表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
31/55

4章 たなごころ7

 幸運なことにここは鬱蒼と茂った森の中。木に岩場、倒木や草丈の高い植物や茂みが多い。身を隠して移動することはそれほど難しくない。


 ククナは数秒を全力で駆け、一際大きな岩の影に滑り込んだ。


「ふぅー」


 息を吐く。


 隠れる瞬間を見られてはいないだろうか。


 ククナは冷たい岩肌に背を押しつけ呼吸を整える。


 心臓の音とあわせるように時を数えるも、どうやら追ってくる気配はない。


 安心してもう一度、息を吐いた。


 いいかククナ、失敗は出来ないぞ。


 こちらの武器はもっとも原始的な手足。


 女神の魔術は反動がある上に戦闘の最中に使えるほどの段階にない。あてにはできない。


 対するナーロの武器は斬撃を飛ばす魔術。


 掌印を用いた構えから放たれる一撃は強力無比(きょうりょくむひ)。成人男性の胴ほどある木を一発で両断する威力だ。


 まともに受ければ致命傷になる。


 粗雑(そざつ)な刃物程度なら腕で受けようと骨で止めることも出来るがこれは訳が違う。


 まるで防御ごと容易(たやす)く両断する断頭台。負傷覚悟の特攻をかけても目の前に辿り着くことは出来ないだろう。躱すより他にない。


 射程ははっきりしていないが、少なくとも拳などよりも遙かに広い。想定としては弓といったところか。


 魔術発動後の隙を狙おうにもさっき放たれた二発の間隔は五秒もなかった。


 もっと早く連発することは可能なのだろうか?


 発動する回数に制限は?


 情報が少なすぎるし、そもそもの魔術に対する知識が浅すぎる。


 ただ、やはり正面からの戦いは絶対にありえない。


 狙うべきは不意打ちかそれとも──







「目潰しとはね……」


 実にくだらない手で獲物を逃した。


 汚れた顔を拭ってナーロは独りごちる。


 あんなどうしようもない男にしてやられた苛立ちで(まぶた)痙攣(けいれん)した。


 だが、それもいいだろう。


 ひとまずは首刈り魔としての働きもこれが最後。


 それも憎々しいククナ・ウルバッハを殺すのだ。


 あまり簡単に終わってしまっても(おもむき)がない。


「かくれんぼを始めましょうか!」


 気配を消した友人に大声で語りかける。


 高く響いた声に返答などない。


 森は静寂に()いでいる。


 口角が上がっていくのがわかる。


 心臓が早鐘を打ち、血が熱い。


 自分とダフネの未来の為にやっていることだ。


 望んだ行為ではないとはいえ、人殺しを楽しんでいないといえば嘘になる。


 なんだ……?


 不意に鼻の奥がつんと痛み脳が痺れた。


 熱に浮かされ、うわ言を垂れているような不可思議な感覚が急激に全身を襲い、ナーロは頭を振った。


 興奮しすぎだな。


 気持ちを落ち着けるように胸を数度叩いて前を向く。


 やることはいつも通り。


 仕事と同じだ。


 獲物の痕跡を探し、追い立て、誘導し、疲弊したところを仕留める。


 ただ今回は鹿や鳥か相手ではないというだけ。


 周囲を見渡すもしんとした森。


 立ち並ぶ木々に岩や草などとにかく見通しの悪い場所だ。


 ただし、潜むにはいいが動けば多くの痕跡を残すことにもなる。


 足跡。折れた枝。大型の動物を察知して逃げる小動物やわずかな匂いと気配。


 染みついた仕事の習慣が半ば自動的にククナの逃走経路を探し始める。


 目潰しを受けて完全な視界を取り戻すのにかかった時間はおよそ十秒といったところか、こちらへ突っ込んでくるかとも思ったが随分と慎重らしい。


 この十秒で奴は距離をあけた上で隠れることを選んだ。


 以前、散々に(なぶ)り、今日もまた同じ魔術が目の前をかすめたのだ。思考が弱気になるのもうなずける。


 魔術師と常人との間にある圧倒的な攻撃性能の差は嫌というほど刷り込まれたはずだ。迂闊(うかつ)な動きはしないだろう。


 狙ってくるなら死角からの一撃。


 息を潜め、ククナを探しに動くであろう自分を仕留めるはずだ。


 こちらが狩人を生業にしていることは伝えてしまった。


 ならば、森の中を読み解く能力があることは知っているだろう。自分なら下手に動くことはしない。それに極めて強力な武器を携えた狩人に自ら近づくのは心理的にも難しい。


 ククナの動きとして考えるられるのは罠だ。


 隠れ場所から自分の近くまでうまく釣りだして攻撃の機会を(うかが)う。


 一番安易なものとして想定されるのは石投げなど、音による陽動か。


「逃げ切れないですよククナさん! ここは僕の庭だ!」


 声は森の奥へと吸い込まれていく。


 驚いた鹿が遠くからこちらを振り返っていた。


「こっちの台詞だ! お前はここで叩き潰す!」


 信じがたいことに返事が森へ反響し、鹿は走り去っていく。


 ナーロはこみ上げる嘲笑(ちょうしょう)を噛み砕いて飲み下した。


 なんて迂闊さ。


 忍ぶ身で戦意や気概の表明とは結構なことだ。


 おかげでおおよその位置は掴めた。


 やはり森の素人。


 それとも単なる馬鹿か。


 身を隠しておきながら、こんな簡単な挑発に乗るとは。


 普段、戦っている畜生(ちくしょう)の方が余程手強いじゃないか。


 声のあった方向へ動きを悟らせないようにゆっくりと歩みを進めるとすぐにククナと思しき痕跡を発見した。粘り気の強い土には明らかに人間の靴跡。あとはこれを取っかかりに追跡していくだけだ。


