3章 絶たれた繋がり8
「そんなに構える必要はないわ。ごく初歩的なことだから」
学びとは縁のない生き方をしてきた身だ。読み書きと簡単な算術はなんとか覚えたが、机に向かって学ぶという行為は苦手だ。
一方、ダフネは瞳を輝かせていた。技量はともかくとして魔術師だろうに、ククナのような初心者にむけた話を一緒に聴くことに意味はないはずだ。どうにもガノの講義を聴けるという経験そのものに感動しているらしかった。
「結論から言うとあんたに他の適性はない。ただし、使えない訳じゃないわ」
早速、語り始めたガノに向き直って腕を組む。お勉強など何年ぶりだろう。
「まずは魔術とは何か。これは魔術師の身体に刻まれている魔術の設計図──『魔術式』に魔力を通して放つ技術よ」
刻まれているというのは概念的なものだろう。少なくとも言葉通りの設計図が刺青のように入ってることはないはずだ。肌を晒して誰かに指摘をされたことはない。
「この魔術式に何が描かれているかが魔術師としての方向性を決定付けている。いわば適性ね」
蕩々と語っているガノはやはりうっすらと得意気だ。舌も滑らかに回っている。
師匠呼びを強要する女だ。物事を教えることが好きなのかもしれない。
「適性とは使いこなすための難度がどれほど低いかよ。例えば、あなたには女神の魔術という魔術式が描かれていてる。だから大して理解も訓練もしていなかったけど、一応使うまではできていた」
たしかに今まで魔術師としての訓練をほとんど受けていないククナが魔術を形に出来ていたことに自分自身疑問を感じていたが、そういうことだったのか。図らずも疑問が氷解する。
「けれど、これが適性のない魔術。自分の魔術式に依らない魔術となるとそうもいかなくなる」
「俺が手から火を放ったりは難しいってことか」
「できなくはないわ。ただ、あんたには火を扱う魔術式がないから脳で代替する必要があるのよ」
「どういう意味だ?」
「言葉通りよ。魔術式に魔力を通して魔術が発動できるのは、中に魔術を構築する為の情報が込められているから。だから、その代わりを脳で行う必要があるの」
勉強は苦手なのだが思わず聞き入り始めていた。
ダフネもなぜか初めて聴くかのように口を開け、感心した顔をしている。ガノの綺麗な絹の巻き毛に見入っているだけかもしれないが。
「火の玉を出したいなら、熱さや色、揺らめく不確かな形状なんかを頭の中で描かなければならない。正確な情報で組み上げた緻密で精密な現実の像を描くことが必要になるのよ」
ククナは数秒、考え込むも反論した。
「それってかなり無理がないか?」
目の前にいる人間の顔を正確に紙へ描くのさえ難しいのが現実だ。頭の中などという曖昧で常にたゆたっている紙面に緻密な絵など描けようがない。どれほどの集中と訓練が必要になるのか想像もつかない。少なくともククナには出来そうもなかった。
「そうね、かなり難易度が変わるわ。だから、魔術師は基本的に自分の魔術式と向き合い、極めていく」
ガノは言い切ると、乾いた唇を湿らせるようにお茶を口にした。
できなくはない、という意味は理解できた。だが、本当に可能性があるだけで現実的に実行できるかは別問題の気がする。聞く限りは血の滲むような努力が必要になりそうだ。それならば適性のある魔術を極めるのが魔術師としての可能性を広げることにも繋がるだろう。
「ダフネはどんな魔術式なんだ?」
ふと、あほ面になってしまっているダフネが目に映り話を振る。
「わかんない」
何気ない疑問だったのだが触れるべきではなかったのか、ダフネは拗ねた口調で口を尖らせた。
「わかんないってなんだよ」
「ガノ様。この男に言ってやってください」
察しが悪いと言外に告げているが、こちらはなにぶん先日踏み出したばかりのひよっこ魔術師だ。勘弁してほしい。
「誰もが魔術式を自覚できる訳じゃないのよ。ある日、天啓のように自覚する者もいれば、地道に調べることが必要な者もいる。魔術の素養があるのに魔術式を自覚できない魔術師は少なくないわ」
「だから、私は今のところ脳で代替する方式の魔術を訓練してるんだよ」
