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美女と野獣の子



『自分の価値を決めるのは自分よ。周りの言葉が大きく聞こえてもそれが全てじゃない。言われたことを鵜呑みにする必要はないんだよ』


 幼い頃、母は私たちにそう言った。


『世間は少数者に厳しい。けど母さんのような人は必ずいる。だからその優しさを忘れないでくれ』


 幼い頃、父は私にそう言った。



 あの頃は素直に二人の言うことを聞いていたが成長した私は気付いてしまった。


 自分の価値は周囲の状況と他人の評価で決まり、母のような人はいないということを――



 ―――――――――――――― 



 街の喧騒とは程遠い自然に囲まれた場所に私の家はある。家の周りに広がる大きな庭園には季節によって様々な花が咲き、この家で暮らす母はその美貌から“花の妖精”と呼ばれていた。


 一方父はいつも書斎に籠もって仕事をしていた。

 街の人が父を何と言っているかは幼いながら理解していて、だけど私たちと接する父はいつも優しくて愛情深くて、だから私は何も気にしたことはない。


 街の人たちに『美女と野獣』と揶揄われても。

 話し好きな母の話を口下手な父は聞くばかりだったけど、目線一つで愛していると伝えてくれる。

 そんな二人の関係は私の自慢だった。


 だから私はあまり自分の容姿を嫌だと思ったことはなかったんだ。


 花の妖精と例えられる母にそっくりな妹マイヤと、野獣と揶揄られる父に似てなおかつ生まれつき首に痣がある私サリヤも、常に等しく愛され幸せに暮らしていたから。


 だけど、それが普通じゃないことに気づいたのは母方の両親がこの家にやってきてからだ。


 両親が出かけ先で事故に巻き込まれた。

 私たち双子のもとに突然届いた訃報がこれまでの生活を一変させた。


 公爵の身分を持つ父だったが親兄弟はすでにいなく天涯孤独の身。

 まだ幼い私たちだけじゃ生活ができないからと言って、この家に母方の両親がやってきた。私たちの祖父母になるのだが、母親が話題に出すこともなく存在自体知らない。


 今まで会ったことも聞いたこともない祖父母。

 それでも血の繋がりという関係が、両親の訃報に悲しむ私たちを救ってくれたのは確かだった。


 一人じゃないという安心感はある程度のことを飲み込ませてくれたが、それでも徐々に黒い煤のようなモヤモヤが心に蓄積されていく。

 

 なぜなら祖父母には私の姿が見えていないようだったから。


 可愛らしいドレスも、新しい髪飾りも、部屋の調度品も、食べ物も、接され方も、私とマイヤの差は日に日に露骨になっていった。


 それに祖父母は私が外に出るのを極端に嫌がった。理由は「恥ずかしいから」と言う。


 見た目も良くなく醜い痣のある私は恥ずかしい存在だと。公爵家の人間と言うのも烏滸がましい「いらない子」だと。

 私に聞かれても構わないといった大声で、家に招いた客人に面白おかしく話をしているのを聞いた。


 あのときの笑い声を今でも鮮明に思い出せる。

 なんで?どうして?と疑問ばかり頭に思い浮かぶが、私に出来ることはなにもなかった。



 ―――――――――――――― 



「マイヤ、今日はルノー伯爵のパーティーに行くわよ」

「わぁ。伯爵のパーティーは楽しいから好きよ」

「あの人はマイヤのことをとても気に入ってくれているからね」

「嬉しい。あ、そういえばお姉さまはまたお留守番?」


 私だけ朝ごはんを自分の部屋で食べる。

 たまたま早く食べ終わり食器を片付けに部屋を出ると、祖母とマイヤの会話が聞こえてきた。


 パーティー?

 私は一度も呼ばれたことはないが……。


 マイヤの問いに祖母は堪えきれずといったように噴き出した。


「ふっ、あははは、あたりまえじゃない。可愛いマイヤ、いい加減自覚を持ちなさい。公爵家の娘はあなただけ。もうあの子のことをお姉さまなんて呼んではいけないよ」

「おばあ様はいつもそう言うけど、どうしてなの?」

「あの子は野獣と呼ばれたあの男とそっくりじゃないか。ただでさえバランスの悪い容姿なのに醜い痣まである。そんな子がマイヤと双子というなんて烏滸がましい」

「で、でもお父様は……」

「かわいそうに。今まで騙されて生きてきたようだ。あの野獣のような醜い男は手切れ金と言わんばかりに金だけ寄越してそれっきり。私たちから可愛い娘と孫を引き離したんだよ。見た目だけじゃなく心も醜い奴さ」

