第8話 龐統は、スパイ!?2
これも、歴史の【分水嶺】のひとつであったのであろう。
「天下を2分し、曹操に決戦を仕掛ける。」
そう主張した主戦派の周瑜が、舞台から姿を消したことは、世の流れに、大きな分岐点をつくることとなった。
特に、孫権陣営でその傾向は、強まる。
決戦から拮抗へ、即戦から維持へ
その後の孫権のかじ取りは、できるだけ荒波を避け、穏やかな流れを選び取るかのように移り変わるのであった。
◆ ◆ ◆ 南北中華二分の方略 ◆ ◆ ◆
さて、江東の地へ移動した龐統である。
彼が向かったのは、孫権の元ではなく、諸葛瑾の屋敷であった。
もちろん、周瑜の遺言の通り、諸葛瑾の指示を仰ぐために・・・
テーブルを挟み、対面するように椅子に腰かける。
そこに広げられていたのは、継ぎ合わされて作られた1枚の大きな紙。
この時代、紙は、とてつもない貴重品である。
それを広げ、ふたりは、ある検討を行う予定であったのだ。
「これこそが、『西蜀地形図』にございます。」
「ほう、周瑜殿より、話だけは聞いておったが・・・このように詳細なものであったか。」
「私が、蜀の小男と接触した際、預かりました。あの男が申すには、曹操では、天下は、定まらぬとのこと。」
「まさか。天下を定める可能性が、最も高いのが、曹操であることは、誰もが知っている。」
「いや、私が、申したことではございませんから。」
広げられた大きな紙は、あの張松の懐に隠されていたソレ。
朱筆で注釈が細かく書き込まれた、蜀の軍事機密と言える地図であった。
「これは、龐統、お主が持っておくがよい。」
「いえ、私では、信用が足りません。諸葛瑾殿から、孫権様に提出してこそ、益州攻めが成るのです。」
「いや、そうではない。これを我が主に差し出しても、軍は、動かぬ。」
周瑜の死後、孫権陣営の大きな方針には、もっぱら魯粛の意向が強く反映されるようになった。
そして、魯粛の意向とは『南北中華二分の方略』であった。
すなわち、荊州を放浪軍の劉備に貸し与え、その雑軍の力をもって、益州を攻めさせる。
こうすれば、孫権陣営の兵隊を損なわずに益州を攻めとることができる上、以前の劉表勢力がそうであったように、強大な曹操の領地と自勢力の間に、荊州・劉備軍という1つの緩衝地帯をもうけることができる。
孫権と曹操の接触地域は、徐州と揚州の間のみとなり、相手方より少ない兵力であっても、 淮南の寿春、合肥あたりの動きに集中させることで守りやすくなり、防衛にかかる様々なコストも、安くあげることができるというわけだ。
そして、劉備の作戦がうまくいけば、良しであるが、失敗してもそれほど問題にはならない。
何故なら、失敗した場合も、劉備の攻撃によって兵を損なった益州の劉璋勢力であれば、孫権の手勢で攻め落とすことは、それ以前よりは、容易になっているであろうから・・・
北方の強大な曹操勢力に対して、南を孫権と、友軍の劉備の力で維持し、拮抗を保つ。
得られるリターンが、多少、小さくなろうとも、リスクをできるだけ小さく。
そうして、あわよくば、機会を見て天下を得る。
しかし、それは、サイコロの目が、良い方に出続けた時だけで良い。
ひとつ、ふたつ、悪い目が出ても、今の支配領域だけは、維持すること。
それが、最大の目的だ。
その後の中国の歴史をみても分かるように、孫権勢力の割拠する東呉支配領域は、それだけで、独立して維持できるだけの力を持つ地域であるのだから・・・
◆ ◆ ◆ 荊州、借りパク ◆ ◆ ◆
「周瑜殿の死去で、分岐した流れ・・・おそらく、天下は、三つ巴の争覇の道を歩み始めることとなる。」
諸葛瑾は、語った。
「なるほど。」
「しかし、魯粛殿の考えには、一つ穴がある。」
「いや、その穴は、諸葛瑾殿が、埋めることができるのでは?」
「無理じゃな。弟が、劉備殿に仕えておる。」
「そうでしたな。そうなると、問題となるのは、魯粛殿ですか。」
そう、魯粛の戦略には、穴がある。
矛盾している話であるのだが、その穴とは、魯粛の存在であった。
南方を、孫権と友軍の劉備の力で維持し、拮抗を保つという考えは、2つの陣営をつなぎとめる能力がある魯粛が存在するからこそ、可能となる戦略なのである。
今回の周瑜の死去と同様に、魯粛が死去した場合、そうでなくとも、孫権陣営で力をふるうことが出来ない政治状況となった場合、はたして、いつまでも劉備勢力が、友軍として働いてくれるかどうか・・・
