安を攻め、呂布、王允・黄琬らを破って逆襲に成功した。
現在は、献帝を擁して最大権力を握る後漢王朝の大司馬。
その本人からの、手紙であった。
中年に差し掛かった甘寧と、半グレ集団は、決起した。
劉焉を州牧として招き入れた賈龍と同様、甘寧が、扈瑁を刺史として迎え入れることで、益州トップの首をすげ替えようとしたのだ。
・・・反逆は、失敗した。
東州兵の力は、強大であった。
この益州正規軍と戦うためには、甘寧の半グレ集団では、あまりに力不足だったのだ。
甘寧は、敗残兵をまとめて、長江の流れを下る。
若いころ、水路を使って略奪を繰り返していた時の経験が生き、彼らは、東州兵の追撃を逃れることができた。
長江を下り、最終的に行きついた先は、荊州・江夏の地。
彼らは、その地で太守を務める黄祖の元に、身を寄せるようになった。
この荊州江夏郡竟陵は、劉焉・劉璋の生まれた本貫の地。
劉璋は、生まれ故郷・江夏の地を離れ、益州の小王国に君臨し、益州・巴郡臨江の大豪族・甘寧は、江夏にて黄祖の客として、肩身せまく暮らす。
「まことに、皮肉なことだ。」
人は、このように噂した。
◆ ◆ ◆ 劉璋は、引きこもる ◆ ◆ ◆
死んだ劉焉の跡を、四男の劉璋が、継いだ。
多少の動揺はあったものの、この継承の際、の益州政権は、安定を保った。
ただ、その小さな動揺の中に、劉璋の喉に刺さる魚の骨があった。
漢中の張魯であった。
宗教団体代表の仮面を付けてはいるものの、劉焉が、益州の入り口に蓋をするために、派遣した代官役である。
彼が、劉璋に対し、少しずつではあるが、その命令に反する行動を取るようになったのだ。
劉璋は、張魯の弟・張徴を呼び出した。
父・劉焉は、この張徴とその母・盧姫を厚遇した。
現在も、その待遇は、変わっていない。
「張魯は、何を考えておる?」
「兄は、変わっておりません。劉焉様に従ったのと同様、劉璋様の命令に従う意向に存じます。」
「ならば、これは、どういうことだ?」
劉璋は、張魯の命令違反をもって、弟・張徴を責めた。
「父・張衡の五斗米道は、人の心に道教の教えを浸透させるためのものでした。兄・張魯も、その考えに、違いがあるわけではないと思われます。しかし、父の時代と比べ、五斗米道は、大きくなりすぎました。その上、劉焉様の命令により、漢中という土地に割拠してしまっております。土地を持ちますと、人は、土地や、そこで得た権益を守ろうといたします。心に道教の教えを広めることと、権益を守ろうとする組織の人間を制御すること。兄は、これに苦心しておるようです。劉璋様、お願いがございます。どうか、母と私を、漢中に向かわせてください。兄ひとりでは、制御不能となって、暴走している教団組織を、母と弟の私で、コントロールしてみせまする。」
その言葉を聞いた劉璋は、その目を閉じた。
群臣の見守るこの大広間に、沈黙が広がる。
どのくらい時間がたったであろう、劉璋が目を開け、口を開いた。
「言いたいことは、理解した。追って沙汰を致す。」
張魯の弟・張徴は、頭を下げ、大広間から退出する。
並ぶ群臣の中から、趙韙が呼ばれたのは、このあとであった。
命令を受けた趙韙の動きは、早かった。
その日のうちに、張徴と母・盧姫が処刑される。
張魯の動きも、早かった。
母と弟の凶報を聞いた彼は、漢中を漢寧郡と改称し、すぐさま独立を果たしたのだ。
この場所は、都・長安と益州の地をつなぐ重要拠点である。
独立勢力となった五斗米道・張魯が、その要衝に割拠した。
こうして、中原と益州の地は、さらなる断絶を深め、成都の劉璋政権は、長い引きこもりの時代に突入することとなった。
◆ ◆ ◆ 寝耳に水 ◆ ◆ ◆
張魯が、独立を宣言した。