「え……?」

「いいかい?美しさというのはとても強い武器になる。お前の母親もそれはそれは美しかったから、公爵家に嫁ぐことができた。そうでなければ、私たちは町の一角にあるスラム街の住人になるところだったからね。マイヤもそんな生活を送りたくはないだろう?お前は特別なんだ。誰もが羨む生活を送れる。そのときにあの子の存在は邪魔になる」

「私、騙されていたの?……お姉さまは、じゃま?」

「そうだよ!可哀そうなマイヤ。私たちが正しく導いてあげるからね」


 そうか。

 私は、マイヤと違う、んだ。

 私は、隠されるべきで。

 私は、マイヤにとって邪魔な存在なんだ。

 なぜなら私は……母に似ず美しくないから。


 祖母の言葉はマイヤだけじゃなく私の心にも大きく影響させた。それから徐々に変わっていくマイヤと、変わらない祖父母と共に私は生きてきた。


 両親がいなくなってから七年が経った今も彼らと一緒に暮らしている。


 自分の価値は周囲の環境と他人の評価で決まるんだ。私はちゃんと自分の価値をわかっている。



 ――――――――――――――― 



 久しぶりの外出。

 私はマイヤの16歳を祝う誕生日パーティーで使う髪飾りを買いに街に来ている。妹は歳を重ねるごとにますます美しくなり、そんな彼女に似合うものを見つけられるだろうか少し不安。


 普段は外に出ることを禁じられているが、この日はパーティーの準備に人手を割いたため私に声がかかった。なるべく人目に付かないように、私は大きな日よけの布で顔を隠しながら道の隅を歩く。


 双子だから私も誕生日なんだけど、当然パーティーもなければプレゼントもない。


 私に求められたのは、昨晩急に蝶のついた髪飾りが欲しいと言ったマイヤの為に、何軒もお店を回ることだけ。

 急いで帰らないとまた怒られてしまう。今さら祝われなくてもいいけど、こんな日に怒られたくはない。ただでさえ「いらない子」だと言われているのに、役に立たなかったら本当に捨てられてしまう。


 そうしたら私もあそこで暮らすようになるんだろうか……。

 サリヤは一本奥の通りに広がるスラム街にチラッと視線を送り身震いした。


 その後なんとかマイヤが気に入りそうなのを見つける。あとは急いで帰るだけ。速足で通りを過ぎていくサリヤの目が何かにとまった。


 人が蹲っている。


 血が滲んだ服の間から殴られた跡が覗く様子から、すぐにスラム街の人間だと分かった。この前家に来た人から、近頃スラム街の治安が悪いという話を耳に挟んだばかり。この人も盗みに失敗したのかもしれない。


 話を聞いたときはただ通り過ぎた言葉も、実際目にしてみるとずしんと身体の芯に落ちてきた。


 周りの人と同じように見て見ぬふりをして通り過ぎていくことが正しいのかもしれない。だって私に出来ることなんて何もない。だからこそ余計に心が痛む。


 それでも目を逸らすことは出来なくてチラ、チラ、と見ながらゆっくり進んでいたサリヤは、その人の下がじわっと濡れていることに気づき、思わず足を止めてしまった。


 出血?もしそうだとしたら地面が濡れるなんて結構な量だ。

 このまま放っておいたら死んでしまう……?


 ヒュッと喉の奥が鳴る。

 脳裏に浮かぶのは両親の訃報が届いたあの日のこと。施しは自己満足かもしれない。けど、それでもいい。

 誰であろうと、目の前で誰かの命が尽きかけているのを見ていられなかった。


 それに私なら家まで走ればいい。


 ポケットには髪飾りを買ったときに余った硬貨が入っている。そのうちの二枚を指先で手繰り寄せ握りしめた。

 ゴクンと唾を飲み込み、身に着けていた日よけの布に手をかけ取り去ると、蹲ったままの人に駆け寄りに上からふわっと被せる。


 まだ意識はあるみたい。

 布をかけられたことに気付いたのか、かろうじて少しだけ持ち上がった顔。目が合った瞬間、バチッと光が走ったように感じた。思っていたより若い青年であると認識したと同時に、この街では珍しい漆黒の瞳に吸い込まれそうになる。彼が何か言おうと震える唇を少しだけ開けたが、それを手で制して「動けますか?」と続けた。


