5章 魔が先か心が先か花は咲き7
「この前、一緒に料理屋へ行ったよね」
星を指すように右腕をあげると手の平から茨が生え、先端に一輪の黄色い花を咲かせた。
そもそもダフネは魔術を使えないのではなかったのか。
自身の魔術の才能そのものである『魔術式』を自覚することが出来ず、脳で魔術情報を処理する『代替魔術』を学んでいたはずだ。
指導していたのはナーロ。
彼が使用していた切断の魔術を考えれば、ダフネが使えたとしても同じ魔術のはずだろう。
だが、これは違う。
「その帰りにガノと出会ったんだ。そして弟子入りを志願した。けどあっさり断られちゃった……。弟子は一人しか取るつもりはないし、その枠も埋まっている、ってね。その日はずっと胸が痛かったよ。悔しいとか悲しいって気持ちはなかった。ククナ君とガノのことを考えると苦しくて痛くて、けど、どうしようもないって納得させようと必死になってた。そのときだったの。気付いたら私は茨と花に包まれていた」
魔術式を発現させたのか。
ガノは言っていた。
天啓のように自覚する者もいると。
ダフネもまた神の思し召しかのように突然、肉体が才能を理解したのだ。
茨の魔術。
幼い自分を縛り付けていた緑の鎖。
「よかったな……、おめで──ぇっ!」
腕ごと喉を絞められ、えずく。
棘が腕に食い込んで傷を拡げていくが呻くことすら苦痛だ。
ダフネからは、皮肉を聞くつもりはない。今は自分が語る番だと無表情に一瞥される。
「だけど、がっかりしちゃった。私の魔術式はこの程度。人一人をやっとこさ殺せる程度のちゃちな性能。思い描いた生きたかをするには、また長い年月を鍛錬にあてなきゃならない」
超自然の恩寵によくして、まだ足りないというか。
それも殺戮の力が弱いと嘆いている。
これがダフネか。
これが本性なのか?
「正直、皮肉な結果だよ。数年前からつい最近まで私は魔術師を諦めようかと悩んでた。妄想染みた夢を追うのを止めるべきかってね、そんな魔術師として芽吹かない日々で出会ったのがククナ君だったの」
ダフネの語りが上滑りして聞こえる。
現実を否認したくて無意識に脳が拒絶しているとも考えられたが違う。
出血で意識が鈍くなっていくのがわかる。
首は守ったが他の重要な脈が傷つけられたのかもしれない。
呼吸も荒くなる一方だ。
全身の傷が熱く、それでいて芯が冷えていく。
どうやら死の沼に片足を沈めているらしい。
女神の魔術を使えば多少は持ちこたえることも出来るだろう。
使えさえすればだが。
使おうにも全身が痛む上に、今の精神状態ではとてもじゃないが集中できない。
もともとの練度の低さを考えても無理だ。
くそったれ。
もう声に出して罵る気力もない。
きっと彼女の話を聞けなくなったとき自分は死ぬのだろう。
そんなククナの様子に眉一つ動かさず、自分自身で聞き入るようにダフネは語り続けた。
「自分でも不思議だけど初めて見たときに何かが通じた気がしたんだ。だから近づいた。最初は気を紛らわせるための玩具のつもりだった。でもね、ククナ君と過ごす内に心地良くなっていた。届くかどうかわからない夢より現実で喜びをくれるククナ君に惹かれていった。別の、ただの女として生きる道を考え始めるほどにね。正直、ククナ君の子供なら産んでもいいかなって考えてたんだよ?」
かつてのように、今まで信じていたダフネと同じように悪戯っぽく笑いかけられるが、それが本物か仮面かの判別はつかない。
「なのにこれだよ。魔術式なんて自覚できなければ諦めることもできた。けど、掴み損ねた夢が鼻先を掠めて私は止まれなくなったの。私はガノの弟子になりたい。あの魔術師ならきっと私を高みへ連れて行ってくれる。もっともっと魔術を極めて上へ行きたいの」
だからね、とダフネは言葉を句切った。
