第17話 劉焉は、パワハラ知事
西暦184年に起こった黄巾の乱は、太平道という教団が、教祖・張角を中心に起こした乱であると同時に、賄賂により任官した自治体の長によって課された重税で、食うにも困るようになった民が、乱に便乗し後に続いた、農民による一揆の側面も有する。
そして、張角の病死で統制を失った乱の本体は、ひとまず平定されたが、人々が食うに困る状況は、終わらない。
というよりも、戦により農地が荒れ果て人々が逃散したことで、飢餓に拍車がかかった。
この食糧危機こそが、歴史の分水嶺となる。
当然、黄巾の残党による略奪は続き、人々は、より安全な地域へ避難した。
各地で、州知事にあたる刺史が殺害されるなど、漢帝国の力が及ばない領地が増え始め、その混乱は、どんどん広がっていくこととなる。
◆ ◆ ◆ 益州・馬相の乱 ◆ ◆ ◆
賈龍は、益州の人である。
この地域で、後漢の衰退に乗じて馬相・趙祗らが、黄巾の残党を名乗って反乱を起こした際、彼は、益州従事の官にあった。
馬相らの軍勢は、勢いに乗り、綿竹の県令を殺害すると、そのまま、雒県を陥落させ益州刺史の郤倹を殺害。
さらに巴郡太守も殺害し、蜀郡・犍為・広漢の三郡や、巴郡に勢力を拡大させ、馬相は、天子を自称するまでになる。
その反乱軍の兵力は、1万~2万と言われたが、賈龍は、千余人の兵を率いて、立ち上がった。
寡兵ながらも、官民を糾合し、馬相らの軍勢に攻撃をしかけた賈龍は、激戦を制し、馬相らを敗走させて、反乱を鎮圧した。
◆ ◆ ◆ 劉焉の入蜀と東州兵 ◆ ◆ ◆
都である洛陽を出発し、南西部へと向かった劉焉と董扶であったが、乱による混乱で、道を閉ざされたため、益州に入れなかった。
州牧としての益州赴任にあたって、兵権は、与えられたが、肝心の兵隊は、授けられていなかったのである。
彼らは、荊州の東端、蜀との境界で立ち往生した。
これを招き入れたのが、賈龍であった。
彼が、吏卒を派遣し、劉焉を迎え入れたのだ。
劉焉は、賈龍を校尉に任命し、董扶の出身地である綿竹県を拠点とした。
ひとまず、賈龍の勢力千余人と董扶の一族の力で、身の安全を確保しつつ、益州を治めるための力を蓄えようと考えたのだ。
劉焉は、反乱に関与し離反した者をおおむね迎え入れて、その地の住民を懐柔した。
やがて、彼にとっての幸運が、訪れる。
霊帝の死後、洛陽や長安、そして周辺地域が、混乱に混乱を極めたのだ。
霊帝崩御後の、大将軍・何進による宦官皆殺し計画からの混乱、その後の董卓の暴政、あるいは、南陽郡に割拠した袁術などによる悪政で、治安が大きく悪化したことが、原因であった。
長安より漢中、そして、蜀へ・・・
あるいは、都である洛陽から荊州、荊州・南陽から益州へ・・・
多くの民が避難・・・民族大移動である。
長安周辺・三輔の住民や、荊州北部・南陽の住民が、続々と劉焉の管轄地域へと流入したのであった。
彼は、すかさず動いた。
益州に流れ込んで来た南陽・三輔の数万の人々から、壮者を選抜する。
これら、流れ者のうち、壮健な者を集めて作り上げた劉焉の兵団こそ、益州軍隊の中核を担う「東州兵」であった。
◆ ◆ ◆ 若く美しい女 ◆ ◆ ◆
女は、子を何人も産んだとは思えぬほど、美しかった。
その名を盧姫という。
劉焉は、これを愛した。
張衡という夫がいるにもかかわらず、自宅と劉焉の屋敷を行き来させる程の関係となったのだ。
盧姫の夫である張衡は、巴蜀の道教教団の創始者を父に持つ。
彼は、怪しげな巫術で人々を惑わし、信徒から5斗の米穀を受け取ったことから、漢帝国から「米賊」と呼ばれた。
張衡が死去し、寡婦となった美貌の女の動きは、より派手になった。
劉焉の屋敷に入りびたり、盛んに取り入ったのだ。
このため、蜀の地では、道教の教えが、大きく広まることとなった。
張衡の後継者とみなされる人物は、2人居た。