「二本先の通りを左に曲がってください。そこにクタニ先生というお医者さんの家があります。シュガリー家の使いといえば、この金額でも診てくれるはず」

「……あ、んたは」


 彼が私のことを認識した。

 そうか。私が彼の顔を見ているということは、私の顔を彼も見ているということ。


 顔をバッと背けながら傷ついた腕を取りその手に硬貨を握らせる。


「すいません、私は一緒にいけなくて」

「これ……」

「大丈夫です。きっと良くなるから。だから辛くても、苦しくても、諦めないで何があっても生きてください」


 この人にそんなことを言うのは勝手かもしれない。けど、傷だらけの彼の瞳はまだ少しだけ熱が残っていて、完全に諦めたわけじゃなさそうだから。


『あれって』

『野獣の子じゃないか』


 周囲の人間がサリヤに気づいた。

 聞こえてきた言葉に一瞬顔を曇らせ、最後の一言は自分に向けて言う。


「いつか……生きてさえいれば、……幸せになれます」

「あ、おいっ……」


 言い逃げとなってしまうがサリヤはその場から走り去った。

 通り過ぎる人がサリヤの顔を見ては何かを言う。嘲笑が心を蝕むが、それでも彼に声をかけた自分の行動を悔いはしない。

 自己満足でもいい。

 それでも、あの人が、もう一度生きることを望んでくれたら。


 それだけでよかった。



「お前は計算もまともに出来ないのかい!」

「っ……ごめんなさい」

「本当に役に立たない子だよ」

 そのあと家に戻った私は硬貨が足りないと祖父母に散々怒られたが……。



 ――――――――――――――― 



 いっそこのままここで命が尽きるのも悪くないかもしれない。

 腹を裂いた切っ先が思ったよりも深かったらしく、徐々に血の気が引いていく体に抗うことなく道端に蹲った。


 道行く人も道端で今にも死にそうになっている男が、隣国の王子だとは夢にも思わないだろう。


 私の父であるアルトアの王はよく言えば優しく、悪く言えば世間知らずだった。

 側室側の親族がいつの間にか王政に携わるようになり、母が亡くなったのをきっかけに完全に王と政治を支配するようになった。


 そうなると私の存在は邪魔だったんだろう。


 私に媚びる貴族も、言葉巧みに操ろうとする貴族も、悪意を持って接してくる貴族も、対応に苦戦したことはなかった。それは王子に生まれた自分の宿命だと思っていたから。


 だから今回も大丈夫。

 王は……父は……私の味方でいてくれていると信じていたから。

 けれど結局あの人が最後に信じたのは側室の言葉だった。


 そして私は国を追われた。


 濡れ衣を着せられ誰にも信じてもらえず、数少ない私の味方だった者たちも私を逃がすために尽力してくれた。いつも命を懸ける必要はないと言っているが、彼らはそれでも私の為にその命を使おうとしてくれる。

 側近にここまで逃がしてもらったのに、その彼も追手を引き留めるために途中で別れてしまった。


 せめて生きていてくれればいいが……。


 私は弱い。

 ただ逃げるしかできず、誰かに助けてもらわければ何もできない。

 王子という肩書きがない自分は、ここで死を待つだけ……。


 何度もそう思い諦めそうになりつつ、王と自分を騙したあいつらに負けたくはないという心残りもあり、気持ちがせめぎ合っている。

 弱気な自分と負けたくないという自分。



「動けますか?」



 そんな矛盾した気持ちを抱え焦燥感に駆られていると体に大きな布をかけられた。頭上から降ってきた声に顔を上げると、一人の少女が俺を気遣うような眼差しを向けている。


 誰だ?

 こんな状況の私に……


「二本先の通りを左に曲がってください。そこにクタニ先生というお医者さんの家があります。シュガリー家の使いといえば、この金額でも診てくれるはず」

「……あ、んたは」


 絞り出すように声を出すと彼女は突然バッと顔を背けた。冷たく少し硬くなった指先で私の手のひらを開かせ、何かを握らせる。指先で感じた感触にそれが硬貨だと気づいた。


「すいません、私は一緒にいけなくて」

「これ……」


 なぜ君は私を助ける?

 私が王子だと知っているのか?

 そう問いかけたいが、声が上手く出てこない。この喉からは掠れた音が鳴るだけ。


「大丈夫です。きっと良くなるから。だから辛くても、苦しくても、諦めないで何があっても生きてください」


 君は誰なんだ。


「いつか……生きてさえいれば、……幸せになれます」


 けどそう言ったあと彼女の顔がなぜか泣きそうに歪むから、そんな細かいことはどうでもよくなった。ただ引き留めたくなって手を伸ばす。


「あ、おいっ……」


 けど彼女は顔を背けたまま走り去ってしまった。


 残ったのはこの布と手の中にある硬貨。

 あの様子じゃ私が王子だと知っているようにも思えなかったが、放っておけば今にも死にそうな私に生きてほしいと望む人間がいるという事実が急に身体に熱を灯らせた。


 私は生きていていいのか。

 私はまだ諦めなくていいのか。

 私は……幸せを願っていいのか。


 いっそこのまま、と思っていた自分を恥じる。

 血が流れすぎたらしく正直言われた場所までたどり着ける自信はないが、それでも私は足を立てた。踏ん張った瞬間血があふれた気がするが、かけてもらった布を傷口に押し当て最後の力を振り絞る。


