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女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
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1章 魔に踏み入る4

 隣の会場からはごうごうと(うな)るような音が響いてきている。


 壁に(はば)まれて意味する音にはなっていないが、おそらく拳闘試合に向けた博徒たちの叫びだろう。怒号や歓喜にただの野次、一緒くたになった一つの音は重たい感情の固まりとなってよく響く。もしかすると地上にまで聞こえているかもしれない。


 今夜の拳闘では胴元からの指示はなかった。ククナが組まれた対戦相手は戦績がほぼ同じで掛け金の倍率に差がほとんど出ない。


 勝っても負けても大きく金が動かないので適当に任せるということだろう。だったらわざと負ける必要はない。多少、時間を使ってある程度会場を()かせたら決着をつけよう。


 頼りない明かりが揺れる地下室の一角。拳闘士たちの控え室の隅でククナは今夜の試合の終わらせ方を考えていた。


 ククナの他にも数名が控え室にいるが過ごし方はそれぞれ違っている。誰よりも大きい身体をしておきながら落ち着きなく歩き回る者。修行僧のように落ち着き払い入念に身体をほぐす者。借金の形にでも連れられてきたのか明らかに戦いと無縁そうな痩せっぽちは爪をしきりに噛んでいた。


 誰もが試合に向けて意識を高めているこの場所は試合中よりも殺気立っている。そのせいか誰もが言葉を発することなく自分の内側だけに集中しており、この空気を壊すことは暗黙の了解で御法度(ごはっと)になっている。


 試合に思い入れの薄いククナからすれば居心地が悪い場所だ。彼らの大多数は賞金よりも強さの証明や名誉に()かれている。雄々(おお)しさや他の男どもをくだした力を見せつけ畏敬されたいのだろう。理解できなくはないが、そんなものよりもククナにとっては金の方が大事だ。


 胴元から負けろと言われれば不調や油断を演じて格下にも負けるし、勝利を命じられれば格上の急所にまぐれで拳を当てた幸運を演出してみせる。ここはククナにとって試合会場より劇場といった感覚が強い。勝ち負けよりも不自然なく勝敗を演じて金を得る。それだけの場所だ。


「ククナ。貴様、日中に何をしていた?」


 静かな控え室に声が落とされ、何人かがこちらに視線がぶつける。口は動いていないが黙っていろと喉元に台詞(せりふ)が詰まっているのが見てとれた。


 またか、とククナはうんざりしたが至って平静を(よそお)い声の主に顔を向けた。


「集中してるから静かに」


 嘘だが無視をすることも出来ずに黙らせる方便を口ずさむ。その程度で黙る相手ではないとわかっているが、こっちは一方的に話しかけられて困っているという体裁(ていさい)の為だ。そうでもしなければ他の拳闘士たちの怒りがククナに向かう可能性がある。


 ククナの態度が気に障ったのか、男──アルカンは端正な顔を歪ませ舌打ちを一つ。


「あの怪しげな少女はなんだ?」


 公園にこの男もいたらしい。ガノと話をしていたのを目撃したようだが、アルカンにあの少女は怪しく映ったようだ。確かに白い頭髪、紫の瞳に黒の夜会服は目立つ格好だ。どこか街に馴染(なじ)まない彼女をさして怪しいと感想を抱くのは仕方ないかもしれない。


「何を企んでいる?」


「お前は俺の女房か? あれが浮気の現場だとしても説明する義理はない」


 冗談や親しい間柄での皮肉と違い明確に敵意がこもった言葉へ出来るだけ声を潜めて応戦する。


 アルカンとは数年前、ククナが拳闘倶楽部に出入りし始めてまもなくの付き合いだ。当初は今ほど敵対的ではなかった。もちろん仲が良かった訳でもないが、簡単な挨拶や適当な世間話をする程度の関係ではあった。


 だが、あるとき胴元と繋がっていることを知られた。いや、実際は試合後にククナが大金を受け取る場面に居合わせたのだった。明らかに一介の拳闘士に払われる額を上回る報酬にアルカンはピンときたらしい。


 それ以来、試合の運営で不正があることを勘ぐりククナも一枚噛んでいると(にら)むようになってしまった。追求を受けた際は嘘で誤魔化したし、アルカン自身もそれが真実だと確信はないのだろう。吹聴(ふいちょう)はしていないが何かにつけて絡まれるようになってしまった。


「あの娘は胴元の使いか?」


「親戚だよ。王都に遊びに来たから挨拶してただけだ」


 ククナと同じく他に聞こえないように声を落として凄まれるが適当な嘘で躱す。真実を言ったところでこの男は嘘だと疑うだろうし、何よりククナ本人も「伝説の魔術師が俺を弟子に勧誘していた」なんて嘘くさいと感じる内容だ。まだ親戚の旅行の方が真実味がある。


 アルカンは拳闘倶楽部では一、二を争う使い手だ。噂では元軍人や傭兵だったらしい。真偽はともかく絞り上げられた肉体に染みついた戦いの術理(じゅつり)は確かに他の拳闘士より巧みであり、この男の負けは賭けにおいて大穴として扱われる。


