第16話 劉焉は、おねだり知事
その末っ子は、もともとは、荊州江夏郡の人である。
若い時分は、長兄や次兄と共に、長安の皇帝に近侍していた。
エリートだ。
まぁ、かなり遠いが、皇帝と血縁であったのだから、当然、そこらへんが考慮されていたのであろう。
しかし、彼は、父親に軟禁されることになる。
そのまま、皇帝の傍にいられたならば、幸せ・・・そうでもないか・・・
どっちに転んでも、適度に不幸だった可能性が高い。
それはともかくとして、父の死後、彼は、自身を軟禁した男の跡を継ぐこととなった。
◆ ◆ ◆ スキルは、おねだり ◆ ◆ ◆
劉焉。字は君郎。
漢帝国第6代、景帝の四男の末裔。
血筋が、しっかりしている名門中の名門である。
ただし、後漢の3代目の時代に、中原から荊州に国替された一族のさらに分家であったため、故郷の荊州の地では、敬意は払われ特別視もされているものの、皆に贔屓される良家のお坊ちゃん程度の扱いであった。
ただ、有能な人物ではあったようで、人に学問を教えて名声を博し、地域の優秀な人物を中央に推薦する郷挙里選で推挙され、都へと招かれた。
やがて洛陽の県令を経て、皇帝の祭祀を司る九卿の筆頭を務める。
漢帝国の宗室だという理由もあるだろうが、政治的能力も、突出していた可能性が高いと思われる。
そして、突出していたのは、どうやら政治力だけではなかったようだ。
彼の能力で、最も高かったと思われるもの。
それは、固有スキル「おねだり」であった。
◆ ◆ ◆ 霊帝・劉宏 ◆ ◆ ◆
霊帝・劉宏は、後漢の12代目である。
即位する前は、地方貴族。
といっても、名ばかり貴族で、貧困にあえぐ生活であった。
彼が、「むしろ」を売っていたかどうかについては、寡聞にして私は、知らない。
第11代の桓帝・劉志に子がなく、河間王系の同族であったため、皇后の竇妙、大将軍の竇武、太尉の陳蕃のバックアップで、皇帝となった。
皇后と大将軍の姓が、「竇」であること。
そして、太尉は、陳蕃であることに注目してほしい。
つまり、皇帝の家族である外戚、そして、宦官による腐敗を憎む清流派の雄が、霊帝の後見役であったわけである。
そうして、事件は、起こる。
宦官の排斥である。
竇武や陳蕃が中心となり、専権を誇った宦官、中常侍を誅戮しはじめたのだ。
ただ、問題となったのが、同床異夢とまではいかぬが、その中心人物の間に、ややズレが生じたこと。
大将軍・竇武が、ソフトランディングを望んだのに対し、陳蕃が望んだのは、ハードランディング。
この清流派の雄は、宦官を、一族ことごとく誅殺しようと企図したのだ。
この意見の不一致が、隙を作ることになる。
陳蕃の計画は、宦官側に知れ渡り、逆襲を受ける。
大将軍・竇武は、兵を差し向けれられ敗走し、自害。
陳蕃は、捕縛され、投獄されると即、殺害された。
結果、霊帝は、宦官の管理下に置かれることとなった。
宦官の天下である。
朝廷でも、地方でも、官職は、賄賂によって売られ、不安定化した地方では、張角を首領とする黄巾の乱も、発生した。
こうして、国内が乱れる中、精神的に不安定になった霊帝に、おねだり上手が、「アレ頂戴っ!」と耳打ちしたのである。
◆ ◆ ◆ 知事をおねだり ◆ ◆ ◆
革ジャン、蟹、牡蠣、家具、湯のみ・・・
劉焉が、自身の能力「おねだり」を発動させて、得ようとしたのは、そのような物品ではなかった。
もちろん、姫路城のレゴブロックでもない。
彼は、霊帝の耳元に口を近づけて言った。
「州には、刺史という職が、ございます。しかし、燃え盛った黄巾の乱を見ても分かるように、地方は、大荒れに荒れておりまする。今もなお、各地で反乱が起きる前兆があり、小さな反乱の報告が、少しずつあがってきております。」
実際に、黄巾賊の残党は、各地で反乱を起こしていたし、それを見た地方の豪族や異民族は、「あっ、おれも、おれもっ」という具合に、乱を起こし、地方には、小さい自分の国?・・・いわば私有の領地が、でき始めていた。
劉焉が訴えたのは、「反乱が絶えぬ根源は、地方の州知事にあたる【刺史】に実質的な行政・警察権が欠けていることだ!」ということであった。
まさに、正論。
彼の、政治的な能力、見識が高かった証明である。
「州を治める【刺史】に実質的な行政・警察権を加えるため、今までは、保持することを禁止されていた兵権を有する【州牧】を設置いたしましょう。中央政府の直接的な命令なく、兵を動かすことが出来れば、反乱を小さな芽の段階で、摘み取ることも可能で、民心も安定します。」
混乱期には、政治や社会の革新が求められる。
「維【これ】、新【しん】なり!兵権を地方の知事に与えて、地方分権を推進することこそが、危機の解決策である!!」
劉焉の提言は、国を憂い、改革を訴える良識を持った人たちの心にも響いた。
ただし、そのあと劉焉の発した一言に、その本心が隠れていたことに気づく人は、いなかった。
「ご命令を受ければ、私は、いつでも、地方に赴任いたしますっ。(あっ、ぼく、交州が、いいなっ・・・ぼそっ)」
なんやかんやで、劉焉のプレゼンテーションは、霊帝だけでなく、大将軍・何進、あるいは、中常侍・宦官集団にも受け入れられる。
ただし、初期には、1つ条件がついた。
高祖・劉邦が、劉姓の王を各地に任命派遣し、地方を安定化させたのと同様に、兵権をもった【州牧】も、劉姓の人間が選ばれたのだ。
冀州には、劉虞・・・景帝の血を引く、光武帝の長男の末裔。
荊州には、劉表・・・景帝の四男の末裔。
そして、益州には、劉焉・・・先に述べた通りで、劉表と同じく景帝の四男の末裔である。
霊帝は、当然、光武帝の直系であるからして、彼ら全員が全て、景帝直系の劉氏であった。
そういえば、どこかのむしろ売りが、景帝の九男・中山靖王の子孫を自称している。
最底辺に近い位置からのし上がるには、それが必要であったからで、実際、むしろ売りさんは、景帝直系の特権を、フル活用している。
それはともかく、劉焉は、益州・蜀の地へと向かうことに・・・あれっ?