龐羲が、私兵を集め、蜂起した。
趙韙が、反乱を起こした。
劉璋の元には、毎年のように、家臣離反の報告が入る。
張魯は、父親の劉焉が、重要拠点の漢中に配置した人物ではある。
「ふむ、面倒だ。しかし・・・」
あの場所は、もともと勢力外に近い。
劉璋は、漢中問題を半ば放置することとした。
しかし、張魯への押さえに、巴西太守として配置した龐羲の離反は、マズい。
これは、どうしようかと思い悩んだが、龐羲と父親の劉焉とは、朝廷で議郎を務めていたころからの交際である。
「ごめんっ。許して!!」
さすがにそこまで軽い言葉ではなかっただろうが、同じようなメッセージが届いたに違いない。
悩んでいるうちに、なんと、向こうから謝罪を入れてきた。
劉璋は、他に手の打ちようがなかったので、これを許すことにした。
父の入蜀を支え、劉璋も、張徴と盧姫の処刑をお願いした趙韙・・・
この趙韙が、反乱を起こしたのは、その後だった。
「東州兵」は、もともと南陽や三輔からの避難民で、益州の人間からすると外来人である。
この外来兵の略奪行為で民から怨嗟の声があがっても、劉璋が取り締まらなかったことが、地元の趙韙を反乱へと向かわせた。
彼は、益州の有力豪族と手を結び、謀反を起こしたのだ。
しかも、趙韙自身も、力のある豪族であったため、この始末が長引いた。
困りきった劉璋は、成都城に引きこもって籠城した。
籠城戦では、益州正規軍で、劉璋直属でもある東州兵が、奮闘。
そうして籠城を続けるうちに、事件が起こった。
内部分裂である。
反乱軍の首領・趙韙が、配下の李異や龐楽に裏切られて、斬られたのだ。
東州兵が、これらの残党を鎮圧し、反乱は、終結する。
結果、麾下にあった地方豪族の力は弱まり、政権における劉璋の力は、相対的に高まることとなった。
こうして、雨降って地固まるではないが、益州は安定することとなる。
しかし、ほっとするのも、つかの間であった。
劉璋の元に、とんでもない知らせが飛び込んできたのだ。
◆ ◆ ◆ 張松のアドバイス ◆ ◆ ◆
まさに、寝耳に水とは、このこと。
北に大きな勢力を誇る曹操が、荊州の劉表や漢中の張魯を攻めるとの情報が、劉璋の元に届いたのは、西暦208年のこと。
漢中攻めは、ひとまず取りやめになったようだが、荊州の劉表は、曹操の脅しに怯えながら死去し、さらに、その子劉琮は、一戦も交えずに降伏してしまったという。
まずいっ、まずいっ、まずい。
このまま引きこもりを続けると、強大になった曹操に、押しつぶされる可能性が高い。
劉璋は、曹操の元に、3人の使者を送った。
最初に、陰溥、次に張粛。
最後に、張粛の弟・張松。
これで、恭順の姿勢は見せた。
最悪の場合は、曹操に降ればよい。
命までは取られないだろう。
ところが、最後の使者の張松が、おかしなことを言い始めた。
曹操は、信頼に足る人物ではない。
強大に見えるが、いずれ高転びするだろう。
半信半疑であった劉璋であったが、時を置かずして、赤壁で、曹操が敗北したとの報が入る。
しかし、これはこれで、問題が大きい。
なぜならば、赤壁で大勝した、孫権配下の周瑜が、余勢をかって益州を征伐すると主張し始めたのだ。
困った・・・
使者を出して、恭順の姿勢を見せた相手の曹操は、敗戦で、しばらく軍を動かすことは不可能だろう。
そもそも、周瑜軍によって、荊州の多くが占領されてしまった以上、曹操が、益州まで助けに来てくれるといった夢物語は、考えるべきではない。
そんな時、張粛の弟・張松が、劉璋の前に進み出て、ひとつのアイデアを出してきた。
なるほど、面白い。
タイミングよく飛び出した、張松のアドバイス・・・
劉璋は、北方からの流れ者、法正を呼び出した。