第15話 諸葛亮は、ため息を…2
白帝城は、重慶市に位置する。
長江上流の経済の中心で、中国西南圏の交通拠点。
思っていたよりも、奥まった場所ではない。
地図を眺めれば、そう思わされる。
人口は約3千万をゆうに超える。
都市として、世界最多。
四川盆地東部にあり、東は湖南省と湖北省、西には四川省、南は貴州省、北には陝西省。
北から、長江に嘉陵江が合流し、涪陵で烏江が合流する。
2006年、ダム開発により、白帝城のある場所は、島となった。
が、それ以前は、陸続きである。
「劉備は、戦を知らない。必ずや敗北する。」
魏帝・曹丕にそう言わしめた夷陵の戦い。
蜀漢の皇帝・劉備は、戦いで敗れ、白帝城に逃げ込んだ。
そうして、後事を諸葛亮に託し、この城で、没したのだ。
後をその子、劉禅が継ぎ、国事は、諸葛亮にゆだねられた。
◆ ◆ ◆ 人材の枯渇 ◆ ◆ ◆
張飛は、出征前に部下の張達、范彊らに殺された。
馮習は、潘璋の部下によって斬られた。
張南は、劉備救援に向かい、前後から敵の攻撃を受け、乱戦の中で敗死した。
傅彤は、「呉の狗めに降る漢の将がいるものかっ!」と降伏を拒み、戦死した。
程畿は、船上で自ら戟を持ち、追撃する呉軍と戦い、敵船を沈めるも、最後は、衆寡敵せず、討ち死にした。
沙摩柯。北方の胡王は、陸遜の火攻めに苦しんだ後、斬首された。
武陵の部従事であった樊伷は、関羽が駆逐された際、孫権に降るも、武陵蛮を誘い入れて孫権に反旗を翻し、敗死した。
習珍は、零陵北部都尉であったが、関羽が樊城の戦いで孫権に殺害された折、涙を呑んで膝を屈する。
しかし、武陵の樊冑と手を結び、武陵蛮の地に兵を進めると、再び、蜀漢側に与し、最後は、潘濬の攻撃に抵抗しながらも、剣を取って自害した。
王甫。風貌凛々しく、政務に優れ、心映え良く、今後、蜀漢の誉れとなるはずであった人物は、南郡秭帰県の敗北で戦死した。
馬良・・・我が義兄弟。
「馬氏の五常、白眉最も良し」といわれ、「尊兄」・・・そう孔明のことを呼んだ、誠実で善きあの男は、荊州南部で長沙蛮、武陵蛮を味方に引き入れる任務途中、陸遜との本戦を見ることなく死亡した。
沙摩柯を除けば、ほぼ全て荊州で登用した人材。
程畿と王甫は、益州で加わった秀逸な人材だ。
惜しい・・・
あの孟達も、関羽の大失敗のツケを負わされることを恐れ、魏に逃げ込んだ。
劉封は、劉備の養子であった。実子・劉禅と相克することを恐れ、死の近づいた劉備によって、斬首された。
ああ、そうだ。
杜路と劉寧の2人は、呉に投降し、それを潔しとしなかった黄権と龐林は、魏に降った。
礼を知らぬ関羽が、孫権をないがしろにした上、孫権が保管する湘関の兵糧や軍需物資を強奪しなければ、東呉勢力との手切れはなかった。
関羽が、荊州を失って殺されなければ、劉備は、孫権を攻めなかった。
劉備が、孫権を攻撃しなければ・・・
こぼれそうになる詮のない言葉を必死でこらえるも、抑えきれない嘆きの声が、口から洩れだしてしまう。
「人が、足りぬ。」
今後の蜀漢を支えるはずであった旬の人材が、この1年間で・・・わずかな瞬きをする間に、消えていなくなったのだ。
「もし、法正が生きていれば、劉備は、今回のような大敗はしなかったろうに・・・」
世の人は、こう噂する。
しかし、どうであろう?
