5章 魔が先か心が先か花は咲き5
あまり店で過ごすことは出来なかったが、僅かな間にも日は沈み切っていた。
魔灯が照らす石畳を二人で歩く。
ダフネは跳ねるように、ククナはゆっくりと。
しばらく行くと数歩先を歩くダフネが振り返って腕をがっしと掴んできた。
「外で飲もう。うんそうしよう」
と相談もなく決めては遠慮なしに引っ張るので苦笑しながらついて行く。
まるで落ち着きのない子供と一緒にいる気分だ。
辿り着いたのはいつかガノに弟子入りを提案された公園だった。
広い園内には多くないにしろ魔灯も設置され、それなりに明るい。しかし、見渡す限りククナたちの他には人はいなかった。公園とは言っても何があるような場所でもないし当然だろう。日が落ちてからわざわざ来る場所じゃない。魔灯が設置されているのは防犯対策としてだ。
先程までと打って変わって広い公園に二人きり。
逆に居心地の悪さを感じるがダフネは気にした様子もなく長椅子に座ったのでククナも続き、ひとまず料理の包みを開いた。
「もし実際に私とガノ様。二人の内一人を選ぶ状況になったらならどうする?」
まだ暖かな鳥と玉葱の串焼きを互いに一本食べ終えた頃合いにダフネが木串で軽く突いてきた。
「一夫多妻制について調べる」
「そういう冗談嫌いなんですけどー」
ナーロの早とちり。
ガノとダフネのどっちを恋人として選択するか。
こういう面倒な質問は冗談で躱すのが得策だと学んできたがダフネの目は真剣そのもの。
真面目な答えがお望みらしい。
「一人は高祖母系魔術師で、一人は飲んだくれ一歩手前のぽんこつ魔術師だろ。どっちも俺の趣味じゃない」
「じゃあ女としてじゃなくて、窮地に陥ってどっちかの命しか助からないってときなら?」
悪戯っぽく微笑まれるが、これまた嫌な質問だ。
冗談めかしているが、この手の質問で女を満足させる正解を知っている男がいるのだろうか。
「わからない」
「冴えない返事。男として落第点だよそれー。嘘でもいいからダフネだよ、って言えば良いのに」
無難な答えだったが、気に入らなかったらしい。
「本音だ。それに女は男の嘘を嗅ぎ分けるだろ」
「んー、精度は人によるけどね。まあ、嘘だとわかっても種類によっては黙って飲み込んでくれるものだよ」
「種類って?」
「まだまだ勉強不足だねー」
ダフネは芝生に木串を放り投げ、にやりと笑った。
「それじゃ、やり直し」
わざとらしく咳払いをすると再び同じ質問を投げかけられる。
「私とガノ様のどっちを選ぶ?」
「……ダフネを選ぶよ」
「言い方が固いけど、おまけで及第点にしといてあげる」
ほとんど強制だったが、背をばしばしと叩きダフネは満足気だ。
「人に点数を付ける奴は嫌われるぞ」
「そんな建前はいらなーい。若い男女は常に異性を品定めして、自分の基準を満たすか点数を付けるものでしょ?」
強く否定できないな。
表だって同意もできないが。
肩を竦めるとダフネは立ち上がり、妙なしなを作って目配せをしてきた。
「ククナ君から見て私はどうよ?」
ぱちりとまた目配せをされるが苦笑しか出ない。
ダフネは頭と腰に手を当てて尻を突き出しているが、ありもしない椅子に腰掛けるように膝が曲がっているせいで寝起きに腰を痛めたような姿になっている。
これで色っぽいつもりなのだろうか……。
しかし、
「悪くない」
「え、本当!?」
もしかして、ふざけただけだったのかもしれないが、ククナの意外な返答にダフネは目を丸くした。
「ああ、本当だ。及第点は軽く上回ってる」
酒好きで少々抜けている部分もあるが善良で愉快な性格。派手ではないが器量もなかなか。言い寄られて悪い気がする男は少ないだろう。
何度も酒を酌み交わしてきたが間柄だが馬鹿な妄想をしてしまったこともある。
「なんだよもー、いやーダフネちゃんは可愛いからなー。すいませんねー」
