6章 君のいない世界で5
「そういえば師匠」
上位存在を語ったところで忘れていたことをふと思い出す。
「なによ?」
「助けてくれてありがとな」
状況が落ち着くまですっかり抜け落ちていたが命を救われた礼を言っていなかった。
単純で大事なことだ。
「あーあ、私も死ぬかもね……」
生真面目な顔をするククナにガノは照れるでもなく首を振った。
「弟子が素直に礼を言ってるのになんだよ」
「この街に来て日は浅いけど、あんたに近しい人間は死ぬか捕まるかのどっちかでしょ」
胡乱な目付きで見上げ、言いにくいことを直線的にぶつけられる。
「ダフネとナーロにアルカン。賭博を主催してたとかいう男。ククナと仲の良い奴らは遠くへ行ってる。首が繋がってるかの違いがあるだけ」
「マルゥは別だ。あったこともない」
「誰それ?」
「マルゥ・ポーシャス。三八歳の独身男性、熱心な宗教家で最初の被害者だ。いい歳して社会情勢に無頓着なのはどうかと思うぞ。ちゃんと新聞を読め」
まさかこんな台詞を吐く日が来るとは。
知識のひけらかしにガノは苦い顔をした。
「どうでもいいわよ」
どうでもよくはない。
残酷だが道徳的な観念からではなく、ガノの論を否定するためでもない。
ごく個人的な願望の為にもマルゥは重要人物だった。
──正確には賭け札か。
「きっと疫病神に憑かれてるわね。それか女神に好かれたか」
「女神に好かれて不幸になるかよ」
「あら、女の嫉妬がいかに恐ろしいかをわかってないのかしら?」
言ってくれるな……。
今度はこっちが苦い顔をする番だ。
「なんにせよ。こんな救えない事件に巻き込まれるのはごめんよ」
ガノはやおら立ち上がり白の巻き毛を払うと、公園内の視線を引き摺りながら去って行った。
ククナも付いていくことはしなかった。
「ああ……」
俺もだよ。
一人取り残された長椅子で、離れていく師の背中に独白する。
生き残った誰もが傷を残した。
ククナもダフネもナーロも。
無精髭を撫で空を仰ぐ。
この世界にいる神はどんなやつなのだろう。
眼前に拡がる抜けるような青色の上で本当に女神が見守ってくれているのだろうか。
それならば、もう少しだけ頑張って欲しい。
あんたは忙しくて、どうしようもない男の相手をする暇なんてないのかもしれない。
人々の悲しみや過ちを減らすことに心を砕いているのかもしれない。
ただ今だけはほんの少しでいいから個人的に力を貸して欲しい。
酷い道を歩んできた俺はもう救わなくていい。
とっくに諦めがついているから自分でなんとかする。
だから、お願いします。
ククナは瞼を下ろし、正体はおろか実在するかさえわからない誰かに祈りを捧げた。
──まだ救えそうな人がいるから。




