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第14話 諸葛亮は、ため息を…1

益州・蜀の最大都市、成都。


諸葛亮に与えられた屋敷は、広く豪華なものであった。


部屋にともされた灯り。


美しい調度。


秋夜にふさわしい艶めいた静けさが、彼の周りには、漂っていた。


一人、盃を傾ける諸葛亮。


トンっと、グラスをテーブルに置き、目を閉じる。


彼は、愛用する扇につけられた鳳凰の尾羽を指で撫でながら、小さく何事かをつぶやいた。


やがて、彼の口から吐き出される言葉から音は消え、ただ、酒の匂いのみが、あたりに漂う。


そうして、最後には、「ふぅ・・・」っという小さなため息だけが、部屋の中に響くのであった。


◆ ◆ ◆ 隆中の策略 ◆ ◆ ◆


あの当時、曹操は、袁紹・袁術らの汝南袁氏を倒して中原を支配下に治めていた。


彼の勢力が、中国全土を統一するために残る勢力は、葉末な小勢力を除くと、荊州の劉表、揚州の孫権、益州の劉璋、漢中の張魯、涼州の馬超・韓遂を残すのみ。


放浪の身であった劉備は、このうちの劉表のもとに身を寄せていた。


荊州は、中原と、揚州と益州のつなぎ目に位置し、軍事的にも政治的にも極めて重要な地域である。


この情勢を踏まえ、諸葛亮は劉備に対し、策を説いた。


曹操の能力は、はるか高く、権勢は、強大。


今の劉備が、これと争うことは、不可能である。


ただし、荊州の利便、益州の豊かさを得たならば、話は別。


「荊州の主・劉表は、外面は寛大で政治に長けるが、国を保つことは不可能。天が劉備にこの地を与えているも同然である。また、益州の劉璋は暗愚で英雄の才に乏しく、北に張魯という脅威あるため、かの地の士は、明主を求めている。この二州を劉備が領し、南方の蛮夷を慰撫し、東の孫権、西方の馬超・韓遂ら夷戎と結んで守りつつ曹操に抗し、中原に何か不慮のきっかけがあったタイミングで、部下に荊州の兵を預けて宛・洛陽と進ませ、劉備は、益州の兵を率いて長安に出撃すれば、曹操を打倒し、真の漢王朝を再興できる。」


劉備に三顧され、彼に仕官することを決めた諸葛亮が、提示したのは、この遠大な計画であった。


しかし、劉備は、ミスを繰り返した。


劉表の死で動揺する荊州・・・これを得る最大のチャンスを、『我、忍びず』の一言で、ふいにした。


赤壁の戦いでは、周瑜に頭を押さえつけられ、荊州は、結局、孫権からの借り物であるという体たらく。


苦しくなったところで、運よく周瑜が死んで得られた益州攻めでは・・・



『龐統の背に刺さった矢は、長沙蛮や武陵蛮が使う矢であった』



勢力が鼎立し均衡を保つ戦略は、拮抗を保ち、天下を小分けすることが目的ではない。


最終目的は、中華統一。


劉備が、荊州、益州の2州を領することは、統一のための最初の一歩・・・手段にすぎないのだ。


荊州、益州を得て、はじめて、土地でみれば、曹・孫・劉の比が、10 対 2強 対 2弱 になる。


その人口から見ても、4対2対1といったところで、その上、曹の人口4は、今後は、どんどん増えて回復していく。


長期的な持久戦では、最弱の劉備勢力から減弱することは、明らかだ。


2と1の力は、協力するから、4の力と拮抗することが、可能になるのである。


目的と手段を取り違えてはいけない。


孫権を、敵に回してはいけないのだ。


つまりは、その連結部となる龐統と魯粛を失ってはならない。


はずであったが・・・


長沙・武陵蛮の矢を放ったのは、黄忠の兵か?あるいは、魏延か?


しかし、これを考えたのは、法正であろう。


決して、バカな猪武者というわけではない。


が、劉備には、大局を考える能力が、欠けている。


近視的な観点から、危機を訴えれば、手の平で転がすことは、そう難しいことではない。


おそらく、益州を得たあとの孫権の脅威をより大きく言い立て、後難を断つとでも言ったであろうか?


龐統は、もう居ない。


これで、劉備側の連結は、失われた。


魯粛頼みとなった孫権陣営との同盟・・・これは、いつまでもつであろうか?