「君をガノから遠ざけなきゃ駄目だったの」
そして弟子として取り入り、己を鍛え上げて行く末は支配者か。
まったく甘い見通しだ……。
「ククナ君は優しいから魔術師として成功する私を喜んではくれないよね」
当然だ。
ダフネが望む成功は赤く彩られている。
それも他人の血で。
大人になっても忘れることができない明滅する悪夢。
人を人と認めない鬼畜の所業。
あんな思いをしていい人間がいるべきじゃない。
する人間が許されるべきじゃない。
おまえだって本当はわかってるはずだろ。
「かといって、ククナ君を選べば弟子になることは諦めることになる。私の夢は大きく後退する」
二者択一。
ここが分水嶺。
ダフネにとっての岐路。
──だったのだろう。
「魔術と意中の男、どっちも大事で自分では選べなかった。だから、ガノとククナ君を天秤にかけて釣り合いのとれたどちらを選ぶかは委ねることにしたんだ」
かくして天秤は傾いたらしい。
血にと棘に包まれたククナの惨状が選択の結果なのだろう。
謝罪はそういうことか……。
「ゆ、だねた……?」
言葉を接ぐのが苦しくなってきた。
失血の影響か動けないにもかかわらず全身が重い。
「そうだよ」
ダフネは先と違い、ククナを遮ることはしなかった。
手に咲いた黄色い魔の花。
妖しく、夜に輝く薔薇に顔を寄せると香りを優雅に吸い、口の端を曲げた。
「──ナーロに天秤を揺らしてもらった」
なんでナーロが出てくる。
奴は首刈り魔でおまえはその被害者だろ。
「ククナ君。私の魔術は茨を操るだけじゃないんだよ。これはあくまで副次的なもの」
茨の魔術じゃ、ない……。
ダフネは仕掛けた悪戯を明かすように意地の悪い笑みを浮かべると、茨の拘束から唯一自由なククナの頬に手を添えた。
「私の魔術式に刻まれていたのはね『洗脳の魔術』だった。肉体に咲いた花の花粉を吸わせることで人を操ることができる」
洗脳。
人心を操る魔術。
そんなものがあるのか。
ともすれば一国を落とせるような、世界中で戦争を起こせるような御業ではないか。
我欲をすべてに優先させたいと嘆く人間がこの魔術を極めればいったいどれだけの悲劇が起きる?
「なんで……?」
「ナーロを洗脳してククナ君がガノの弟子にならないように邪魔をしてもらうつもりだったの」
ダフネは頬に触れた手を離すと、大きく伸びをして夜空を仰いだ。
まるで退屈な日常の中で語らっているかのような自然な動作で緊張や力みがなかった。
「どこまでうまくいくかはわからない。目覚めたばかりの魔術で人を操って思い通りの結果がでるとは思っていない。けど、これでどちらかに天秤が傾けば私はその道を進むつもりだったの」
ナーロが成功すればガノへ弟子入りを求めて野望の道に。
ナーロが失敗すればククナとごく普通の幸せを掴む女の道に。
だが、ナーロがやったことといえば、ククナを苦しませようと王都の人間を殺し回ったことだ。
これがガノと引き離すためだとするなら下策だろう。
それにナーロ自身はククナへの私怨でやっていたとしか思えなかった。
ダフネは再び薔薇の香りを嗅ぐと堪能するかのように瞼を下ろした。
「結局、案の定といった結果だったよ。魔術の精度や練度が足りてなかったせいで私の命令を曲解。自分の感情と併せて歪め、暴走を始めちゃった。私にまで危害を加えるようになるなんて、やっぱり検証と鍛錬が必要だね」
他人事のように、なんでもないことのようにダフネはそう結んだ。
つまりはナーロもまた被害者だったのか。
一人の魔術師の今後を占うために利用された駒だった。
魔術で意思を操られ、さらには未成熟な技が故に精神へ異常をきたした悲しい道化。
ならば首刈り魔とは、
「ごめんねククナ君。言ってしまえば私が首刈り魔よ」