 かといって力自慢の粗暴な無頼漢(ぶらいかん)ではなく、どちらかといえば落ち着きがあり、むやみに暴力を振るうことを嫌悪するような男らしい。


 どれも人づてに聞いたことなので本当のアルカンを知らない。


 ただ、それが真実なら余程(よほど)嫌われたらしい。ククナの前ではいつも柳眉(りゅうび)を逆立てている。胴元と組んでいようがアルカン自身の不利益になりはしないと思っているのだが、戦いに不純でありながら金を稼ぐククナが鼻につくのかもしれない。


「もういいか? 集中したい」


「何が集中だ」


 追い払おうとしても駄目らしい。アルカンは腕組みをして睨みをきつくする。他の拳闘士たちは話をやめない二人にいい加減にしろと目線を集中させるがアルカンが一瞥(いちべつ)するとすぐに散った。それどころか眼光の鋭さに居心地の悪さを覚えたのかククナ達を残して部屋から去って行った。


「試合の結果は決まっているのだろう?」


「言ってる意味がわからないな。仮にそうだとして、お前に何か関係があるか?」


「不快なんだよ。力を尽くさずに金をせしめるお前が」


 アルカンはやはり実力者だけはありククナの勝敗に、いや戦いに不自然さがあることを見抜いているらしい。それが益々胴元との繋がりを意識させるのだろう。戦いそのものに全力ではなく、いかに不自然なく立ち回るかを意識するククナには勝敗にかける執念のようなものが欠けていることをわかっているのだ。


「ここにいる全員が必死なんだ。半端な気概(きがい)で試合にあがる奴がいると周りに悪影響だ」


 これほど正面から敵意をぶつけられることはそうそうない。陰口などといった陰湿さがない敵対宣言にはやはり性根の真っ直ぐさがあるのだろう。アルカンの怒りは愚直であり、幼くもあった。幼少の頃なら、この敵意だけで泣き出していたかもしれない。けれどももう大人だ。今内側にある感情は涙と程遠い。


 知らず、アルカンは濁りのない真っ直ぐな瞳で射竦(いすく)めるかのように視線を絡ませてくる。


「俺たちは誇りをもって戦っている。それを(けが)すな」


 抑えようと思っていた感情が爆発する。真剣な顔をして語るアルカンに耐えられず吹き出してしまった。


「冗談だろ」


 抑えこもうとしても叶わない。表情筋が歪むのをこらえるが頬が吊りそうだ。


「貴様!」


 信念に唾を吐かれたと感じたアルカンが青筋(あおすじ)をはしらせククナの胸倉を掴んだ。笑い声が制御できずに部屋中に拡がり虚空(こくう)に染みこんでいく。


「何がおかしい!?」


 熱くなるアルカンを(なだ)めることもできずそのまま壁に押しつけられる。それでも嘲笑(ちょうしょう)は止まることがなかった。


 俺たちはただの道化だろ。酒を飲んで賭けに大金を突っ込む屑どもの慰み者が俺たちだ。


 そう言ってしまいたかった。


 こんな地下室に大勢の男どもが鼻息荒く詰め込まれている状況だけでも十分馬鹿馬鹿しいのに、罵声ばかり吠える酒飲みに囲まれてする殴り合いに誇りなんて言葉を持ち出すとは。それを真面目くさった顔で言うのだから笑わずにいられない。


 ここは闘技場なんかじゃない。ただの賭場だ。運だけで楽して稼ごうだなんて甘い奴らが寄ってくるごみ溜めだ。戦うことに気概も誇りも糞もあってたまるか。いかに稼ぐかだけの場所だろ。


 真っ向から馬鹿にした意見を呑み込んでただ笑う。もし思いのままを吐き出せば力一杯に殴られることは想像に難くない。


 誰がどう思い感想を抱くのか、どういった意気込みをもつのかは自由だ。だからアルカンが誇りをもって試合に(いど)もうが自由だし間違ってはいない。


「すまん、すまん」


 ひとしきり笑って、取って付けたように口だけで謝罪する。


 そんな謝意をアルカンが素直に受け取るはずもなかったが、ククナの爆笑に呆れたか胸倉を掴んだ手を離した。


「鬱陶しい奴だ」


 アルカンが捨て台詞を投げつけて部屋を後にすると、様子を伺うように他の男たちが入ってくる。誰もが試合への集中より控え室での二人に意識が持って行かれていたことは確実だろう。張り詰めた表情のアルカンと擦れ違って怯えた顔をしていた。


「何をしてたんだ?」


 一人が好奇心を隠すことなく問うてくる。


激励(げきれい)だよ」


 隠すこともなく話すことにする。大いに意訳した内容ではあるが。


アルカンの纏った雰囲気にそんな好意的なやりとりがなかったことは一目瞭然だった。当然、質問者はあまり納得していないようだったが、


「誇りをもって戦おうぜ」


 ククナは薄い冷笑を添えて会話を打ちきった。

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