表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
33/55

断章 在りし日4

──逃げるぞ。


 愛玩用の子供たちに与えられた大部屋で休んでいると、ご主人様お気に入りの少年が飛び込んで来た。


 昼を過ぎた頃に私室へ連れて行かれていたはずだ。いつもならば夕方までは解放されないのに日はまだ高い。随分と早いお戻りだ。


 部屋で思い思いに過ごしていた他の子供たちも少年の唐突な宣言にどよめく。


 逃げる。


 ここにいる誰もが一度考えては断念させられた夢だ。


 しかし、どよめきは無謀(むぼう)な夢に対しての反応ではなく、もっとあからさまな少年の()()ちに対するものだった。


 ここにいる皆に与えられた装飾(そうしょく)のない真っ白な服。もちろん少年も同じ者を着用しているが、その至る所に小さな点のような赤い染みが浮き上がっている。特に目立つのは両手だった。


 両手が赤く染まっている。


 血だ。


 それもおそらくは返り血だろう。


 まるで臓腑(ぞうふ)に拳を突き立てたかのように赤く濡れそぼり、袖口からは吸いきれなかった血がひたひたと床に垂れ落ちている。


 ご主人様から受けた傷によるものではないことは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


──あの魔術師は刺し殺した。


──もう、ここにいる必要はない。


 少年は言った。


 子供にあるまじき冷徹(れいてつ)で吐き捨てるような口ぶりだった。


 しばらく頭が白く塗り潰され立ち尽くした。


 殺した?


 どうやって?


 きっかけはなんだったのだろうか?


 いや、きっかけなんて屋敷にいる誰もが抱えている。


 拷問と隣り合わせの軟禁生活に満足している子供などいるわけがない。


 ここは望んで来た場所ではないのだ。


 中でも偏執狂(へんしゅうきょう)の苛烈な愛情を受け続けたこの少年が禁忌を犯すのは時間の問題だった。


 少年は殺人を犯したとは信じられないほど落ち着いた様子で部屋全体を見回すと、(すみ)にいた少女たちが小さな悲鳴を上げた。


 それにしても子供の身で魔術師を殺しうるとは、魔術師と言えど身体は我々と変わらないらしい。刺したのが突発的にしろ計画的にしろ嬲る為の愛玩動物にご主人様は隙を突かれたようだ。


 奴はもういない。


 安堵(あんど)の溜息を吐くも心中は複雑だった。


 恐怖の対象だったはずの魔術師もこんなにあっさり殺されてしまうのか。


 耐え抜いてきた恐怖の数年間がひどく馬鹿馬鹿しく空虚に感じてしまう。


 ふと窓の外を確認すると塀を覆っていた(いばら)がなくなっていた。


 どんなときも外界への脱出を(はば)んでいた門番が消えている。


 ご主人様が生きているならばあり得ない。


 どうやら嘘じゃなさそうだ。


 同じように塀を確認していた年上の少女が急いで部屋を飛び出していった。


──俺はここから逃げる。


──お前らはどうする?


 少年は一人一人に視線を送るも部屋のみんなの反応はまちまちだった。


 血濡れの少年に怯える者、嘘だと(いぶか)しむ者、家へ帰れると喜ぶ者、突然手にした自由への足がかりに呆然とする者。


 割合で言えば少年そのものに怯えている子供がほとんどだった。


 少年も察してか誰の返事を待つこともせず、幼さの抜けきった顔でみんなに知らせてくると部屋を後にした。


 この屋敷に放り込まれたときは年相応の感情表現をしていたはずが、十二歳かそこらだろう少年は摩耗(まもう)しきった人形の顔となっていた。


 ここでは誰もが大人になることを急かされる。


 (さら)われ、囲われ、教育され、拷問される。


 およそ日常から外れた環境に押し込められて順応(じゅんのう)することを強制させられる。


 圧倒的強者による理不尽に叫ぼうと涙を流そうと意味がないことを学び、諦めることを選ぶ。怒りや悲しみで事態を解決することがないと、無意味だと早くして理解することになるのだ。


 それでも圧倒的強者を、魔術師を、ご主人様を殺したという諦めなかった少年の顔は誰よりも枯れてしまっていた。


 殺人という思い切った手段を選んだ己を呪っているのだろうか。


 部屋から去った少年を追うように廊下へ出る。(なぐさ)めや励ましのためではなく本当になんとなくだった。広い廊下の先ではとぼとぼと歩く背中があった。


 意味もなく見つめていると、今は亡き飼い主の残響(ざんきょう)が耳で鳴る。


──私と同じ匂いがするからよ。


 なんでこんな言葉を思い出すのだろう。


 もちろん自分を攫い軟禁(なんきん)した人間を好きになることなど(つい)ぞなかった。


 それでも屋敷の支配者であったあの魔術師を自分は──。


 誰にも明かしていない感情で胸が一杯になり立ち尽くす。


 そのまま主人を欠いた屋敷を歩く焦げ茶色の癖毛(くせげ)を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