そういえばナーロがこの女の指導をしているという話だった。ならば、ナーロも同じく魔術式を自覚出来ていない魔術師ということになるのか。
すごいな、と改めて感心する。
若くして優秀な魔術師とは聞いていたが、こうして魔術のことを知った上で聞くとなると見る目も変わる。彼がどんな魔術を使うかは知らないが、頭の作りが自分などとは違うのだろう。
「ダフネには悪いけど、私としてはあまりこの魔術方式は好きになれないわね。時間をいたずらに消費した上で身にならないこともざらだし、脳への負荷で精神に異常をきたすこともある」
「ガノ様。最近は訓練方法が確立された魔術も結構ありますよ。もちろん時間や努力は必要ですけど、決められた訓練内容をこなしていけばそれなりに再現できるようになってきています」
「私が知らない間に技術体系化も進んでるのね」
ダフネは鼻を鳴らしている。ガノに物を教えることができて嬉しいらしい。さらに喜び勇んで補足する。とかく、伝説の魔術師と触れあえることを楽しんでいるみたいだった。
「国が建てた魔術師の学校なんかは、魔術式なんかよりむしろそっちを重要視してるそうですよ」
「画一的で換えのきく魔術師を安定生産するつもりかしらね」
なるほど、とガノは興味深げに頷いているがククナにはさっぱりだった。この場にナーロがいれば物知らずのククナに苦言を呈したことだろう。新聞の定期購読を検討した方がいいのかもしれない。
「話が逸れたわね。でも、わかったでしょ?」
「ま、なんとなくな。適性そのものの魔術式、努力次第でものにできる脳味噌魔術の二種類があるってことだな」
「脳味噌魔術って、あんたね……」
「代替魔術って呼ぶんだよ、ククナ君」
「脳味噌魔術の方がわかりやすい」
「ガノ様。お弟子さんの言語感覚が気持ち悪いです……」
女性陣から、どうしようもない奴だという視線が刺さった。
何事もわかりやすい方が良いと思うのだが。
「師匠はいろいろ魔術を使ってたが、人によっては魔術式をたくさん持ってるってことか」
ガノの魔術は知るだけで、物体を動かす『念動』、影から動物を出す『召喚』、虚空に物体を出し入れする『空間』、正式な名称はわからないが三種類はあることを確認している。
さっきの否定的な発言を踏まえると代替魔術ではなく、魔術式を複数持っているという認識で間違いないだろう。
だが、ククナの予想は簡単に外れた。
「いいえ、魔術式は一人一つが原則よ」
「じゃあ、頭の中でいくつも作ったのか。凄いな」
「私の魔術式はあんたと同じで特殊なのよ。この話の上では参考にならないから忘れていいわ」
「なんでも使えるって魔術式が一個あるってことか?」
「そのぐらいの認識で構わない」
「さすがガノ様……」
「まぁ、あんまり詰め込んでもどうせ忘れるだろうし今回はここまでにしましょう」
うっとりと再び蕩け始めたダフネにガノは苦笑をしつつ講義終了の宣言。
頭の出来に自信がない身としてもありがたい。
「ククナ、覚えた?」
「ああ、魔術式と脳味噌魔術だろ」
「やり直し」
「ああ、魔術式と代替魔術だろ」
「よろしい」
魔術師本人が元より併せ持つ魔術式。
魔術式の代わりに脳を利用する代替魔術。
代替魔術の可能性に興味は尽きないが、それでも当分は不要な技能だ。それに力を割くほど余裕もない。
女神の魔術師として安定的に金を稼げるようになったら、余暇の楽しみとして手を出すのも悪くない。
それにしてもガノの講義は思いのほかすんなりと頭に入った。
かなり勝手に意訳した知識として覚えた気がしなくもないが、それでも抵抗感なく学べたのはガノの手腕か。蕩々とした語り口は耳に心地がよく、聞いていることに嫌悪感もなかったからかもしれない。
もっと単純に魔術という神秘を知ることを意外にも楽しんでいる自分がいたのも大きい。
「そういえば呪文とかって唱えたりしないのか?」
「呪文、詠唱、印契や掌印に魔法陣なんかは────」
向学心なんて殊勝なものが自分に合ったことを驚きつつも、しばらくククナは師に疑問を投げ続けた。




