4章 たなごころ3
「訊いておきたいんだけど」
「なんだよ」
修行が終わり、服を着ている最中、ガノが何気ないことのように呟いた。
「あんた最近、夜中に出歩いてない?」
口調に棘はないが、裏に潜むものはククナにとって好ましいものではなさそうだ。嫌な気配がする。
「一昨日、朝帰りしてるのを見たわよ」
「あんた、どこに住んでんだ?」
浮気を咎める女房のような台詞だが、ガノは至って冷静だ。本当に何気ない雑談のつもりなのかもしれない。軽い口ぶりを意識して疑問で返すも、ガノからは更に疑問を重ねられた。
「さっきの質問といい、まさかだけどあなた首刈り魔のこと探ってないわよね?」
寸鉄で刺されたように息が止まった。
首刈り魔を探していることは誰にも言っていない。
無謀で危険、素人が手を出してどうこうできる問題ではないことは理解している。
そして他人に理解されないだろうことも理解していた。
ガノは弟子の無言を肯定と受け取ったのか語気を僅かに荒げた。
「言っておくけど駄目よ。師匠としてそれは許可しない。あんたには解呪ができるようになるまで、生きていてもらわなければならない」
「許可って、おまえな──」
「自分から危険に近づこうとしているなら、ここで足を折るわよ」
紫色の瞳は本気だった。
呼吸が苦しい。
部屋が急激に狭くなったような錯覚で身体が硬直する。
いつの間にかククナは頭一つ分は小さい女に威圧されていた。
少女の容姿をしながらも実態は長く時を生きる歴戦の魔術師。
滲ませた威容は人として強い程度の拳闘士が足を竦ませるには十分だった。
「そ、そんな得にもならないことを俺がやるかよ。飲みに出てただけさ」
矢継ぎ早に取り繕う。
怯えたことを恥じるかのような慌て方は無様で情けなさを感じたが、どうしようもなかった。
「どちらにしろ夜間の外出は控えなさい」
ガノはククナの胸に手を当てるとわざとらしく満面の笑みを浮かべた。
あれは牽制だよな……。
大きな釘を師匠に刺されてから数日、ククナは懲りずに夜の王都をひた歩いていた。
なんとはなしに空へ視線を巡らせる。
いつぞやの鴉のように使い魔が街を飛び回り、弟子の動向を監視していないかを気にするが闇に溶ける黒い翼は探しようがなかった。
こちらは逆に高い上背と包帯を巻いた頭は人の目に付きやすいだろう。ガノがどこで自分を見かけたかは知らないが変装すべきかと悩んで馬鹿らしくなりやめた。せめて、目印になる包帯を外すことも考えたが、傷を縫ってくれた医者には許可するまで外すなと言われているので帽子をかぶることにした。効果のほどは知らないがないよりはいいだろう。
我が師匠には申し訳ないが、この件は蹴りがつくまで好きにやらせてもらう。
しかし思いに反して現実は甘くなかった。
決意も新たに街を巡るが、空振りばかりが積み重なる。場所や時間を変えて街を歩くも首刈りのくの字もない。すっかり首刈り魔は沈黙してしまっている。
ちょっとした喧嘩や、小競り合いと遭遇することはあっても首を切り落とすような凄惨な殺しは王都から消えていた。
新聞内でも首刈り魔の扱いはどんどん小さくなり、やがて載らなくなってしまった。
巡回を強めていた警吏の数も減り、王都は連続殺人の脅威を忘れ去りつつある。
怖いから怖かった、へ。
そして、そんなこともあったよね、と。
数日前から夜にも関わらず、擦れ違う人間の数が増えてきている。
若い酔漢の集団。厚い化粧で年齢を偽る娼婦に連れられる気弱げな中年。大声で賭博を語り合う厳つい二人組と絡まれないように道の端で下を向く頼りない警吏。
平和の証拠だ。
街は元の姿を取り戻しつつある。
彼らを横目にククナの気分は沈んでいた。
街にとっては喜ばしいはずなのに素直に喜べない。