 そうだ。

 私はここで諦めるべきじゃない。

 やるべきことがまだあるじゃないか――



 ―――――――――――――――― 



 昨晩は私たちの18回目の誕生日だった。


 賑やかなパーティーの音を聞きながら私は早い時間からベッドに入る。毎年のことながら私を祝う人はいないけど、今年の誕生日は祖父母とマイヤの機嫌がよく声を荒げられることはなかった。


 だから普通の日より誕生日は好きだ。

 ただ一言「おめでとう」と言ってもらえたらもっと素敵な日になるのに……。


 布団を被り両親のことを想う。

 二人に「おめでとう」と言ってもらう想像をして目を閉じた。



 声が聞こえる。

 まだ薄暗い部屋の中で目を擦りながら時計を見上げた。こんな時間にお客さん?

 ゆっくりと上半身を起こして耳を澄ませると、やっぱり部屋の向こう側が騒がしい気がする。


 窓に近づきカーテンの隙間からそっと覗くと数台の馬車が止まっていた。


 この辺りで見慣れない立派な馬車は荒れ果てた庭園に似合わない。本来の美しい庭園だったら、さながら王子様がお姫様を迎えに来たようにも見えるのに。


 母が大切にしていた庭園は私が引き継ごうと思っていたのに、それすらも許されなかったのだ。



 ***



 あれは祖父母が来て一年ほど経った時だっただろうか。


「なんでこんなところにいるの?探したじゃない」

「あ、ごめん。なにか用だった?」

「支度を頼もうと思って。っていうか、外に出ていいって言われたの?」


 庭園の世話をしているところを妹に見つかった。

 外に出ていいなんて言われていない。だからこうやってこっそりと世話を続けていたのに……妹の顔からミントグリーンのドレスに視線を落とし小さく息を吐き出す。私にはドレスは必要ないと全て彼女の物に変わった。お父さんに買ってもらって大切にしていた私のドレスを着たマイヤはそう言って目を細める。


「言われてはいないけど。世話をしないと……」

「一人で何が出来るって言うの?それに手入れもお金がかかるから、おばあ様はもうこれいらないって」


 だってこれは母の大切にしていたもので。

 マイヤだってそれを知っているはずなのにどうしてあっさりとそんなことを口に出せるんだろう。それだけはダメだと言わなきゃいけないのにマイヤの冷たい視線が言葉を押しとめた。


「でもこれはお母さんの」

「でも、じゃなくて。あんたが外に出ていると家に来た人たちがびっくりするでしょ?」

「え……」

「ピーターさんもタイプさんもあんたのこと知らないのよ?私に会いに来てあんたを見たらどう思うかしら?」

「どうって……私はただこの庭園を」

「おばあ様たちもよく言っているでしょ?ちゃんと弁えてよ」


 弁えている。

 弁えているよ?

 でもこの世話をすることだけは許してよ。


「……ごめん」

「分かったらいいの。ほら、ジームさんが来るから準備しておいて」


 でも変わってしまったマイヤと、私の存在を否定してきた祖父母と暮らしていく中で、口答えが出来る強さを失ってしまった。



 *** 


 この庭園も私と一緒。

『いらない』と烙印を押された私の成れの果てだ。


 荒れ果てた庭園を見つめ、思い出したくない記憶がよみがえる。

 サッと窓辺から離れたサリヤは静かに部屋のドアを開けた。顔を覗かせ家の様子を窺うと声は玄関の方から聞こえてくる。


 ただの好奇心だった。

 夜も明けきっていないなか、あんな立派な馬車で乗り付けてくるなんてどこの誰だろう。もしかしたらマイヤに求婚する為?そうしたら、この家に残るのは私と祖父母だけになる。それか相手をこの家に迎え入れれば、私の居場所は完全になくなるだろう。