ひとりは、盧姫の息子。
もうひとりは、張衡の縁者で、名を張脩と言った。
その張脩、劉焉のバックアップを受け、漢中太守の蘇固の管轄地域に攻め込んだ。
張脩は、そのまま漢中を攻め落とし、逃走した蘇固を縊り殺した。
こうして、その地を手にした張脩は、道教教団をひとつにまとめたが、彼の栄華は、長く続かなかった。
盧姫の息子が、張脩を斬ったのだ。
若く美しい女は、息子に夫の教団を継がせることに成功した。
息子は、漢中にとどまり、盧姫は、後見役の劉焉の元に留まった。
道教教団「五斗米道」は、事実上、漢中の支配者となることに成功したのだ。
息子の名は張魯。
後に、閬中侯・鎮南将軍に任じられる後漢末期の宗教指導者であり、この時代に湧き立つ群雄の一人でもあった。
◆ ◆ ◆ 力の行使 ◆ ◆ ◆
まずは、肥沃な土地、益州を手に入れた。
そして、「東州兵」を手に入れた。
劉焉は、力を手に入れたのである。
彼は、張魯という若い宗教指導者に目をつけ、督義司馬に任命した。
若者に、漢中を攻撃させ、その地の官吏を殺し、都と益州とを分断させたのだ。
蜀道の桟橋は、落とされた。
朝廷には、「米賊・張魯のせいで、連絡が取れない、どうか助けてくれ」と上奏し、連絡を絶った。
一方で、益州豪族らを力で弾圧し、相手の尊厳を軽んじて、殺害し始めた。
かつて、劉焉を益州に迎え入れた賈龍も、その例外ではなかった。
劉焉は、手に入れたパワーで、ハラスメントを始めたのだ。
彼は、「東州兵」の力を使い、あるいは、異民族の「羌夷」の力も借りて、劉焉の裏切りに対して反乱を起こした賈龍ら益州豪族を鎮圧し、殺害する。
劉焉は、益州にて、独立した。
彼は、驕り高ぶり、その噂は、遠く離れた荊州にまで届いた。
まだ、州牧に任じられていなかった荊州刺史の劉表は、劉焉に野心がある事を朝廷に上奏したが、それ以上のことは、しなかった。
兵権のないただの刺史である劉表には、その何かをする力が、無かったのである。
その後、劉表も、州牧に任じられることとなり、兵を集めてその地を治めたが、劉焉同様、半独立の様子を見せた。
こうして、群雄たちは、各地に割拠し、後漢~三国志物語の第2章の幕が開けられることとなるのであった。
◆ ◆ ◆ 異常な寵愛 ◆ ◆ ◆
ベッドの上に座る女は、身を縮めた。
凛とした風貌で、鼻はとがり、細い目は、すぅっと横に伸びている。
一見冷たいように見えるが、彼女がほほ笑むと、まるで暖かな羽毛に包まれるような心地になるのだから、不思議なものだ。
この美しい女は、年を取らぬ。
初めて見た時は、目が眩むようであった。
彼は、女の肩に手をかけ、すぅっと自分の方へと引き寄せた。
女の口からは、吐息が漏れる。
やがて、劉焉は、陶酔の海の中へと沈んで行った。
◆ ◆ ◆ 長男と次男、そして四男 ◆ ◆ ◆
霊帝は、劉焉が、益州に入った頃に、死去した。
後を継いだ少帝・劉辯は、5カ月で董卓によって廃位された上、毒殺された。
そして、次の献帝・劉協が、後漢の最後の皇帝である。
劉焉の子の内、長男・劉範と次男・劉誕、そして四男が、長安において、この献帝に仕えた。
ある時、荊州刺史の劉表より、劉焉に野心があると上奏を受けた朝廷は、動揺した。
献帝は、劉焉をなだめ、これをつなぎとめるため、人質としての価値が落ちる四男を、益州に派遣した。
「父上、都では、謀反の疑いすらかけられ、兄弟皆、肩身の狭い思いをしております。」
四男の言葉を、父親は、鼻で笑った。
劉焉は、これをまともに聞き入れず、この四男を軟禁したのだ。
大切な息子を二度と都に戻すつもりは、なかった。
劉焉の長男と次男は、肩身の狭い思いはしたが、長安で生き続けた。
献帝を手中に収める暴君・董卓にとっても、人質としての価値がある劉家の兄弟を、殺すことには、問題を感じたのだろう。
そして、その時が、やって来た。
◆ ◆ ◆ 乾坤一擲の冒険 ◆ ◆ ◆
