6章 君のいない世界で4
その後も特段盛り上がるわけでもなくぽつぽつと言葉を交わしながら街を歩き辿り着いたのは事件のあった公園。示し合わせたかのように一度足を止めるも、これまた示し合わせたように二人で踏み入っていく。
平和だ。
あんなことがあったとは信じられないほど公園は平穏につつまれていた。
灰と化した茨の塔は跡形もなく消え、あれだけ流した血もとっくになくなり壊れた石畳なども見る影なし。
いつもどおり都会にあって忙しなさから隔離された憩いの場。
恋人たちが芝生の上に寝転んで日光に和み、子供たちが駆け回る姿を横目に井戸端会議に熱中する親の集まり。
こうなってはあの夜が夢だったかのようだ。
何事もなかったかのように世は廻るということだろうか。
誰かの血も怒りも嘆きも所詮は些事。
世界は傷つくこともなく、あっという間に呑込んで元の姿へと還っていく。
取り残されるのは当人たちだけだ。
むなしくもあるが、それが健康なのだろう。
正しいとも思う。
世の無常というやつですね。
ナーロがいればこう評したのだろうか。
いなくなった友人を幻視しつつ、辺りを見渡すとここでもガノの容姿を気にした何人かがこちらを見ている。
公園で過ごすということは暇を持て余していることだろう。
容姿に釣られた暇人が絡んできても面倒なのでさっさと抜けてしまいたいが、ガノは近くの長椅子に腰掛け公園の主であるかのように尊大な態度で脚を組んだ。
「つまらない公園ね」
本当に少女なわけでもない。放って帰ったところで問題ないのだが、これまた並んで腰を落ち着かせる。
「あ……」
座ったのは期せずしてあのときと同じ場所に設置された長椅子。
昼夜で顔を変えた景色に座ってからようやく思い至る。
偶然だろうか。
事件の正に中心地を選んで座ったガノの横顔を見つめるも目を瞑って涼しい顔。
「ねむい……」
じっ、と見ていると漏れ聞こえた弱々しい声に肩の力が抜ける。特段、意味があるわけじゃなさそうだった。
しかし、師匠としての意図がなかろうとも現場に座れば思考は自動的に一点へと吸い込まれていく。
「そういえばダフネの魔術──『洗脳』を受けても操られなかったんだけど、これって俺の魔術式が影響してるのか?」
しばらくしてククナが口を開いた。
思考が巡る内に思い出したあの夜に残ったふとした疑問。
茨で拘束され『洗脳』によって自害を命じられ、一時は完全に命を諦めた。
けれど、ダフネの魔術によって傀儡にされることはなく今もこうして自らの意志のもと生きている。
術者の技量の問題とも思ったが、魔術そのものは効力を発揮し意識が冒される感覚が確かにあった。それに暴走したとはいえナーロも洗脳によって首刈り事件を起こしたのだ。ククナが影響下に置かれることがなかった原因は女神の魔術が関係しているのだろうか。
「あの娘の魔術、洗脳だなんて強力なものじゃなかったわよ」
「は!?」
意外なほど大きな声が出てガノも思わず瞼を開いた。
「少しだけ魔術式を視れたけど、特定の感情を増幅し働きかける類のものだったわ。洗脳と呼べなくもないけど不正確ね」
ガノは睡魔を払うように伸びを一つ挟むと、芝の上を横切っていく黒猫を視線だけで追いながら付け足した。
特定の感情が心のどの部位を指すのかはわからない。けれど、ククナを自害させるには有効ではなかったということか。
そこが二人との違いだ。
ナーロとダフネ自身も道を踏み外すこととなった情動の正体が何かはわからない。
神が自然を人を世界を作ったとよく叫ばれる。
ならば、悪逆の道へと傾く心の作りもまた神が意図して設計したのだろうか。
なぜそんな真似をする必要があるのだろう。
宗教観の薄いククナでも一般的に神は善良で人を愛しているような印象がある。
もしかすると、それは人間側の都合のいい解釈でしかなく、神は人が堕ちる様を楽しむような底意地の悪さがあるのかもしれない。
それとも神にも失敗があるのか。
「本当に神だなんて大層な奴がいると思うか?」
「私も宗教には明るくないからよく知らないわ。ただ、国教によれば女神様が空の果てで地上を見守ってるらしいけどね」
神という超自然の代表を急に話題へ持ち出すとガノは腕組みをして肩を竦めた。
「あんまり信じてなさそうだな」
「正直、女神様とやらについては懐疑的ね。神の座に迎えられた聖女だなんて教会では謳われてるらしいけど、宗教を興すうえで元にした魔術師がいるくらいじゃないかしら」
紫の瞳の奥に潜むこの国の宗教に対する呆れのような色合い。
口ぶりからして胡散臭いと感じているらしい。
同意はしなくとも気持ちはわかる。
幼い頃は宗教の教えや仕組みを知らずとも天にいる誰かへ祈ることが何度もあった。
お家に帰りたいです。
お母さんとお父さんに会いたいです。
屋敷の一室で何度も必死に祈り、願った。
その祈りが届いていればこうしていないはずだ。
無論、広大な地上を見守る女神が幼いククナの悲劇程度に目を光らせていたとも思えないが、祈っても日ごとに増える傷跡は行動の無意味さと存在への疑わしさを文字通り身体に刻んだ。
「じゃあ、師匠は神様の実在に否定派なんだな」
「そうね……、どっちかといえば不可知論派かな。女神はともかくとして神そのものは実在はするんじゃないかしら。私たちが生まれるよりも大昔──旧世界は土地によって八百万の神々がいたそうよ」
「そんなにいたら、ありがたみもないな……」
うじゃうじゃとそこらにたむろする白い髭を蓄えた集団を想像してククナは微笑した。
この世界を作った神がいて、その座へ並んだ女神が世界を見守る。
過去に八百万もの神がいたのは、もしかすると広い世界を見守るのにはそれだけの数を要したからではないだろうか。
だとすれば女神は限界なのだろう。
仮に神にまつわる全てが宗教の言うとおりだとして、もうこの世界を見守っているのは女神だけだ。
女神が善良で人を想い悲劇を摘み取るような存在だとしてもきっと手が足りない。
取りこぼされる人間も出るはずだ。
神と呼ばれようともやらされているのは尻拭い。
誰かの作った出来損ないあるいは悪意で生まれた箱庭の管理人。
なんともやりきれない話だ。
雲の上で冷や汗をかく女神の苦労を考えると頭が下がる。
頭を掻くと隣ではガノが口元に手を当て上品に小さなあくびを漏らしていた。
なんとなく見ていると脇腹を小突かれ「いやらしい」と軽く睨まれたので視線を正面に戻す。
所詮、どこまでいっても妄想の域を出ない内容だった。
神の御業は謎めいている。
天上ではもっと深遠な考えのもと世界の行く末を管理監督しているのかもしれない。