「あっ、ぼく、交州が、いいなっ・・・ぼそっ」
この人、【交州】に行きたいっておねだりしてなかったっけ?
◆ ◆ ◆ 天子の気 ◆ ◆ ◆
董扶。字は茂安。
霊帝の時代に何進の招聘を受けて入朝し、霊帝侍中に任命された後漢末期の官僚である。
彼は、優れた調整能力と、豊富な経書の知識やさまざまな儒学知識から、朝廷内で儒宗と称され、特に重んじられていた。
霊帝に、色々と耳打ちしていたのは、劉焉であった。
しかし、劉焉の耳元にも、口を寄せてささやく男が居たのだ。
それが、この董扶である。
「益州には、天子の気がございまする。」
彼は、劉焉の耳に、この言葉をささやいた。
実際、漢の高祖・劉邦は、益州より天下を得ている。
この時代の人間にとって、それほど違和感がある言葉ではない。
「あっ、ぼく、交州が、いいなっ・・・ぼそっ」
そう言っていた、劉焉の希望任地は、いつの間にか益州に代わっていた。
そうして、希望通りの任地に彼は、向かうことになる。
董扶の優れた調整能力が、発揮された瞬間であった。
◆ ◆ ◆ 知らねぇよっ! ◆ ◆ ◆
「天子の気?そんなの知らねぇよっ。」
董扶は、ぼそりとつぶやいた。
それは、そうだ。
天子は、天に1人だけ。
そして、霊帝が、その人である。
他に天子の気配など、あるわけがない。
益州の広漢郡綿竹県出身である董扶は、故郷の混乱に、ただただ憂いを抱いていただけなのだ。
当時、益州では、刺史の郤倹が、民に重い税を課したため、怨嗟の声が途切れることが無かった。
その益州に、黄巾の残党と称する賊が蜂起する。
馬相、趙祇であった。
彼らは、刺史の郤倹を殺害し、雒城を落とした。
そうして、綿竹・蜀郡・建為の三郡で略奪を繰り返すと、巴郡をも制圧。
ついには、天子を自称した。
「益州には、天子の気がございまする。」
そんなの知ったこっちゃなかったかもしれないが、董扶の予言は、成就してしまった。
さきほど記した通り、綿竹県出身である董扶は、故郷の混乱に憂いを抱いていた。
精神的に不安定な霊帝は、明日にでも死んでしまいそうだ。
いざ、崩御となったら、中央政府内での争いが激しくなり、益州のことを考える余裕などなくなる。
「何か、益州の問題解決に使えるものは無いか?」
董扶は、ぐるりとあたりを見渡す。
目の前に居たのは、その野心が透けて見える「劉姓」の男であった。
この男に、兵をまとめさせて、混乱を鎮めれば・・・
討論に強く、口では、敵なしであったことから、「致止」=「議論は、董扶で結論が出て、ここに至れば止む。」と言われたこの男にとって、劉焉を、口先舌三寸でころころと転がすことなど、難しいことではなかった。
「交州交阯なんて、蛮族の住む土地です。そんな南に行くなんて、とんでもない。それに、今のトレンドは、益州です。益州の蜀こそ、高祖・劉邦が、天下を取った出発点。まさに、劉焉様にふさわしい場所と言えましょう。」
何がトレンドなのかは、分からないが、結果、劉焉は、自ら益州牧になることを願い出て、朝廷に認められた。
こうして、西暦188年、劉焉の提言という名目で州牧制度を根回しし、それを成就させた董扶は、益州赴任が決まった州牧・劉焉に同行して、故郷への帰還を目指す。
すべては、自分の故郷、益州広漢郡綿竹の大混乱を治め、その地に住む自らの一族の安泰をはかるためであった。