 どっちにしてもとうとうこの時がきた。


 この家で暮らすうちに家事は覚えたし生活力はある方だと思っている。ここを出て行く準備はゼロじゃないから大丈夫。それなのになんだか気持ちが落ち着かない。

 あの人たちから離れたいはずなのに、いまだに私は家族という形に囚われているのだろうか。


「お探しの子はこの子ではないんですか?」


 静かに廊下を進んでいくと徐々に声が鮮明に聞こえてきた。

 はっきりと祖父がそう言ったのを聞いて思わず足が止まる。廊下の角から玄関を覗き込むと祖父母とマイヤの姿が見えた。来客は二人のようだがここからじゃよく分からない。


「あぁ彼女ではない。本当にシュガリー家の娘はこの子だけなのか?」

「そう言われましても……何度も言っていますが、公爵家の娘はマイヤ一人です」

「失礼ながら、素性の分からない子を探すよりこの子はいかがでしょうか?見た目だけでなく心根も優しく自慢の娘なんですが」


 祖母はそう言いながらマイヤの背をそっと押した。一歩前に出たマイヤはこの距離から見ても本当に美しくて輝いて見える。本当に……母親そっくりだ。


「たしかにこんな美しい人はなかなか……。この子じゃないんですか?」

「いや、違う」


 あんなに間近でマイヤを見たのに即座にそんなことを言う人を初めて見た。


 マイヤだって今まで断られたことなどないはずだ。

 ここからじゃ横顔しか見えないが、その天使のような微笑みが少し引きつったように見える。


 マイヤに一目会うために、隣町や隣国から色々な身分の人がやってくるほどだ。

 私は何度もこういう経験をしてきたが、彼女はこんな風に興味を持ってもらえないなんて初めてだろう。


 それでもマイヤを薦めようと躍起になっている祖父母を見て、相手が気になった。


 一体どんな人が……。

 来客者の顔を見ようと少しだけ身を乗り出したとき男の顔が上がる。


 目が合った瞬間バチッと光が走ったように感じた。


 あれ?まって……私はこの感覚を知っている。

 この街では珍しい漆黒の瞳。どこかで……。


「見つけた……」

「っ!」


 男が私を認識した。

 バッと身体を引くが、祖父母もマイヤも私が覗いていたことに気付いただろうか。

 怒られる。

 咄嗟に部屋に逃げようとするが、それよりこっちに近づいてくる足音の方が早かった。


「待ってくれ!」

「っ、あ……」

「覚えているか?これは君がくれた」


 廊下の角から現れた男はそう言って手にしていた布を大きく広げた。

 見覚えのあるそれに思わず足を止める。

 

「君を探していたんだ」

「……な、んで私なんかを」


 あまりにもまっすぐ自分を見つめる男に驚き、顔を隠す動作が遅れてしまった。


「あのときのお礼と……何よりもう一度会いたかったんだ。それより何故顔を隠す?」


 聞き間違えたのかと思った。


 何故?

 それは私が聞きたい。


「こっちを見るな」と言われたことはあっても、顔を隠すことに疑問を持たれたことはなかったから。


「私は、妹の邪魔になるんです。……野獣の子は隠れないと」

「妹というのは公爵家の娘だと紹介されたあの子の事か?」

「はい。あなたも見たなら分かるでしょう?」

「ずっとそう言われてきたのか?」


 頷くと彼は少し眉間に皺を寄せてしまった。

 困らせるつもりはない。サリヤも困惑した表情を浮かべると男は近づいてきた。


「ちゃんと顔を見せて……」


 人は私を見て嘲り笑う。

 妹と比べて双子なのに全然違うと言う。

 私はこの家の邪魔者で……。

 信じるな、お前に何の価値がある。


 そう心の内の自分が叫んでいる。


 それなのに男の視線に妙な懐かしさを覚えてサリヤの目が潤んだ。


「心無い人の言葉に随分傷つけられたようだが、これからは私の言葉を信じてくれないか」

「あ……」

「誰も見向きもしなかった死にかけの私を助けてくれた君の優しさに救われたんだ」


 それは自己満足で……。

 本当に純粋な気持ちで助けたかと言われればよく分からない。分からないけど、誰かにそう言ってもらえるのは少しだけ嬉しい。


 でも、私は……。


 ストンと足元に視線を落とす。

 好意的な言葉をそのまま受け取れる土台が出来ていない。


「たしかに妹の方が美しいと言う人もいるだろう。けれどそのことが君の価値を下げることにはならないんだよ。私は君の目も鼻も口も全て愛おしく思うし、その優しい心を大切に守りたい。君のことをもっと知りたいんだ」

「で、でも。あの……そんなこと」

「君の名前を教えてくれないか?」

「サリヤ、です」


 疑り深く、挙動不審でも、この人の言葉は真っすぐで。

 何故だか顔を上げたくなる。


 どんな顔で私にこんな言葉をかけてくれるんだろう。


 ゆるゆると視線を上げると彼はジッと私を見つめていた。この慈しみが込められた視線は、母が父や私を見るときと同じもの。


 そしてその言葉も。

 幸せだったあの頃の記憶が一気に蘇ってきた。


 彼の紡ぐ言葉と温かな視線がゆっくりと私の荒んだ心を抱きしめていく。


「サリヤ。私の名前はラダスト。アルトアの王子だ。君さえ良ければ私と一緒にアルトアに来てくれないか?」

「そんな……私なんか」


 王子?