劉備陣営に、弟の諸葛亮が仕官してしまっている諸葛瑾では、このつなぎ止めのための政治的な資格が、怪しくなる。
劉備陣営と通じている疑念を、孫権が抱いた段階で、諸葛瑾の提案は、ほぼ却下されてしまうであろうから。
「そこでだ。この『西蜀地形図』については、龐統殿に持ち込んでもらうことにしよう。」
「劉備殿にですな。」
「あぁ、どう転んでも、貸し与えた荊州の郡府を劉備殿が、自ら返すことは、無いであろう。ならば、益州攻めに失敗してもらっては困る。孫家勢力と拮抗する力があれば、力での荊州奪還を我が陣営が行う可能性が少なくなる。」
「そうして、私が信頼を得て、劉備殿に張り付き、孫家と劉家をつなぎとめるため、あちら側で、魯粛殿と同じ働きをするというわけですか。魯粛殿のスペアというわけですな。」
「周瑜殿からは、『龐統の頭中には、少なくとも、私と同じかそれ以上のモノがある』とうかがっておる。お主なら、魯粛殿に勝ることはあれど、劣ることは、ないであろう。」
諸葛瑾のその言葉に、龐統は、何も答えず、ただニヤリと笑って、盃の酒を呑み干すだけであった。
◆ ◆ ◆ 軍師中郎将の役割分担 ◆ ◆ ◆
数週間後、劉備陣営の軍師中郎将として働く諸葛亮の元に、龐統は現れた。
兄・諸葛瑾の紹介状とともに。
『戦乱のため、中原から南方へ避難してきた民が多数おり、これまで、戦の少なかった南方は、その人口流入の影響で成長を続け発展してきた。しかし、曹操による華北の制圧で、いずれ、その人口は、華北に戻り、あっという間に、北と南の間には、大きな人口格差ができるであろう。その時に、北方からの攻勢を、南方の益州、荊州、揚州の3州で耐えきるには、劉備勢力と孫権勢力が、一体となって動かねばならない。各々が独自に動けば、共倒れに終わるだけである。この龐徳公の甥のことは、良く知っておるだろう。劉備公の勢力の力を大きくし、簡単につぶれぬようにするため、龐統が、その力を存分にふるうことができる場を用意してもらいたい。」
劉備公の力を大きくし、簡単につぶれぬようにするため
龐統は、その意味を理解し、諸葛瑾の心の声を正しく聞き取っていた。
「そなたは、劉備勢力の中に入り、劉備公のために働くがよい。ただし、われらが同盟が崩れそうな気配を感じたならば、それを未然に防ぐことが、一番の目標になる。そなたが、劉備公のために働くのは、劉備勢力の力を大きくし、簡単につぶれぬようにするためと、劉備陣営の幹部と、劉備公の信頼を得て、いざ破局といった場面の際に、それをつなぎとめるだけの力を維持し続けることが目的だ。手段と目的を間違えないようにしてほしい。」
しかし、そんな諸葛瑾の心の声を聞き取っていたのは、龐統だけではない。
目の前の諸葛亮も、この男が仕官する意味を理解していた。
「龐統殿が、地図をお持ちになったことですし、益州攻めを担当されるのでよろしいですかな?」
「そうなりますな。まぁ、攻めるために軍を動かすのは、私の方が上でしょう。民を慰撫するのは、あなたには、とうてい叶いませぬが。」
諸葛亮と龐統は、劉備抜きで、今後の自分たちの役割を淡々と決定していった。
劉備陣営の次の方策として、西の益州を獲る。
この際、諸葛亮は、関羽や張飛とともに荊州に残り、龐統は、劉備をひき連れて、新規参入組の黄忠や魏延を将とし、数万人の兵を引き連れて、蜀へ赴く。
大筋を決めてしまえば、今後の情勢の変化に対しては、呼吸をあわせて臨機応変に対応することができる能力をもった二人である。
話し合いは、何事もなく無事に終わり、談合は成った。
こうして、龐統は、治中従事として、劉備陣営に仕えることとなった。
その役は、軍師中郎将。
実績のない新参者でありながら、なんと、諸葛亮と同じ役職に任命されたのである。
◆ ◆ ◆ 益州からの使者 ◆ ◆ ◆
そんな龐統が参加したばかりの劉備陣営に、願ってもない使者が現れたのは、それから間もなくであった。
益州・蜀の群雄・・・劉璋が、送り込んできた使者・・・その名を法正。
彼の主・劉璋が、劉備に対して望んでいたのは、
『漢中を支配する五斗米道の張魯に対抗するために、兵を貸してほしい。出来ることなら、その力で、張魯を排除してほしい。』
というものであった。
しかしながら、人払いをしたその会談で法正が提案してきたのは、龐統ですら、あっと驚く売国奴とも言える内容であった。