4章 たなごころ
魔術の指導を受け始め、王都では連続殺人。
ククナの日常は大きく変化を遂げていた。
今までは日中は無為に過ごし、夜は拳闘倶楽部で戦うか飲みに出かけるかの繰り返しだった。
最近は日中に修行をこなし。夜から朝にかけて街中で怪しい人物がいないかを探してまわっている。
睡眠は朝と夕方の隙間時間でとるようにした。
現修行はやることがなく手持ち無沙汰。不快感も弱まってきているので睡眠に当てようとしたのだが、ガノに師匠を按摩屋だと思っているのかとどやされたのであえなく断念。
夜の巡回を始めて五日が経とうとしていた。
成果も手応えもない。
そもそもがまともな手がかりもない運に期待するような行為だ。
こういうときに警吏など事情に通じる人間との繋がりでもあれば、もっと選択肢はあった。
けれど、ククナがやっていることと言えば殺人が起きた場所と起きそうな場所を歩きまわるくらい。
そんな適当なやり方で結果が出るはずもないが、ククナにはそれ以外やれることが思いつかなかった。
成し遂げたと言えるのは精々が暗がりで強姦をしようとしていた酔っ払いたちを殴り飛ばした程度。襲われていた女性はとても感謝をしてくれたが溜飲は下がらなかった。
所詮、一般人にやれることなど警吏や執行機関の誰かがやっていることだ。きっと後追いにすらなっていないかもしれない行為はククナを苛立たせたが、気持ちが折れることはなかった。
当の首刈り魔はというとアルカンを殺してから一切の動きを見せなくなった。
新聞を追っているが、新たな被害者が出たとも捕まえたとも載っていない。
目的を遂げて殺人を止めたのか、それとも警戒を強めた執行機関のおかげで簡単に手を出せなくなっただけなのか。
人死にが出ないことはもちろん喜ばしいが、街で擦れ違う人々の空気が日を追うごとに弛緩していくのは複雑だった。
大半の人々はもう終わったとでも思っているのだろうか。
なにひとつ決着が付いていないのに。
街中で連続殺人を犯した人間が隣にいるかもしれないのに、もう関係ないとでも錯覚しているのだろうか。
身に降りかかるかわからない危険をずっと警戒し続けるのは難しい上に苦しい。地震で死ぬ人間がいることは知っていても、自分の身に置き換えて警戒するのは実際に誰かが死んだ直後だけだ。
そんなことはわかっているのだが、どうしても割り切れない気持ちになってしまう。
王都住民の暢気さに小さな苛立ちを抱こうとお門違いというものだ。
「師匠なら首刈り魔も捕まえられるか?」
修行中、実を結ばない努力から師匠に質問をしていた。
ガノがいったいどこに居を構えているのか、それとも宿をとっているのかは不明だが、ククナに修行をつけるとなった以上は王都で寝起きしているはずだ。
ならば、伝説と称されるような魔術師が犯罪を犯している魔術師をどう考えているかに興味があった。
「私は大きな街や都会にはあまり近づかず、人生の大半を生まれ故郷で過ごした。なんでだと思う?」
弟子の急な問いかけに師匠は表情を固くし問いかけで返した。
「たしかに私は魔術師として最高峰。きっとそこらの魔術師数百人が同時に襲ってこようと完封するだけの力量も価値もある。でも、得てしてそういった大きな力を持つと周囲の人間は責任を被せようとしてくるのよ」
誇張や見栄ではなく淡々と事実を語っている声だった。
無感情で色のない音のような声音は過去の体験がそうさせるのだろうか。
「私が魔術師として独り立ちをして数年の間、見識を深めるため世界を巡る旅をした」
「一人旅か?」
話が逸れている気がしたが、どうせ聞く以外は出来ない。腰を折ることなく先を促した。