 王子様が天使のように美しい妹ではなく野獣の子と呼ばれる私を選ぶっていうの?


 気持ちが追い付かなくてただ手が震える。


「もう“なんか”と言わないでくれ。自分で自分の価値を下げる必要はないんだよ」

「でも……」

「私の言葉を信じてくれ。……諦めなくていい。幸せになっていい。俺がサリヤに教えてもらったことだ。同じことを私の一生をかけてサリヤに返していきたい」


 嬉しいはずなのに。

 でもまだどこか疑ってしまう。あの頃の私だったらすぐに信じたかもしれないが、それくらい私は悪意に囲まれて生きてきた。


 それに、もしこれが夢だったとしても良いと思える。


 それほど嬉しい言葉をくれた。

 だから……バタバタと聞こえる騒々しい足音が現実を連れてきても大丈夫。


 サリヤはゆっくりと目を閉じた。

 次開けたときは馴染みのある顔があるはず。

 足音が止まる。

 瞼をゆっくり持ち上げると、彼の後ろに祖父母とマイヤの姿があった。


「し、失礼ながらラダスト王子。お探しの子というのは……この子のことで?」

「何かの間違いでは……」

「私の方が王子様のお相手に相応しいはずです!」


 詰め寄ってくる三人を見てラダストはチラッと最後尾にいた青年の名を呼ぶ。


「スイリック」

「申し訳ありません。……でも、俺一人じゃこれが限界ですって」


 素直に頭を下げるがすぐに顔を上げた青年は肩を竦める。

 彼は一人で駆けだした王子を追おうとする祖父母とマイヤの三人を、今まで足止めしてくれていたようだ。

 ラダストは一度気遣うようにサリヤを見つめた。

 まるで自分が特別なんだと思わせる視線に身体がむずがゆくなる。まだ夢は覚めきっていないみたい。


 ただサリヤから視線を外したラダストはその顔から表情を消した。


「これはどういうことだ?」

「え……」

「たしかに“公爵家の娘はマイヤ一人”と聞いたが、この娘のことはどう説明する?」

「そ、れは……」

「何か言い分があるなら聞くが、隣国とはいえ王子の私に嘘をつくという意味が分からないとは言わないよな?」


 厳しい声色で淡々と詰めていくラダストに祖父母が完全に口を閉ざした。


「それにサリヤは彼女のことを妹と言っていたが、ということはサリヤこそ公爵家の長女ということだろう?スイリック、この国の王位も我が国と同じ世襲制だよな?」

「えぇ、長子優先ですね。現在の王位継承順位一位は第一王子のツヅラ様です」

「それは貴族たちも同じだと思うが」

「そのとおりです」


 祖父母の顔が徐々に青褪めていく。

 王子が言おうとしていることはもしかして……。


 思わずラダストの顔を見上げる。


「サリヤ」

「っ……はい」

「この者たちはサリヤのことを娘とは認識していなかったようだが、サリヤはどうだ?この場に君の家族はいるか?」

「私の家族は……」


 祖父母の顔は見ない。

 ただ少しだけマイヤの顔を見る。


 祖父母と違い絶望に顔を歪めることはないが、ただ目が合った。

(私は間違っているとは思っていない)