 容易いな。


 心でほくそ笑みながらも慢心はしない。


 森の中では何が起きるかわからない。


 殺しきるまでは哄笑(こうしょう)することはすまい。


 衣擦れや足音を立てぬように落ちた小枝や木の実をまたぐように一歩一歩をじっくりと詰めていく。


 どうやら足跡は大きな岩の裏手に続いているようだった。


 (やぶ)に埋もれるようにして鎮座する大岩は確かに隠れるには都合が良さそうだったが、残念ながら隠れ方が杜撰(ずさん)だった。藪は明らかに人が分け入ったように踏み荒らされている。獣相手の目眩ましならば有効だったかもしれないが、こちらは森の玄人(くろうと)だ。


 呆れながらもナーロは追跡の足を止め、周囲に気を払った。


 誘い込まれていないかを慎重に確認。


 辺りに気配がないことを確信し魔術を放つ構えをとった。


 接近に気取られる可能性が低く、かつククナが藪から飛び出してきても充分に余裕のある距離。


 ククナの唯一警戒すべきは格闘能力だ。


 拳闘の実績がどれほどかは知らないが、一緒に過ごしてきた時の中で自分とは比べるべくもないことは熟知している。


 あの男には万に一つもやるつもりはない。


 弓を引き絞るかのようにじっくりと構えを整えていく。


 左の輪と右の鋏。


 岩陰にいる以上、有効打は望めないし、さらに奥へ逃げている可能性だってある。


 いるのならばこの一撃を牽制として追い立てる。いないのなら藪を断ち切り、視界を確保した上で追跡を再開するだけのこと。


 チョキン。


 音にすることもなく口ずさむ。


 すると満ちた魔力が右の鋏から吹き出し、死の鎌となって藪を切り払った。


「ってぇ! っそが!」


 野太い声が岩陰から上がった。


 切られ、舞い散る葉の中で一瞬だけククナの影があった。


 藪の隙間から様子を伺いでもしていたのか、期せずして当ったらしい。


 いや、まだ油断はできない。


 これこそが(おび)()せる為の罠ともとれる。


 ナーロはどこまでも冷静だった。


 けして魔術の構えは解かず、いつでも第二射を放てる状態で距離を保ちつつ岩を中心に回り込む。


 ここは比較的、地面も平らで踏み込みも効く。


 また、目潰しでも仕掛けた拍子に突っ込んでくることも考えられる。


 ゆっくり注意を払い、足をするように時間をかけて岩陰を確認すると誰もいない。


 警戒の糸を緩めず、近くまで行くもそこには血の跡がなかった。


 魔術が当ったのではないのか。


 やはり罠か!?


 背に冷水が垂れたかのように首が吊り上がり、視界にククナがいないか警戒する。


 木や藪の裏、樹上にククナの姿がないかを首と眼球が動き回って必死に探す。


 が、いない。


 魔術を構えたまま警戒と確認を入念に繰り返し、ナーロは嘆息した。


 冷静でいつもどおりと思っていたがそうでもないらしい。


 嫌ってはいても長く時を過ごした友人。


 心の隅では感傷で不安定な部分があるようだ。


 そもそも魔術そのものが直撃したとは限らない。


 風に巻き上げられた枝や小石などで小さな擦り傷を負ったことだってありえる。


 そんな可能性を拾い忘れるとは。


 いや、その程度で殴り合いを生業としている人間があんなに大声をあげて痛がるか?


 狙いがあるのかと思考が紡がれようとした瞬間に霧散した。


 思わず苦笑する。


 過ぎた警戒心と動揺を笑うように足下にはナーロのものではない靴跡があった。


 先程までよりも靴跡が深い。攻撃を受け慌てて森の奥へ走ったか。


 相も変わらず素人の逃げ方。極めて雑な逃げ方に相手は獣ほどの思慮(しりょ)もない輩だとナーロは確信を深めた。


 だが、こちらにも欠片の動揺があるとわかった以上、素人が相手とはいえ間違いが起こるとも限らない。気を引き締めなければ。


 決意も新たに周囲への警戒を強めながらも痕跡を辿る。


 すると、歩みを進めるごとに徐々に耳へ増えていく情報量。小動物や葉鳴り、虫の音色に混じって水の流れる音がナーロの鼓膜を叩き始める。やがて緑に包まれた景色が開かれるとそこには川があった。


 木々は消え地面は土から砂利になり、眼前には轟々と流れていく水。川幅が狭く、川上は勾配(こうばい)がきついせいで流れがかなり速い。


 思わず舌を鳴らす。


 足跡の残らない砂利道。樹上から落ちる葉や枝、草むらもないここは痕跡が極端に減る。ここに出ることで追跡を振り切ったのか。


 辺りを見回しても人の影はない。


 別の場所から再び森へ入り、機を窺う腹積もりか。


 そうなるとまた痕跡を探すところから始めなければいけない。


 まて、おかしい。


 足を止めて思考する。


 つまり、奴はこちらが痕跡を追っていると承知していたわけだ。


 だからこそ、川辺に来ることで追跡を一度巻いた。


 だが、それだとどうしても違和感がある。


 追跡を振り切ろうとしているのは、それが(わずら)わしいからだ。


 ならば、なぜあれほどあからさまに足跡を残していた?


 こちらが狩人であることは最初から知っていた。


 慎重さの欠片もなく土を踏んでいたにも関わらず──


「くっそ!」


 最悪の想像が浮かび、狩人らしからぬ平静を欠いた悪態が飛び出た。


 ナーロは慌てて森へと戻り、駆け始めた。


 おそらくククナは杣小屋(そまごや)に戻った。


 奴は王都へ帰り自分を告発するつもりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