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女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
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5章 魔が先か心が先か花は咲き4

 苦しい沈黙を埋めるように女給(じょきゅう)を呼んで注文をする。


 ククナは店で一番強い酒を、ダフネは果実水(かじつすい)を注文した。


 気晴らしだったはずなのに卓にいない男のことで頭が痛い。


 いつも何を話していたのかがわからなくなる。


 ただ、この場へ来てナーロの話題を避けるのもあからさまで空々(そらぞら)しいか。


「なんで襲ったのかな?」


 飲み物が届き、口をつけてからダフネが切り込んだ。


「俺がおまえじゃなくガノを選んだって怒ってたぞ」


「私たちそんなんじゃないのにね」


 まったくだ。


 けれど、彼の中では真実だったのだろう。


 事実がどうであれ自意識を介せば真実は違って見えるものだ。


「人を殺すほどの嫉妬か……」


「理解できないの?」


 もちろん人並みに嫉妬はする。


 けれど、前後不覚(ぜんごふかく)になって法を破るような真似はしたことがない。


 思い入れの差だろうか。


 仮にナーロと立場が逆だったとして、どれだけダフネへの気持ちが強ければ人を殺す?


「経験はないな」


 想像さえもうまくできない。


 首を振るククナにダフネは神妙な面持ちだった。


「私はある」


「被害者のおまえがナーロに共感するのか?」


「ククナ君は本気で人を好きになったことある?」


 質問に質問で返される。


 今日は恋愛について語る日なのだろうか。


 まったく気乗りはしない。


 仕方なしに酒を(あお)った。


「そりゃあるさ」


 本気で、という言い方が気になりはしたが嘘で誰かに好意をもつなんてないだろう。


「振られた経験は?」


「俺が絶世の美男子に見えるか?」


 皮肉にダフネはくすりともしなかった。


「失恋をしたときによく言うでしょ。心にぽっかり穴が、って。私はその通りだと思う。本当に大好きな相手を失ったとわかったら人の心には大きな穴があくの」


「たかが失恋で大袈裟(おおげさ)だな。傷つきはするけど穴って──」


「──ククナ君は本気で人を好きになったことがないんだね」


 ダフネの真剣な顔に唾を飲み込む。


 酒が入っていないというだけではない。


 思い至った真理を説くような傲然(ごうぜん)とした態度に背筋が冷たくなった。


「あの人は何をしてるのかな。この服は気に入ってくれるかな。他の女が寄ってこなければいいのに。本気で誰かを好きになると心の真ん中にいるのは自分じゃなくてその人になるの。だから思いが()げられないとわかったとき、心の真ん中だけが崩れ落ちて穴になっちゃうんだよ」


 (まく)し立てて喉が渇いたのか、ダフネは酒のように果実水を飲んだ。


「失恋って、そんなに辛いものか?」


 自分が女性に対して淡泊すぎるのだろうか。


 触れ合うことは好きだし、理解しあうことも嫌いじゃない。


 互いの体と心が通じあったと信じられる相手もかつてはいたが、ククナのもとを去って行った。その時は確かに落ち込みはしたが穴があくほどの痛みというものは感じなかった。二,三日もすればいつも通りに戻っていたし、人格に影響するほどの思い出になることもなかった。こうして思い出すことさえ今までなかったくらいだ。


 なぜだと自問するも答えは明白だった。


 血の繋がりがある肉親でさえ子を売る世の中だ。


 他人が自分を捨てることなどもっと簡単だ、と心の片隅で思っているからかもしれない。


 これはきっと自己防衛のためだろう。


 そう弁えていれば、誰が裏切ろうと捨てようと傷つくことも少ない。


「言ったでしょ。心に穴があくんだよ。自分の世界の中心がぶっ壊れる衝撃。死ぬほど落ち込んでも、誰かを殺したいほど憎んでも私はおかしいとは思わない」


「へぇー」


 そういうものなのだろうか。


 ダフネの断定的な口調はこれが真実とでも言いたげなので、適当に相槌(あいづち)を返した。


「あの子、十代で女慣れしてなかったからね。それに自分で言うのもなんだけど、私にかなり入れ込んでたし……」


「そうなのか?」


 結果論だがこんな事件を起こすほどだ。入れ込んでいたのは間違いないだろうが、そんな気配はまるでなかった。


「ここだけの話、よく贈り物も渡されてたの。花とか、高価なものじゃないけど」


 三人で飲むときは好意を匂わせる程度だったのに裏では結構攻めていたらしい。


「あ、言っとくけど受け取ってないからね。年下とはいえ向こうは一応、私の魔術指導役だったし、なんか不適切な感じがしたからさ」


 わたわたとなぜか慌てたように手を振るダフネを横目に酒を飲む。


 それにしても花を贈るとは若いのに古風(こふう)な奴だ。


 つまみに頼んだ卵の燻製(くんせい)をまるごと口に放り込むとダフネは顔を寄せてきた。


「場所変えない?」


 ダフネが示すようにして目線を左右に振る。


「そうするか」


 いつもは脳が酒に焼かれ、声量の調節も出来なくなった輩の与太話(よたばなし)が至る所から聞こえてくるものだが、今日は店全体が妙におとなしい。


 正確にはククナたちの周りが静かなのだ。


 どうやら近くに座った客は事件の渦中にあったダフネが何を喋っているのか興味津々(きょうみしんしん)らしい。少しでも盗み聞きをしてやろうと耳をそばだて、酒を飲む手も止まっている。


 人の不幸は蜜の味。


 ダフネの話は酒よりも魅力的なようだが、当事者からすれば不愉快極まりない(いや)しい行いだ。


 それにはククナも同感だ。


河岸(かし)を変えるか」


 ここじゃ落ち着いて話しもできない。


 持ち帰りで葡萄酒(ぶどうしゅ)の瓶を一本と串焼きを数本包んでもらい二人は店を出た。


 他の店へ行ったところで、どうせ同じ真似をする人間がいるだろう。


 なので、家で飲むことを提案するとダフネはやけに嬉しそうに微笑んだ。

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