 私たちは双子。

 彼女の視線からその意思を感じる。


 少しでも悔いていてほしいと思っていたが、やはり彼女はもうあの頃の妹じゃない。


 マイヤと視線を合わせている間に、近づいてきたラダストがサリヤの傍らに立つ。背中に添えられた彼の手の温もりがサリヤに勇気を与えてくれた。


「分け隔てなく愛してくれた両親だけです」


 はっきりと口にしたことはなかった。

 言葉にすれば簡単なこと。だけどそう認めてしまえば私はこの世界で一人ぼっちになると思って言えなかった。


 だけど……


「分かった。それではシュガリー家は現当主であるサリヤのみということになるな」

「そんなっ!今まで私たちが育ててきてあげた恩を忘れたのかい!」


 噛み付くように声を荒げる祖母に向き合う。


 顔色を窺って生きてきた。

 かけられたのは嘲笑と罵倒だけだった。

 だから私は言いたいことを飲み込むことを覚え、捨てられないように抗わず従ってきた。


「忘れていない。私は何一つ忘れない。育ててもらった恩があるとすれば、私を邪魔だと言ったことも、私を家族にしてくれなかったことも全部……忘れない」


 初めての反抗。

 手は震え言葉に詰まり心臓が大きな音を立てる。

 込み上がってくる感情を抑えきれなくて、言葉と一緒に息が漏れた。

 それは徐々に大きくなっていき視界が滲んでいく。


 まばたきを一つ。


 泣いてしまえば本当に惨めになると思って、悔しくて辛くてもずっと泣かないようにしてきた。最後に泣いたのは、両親の訃報を聞いたときだろうか。


 目から溢れた涙は頬を伝って下に落ちていく。


「っ……わ、たしは。……隠れて、生きるのを、っぅ……やめる……私を……たいせ、つにしてくれなかった……人を、……ぇ、っ。もう大切に、思わ……ない」


 ラダストはしゃくりあげるサリヤの肩を引き寄せた。

 すっぽりと収まった身体。誰かの体温に触れるのはいつぶりだろう。堪えようと思っても一度溢れた声は止めることが出来ない。泣きじゃくるサリヤの声だけが静かな屋敷に響く。


 ラダストはサリヤを抱きしめながら鋭い視線で三人を見据えた。


「如何なる言い分があっても、この子を傷つけていい理由にはならない」

「し、しかし……」

「これ以上何を弁解しようと言うんだ。今まで我が物顔で暮らしていたようだが、ここはシュガリー家の屋敷。本来なら男爵の身分であるお前たちが、足を踏み入れていい場所ではない。当主の家族でもないなら尚更だ」


 ようやく呼吸が落ち着いてくる。

 目元を手で拭い振り返ると、今まで見たことのない顔でこちらを見る祖父母と目が合った。


「スイリック。“客人”のお帰りだ。準備を」

「はい。……それじゃ行きましょうか」

「でも、私たちはっ!」

「王子はツヅラ様と親しい間柄。この国の王子から身分詐称罪で追放を命じられたくはないでしょう?素直にこの人の言葉を聞いておきましょうね」


 丁寧な言い方だが有無を言わせないスイリックに促されるまま、三人は渋々この場を離れていく。


「あ、あの……」

「勝手なことをしたか?」

「そんなっ……ずっと思っていたことですから。でも、本当にどうして……私は」

「私はこれから先サリヤと共に生きていきたいと思った。その為ならなんだってするさ。君を傷つける者は私を傷つけることと同じことだからな」

「っ、あ、りがとうございます」

「お礼を言うのは私の方だ。今までよく頑張ってきたな」


 彼の言葉はどうしてこんなにも胸に響くのだろう。また泣きそうになって思わず下唇を噛んだ。


「私は……野獣の子と言われてもしょうがない見た目をしている。それに醜い痣も……。だから」


 自覚があるからなお辛い。

 ただでさえ野獣の子と揶揄される容姿を持っているのに。私には生まれつき首元にかけて赤黒く爛れたような痣がある。


 祖父母と暮らすようになって蔑ろに扱われ、一人になる度に何度も思った。


 なぜ双子なのに私だけ顔が違うのだろう。

 ただでさえ醜いと言われているのに、こんな痣まであるなんて、せめてどっちかだったら良かったのに。

 ということは美しいというだけで妹に痣があっても良いというのか?


 そう思ってしまう自分に自己嫌悪し、決してそんなことを思っているわけじゃないと言い訳をする。けれどやっぱり自分ばかり何故と思う。


 そうやって繰り返し自分自身にした問答は、結局美しい妹を羨んでいることになると気付き心まで醜くなったようで吐き気がした。


 この人だって、さっきから宝石のような言葉をくれるが、冷静になってやっぱり『いらない』と言われたらと思うと怖くなる。


「わざわざ、……私を選ばなくても」


 恐る恐るそう言うとラダストは真剣な顔をした。


「サリヤが悩んでいることを軽んじるつもりはない。たくさん悩んで辛い思いをしてきたのだろう。だけど、私は本当に気にならないんだ」

「なぜ?王子様なら綺麗な人を見慣れているはずなのに」

「まぁ否定はしないが……」


 ラダストは一度口を閉じ両手を組んだ。

 言葉を選ぶように組んだ指先を何度か持ち上げる素振りをする。


「人を気遣う優しい眼差しを持ちまっすぐ私を見つめてくれた目と、媚びるわけでも陥れるわけでもない、ただ諦めなくていいと前向きな言葉を紡いでくれた口が揃っているだけで充分だと私は思う」


