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女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
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5章 魔が先か心が先か花は咲き9

「……」


 死の覚悟もなく生きてきた自分が今際(いまわ)(きわ)に残す台詞などなかった。


 ただただ切なく(むな)しい吐息だけが漏れる。


 終わりだ。


 それだけが頭の中で木霊(こだま)する。


 しかし、ククナの覚悟──諦めに反して死が訪れることはなかった。


 なんだ……?


 黒く潰れていた視界が正常に戻っていく。


 時が逆巻(さかま)くように晴れていく。


「不発? まったくしまらない幕引きね」


 まんじりともせず虚ろなだけのククナにダフネは失笑した。


 不発、ということなのだろうか。


 短くはあるもたしかに魔術の影響を感じ、意識が(おか)される感覚があった。


 魔術自体の行使には成功していたはずだ。


 が、なんだ。


 突然、内側へ入り込んだ異物が溶けて消失してしまった。


 これはダフネが未熟故の現象なのか。


「舌を噛み切って自害しろ」


 再度、繰り返される処刑執行。


 けれども、結果は同じだった。


 ほんの数瞬、視界が奪われ意識が薄らぐもすぐに現実へと引き戻される。


 なにが起きている。


「殺すんじゃ……なかったのか……?」


 また悪趣味な余興のつもりか。


 しかし、死の淵を行き来させて楽しんでいる訳はなさそうだった。


 ダフネは力ないククナに小さな驚愕(きょうがく)を覚えていた。


「おかしい……、まったく影響を受けないなんてありえない」


 (いぶか)しげに自問する魔術師にこちらの声は届いていない。


 ただ、洗脳の魔術がうまく操れなかったからといって未だ状況は変わらない。


 命を握るのはダフネのままだ。


 ほんの少し現世にとどまる時間が延びただけのこと。


 これを好機と捉えることができるほどククナの体力は残っていなかった。


「まさか女神の魔術?」


 幾ばくかの考えを巡らせ、ダフネが出した答えはククナの魔術だった。


 肉体を害する事象を取り除く。


 それが女神の魔術だ。


 ともすれば、洗脳という事象に抗する手段たり得たかもしれない。


 だが違う。


 限界を迎えつつある自分にそんな余裕はない。


 修行を始めたばかりの自分にそんな実力もない。


 これはククナではなく、ダフネの問題だ。


 そして殺すことが目的のダフネにはどうでもいい問題だった。


 検証は後々(のちのち)でいい。


「ま、最後に意地を見せたね」


 薄ら笑いを浮かべるダフネに応えるよう口の端が歪んだ。


 ()(ばち)になっているのは自分もかもしれない。


 最後に小さな誤解を与えて死んでいくのが妙におかしかった。


 ダフネの肩口から茨が生える。


 棘を(まと)った緑の触手は枝分かれし姿を伸ばす。


 まるでダフネの皮から巨大な蜘蛛が這い出るようだった。


 たちまち腕ほどの長さまで伸びると、分かれた茨は絡み合い先端は緑の(やじり)と化した。


 これで貫くのか。


 死にかけの身体では流石に助かりようがない暴力だ。


 先程の不出来さを払拭(ふっしょく)するような見事な凶器の顕現(けんげん)


 ダフネがこちらに掌を向けると矢をつがえるようにして鏃がこちらへ顔を向けた。


 荊棘(けいきょく)の矢。


 先端だけでなく全てを拒絶するように棘を纏う一矢(いっし)