龐統、あるいは、魯粛が生きていれば・・・
このような事態に、至ることすらなかったはずである。
静かなその部屋は、小さな音も響き渡る。
ふぅ・・・
白帝の城で、先帝より後事を託されたその長身の男は、扇を持ち上げ、鳳凰の尾羽を指でなでつけると、小さなため息をひとつ漏らした。
◆ ◆ ◆ 新城郡の新太守 ◆ ◆ ◆
西暦220年、孟達が魏に降ると、魏の文帝・曹丕により房陵・上庸・西城の3郡を合わせて新城郡が置かれた。
孟達は、その太守に任命される。
新城郡は、荊州の巫・秭帰・夷陵・臨沮・房陵・上庸・西城の7県を管轄。
しかし、孟達が死んだ西暦228年、新城郡は、巫・房陵・上庸の3県を分割し、再び、上庸郡が設置された。
このため、人々は、新城という郡は、孟達のために作られたと噂した。
樊城の戦いが、転機であった。
関羽が、敗北し捕殺される。
そうして、彼は気づいた。
劉備の心に、関羽が荊州を失ったツケ・・・その責任を、外様の孟達に無理やり押し付けようとする政治的思惑があることに。
親友の法正は、すでに亡く、彼をかばう人は、他にない。
結局、彼は、四千家を率い、魏に逃亡するはめになった。
魏帝・曹丕に謁見した際、孟達が、ゆったりと歩む様は、優雅で威風堂々としたものであった。
群臣は、「将帥の才」「卿相の器」を持つ男だ!と騒いだ。
曹丕も例外ではない。
彼は、この男を愛した。
車に乗った際、孟達の手を取り、彼の背中を撫で「確かそなた、劉備の刺客であったな?」と、からかうほど、彼を贔屓したのである。
もちろん「お前を信用しているぞ」というメッセージであることは、言うまでもない。
司馬懿は、孟達を信の置けない人物なので重用するなと、曹丕に諫言している。
忠言の士である。
また、劉曄は、孟達を一目見た瞬間、「いずれ、この男は、謀反を起こす」と言った。
歴史は、その予言通りとなった。
曹丕の没後、曹叡が後を継ぐと、孟達は、大きな不安を覚えた。
魏帝国内部に繋がりが少なく、庇護者のいなくなった寵臣。
親友の桓階・夏侯尚もすでに亡い。
しかも、任地は、新城郡という中原と荊州と益州と漢中を繋ぐ要所。
彼は、もう、こらえることはできなかった。
手には、諸葛亮の時候の手紙。
秋波を送ったのは、どちらが先であっただろう?
孟達は、諸葛亮に内応し、魏に叛くことを決意した。
荊州と豫州の軍権を握る司馬懿が兵を駐屯させる宛から、孟達の任地である新城までは、1か月以上かかる道程である。
さらに、司馬懿が軍を動かすため、皇帝・曹叡へ届ける上奏書簡の往復日数を考えると、孟達の冒険・・・この謀反の成功は、疑いようはなかった。
さて、その日、孟達は、側室としていた三つ子の美姫と酒を酌み交わしていたと言われている。
孟達のこもる城を包囲したのは、司馬懿であった。
彼は、皇帝への上奏の手間を省き、兵には、食糧を4週間分だけ持たせ、昼夜兼行の強行軍・・・わずか8日間という神速で、新城までたどり着いたのだ。
その軍略は、行軍途中に丁寧な書簡を送って、孟達を安心させるという手の込みよう。
歴史の分水嶺は、8日間と行軍と、わずか16日間の攻城戦であった。
新城は、あえなく陥落・・・孟達は、斬首される。
関羽の失った荊州・江陵の代わりに、新城を・・・
電光石火の対処に、諸葛亮の思惑は、雲散霧消し、無に帰したのだ。
2面作戦は、封じられ、北伐戦略は、大幅に狭められたのである。
蜀漢は、新城という足掛かりを失い、再び、片肺走行を余儀なくされることとなった。
丞相・諸葛亮は、大きく嘆息したといわれる。