簡単な褒め言葉。それも自分から尋ねたのにダフネは頬を上気させ、そっぽを向いて座った。
そして、落ち着きを取り戻す暇を稼ぐためか串焼きを頬張ると、忍び笑いをするククナを肘で小突いた。
「ククナ君が助けてくれたんでしょ?」
串焼きもなくなり、幾つかの雑談が終わったところでダフネが思い出したかのように切り出した。
質問ではあったが答えを探るのではなく、どちらかといえばすでに得た答えを確認している声音だった。
秘密保持契約を執行機関と結び新聞にも協力者としか載っていなかったが、こいつもどこかで噂を聞いたのだろうか。
いや事件当事者なのだ。執行機関から真実を耳に入れられているのだろう。
無理に隠す必要もないか。
葡萄酒を一口飲む。
舌の上に残った脂は流れたが、渋みが強く顔を顰めた。
「俺はナーロを捕まえただけだ。おまえを助けてくれたのは警吏の誰かだろ」
「それだってククナ君がいたからだよ。ククナ君がいなかったら今こうしてない」
ダフネは怪我した左手で器用に酒瓶を取り上げると、ククナが止める間もなく口を付けた。
そして、こくこくと喉を鳴らすと、
「ありがとね」
大輪の花も恥じらう笑みを浮かべた。
酒瓶を魔灯に掲げ、酒気なのか頬を染めたダフネにククナは頭を抱えて小さくごちる。
まいった……。
巻き込んだ身で礼を言われる筋合いなんてないのに。
この女は、まったく──。
「どしたの?」
「……傷が痛んでも知らないからな」
顔を上げ、口をついて出たのはそんな当たり障りのない言葉だった。
ククナの気持ちなど知らず、呆けた顔で顎に伝う紫の滴を袖で拭う女に軽く溜息。
「え、なになに!?」
「別に。この女、やっぱり酒ならなんでも良いんだと思ってよ」
「言ってるじゃん。好きな人と飲むからおいしいって」
「そりゃどうも」
聞き流し、酒瓶を取り返してもう一口。
やはり渋い。
まずそうに酒を飲むククナの横顔には、年頃の女性からの「好き」に響いた様子は欠片もなかった。
そんな男の態度が癪に障ったのか、
「あー、もー!」
ダフネが夜空に吠え、同時にククナへ跨がった。
「お、おい」
今度はククナが狼狽する番だった。
太ももへかかる軽い体重。
胸板で潰れる柔らかな乳房。
匂い立つ女の性の香りに鼻腔が痺れ、一瞬で体温が上がっていく。
「いっつも好きって言ってるのに」
両肩に手を添えられ、逃れようもなく正面から見つめ合う。
「ククナ君」
瞳は澄んでおり、これが洒落や冗談でやっていることではないと暗に告げいている。
ダフネからは幾度となく好意を伝えられてきたが、本気に受け取ったことはなかった。酒や勢いからくるじゃれ合い。親愛の類いと位置づけて流してきた。
「本気なのか……?」
困惑、動揺、と興奮。
他に何があるのだろう。
渦巻く多くの感情に頭の中がまとまらない。
けれど、拒否しようという気持ちはなかった。
「ククナ君」
名前を繰り返し呼ばれる。
「ククナ君」
慈しむように。
「ククナ君」
宝物のように。
「ククナ君」
愛撫するように。
「私は本気だよ」
自分自身の気持ちを確かめるようにダフネは宣言した。
日焼けなど知らないような輝く白い肌に、薄桃の唇の上を赤い舌が艶めかしく踊る。
視線が釘付けになる。
まるで花に誘われる蝶のような心地だ。
離れたくないと、ほとんど無意識にダフネの背へ手をまわす。
そして、どちらからともなく二人の唇は重ねられていた。
星空の下。
無人の公園。
口づけ。
三流劇作家が考えた筋立てのようだが、今はどうでもよかった。
舌を使うこともない当てるだけの口づけ。
児戯のような軽い触れあい。
それでもダフネは唇を離すと幸せの絶頂かのように顔をとろけさせた。
そして、噛みしめるように呟いた。
「ごめんね」
なんだ?
「──私はガノを選ぶことにした」
思考を挟む暇はない。
──眼前には茨が殺到していた。