 力を溜めるが如く矢は震えていた。


 数瞬後、解き放たれた一撃はククナ・ウルバッハに永遠の沈黙をもたらすだろう。


 しかし、ダフネは淡々と一言。


「それじゃあ──」




 ──カァ。




 と、何かが別離の言葉を遮った。


 それは影から浮き出たように黒い鳥。


 夜の闇からこぼれ落ちたように(からす)が舞い降り、長椅子に留まっていた。


 そして、ククナの死に意義を唱えるかのようにもう一度鳴く。


 まるで危機を救いに訪れた騎士のようだった。


 惜しむらくはあまりに非力な存在だということだけだ。


「まったく、本当にしまらない。やっぱり物語のようにはいかないね」


 幕引き最後に登場した闖入者(ちんにゅうしゃ)に魔術師は苦笑し、仕切り直すように構えた。


 やはり何も変わらない。


 決まった終着に向かっていく途中に起きた意味のない間隙(かんげき)にすぎない。


 一方で、ククナの脳裏を(よぎ)ったのはある出会い。


 もう随分と懐かしい、遠い思い出のようだった。


 今が幕引きならば、幕を開けたのはあのときだろう。


 拳闘試合からの帰り道。


 ことの始まりを告げた存在。


 翼の折れていた黒い鴉。


 伝説の魔術師の使い魔。


 ──カァ。


 鴉は鳴き、ククナは笑った。


 随分と遅いがどうやら、


「お礼にきてくれたのか……」


 ──カァ。


 三度、鴉が応えるように鳴く。


 それがきっかけだった。


「な──」


 ダフネは抗議するような畜生を鬱陶(うっとう)しそうに睨み、瀕死の男が発した理解不能の遺言を嘲笑しようと口を開いて固まった。


 月が陰る。


 二人を照らす魔灯も明るさを失い、公園に影が差した。


 雲が月を覆い隠したわけではない。


 魔灯の灯火(ともしび)が消えたわけではない。


 原因は空を羽ばたく大量の翼。


 空から、物陰から、樹上から、果ては土の中から湧き出てくる。


 純粋な生物ではありえない魔に浴す黒い鳥が故の異常発生。


 凄まじい数の鴉がどこからともなく現れてククナたちの周囲を旋回し始めていた。


「な、なによこれは!?」


 まるで黒い竜巻。


 ──カァカァ。


 ──カァカァ。


 ──カァカァ。


 何度も何度も、何羽も何羽も同じように鳴き、周囲を舞い踊る。


 鳥の言葉がわからずとも、繰り返される囀りは悪意を責め立てる合唱に聞こえた。


 百は越すだろう生命体が作り上げた(うごめ)く壁は石に劣る強度ではあったが、無機物からは感じ得ない異様な不気味さで二人を圧し、押し込めていた。


 それは群れとして完成された一糸乱れぬ飛行に、生き物としてではなく魔術の片鱗(へんりん)を感じたからだろう。


 そしてそれは正しい。


「この!」


 ククナを殺すはずだった茨が裂帛(れっぱく)の叫びと共に黒い固まりを(えぐ)り飛ばす。


 まるで剣術における抜き打ちのような一撃は数秒、黒い竜巻に隙間を作ったがそれも瞬く間に増え続ける鴉が埋めてしまう。


「鬱陶しいんだよ! 邪魔をするなぁ!」


 怒声に呼応するよう、全身から茨を生やし黒い壁へ緑の線が突貫するも無駄だった。


 いや、正確には無駄ではなかった。


 抵抗すればするだけ容易(たやす)く鴉の死骸が積まれていく。


 が、それよりも鴉たちの集まる量が多すぎた。


 どこからやってくるのか、どれだけいるのか。


 中にいる人間にはわからない。


 しかし、最初よりも黒い竜巻は密度を増し、ほんの僅かな隙間さえもなくなっていた。


 もはや鴉が飛んでいることさえ確認のしようがない。


 まさしく壁。


 竜巻ではなく黒い筒の中に落とされたようだった。


 圧倒的な数の暴力はダフネの魔術規模で覆せる次元をとうに越えている。


「法執行機関か、統制機構か、魔術連盟か!?」


 筒の底でダフネは恐慌を起こしたように叫ぶ。


 生やした茨を消し、生身で声を張る姿は敗北宣言も同然だった。


「こんな終わりは違う! 認めない!」


 (くつがえ)せない異常性。


 魔術で形作られた檻に捕らわれ、残酷な郷愁(きょうしゅう)に誘われたかのように瞳には涙を溜めていた。


「違う! 嫌だ! 私はもう……!」


 瞬間、視界を覆い尽くしていた黒色が音もなく決壊した。


 全ての鴉が急に失せたかのように姿を消し、残ったのは風に揺られることもなく散り落ちる黒い羽だけ。


 ゆっくり羽の群れとなって瓦解(がかい)していく黒い壁は夜が壊れるような錯覚を二人に生む。


 かといって、そんな感慨に浸る暇はなかった。


 少なくともダフネにとっては。


 解放されたわけじゃないのだと悟る。


 逃げる好機を得たわけではないと理解させられてしまう。


 薄れていく羽の暗幕の穴から現れる威容(いよう)にダフネは背が凍るのを感じた。


 骨が石に変わっていくように動きが止まり、目を奪われる。


 夜にも()える白い巻き毛。


 面妖な輝きを放つ紫の瞳。


 仕立ての良い黒の夜会服(やかいふく)


 伝説の魔術師。


 ガノがいた。

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