無力感が先立って、楽しげに夜を往く彼らを見ると落ち込んでしまう。
街が元の活気に近づくほどに犯人が離れていくようだった。
未だに果たせたことは何もない。
結果を残せる能力が何もない自分が恨めしい。
無力感に心が重くなる。
勝手な責任感だ。
この件に自分の果たすべき責任なんてない。
けれど、どうしても無視をしたくなかった。
そんなこともあったね、なんて酒を片手に語る自分を想像したくなかった。
それでも、
「どうすりゃいいんだよ……」
本日も収穫はなし。
空が白み始め、肩を落として家路をたどると道すがら知った顔にあった。
「お」
落ちている気分を誤魔化すのには丁度良い。
ククナは通りの向こうで目を合わせた友人に声をかけた。
「よお、随分と朝が早いな」
深夜とも早朝とも取れる黎明。石畳を歩くのは若く優秀な魔術師ナーロだった。
まさかこんな時間帯に友人と顔を合わせるとは思わなかった。
久しく会っていなかったが、そんな感慨もなく道の先から駆け寄ってくる。
一晩中、街を歩いて疲弊したククナの力が抜けた態度とは違い、ナーロは固く力強く、なにより切羽詰まっていた。
「ククナさん、助けてください!」
瞬時に詰め寄ってきた若い魔術師はククナを見据えるとカッと目を見開き、珍しい大声にはただならぬ緊張感が籠もっていた。
ナーロの額には玉の汗が滲み、走り続けていたかのように息も荒い。
似つかわしくない様相に瞼の周りを彷徨いていた眠気はそそくさと立ち去り始め、次の一言で完全に吹き飛んだ。
「ダフネさんが攫われました!」
「はぁ!?」
釣られるような大声が街へと響き、慌てて口を閉じる。
ダフネが攫われた?
「悪い、なにがなんだか意味がわからん」
「僕だってそうですよ! 僕の家の玄関を誰かが叩いて、確認したら手紙があったんです」
「見せろ」
今にも泣き出しそうな顔で懐から取り出した手紙はぐしゃぐしゃになっていた。
その手紙をひったくるように掴んで内容に目を通す。
手紙は非常に簡潔。
ダフネ・クルスを預かった。
本日、昼までに指定の場所へククナ・ウルバッハを連れてこい。
さもなくばダフネの首を落とす。
また、当事者以外への連絡が確認されても同様に首を落とす。
といった内容だった。
物騒で剣呑な雰囲気を醸す文面、明らかに脅迫状の類いだ。
反して几帳面さを感じさせる綺麗な筆致がちぐはぐだった。
「当然、差出人の名前はないな」
言いながらも浮かぶ相手はいる。
首を落とす。
この文句で想起されるのはただ一人。
首刈り魔。
だとすれば、俺になんのようだ。
やはり殺す気か。
怨恨。
いや、待て。
まだこの手紙が本物という確証はない。下劣な悪戯という線もある。
「ダフネさんの自宅に行ったら鍵が壊されていて、部屋には争った形跡がありました」
訊くまでもなく焦った声でナーロが疑問を先回りする。
ナーロもまずはダフネの安全を確認しようとしたのだろう。
結果が言葉の通りならダフネはククナとの交換のために誘拐されたということか。
すぐに打ち砕かれた淡い期待。
膨らむ不安感で心臓が縮むような気分の悪さを感じて呼吸が乱れる。
落ち着けよ。
深く息を吸い込んで吐き出す。
冷静であるように努めるも足下が揺れているような錯覚がする。
「それと手紙と一緒にこれが」
ナーロは懐から畳まれた白い布を取り出した。
受け取ろうとした手をナーロは躱し、恭しい手つきで布を開いてみせる。
中に包まれていたのは短く棒状、日常で見慣れたものだった。
けれども、赤く濡れ、切り離された姿は見慣れているからこそ異様だった。
一瞬で喉が干上がり、絶句する。
場違いなダフネの笑顔が浮かんだ瞬間に消えた。
布に包まれていたものは誰かの──いや、この状況だ。十中八九ダフネの──。
──ダフネの切断された指だった。




