5章 魔が先か心が先か花は咲き2
あれから三日が経った。
新聞社はまだしばらく首狩り魔で飯を食うらしい。
紙面での扱いは大きいままだ。
事件は一応の終わりを見た。
残念なことながら大団円とはいかない。
我ながら似合わないことをしたと思う。
もう関わりあうことはないだろうが、ククナは新聞を追っていた。
記事の中には首狩り魔の幼少期や動機などが書き連ねてあったが、どこまでが真実なのか読み解く自信はなかった。直に顔を合わせて触れ合っていた友人なのに何もわかっていなかったのだ。他人が嚙み砕いた公平性に書く文面から正しいものを拾い上げることなどできる気がしない。
「自己嫌悪は健康に悪いわよ」
自宅で黄昏ていると、いつの間にかガノが脇に立っていた。
もう、そんな時間か。
「今日もしょぼくれてるわけね」
ガノは弟子の渋面に飽き飽きといった様子だ。
「あんたに責任はないわよ。聞く限りはナーロとかって子の逆恨みでしょ。ましてや、あてつけや八つ当たりで他人を殺すような人間性をした男に心を痛める必要なんてないわ」
「かもな……」
首肯する。
けれど、簡単に割り切れることじゃない。
一緒に酒を飲み、笑いあった記憶の姿が仮初だとは信じられない。
殺されかけておきながらおめでたいにもほどがあるが、ナーロを悪人だと切って捨てることができずにいた。
事件そのものは、すべて終わったこと。
あとはククナ自身の向き合い方だけだ。
「可愛さ余って、だなんて言うけど、そもそも恋愛感情なんてとても凶暴で独善的な感情を綺麗に取り繕ったものよね」
「まさか恋愛論を語るだなんてお寒い真似をする気じゃないよな」
「あら、聞きたくないの?」
「素面だし、笑う気分でもない」
そろそろ修行の時間だろう。
椅子から腰を上げようとしたが、ガノが空いている席に座ったので座りなおす。
「ダフネには会ったの?」
「いいや」
ダフネは警吏によって保護された後に入院したらしい。
容体の詳細はわからないが指を一本切り落とされただけならば命に別状はないはずだ。
深く傷ついたのは身体よりも心だろう。
親しい友人に襲われ、肉体の一部を奪われ、軟禁されていたのだ。塞ぎ込んでしまってもおかしくない。
あれ以来、ダフネとは顔を合わせていない。
入院先を執行機関へ問い合わせても教えてくれず、自宅の場所もククナは知らなかった。もう少し時が経ったらいつもの酒場に顔を出そうかと考えてはいるが、探し出してまで会いに行く気概はなかった。
おそらくは聴取や新聞記者などが押し寄せて忙しい身だろうし、一人で考える時間も欲しいだろう。
それに情けない話だが、合わせる顔がない、という気持ちもあった。
ガノは責任などないと一蹴するだろうが、やはり巻き込んでしまったという意識がぬぐえない。たとえ、どの病院にいるかを知っていても行くことをためらっていたことだろう。
「そう」
ガノは毎度のように虚空から取り出したお茶を一口含むと咎めるように一瞥した。
こちらの心根を汲み取った上で、さっさと会いに行けと責められている気がするのは考えすぎだろうか。
「師匠としては気落ちする弟子を励ますべきなのかしらね……」
いつものように優雅に白い巻き毛を払うとガノは頬杖をついた。
「気を使うな」
「昔話をしてあげる」
「いいって」
「あるところに青年が住んでいました。ある日、青年は家の近くにいた子猫に懐かれて連れ帰ります」
下手に気を回されても心苦しいだけなのだが、話し始めてしまったので仕方なく傾聴する。
「その子猫は不思議な猫でした。一晩経つごとにとても大きく成長するのです。一晩で犬よりも大きく、二晩で豚よりも大きく、三晩で馬よりも大きくなりました」
穏やかで低音の声は耳に心地いい。
ククナがうんと幼いころ。まだ家族が家族だったころ。母が枕元で話してくれた寝物語を思い出して目を閉じる。
「そして青年は幼馴染と結婚しましたとさ。おしまい」
中抜け、落丁、という単語が浮かんだ。
急に畳まれた物語にすぐに目を開いて師を見やる。
聞き逃したわけじゃないよな。
「おしまい?」
「おしまい」
「猫が大きくなって、青年は幼馴染と結婚しました?」
語り手は何が不満なんだという顔で頷いた。
「……」
「……」
「本当におしまい?」
「本当におしまい」
「猫は?」
「さぁ」
「さぁ、って……」
なんだ、この無意味を具現化したような話は。
「元気は出たかしら?」
「出るか。序盤の猫はなんだったんだ。いきなり知らない女と結婚して終わったし。あんた昨日見た夢を話したかっただけだろ」
「妹が考えた話よ」
「昔話じゃねーし!」
「いちゃもんを付ける気?」
「こういうときは実体験になぞらえた訓話とか、前向きになる話をするんじゃないのか」
「昔話をするって言っただけじゃない。妙な持論はやめなさい」
まったく、とガノは茶器を傾けた。
励ましになっていないというのに一仕事終えたような顔をする師匠に馬鹿馬鹿しくなってきた。
「おまえ、友達いるのか?」
「おまえ?」
「師匠、友達いるのか?」
下手な励ましに、ふと湧いた疑問だった。
ククナも交友関係はかなり狭いが対人関係や対人摩擦については多少気を払っている。その結果が首刈り事件かと言われれば立つ瀬がないのだが……。
それは置いておいても我が師匠は多少どころか先ほどの謎の小話から察するに対人関係はかなり不器用そうだった。まあ、説教の為に人を天井へ張り付ける女だ。友達がいなくとも、さもありなんといったところではあるが。
この狭い部屋での極めて限定的で短な付き合いの中で分かった気になるのは傲慢ではあったが、こんな女の周囲にどれほど人がいるのか気になった。
「それは友達の定義によるわね」
「あー、もうわかったからいい」
ククナと同じで、ほとんどいないらしい。
「まだ何も言ってないでしょ」
「定義とか言い出す時点でもう……」
「いるわよ。たくさんいるわ。うじゃうじゃいるに決まってるじゃないの」
「やめろ。言葉を重ねるほど惨めになるだけだぞ」
珍しく顔を赤くするガノを置いて、立ち上がる。
少し喋りすぎだ。
一服もいいが、そろそろ時間だろう。
「修行を始めよう」
「今日はきつくするわね」
「悪かったって」
苦笑いでククナは寝室へと歩く。
図らずも心の憂鬱は薄れていた。