「最初は出会っては別れてを繰り返してた。何日も隊商の馬車に揺られてお尻が痛くなったり、庶民に身をやつした貴族を別の街へ送り届けたりもあった。でも、途中からはひとりぼっちね」
ガノは思い出の品を愛しげに磨いているようだった。
「行く先々で魔術を使って人助けをしたわ。それはほんの些細なことだったり、崩れた橋を直したり魔術師の秘密結社を根こそぎ潰すような大がかりなものまで色々だった」
「立派だな」
「立派ね……。別に誰かの為に、だなんて目的じゃなかった。魔術を研くため、異邦人の私に刺さる奇異の目を減らすため、まぁ日銭を稼ぐのが主な目的だったのよ」
苦笑する気配が伝わる。
目的意識が違っても、人を助けているのなら立派な行いだと思うがガノは違うらしい。
「そんなことを繰り返していたら徐々に私の名前は拡がっていった。ほんの小遣いで人を助ける『無欲な魔女』とか『白い女神様』だなんて名前でね」
「いくらなんでも大袈裟だな」
ガノは「本当にね……」と寂しげに自嘲した。
「そのうち、どこへ行っても人が寄ってくるようになったわ。治水工事をしろ。行方不明の兄を探してください。命令だ、内乱を止めろ。とか私を便利屋のように勘違いしている連中がたくさんね」
良くも悪くも人は忘れるように出来ている。
王都の住民は首刈り魔の恐怖を過去のものにし始めている。
かつてガノの周りを囲んだ人たちも、ガノが無私の働きをする有り難みをゆっくり失っていったのだろう。
「ご機嫌伺いの薄ら笑いや、力を貸すことが当然だと信じているような奴らが何人も何人もうんざりさせられるほどに私の前へやってきた。それが煩わしくなって人助けをやめたの。このまま私を犬のように扱う連中に囲まれていたら、何かがおかしくなると思って故郷へ帰ることにした」
旅を始めた頃は世間はガノをガノとして受け止めていた。少し見た目の変わった魔術師。幼い旅人としてあるがままに向き合っていた。
けれど、旅も終盤になると世間はガノを費用対効果の良い道具と見做していた。ガノ個人などどうでもよく、自分の都合を処理するための魔術装置。
ご大層な異名を拵えても、それが真実だろう。
「道中も彼らはやってきたわ。小銭を持ってきて頼み込み、駄目だとわかると大金を出して怒り。それでも断ると泣き落とし。最後には私を詰った。力があるのになんで救わない。勝手だ。冷酷。無責任な女。手の平を返して罵る誰もが私の人生に関わりのない人間だった。抱えている事情も私には全て無関係。それなのに断った私に原因があるかのように睨んできた」
「……」
「私は私の為に魔術を修めていた。それを見つけた他人が寄ってきて人に尽くせと指図しだす。その力はなんの為にあるのだと偉そうに宣う」
苦々しく思ったことだろう。
もし自分が女神の魔術を使いこなせるようになったとき、おまえは魔術が使えるのだから当然だという態度で治療を要求されれば腹も立つ。
魔術を修めるまでに支払った代償やかけた思いを安く見積もられたも同然だ。
ましてや、それを無関係の他人から厚かましく請われるのは虫唾が走って当たり前。
枕に沈めた顔を浮かさなくともガノの顔がわかった。
「私がどれほどの力を持とうと他人や社会に対して負うべき責任なんてないはずよ。あるべきじゃない。私から生まれた魔術は私の中で育ったし、そこに社会の力添えなんてものはなかったんだから。私が力に責任を負うべきは私の人生においてだけよ!」
身体に突き立った鍼が風に煽られたかのように揺れた。
いつの間にか身体を流れる魔力は消えていた。
ガノの言い分は正しい、と思う。
ただ、けれどという気持ちもあった。
「最初の質問に戻るわ。私は捕まえることが出来る。けど、それは私の関知するところじゃない」
「……そうか」
もちろん、熱くなった伝説の魔術師を相手に言うのは憚られたが。