 微笑むような温かな視線で再びまっすぐとサリヤを見つめた。


「目や鼻や口、誰しもが平等についているものの良し悪しというのは、それをどう使っているかだろう?」


 そんな風に考えたこともなかった。

 ラダストは呆気にとられるサリヤの前でおもむろに上半身の服を捲る。


「それに私も身体に傷がある。生まれつきではなく人に悪意をもってつけられたこの傷の方がよっぽど醜い傷だろう?でもこれは私が自分の信念と居場所を勝ち取ろうと決意した傷だ。だから傷跡を見るたびに思い出す嫌な思い出ごとすべて受け入れることにした」


 あまりに痛々しい傷を目の当たりにしてすぐに目を逸らした。

 確かに胸からお腹にかけて刃物で切られたような大きな跡がある。


「それに私は首にも傷がある。ちょうどサリヤと同じ位置だ。ほら」

「あ、……本当だ」


 わずかだが擦過傷のような傷跡が残っている。

 思わず自分の痣に触れるとラダストはその手に自分の手を重ねた。


「私の身体にある傷はすべて悪意の結晶だけど、君のは神からの印。生まれつきのものを恥じることなんて何もないんだ」

「し、るし?」

「私が君を早く見つけられるように。サリヤが生まれる前に神がつけてくれたのかもしれないよ」


 散々蔑まれてきたこの痣もこの容姿も。

 本当になんてことない。むしろ良い物だと言わんばかりのラダストに鼻の奥がツンと痛む。


 あぁ、父もこんな気持ちだったのかもしれない。


 目の前にいるラダストを見ていると、ランタンの炎が灯ったように心がじんわりと温かくなった。込み上げてくる涙を大きな深呼吸で抑え込み、サリヤは震える唇を持ち上げる。



「ありがとうございます。私で、よければ……アルスト国に連れて行って頂けませんか?」

「おかしなことを言う。頼んでいるのは私だ」

「え?」

「私に君を幸せにする権利をくれないか?」



 幸せ。

 自分とは縁遠い言葉に一瞬止まってしまう。


「え、っと……」

「だめ、か?」


 ダメじゃない。

 首を大きく横に振るとラダストは目尻を下げて笑った。


「そういうときは“はい”と返事をしてほしいな」

「わ、っ……」


 身体を抱き上げられ顔を寄せられる。

 そんな距離で私を見て大丈夫なの?という不安はすぐに吹き飛んだ。愛情深い視線にサリヤは瞳を潤ませながら満面の笑みを浮かべる。


「はいっ!」


 その返事に嬉しそうに顔を綻ばせたラダストはさらに顔を近づけた。額同士をコツンとぶつけ微笑み合う。


 自分から何か望むことを諦めてきたけど、サリヤは恐る恐る自らの手をラダストの背に回した。ラダストはそれすらも嬉しそうにしてくれるから、これからは何も諦めなくていいのかもしれない。

 ラダストの言動全てがサリヤにそう教えてくれているようで、ますます心が温かくなった。



 ******************



 あのとき手を差し伸べてくれた少女を探しているうちに、シュガリー家の内情も知った。

 だから念入りに公爵家の娘は一人なのか確認し言質を取ったのだ。


 内情を知った時に一刻も早く迎えにいきたかったが、自分の国のことをまずどうにかしなければならず、結局出会ってから二年の月日が経ってしまった。その間も彼女が心を痛めながら生活を送っていたのだと思うと、男爵の身分を剥奪しても足りない。


 まぁ心優しい彼女の前でそんなことは言わないが……。


 ラダストはベッドで規則正しい寝息を立てるサリヤの顔を見つめた。

 甘えるどころか、何かを望むときも人の顔色を窺う彼女をどうしたら幸せに出来るか。難しいかもしれないが幸いにも時間はある。

 今までの分も私が愛情を与えよう……サリヤの目にかかった前髪をそっと手で払いながらラダストは静かにそう誓ったのだった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] まずそもそも疑問なのだけど、公爵家の屋敷(?)でなぜ男爵夫妻(母方の両親、って言い方もなんかおかしくて違和感です。「母方の祖父母」もしくは「母の両親」では?)が我が物顔で暮らしてんのか…
[良い点] 「目や鼻や口、誰しもが平等についているものの良し悪しというのは、それをどう使っているかだろう?」 中学生の時の家庭科の先生が、「12歳までは親からもらった顔。それ以降の顔は自分で作った顔…
[一言] 途中まではものすごくよかったです。最後、妹や男爵夫婦について尻切れトンボになったのが気になりました。男爵夫婦はおとがめなしですか?さすがにあり得ないのでは?と。(恐らくお家断絶) 妹はこれ…
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