第10話 法正は、極悪人2
周瑜の死後、魯粛は、それを引き継ぐように江陵に軍を置いた。
しかし、やがて陸口にその駐屯地を移すこととなる。
魯粛は、曹操という大敵に対抗するためには、劉備に力を与えておくべきと考えたのだ。
彼の提言を受け入れた孫権は、劉備に荊州を貸し与える決断を下した。
◆ ◆ ◆ イケメン有罪 ◆ ◆ ◆
「どんな時代も、イケメンは、邪魔なものよ。やっと、江陵に入ることができた。」
「まったく、その通りですな。」
姿質風流,儀容秀麗。
美周郎と呼ばれるイケメン周瑜に頭を押さえつけられてきた劉備は、自身の隣に立つ者が益州から来た使者であるにもかかわらず、不用意な言葉を発した。
そして、使者・法正は、それに追従する。
この、売国奴めっ!
龐統は、劉備の後ろで口を閉じ、歯ぎしりの音をおさえた。
自身の恩人である周瑜に対し、敬意を感じない言葉が、すぐ目の前で飛んでいるのだから、はらわたの煮えくり返るような思いをこらえるだけで精一杯。
しかし、法正の来訪は、明らかにプラスの出来事。
なぜなら、今後、益州へ劉備が軍兵を進めるにあたっての、大義名分を彼は、持って来たのだから。
「手段と目的を間違えないようにしてほしい。」
すっと下を向き目を閉じると、諸葛瑾の声・・・あの言葉が、頭をよぎる。
数秒後、再び顔を上げた龐統の顔には、使者を歓迎するにこやかな笑顔が貼り付いていた。
◆ ◆ ◆ 待ち合わせ ◆ ◆ ◆
「ふむ、狐己か。益州からの長旅なれど、この桃花馬、疲れた様子も見せておらぬ。さすがじゃの。」
荊州まで駿馬を飛ばしてやって来た一人の少女。
法正は、腰かけていた大岩から立ち上がった。
「法正さま。遅くなって申し訳ございません。」
江陵から西に10キロほど進んだ岩場。
法正は、そこに待ち合わせのポイントを作った。
「雨が降っておらぬので、良かったの。」
「確かに。」
馬より降りた妲狐己は、大岩のに座りなおした法正の前に立ち、報告する。
「こちらは、張松殿の書簡にございます。密かに私兵を集め始めた模様で、その状況が書かれているため、劉備様に差し出してほしいとのこと。あとは、妹の王石琴が、孟達様に連れられ劉璋様の元に仕えることに成功いたしました。」
「それは、朗報だ。孟達も、なかなかやりおる。」
そういいながら、法正は、「劉備様に差し出してほしい」と言われた手紙の封を解くと、中を確認し始めた。
「ふむ・・・やはり、わしの名は、書かぬか。全ては、自分の功績よの。あの小男らしいわっ。」
法正にとって、予想通りであったが、張松の手紙は、自分が兵を集め、自分の計画で、劉備に益州を差し出すといった内容であった。
「まぁ、それは、それで都合がよいわ。お主が、持っておくがよい。」
そうして後ろに控えた胡雉喜に、手紙を渡す。
劉備に差し出すなど、とんでもない。
この入蜀計画は、全て、この法正が、差配するのだから。
◆ ◆ ◆ 大略と詳細 ◆ ◆ ◆
「劉備公は、次の方策として、益州を獲らねばなりませぬ。」
法正は、「同族を攻めるは、忍びない」と渋る劉備を、ついに説得した。
曹操や楊修に軽く見られていたとはいえ、張松は、蜀において識見や判断力を評価されている人物である。
だてに、法正を選んだわけではない。
彼は、弁士としても、優れているのである。
法正は、時に情に訴えつつ、理論整然と益州取りの利を説き、ついには、軍の矛先を劉璋に差し向けることに対し、劉備のその首を、縦に振らせたのだ。
龐統は、思った。
「この法正という男、とんでもなく有能だ。まさか、辺境の蜀の地に、このような人間が眠っていたとは・・・」
日を追うごとに、劉備の信認を得ていく法正を見て、龐統は、嫉妬の念を隠さずにはいられなかった。
まず、大局観が素晴らしい。
今後の中華の将来。
この見通しがある段階で、彼が、ひとかどの人物であることが分かる。
すなわち、魯粛の『南北中華二分の方略』の先を見通すことができているのである。
それでいて、小さな計略や問題の答えを、すぐに提示することができる。
大略を知る者は、詳細を答うること、得手とせず
今、この劉備陣営で、この言葉の例外を上げよと言われたら、まず、真っ先に諸葛亮および龐統・・・そして法正の名が挙がるはずである。
龐統は、自身の持つ2つのアドバンテージ・・・『西蜀地形図』と周瑜と練った『益州攻め計画』を上回る提言と、内部に情報提供者が居なければ得ることのできない蜀の最新情報を、劉備にもたらす法正を見て、次第に彼に対する警戒を強め始めていた。
◆ ◆ ◆ 上策・中策・下策 ◆ ◆ ◆
しかし、危機感を抱いて警戒を強めたのは、龐統だけではなかった。
法正もまた、龐統に対し、用心を怠らなかった。
彼は、劉備に対して、進言した。
「この後、劉備公は、成都の北にある涪城で劉璋殿と会見することとなります。」
「そうじゃの。わしは、米賊討伐に向かうのじゃから。」
