断章 在りし日3
少年がお気に入りになってからのご主人様はとても優しかった。
いつも慈愛の笑みを浮かべて、屋敷の外から取り寄せた菓子を振る舞ったりもしてくれた。
それに比して少年はいつも沈み込み、身体には痣やみみず腫れが増えている。
他の愛玩用の子供たちはご主人様の私室から傷だらけで戻る少年を手厚く迎えてはいたが、心配しているのは少年の安否ではないのは明白だった。少年が壊れてしまえば次の順番が回ってくる。自分が犠牲になるのは御免だ。だからみんな一生懸命に励まし、少年を労った。
醜く、哀れ。
気遣わしげな仮面で生け贄を押しつけている子供たち。
言うのは簡単だ。
けれど責めることはできない。
攫われた身空で幼い少年少女が自分を守る術は限られている。
恐怖を退けるために他人を差し出す行為が蔑まれることだとしても、急に日常を奪われた未熟な子供にとっては他に道など探しようもなかった。
むしろ、お為ごかしとはいえ少年を気遣えたのは子供にしては出来すぎた配慮だったかもしれない。
そんな他の子らを尻目に自分は安心をしていた。
どうやら自分は本来的な意味で──良い意味でご主人様に気に入られたらしい。
他の子供たちを差し置いて、頻繁に散歩へ連れだされるようになった。
ご主人様との散歩は屋敷の塀の内周をまわり、中庭にある噴水の縁に腰掛けてお話をするのが常。
話の内容はお昼に食べた魚の味や、空を流れる変な形をした雲など、本当に他愛のないものばかり。ここに子供たちを攫い閉じ込めている人間とは思えない穏やかな言動に、まるで自分よりも年下の少女を相手取っているような気分にさえなった。
──なんで自分とばかり散歩をするのですか?
一度訊いてみた。
触れるべきではなかったのかもしれない。すぐに後悔した。
自分たちは愛玩動物。
主の内面を探るような真似は立場的に出過ぎた行為だ。
ともすれば、散歩を嫌がっているともとられかねない。
機嫌を損ねたかと恐怖に背が凍ったが、ご主人様はひたすらに微笑んでいた。
──私と同じ匂いがするからよ。
頭をひと撫ですると、握り拳を目の前に差し出した。
安心も束の間、ぶたれるのかと小さく身構えたが違った。
握られた指の隙間から光が漏れ出ている。
ご主人様はゆっくりと拳を開くと中からは節くれ立った緑に輝く赤色があった。
──きれい。
お世辞でもなんでもなく自然と呟いていた。
ご主人様は聖女のように微笑み、また頭を撫でてくれた。
──薔薇というのよ。
握られていたはずの手の平から現れた花弁は形よく咲き誇り、美しく、毒々しく存在感を示している。
まるで血を吸い上げてこの瞬間に芽吹いたような生命の瑞々しさ。
美しくありながら見る者を癒やすではなく、気圧している攻撃的な美に視線が吸い込まれる。
──これが私の魔術だよ。
──私を上へ引き上げてくれた才能。
ご主人様は友人に小さな秘密を打ち明けるように楽しげだった。
手を振ると薔薇は砂像のように色を失って脆く崩れ去り、
──君のも見せてくれないかな?
よくわからない質問をされた。
自分は魔術のことなど何も知らない。
ご主人様と目を合わせるも薔薇の残像が焼き付きついて顔がわからなかった。
それが王都へ来た今も忘れることのない記憶となった。