諸葛亮は、白く明るくさみしい静かなその部屋で、ひとり大きなため息をついた。


◆ ◆ ◆ 品行方正 ◆ ◆ ◆


劉備の益州攻めでも、すさまじい活躍を見せた『法正』であったが、その品行が『方正』であるとは、言い難かった。


三国志の著者である陳寿は、言う。


「法正は、出色の判断力と傑出した計略を持つ者であった。しかし、その徳性は、賛辞されるものではなかった。曹操の臣下で比肩する者を探すならば、『謀略に優れるが、食糧難の際に略奪で確保した食料に人肉が混じっていた程昱』、あるいは、『天才的な洞察力を持つが、徳業に縁のなかった郭嘉』であろうか?」


その法正であるが、劉備が益州の支配に成功すると、その功績により蜀郡太守に任じられ、諸葛亮らと内政を司るとともに、劉備の傍に侍り、謀り事の相談役、最高顧問となった。


彼は、判断力、洞察力、決断力、実行力に加えて、抜群の記憶力を有するいわば、5-tool playerであったのだ。


しかし、その抜群の記憶力は、良い方にも、悪い方にも向く。


彼が、劉璋政権下で不遇をかこっていた頃、自身を非難した人物、あるいは、不当に自身を悪く扱った人物に対し、少しの恨みであっても、忘れることなく記憶しており、全てに対して激烈な報復を始めたのだ。


蜀郡太守の権限を持つ者が行う報復である。


法を度外視してその個人の裁量で処刑された者は、数知れず。


新たに劉備に仕えるようになった益州人からは、多くの怨嗟の声が上がり始めた。


伊籍、劉巴、李厳は、これを案じ、その心配を諸葛亮へと訴えた。


「いにしえの時代、破石は、前政権の倍安時代に蚊帳の外に置かれたことを恨めど、自身が権力を握った際は、相手を蚊帳の外に置く程度で済ませました。この例にあるように処罰というものは、目を傷つけられたなら目だけを、歯を折られたら歯だけを対象にすべきです。ところが、法正は、そうではありません。ほんのわずかな相手の瑕疵を、百にも千にもし、最終的には、その命で償いを求めます。」


古い話譚を例に挙げつつ、これを是正するよう諸葛亮に求めたのだ。


諸葛亮は、答えた。


「劉備公は、荊州の公安の地にあった時、江陵を支配する周瑜に頭を押さえつけられ、北は、曹操の強きを恐れ、東は、孫権勢力の圧迫をうけ、これに遠慮し、息抜きのための部屋ですら、孫家より迎えた妻とその侍婢により、部屋に入室するたびにつねに恐恐として、息をつく場所もありませんでした。このような進退に窮逼している時に、法正は、輔翼となって劉備公に翼を与え、自由の地・益州をもたらしました。どうして、その法正の意向を禁止することができましょうか?」


諸葛亮は法に対し、常に厳格であった。


しかし、法正の不正不法に対しては、その目をつぶったということである。


ただし、これは、苦渋の決断であった。


忠言の士が帰った後の屋敷で、ひとり諸葛亮は、盃を傾ける。


グラスに映りこむ光が、液面を揺らした。


彼は、愛用する羽扇を左の手のひらで撫でながら、小さく何事かをつぶやいた。


「劉備殿は、法正を敬愛している。能力が高く、汚れ仕事も厭わず、都合の悪い細部の情報も、その長い耳に届けてくれる。龐統の事件もその敬愛の理由に入るだろう・・・」


そうして、逆に言えば、かの事件は、諸葛亮の信頼低下と大きくつながる。


なぜならば、龐統は、諸葛亮の姉とつながりがあり、また、諸葛亮の推挙によって仕官した人物であるからだ。


諸葛亮の兄である諸葛瑾は、孫権の臣下であり、かつ琅邪諸葛氏の現在の家長・族長である。


孫権による益州取りを警戒する劉備にとって、スパイ疑惑があり、周瑜麾下であった龐統に関係する者は、危険因子でしかない。


ましてや、家長・族長である兄が、孫権に仕えているならなおさらである。


諸葛亮を心から信頼しろと言われても、それは、無理な話と言えよう。


 法正の行動を制限せよ。


 法正を処罰せよ。


その意見は、正義で、正論である。


正義は、正義であるから正しく、かつ、正論は、正論であるから正しい。


ただし、その正しさの行使で自身を滅ぼしては、なんのための正義正論であろうか?


劉備が、常に法正を愛信していることを、諸葛亮は、よく知っている。


仮に、法正を処罰するように、劉備に対し、進言したらどうであろう?


いや、行動の制限でもよい。


処罰されるのは、おそらく諸葛亮となる。


伊籍、劉巴、李厳の意見は、正しい。


それを却下する際に告げた理由は、こじつけでしかない。


つぶやきは、止まらない。


「正義は、正義・・・孫権の脅威も、脅威ではある。それは、言われぬまでも、分かり切ったこと。しかし、孫権と力を合わせねば、曹操が息を吹くだけで、我らは、飛ばされて瓦解しかねないのだ。ただ、今この状況下で、劉備殿に天下の大局を唱え、その理由を説明しても、ぬかにくぎであろう。」


諸葛亮は、グラスをテーブルの上に置くと、ふぅっと短い息を吐いた。

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