これを、異常な「寵愛」と、家臣たちは、言う。
「まぁ、仕方あるまい。」
自身の四男は、暗い部屋で、厳重に軟禁している。
にもかかわらず、この美しい盧姫とその息子・・・張魯の弟にあたる張徴・・・については、この屋敷の中で一番日当たりのよい部屋をあてがって、贅を尽くした生活をさせているのだから。
しかし、劉焉が、こんこんと世情を説明したにもかかわらず、四男は、「都の長安へ帰りたい」と折につけて、訴える。
これでは、家臣に何と噂されようと、息子を自由にするわけにはいかない。
彼は、これから、乾坤一擲の勝負に打って出るつもりであるのだから・・・
征西将軍の馬騰は、郿に駐屯していた。
馬騰の母は、羌族出身である。
劉焉は、賈龍ら益州豪族を鎮めるために、この異民族の力を借りていることでも分かるように、彼らと親交があった。
霊帝の後を継いだ少帝・劉辯は、5カ月で董卓によって廃位された上、毒殺されている。
つまり、董卓によって擁立された次の献帝には、「大義名分、正当性が無い!」とも言えなくもない。
少帝を殺害した、逆臣・董卓の力で、皇帝になったのだから。
日本でいえば、三好長慶、三好三人衆に擁立された足利義維や、足利義栄の正当性を良しとするかどうか。といったところか?
それはともかく、馬騰は、董卓没後、実質的後継者の李傕らが拠点とする長安襲撃計画を立てた。
旗印は、もちろん、劉焉である。
漢帝国第6代、景帝の四男の末裔
景帝の血を引く者は、漢帝国を受け継ぐ資格を持つのだ。
馬騰と劉焉が手を組び、その長男・劉範と次男・劉誕が、都で内応する。
「奇貨、居くべし!」
正統な皇帝の不在という、得がたい好機を得た劉焉は、乾坤一擲の勝負を敢行した。
劉焉の投げたこのサイコロの目は、丁であったか、半であったか。
どちらであったにせよ、そのサイコロの転がりかたは、彼の考えたものとは、違ったのであろう。
計画の情報は洩れ、劉焉の子・劉範と劉誕は、斬られた。
長安を攻撃した馬騰の軍も敗北し、涼州に撤退した。
結局、董扶が耳元で告げた、益州に射す「天子の気」は、劉焉の身から立ち昇ったものではなかったのだろう。
罰を与えるかのように、綿竹に、大きな雷が落ちた。
それは、劉焉への罰であったか、それとも「天子の気」という虚弁を告げた董扶への罰であったか?
董扶とその一族の拠点。
そして、劉焉が居城としていた綿竹は、火に包まれ灰となる。
劉焉は、本拠地を益州奥地にある成都に遷した。
彼は、失意のうちに、その生涯を終えることとなったと思われる。
◆ ◆ ◆ 息子よ・・・ ◆ ◆ ◆
乾坤一擲の勝負 は、成らなかった。
長男と、次男は、斬られた。
この王国は、四男が継ぐこととなるだろう。
盧姫と張魯の弟を大切に扱ったのは、なにも女が美しかったからだけではない。
この漢帝国を受け継ぐ挑戦が、失敗に終わった時の保険でもあったのだ。
この二人は、漢中に座る張魯への人質である。
息子の張魯を教団の跡取りにできたこと。
そして、自身と、張魯の弟・張徴に対する特別で厚い待遇。
盧姫は、満足しているはずだ。
厚遇を続ける限りは、この益州政権に害をなさぬよう、彼女が漢中の張魯をコントロールするはず。
漢中で蓋をしてしまえば、この益州に軍隊で攻め込むのは、不可能である。
ましてや、ここまで力を失った漢王朝。
入り口に、たどり着くことすら不可能であろう。
機会を待て。
必ずや、もう一度、天下を狙うチャンスが来る。
息子よっ!
臨終間際、彼は、自身の四男の目に訴えかけた。
もはや、体に力はなく、声も出ない。
しかし、心のメッセージは、伝わったに違いない。
息子は、こちらに向かって小さくうなずいたのだから・・・
こうして、益州・蜀の小さな王国のおねだり知事は、目を閉じた。
「益州には、天子の気がございまする。」
あの時の董扶の言葉を思い出しながら・・・