◆ ◆ ◆ 馬氏五常の末子 ◆ ◆ ◆
劉備の呉征伐に従軍中に死んだ諸葛亮の義兄弟・馬良。
「馬氏の五常、白眉最も良し」と言われたが、その弟も、才気あふれる若武者であった。
馬謖、字を幼常という。
軍略を論じれば、比するもの無しといわれる並外れた才能の持ち主で、諸葛亮から高く評価された。
「これより、西へ向かう。」
諸葛亮は、出師表をあらわした翌年、漢中の沔陽県に駐屯していた。
彼は、最初、長安に向けて北上、郿県を攻める様子を見せた。
陽動である。
そうして、相手の虚を突き、西の天水・祁山へと進出する。
東の曹叡を討つはずが、西に向かったのだ。
不意を衝かれた天水、南安の太守は、長安方面へ逃走し、安定太守の去就は、所在不明となった。
こうして、天水および南安・安定の三郡の士大夫は、蜀漢に呼応することとなる。
特に、天水で得た武将・姜維は、今後の蜀漢の屋台骨を支える武将となった。
劉備の死後、対蜀漢の備えを怠ったという相手側の油断があったとはいえ、諸葛亮は、魏の長安と河西回廊の分断に成功したのだ。
しかし、その戦果も、虚しく失うこととなる。
重要拠点の司令官に抜擢した馬謖が、張郃により破られたのだ。
諸葛亮は、全軍の撤退を余儀なくされる。
馬謖とその軍師格の陳某は、軍事裁判にかけられるために、牢につながれた。
白帝城。
死の床の劉備の言葉・・・
「口は達者だが、人を信用せず実行力がない。彼に軍の指揮権を与えてはならない。」
しかし、それでも、もう一度、彼にチャンスを与えたい。
諸葛亮は、義兄弟・馬良の弟を惜しんだ。
剃髪と蟄居。
それが、諸葛亮の判断であった。
後年、李厳が、軍事的サボタージュをした際と、同程度の判断である。
馬謖は、まだ若い。
タイミングを見て、復帰させるのだ。
軍師の陳某は、これを受け入れ罪に服した。
しかし、肝心の馬謖が問題を起こしてしまう。
彼は、斬首を恐れ、逃亡を図ったのである。
もはや、ため息も出なかった。
諸葛亮は、泣いて馬謖を斬り捨てた。
◆ ◆ ◆ 最後のため息 ◆ ◆ ◆
諸葛亮は、決断した。
「魏延が、退却に反対するであろうから斬れっ。」
彼は、姜維にそう命じた。
嘘である。
魏延の忠誠は、厚い。
それは、劉備と劉禅が、景帝の血を引くということが大きい。
彼の地盤は、荊州南部の武陵、長沙、桂陽、零陵。
麾下には、この地域の異民族が多く、その将兵の主力を占める。
かつて、その地は、景帝の子・長沙定王の劉発が領有した。
これは、光武帝・劉秀の祖であり、劉備の祖である中山靖王・劉勝の弟だ。
魏延は、景帝の血を引く漢に対する忠義の臣なのだ。
しかし、その荊州南部は、もはや孫権が領有する地である。
今後、そこからの兵員や将の補充は、無理であろう。
そうして、今後の蜀漢の主力は、姜維あるいは馬岱といった、羌族の血を引く天水や涼州の軍閥出身者である。
劉備が、荊州より入蜀して、久しい。
魏延の麾下は、年を取った。
年老いた古い異民族の将兵よりは、別の若い異民族の将兵。
プライドの高い魏延は、年功の序列を言い立て、自身が大将となろうとするだろう。
しかし、それでは、せっかく従えた姜維ら・・・そして、天水・南安・安定あたりの異民族は、不満分子となるに違いない。
手に慣れたはずの羽扇は重く、もはや持ち上げることすらできない。
白く明るくさみしい静かなその部屋の天井を見上げる。
ベッドの上に横臥したまま彼は、ゆっくりと目を閉じた。
部屋では、ため息の音すら聞こえなくなり、間もなく、蜀漢は、全軍を五丈原より撤退させることとなった。