そうなのである。
劉備軍の征西の名目は、漢中に割拠する五斗米道の教祖・張魯を討伐することである。
五斗米道とは、後漢末、漢中を中心にできた道教の流れをくむ宗教団体。
信者に、五斗・・・約20リットルほどの米を寄進させ、このころ多く発生した長安近隣からの流民に対し無償で食料を提供する場を設けたり、呪術的な儀式で信徒の病気の治療を行ったため、人々から信仰を集め、強固な宗教自治組織を形成した。
もしかすると、戦国時代の加賀・・・百姓の持ちたる国に近かったのかもしれない。
それはともかく、師君・張魯を中心に、宗教王国と言える組織を維持し、漢中に独立割拠したため、漢帝国からは、五斗米道の賊軍を意味する『米賊』と呼ばれていたのである。
「会見の際、劉備公の麾下で、このような策を出す者があるやもしれませぬ。」
「ほう、どんな策じゃ?」
「上・中・下策にて、1つは上策として、その場で劉璋殿を斬り、蜀の中心である成都へ攻め込む策。2つに中策として、兵と糧米を劉璋殿より借り、漢中へと向かうふりをする策。3つに下策として、漢中を攻める策にございます。」
「ふむ、わしなら、兵と糧米を劉璋殿より借り、漢中へと向かうふりをする策を取りたいの。」
「その通り。それが、よろしゅうございます。漢中を攻めるのは、その労とても多くとも、得るものはすくのうございますので、まさに下策。さらに、その場で劉璋殿を斬るなどは、もっての外。大義名分なくそのような行為をすれば、劉備公の名声に傷がつくどころではありません。天下万民より非難を受けることでしょう。」
「ほう・・・ならば、そなた、何故わしの信用を落とそうとする案が、我が部下より上策として提案されると予想する?」
「重要なのは、まさに、それにございます。私は、劉備公が、益州を得たのちに、かの地を乗っ取ろうと考えるものが、おると予測しておるのです。」
「ふむ・・・孫権じゃな。」
「ご名答。」
劉備とてバカではない。
劉璋の領土を攻め取ったとしても、信用を落とし人心を失えば、次は、劉備が劉璋と同じ立場になるのである。
そして、次に益州を狙うであろう人物を、予想することなど、誰にでも可能だ
「なるほど、お主が言いたいことが分かったわ。我が軍内に、孫権の息のかかった人物がおる。それに、気を付けよということじゃな。」
「はっ、差し出がましいことではございまするが、念のため。」
「いや、良い話をして貰った。我が幕下には、そのような忠告をしてくれる士が少ない。法正よ。これからも、頼りにしておるぞ。」
こうして、法正は、劉備からの信頼を、さらに厚くするのであった。
◆ ◆ ◆ 劉璋との会見 ◆ ◆ ◆
法正の予言通り、劉備は、成都の北方、涪城において劉璋と会見する。
もちろん、劉備が劉璋を斬るようなこともなく、兵を成都に進めることも無かった。
劉璋は、同族の劉備を歓迎し、漢帝国に対し、劉備を司隸校尉に推薦する。
劉備も、同様である。
劉璋を益州牧に推薦する書簡を都へ送り、上奏した。
社交辞令と言ってしまえばそれまでであるが、飲み会でお互いの褒め合いをしたのちに、朝廷に互いのランクアップ昇格を提案したわけだ。
実際、この上奏の後、劉備は、劉璋より兵士3万に加え、糧米や軍需物資の援助を受けているのだから、社交辞令が、どれほど重要かがよく分かる。
◆ ◆ ◆ 龐統の人読み ◆ ◆ ◆
「劉備は、優柔不断な所がある。」
龐統は、益州西征へ向かう前に諸葛亮よりアドバイスを受けていた。
劉表の後を継いだ劉琮が、曹操に降伏した際のことである。
諸葛亮は、劉琮を討って荊州を奪うよう提案したが、劉備に却下された。
「放浪して荊州にたどり着いた際に、劉表より受けた大恩がある上、同じ景帝の血を引く劉姓の同族を討つのは忍びない。」
このような甘い言を述べたため、諸葛亮は、自身の示したプランAを引っ込め、放浪軍を引き連れて移動し、孫権との同盟とするプランBに切り替えることになったのだ。
しかし、龐統は、諸葛亮より上手くやる自信があった。
彼は、この行軍で行動を共にし、主君の性質を見抜いていた。
劉備は、切羽つまれば大胆に振る舞う胆力を持つものの、普段は、建前を重視し、事を慎重に運ぶ小心者。
このような人物は、「松」「竹」「梅」と3つの品があれば、間を取って中位の「竹」を選択する。
すなわち、「過激な策」と「本命の策」、そして、見るからに「質の落ちる策」を提示されたならば、必ずや「本命の策」を選ぶであろう。
劉璋との会見の宴の席、劉備の中座の際にそっと後ろを追いかけた龐統は、提案した。
彼は、劉備にこう唱えたのである。
「殿、ここは、上・中・下の3つの策がよろしいかと思われます。どれを選びましょうか?」
はたして、劉備は、彼の予想通り「本命の策」を選んだ。
ただし、座に戻った後の劉備の顔に暗い陰がよぎったこと・・・
これに、龐統が気付くことはなかった。