6章 君のいない世界で3
「──もう出歩いてるの?」
「うおっ」
背後から投げかけられた声に小さく驚く。
振り向くとガノが怪訝な顔で見上げていた。
「師匠にその態度はどうなの?」
「わるい。いつも急に出てくるから……」
「大怪我した弟子が早くして街に出てると知ったから確かめに来てあげたのよ」
恩着せがましい言い方に苦笑する。
確かめに来たのは事件を懸念したのだろう。
数日前まで全身に包帯を巻いていた男が街へ出たと知れば何事かと不安になる。
ククナも逆の立場ならおかしいと感じるはずだ。
「ん?」
そこでククナの思考が止まり、当然の疑問へと切り替わる。
待て。
そもそもどこで外出を知ったのだろう。
なんの気なし。予定もない衝動的な行動だ。
ククナの動向を見張ってでもいなければ知り得ないはず。
「なんで俺が出かけたのを知ってるんだ?」
思えば出会ったときも命を救われたときも、この女は始めからククナの居場所を知っているかのように突拍子もなくやってくる。
「あんた千里眼でも使えるのか?」
今更ガノがどんな魔術を使えようと驚きはしない。ただし、逐一こちらの生活を覗かれているのならばいくら師匠といえど人の私生活に踏み込みすぎだ。
「それは使えないわね」
ガノは訝るククナの左手を取ると甲に手をかざしてみせた。
「なんだこれ……?」
すると甲に薄緑に淡く発光する痣が浮き出てきた。
「覚えてない?」
からかうようなガノの笑みに眉間の皺を深くして考え込む。
魔術なのは間違いないのだろうが、いつの間にこんな魔術をかけられたのだろう。
そもそもが高名な魔術師の技にククナが勘づけるはずもない。
第一に今魔術で痣をつけられた可能性もある。
ただ記憶を探るように促す以上はどこかできっかけがあったはずだ。
痣を睨みながら最近の出来事を脳内に手繰り寄せていく。
痣は紙に高いところから絵の具を落としたような、円が歪に爆ぜた形状をしている。
「わからないの?」
目前で揺れる黒の夜会服が目に付き、まさかと思い至る。
「鴉の糞か」
「正解」
ガノと出会う前日。
全てのきっかけとなった鴉を治療したあと、糞をかけられたのが確か左手だったはずだ。
あのときに魔術をかけられたのか。
これは目印。
おそらくは糞をかけた相手の位置を特定する魔術。
だとすると、家に押しかけてきたのも首刈り魔を探して出歩いていたのも把握していたのか。
やはりただの鴉ではなかったわけだ。
「場所を知ることしかできない魔術だけどね。ただあの夜は反応が消えかけてたから、さすがに焦ったわ」
蕩々と種を話すガノに最近増えつつある溜息を漏らす。
糞をかけることが魔術の条件とは趣味が悪すぎる。
それも相手の行動を探る類の魔術とは重ねて悪趣味だ。
「得意気になってないで解いてくれよ……」
しかし、今回は結果として助かったのだ。文句は言うまい。
ただ、もうあんなこともないだろう。それに常に見張られているようで落ち着かない。
弟子となった現在ガノのもとから去る意味も理由もない。魔術をかけ続ける意味もないはずだ。
「解いてくれよ師匠」
左手を突き出すが弟子の苦情を無視して師匠は街を歩き出したので追いすがる。
「気持ちの良い日ねククナ」
「いや解けよ……」
「こうやって都会の街中を歩くのも久々だから新鮮だわ」
「いやいや解けって」
「理想を言えばもっと自然のある街並みが好きね」
「聞いてる?」
「北の大陸にある街を知ってる? 雪と緑が調和した本当に息を飲むほど美しい山間の街があるのよ」
「こいつ頭おかしいのかな……?」
「調子に乗るな馬鹿弟子!」
「聞こえてんじゃねーか!」
苦情を告げるもどこ吹く風。
まさか『解呪』が終わるまでは逃がさないようにするための保険なのか。
その後も抗議するがひたすらに流されるのでひとまずは諦めることにする。
師匠の身勝手さに閉口と嘆息し、そのままなんとなく連れだって歩く。
街へ出た弟子の様子を見に来ただけのガノに目的地はないのだろうが並んで街を流していく。
実年齢は逆として見た目と体躯は大人と子供の関係。自然、歩幅はガノに合わせる形になる。
周りはこの二人組にどんな感想を抱くのかは中々気になるところではある。
友人、家族、恋人、他人。
どこに当てはめても疑念が残り、首を傾げるはずだ。
まさか魔術師の師弟とは思いもよらないだろう。
それはククナではなく間違いなくガノの容姿によるところだ。
頭髪と瞳の色に服装。
どれか一つでも突飛であれば街中では違和感になるというのに、ガノは白の巻き毛に紫の瞳をして黒の夜会服を着込んでいる。
街中の人々はガノの目立つ容姿に呆けるようにあるいは見蕩れるように数秒注視し、隣の大男と視線を往復させては不思議そうにしている。
綺麗に整った面立ちといい、もしかすると異国の令嬢と付き従う用心棒のように思われているのだろうか。
もし何かあった場合はそう説明するのが通りが良いのかもしれない。
だが、ガノが周囲から刺さる注目を気に留めることもなく堂々としているので疑いの目を向けられていないが、犯罪者と攫われた異国の令嬢という構図でもしっくりくるのが残念なところではある。
今後この人目を惹く師と行動を共にすることも多いだろう。その度に他人から探られるような居心地の悪い思いをするのは勘弁願いたい。
せめて服装くらいは街中に馴染むものにして欲しいのが弟子のささやかな願いだ。
「師匠。もう少しおとなしめの服とか持ってないのか?」
「なによ。この服綺麗でしょ」
「綺麗なのはわかるけど他の服も着たらどうだ?」
「他の服なんて必要ないわ。これと同じ服があと七十九着あるもの」
「やっぱり頭おかしいじゃねーか」




