5章 魔が先か心が先か花は咲き13
かつて死の化身と評された魔術師が使用したと言われる悉くを灰へと変じる魔術。
生命の瑞々しさや躍動感とは対極に位置する終わりの象徴。
死さえも通り越した果ての姿へと問答無用で変えてしまう魔の御業はまさしく必殺だった。
それをこの規模で発動させるとは。
ダフネは絶句するより他になかった。
街はにわかに騒がしい。
それもそのはず王都に突如として現れた茨が成す巨大な建築が空を暴れまわり、街へと落ちてきたかと思えば固まり動かなくなったのだ。
夜とはいえ目撃者は大勢いたことだろう。
その多くが悪夢のような光景に冷静さを保てたとは思えない。
公園の外周には惨状の中心地に居合わせた数人が腰を抜かしている。
「ガノ……!」
火傷しそうなほど熱い息を吐きながらダフネが睨むも、ガノは気にする様子もなく握った両の五指を開く。すると、掬った砂が手からこぼれるように茨の全てが崩壊を始める。
しかし、崩れゆく莫大な質量から生まれる遺灰が街へ降り注ぐことはなかった。
まるで湯に落とした塩のように月光を返しながらも空気へ溶けながら消えていく。
「化物め……!」
噛みしめるような一言と共にダフネは新たな茨を腕から生やす。
長く地面に垂れ下がる茨は今までの魔術とは様相が違った。
棘に混じるように大量の花が咲き乱れている。
あくまでダフネの魔術は洗脳だ。
物量で潰せないのなら花粉に触れさせ、ガノを洗脳をしようということか。
「死ね!」
茨がしなり、音さえも置き去りにするような速度でガノへ振るわれる。
掛け声は洗脳の命令か単なる感情の発露か。
気でも違えたかのように何度も何度も振るわれる茨は残念ながら傷つけるどころか肌に触れることすら叶わない。
ガノが突き出した手の平から放たれる力場──透明な障壁に遮られる。
障壁にぶつかるごとに飛散している花粉もガノのもとまで届かない。拡がる燐光はゆっくりと上空へと流されていくだけだ。
「ダフネ、やめろ」
打ち据える枝も,、抉る棘も、洗脳の花粉も通用しない。
それでも諦めることなく繰り返される、茨の猛攻。
風を裂く鋭い音と、障壁や狙いを外れた石畳に跳ねる茨の音の隙間を縫うように声をかける。
誰の目にも明らかだった。
横に立つこの小さな魔術師を打倒することはできない。
「もうやめろ」
ククナの低い声にダフネは未練を残すようにゆっくりと攻撃の回数を減らし、やがて攻撃をやめた。
正気に戻った、わけではないだろう。
ダフネはくたびれたようにその場へ座り込み、茨はだらりと地面に投げ出されている。
そして、ぽつりと。
「ククナ君……」
魂が抜けたようにか細く鳴いた。
視線が絡み真正面から瞳を見据える。
もうその瞳に濁りはなく、とても静かで澄んでいた。
ククナを追い詰めたときのように昏い淀みはない。
むしろ、空っぽになってしまったかのよう空虚さが横たわっていた。
「ククナ君……」
喜怒哀楽のどこにあてはまることもない無表情。
ただ、瞳だけが濡れていた。
現わすことを許されない感情の固まりが溢れているかのようだった。
「こんなはずじゃ、なかったのになー」
それは一瞬のことだった。
ダフネはいつものように、一緒に酒を飲んでいるときのように一瞬だけ微笑む。
これが別れの儀式だったかのように。
そして──茨で自らの胸を貫いた。
「ダフネ!」
貫通する凶器の勢いにダフネの身体は波打ち、ゆっくりと地面へ伏せていく。
もうどうにもならない自分の人生に見切りをつけたというのか、突然の自死に歴戦の魔術師は固まり、友人は叫び駆け寄った。
ククナはよたよたと自由の利かない足を懸命に動かして寄り添い、抱きかかえる。
度重なる負傷に感覚がおかしくなっているのか、ダフネからは重さをほとんど感じない。
それとも命が抜けると人は重さを失うのか。
胸を穿った茨は術者が死んだことを証明するかのように消えてしまい、残された穴からは赤い血がどろどろと流れ出す。
「ダフネ!」
頼りないダフネの感触にククナの頭の中は真っ白だった。
ダフネが危険な犯罪者であることなど吹き飛び、ひたすらに名前を呼ぶ。
「この馬鹿野郎!」
冷たい地面に拡がる温かな血を止めようと胸に手をあてがうも意味はない。
貫通した傷なのだ。胸からの出血を抑えようと背からの出血は止まらない。それに傷口を押さえたところでどうにかなるものではなかった。
たとえ今から病院へすぐに連れて行ったとして助かるかどうか。
迷っている暇はない。
「ガノ! こいつを助けてくれ!」
ガノならば、なんであろうと事もなげにこなすこの魔術師ならばどうにかできるのではないか。今もククナの負傷を抑えているという魔術を使えば病院まで持たせることが可能かもしれない。
しかし、ガノの返答は極めて冷静で薄情だった。
「いやよ」
「ふざけんな、どうにかしろ! おまえならできるだろ!?」
「何でもできるけど、万能ってほどじゃない。それに私欲で街を壊そうとするような危険な魔術師を助けるべきじゃないわ」
ああ、畜生。
ここにきてもガノは正しい。
世間にとってダフネは大量破壊をしようとした張本人。
ガノを責めるのは簡単だが、お門違いだ。
ダフネは街の人間全員から見捨てられても文句を言えないことをしようとした。
力を尽くして助けるべき相手ではない。
むしろ、死んでくれた方がありがたい存在だ。
でも、ククナにとっては違う。
こんな目に遭わされてもダフネはまだ友人で、憎みきれない女だった。
「そうかよ」
──だったら、
──だったら、俺がやるしかない。
「無駄よ。その子はもう──」
「──邪魔するんじゃねえぞ」
覚悟が決まった弟子の瞳にガノは察したのだろう。
ダフネの怪我の深さからククナの努力に意味があるかを口にしようとするが遮断される。
匂い立つような意志の固さに気圧されて黙るのは魔術師ではなく人として圧されたからだろう。
「絶対に死なせない」
ダフネに、そして自分自身へも言い聞かせるように言葉にする。
少しでも弱音を吐くとそれが現実になってしまうような気がして、自分を奮い立たせるために。
「──俺が女神の魔術で治す」




