3章 絶たれた繋がり7
半ば無理矢理、部屋に上がられたもののククナは手料理に期待を寄せていた。
ククナと同じでダフネもまた一人暮らしが長いと聞いている。ならば、料理もお手の物だろう。いつも適当な食事で済ますことが多い独身男性としては、女性が作る家庭料理にどこか幻想めいた期待を抱いてしまうのもしかたないだろう。
だが、食卓に並んだのは、
「野菜スープとパンね……」
「なんだよ、その顔はー」
緩い顔で咎められてしまった。
どうやら表情に出てしまっていたらしい。
朝という時間帯を考えれば寝起きの胃にも優しい妥当な料理なのだが、どうにも肩透かしを食らった気分だ。
いや、こちらが勝手に過剰な期待しすぎていただけなので文句を言う筋合いはない。
「いや……、その、食べるか」
謝るのもずれた対応なので、誤魔化すように匙を口に運ぶことにする。
見た目は特筆することもない普通のスープだが味はどうか。
「どう?」
向かいに座ったダフネが自信に満ちた笑顔を咲かせている。
「……」
一口、食べる。
なるほど、と息をつく。
確かめるようにもう一口。
柔らかくなった根菜と一緒にスープを飲み込む。
「ほっぺ落ちちゃうでしょ?」
異様に自信満々のところ悪いが味は至って普通だった。そこらの料理屋と比べるべくもない。なぜ堂々としたり顔をしているのか理解できない凡庸さだ。
ただし、普段は意識して摂取することのない野菜がたくさん入っており、滋味深くはある。食べるほどに身体が喜んでいる感覚があった。少なくとも自宅でこんな料理を口にしたのは、もしかすると初めてかもしれない。
「ああ、悪くない」
どう褒めたものかと悩み、絞り出たのはひねた感想だったが、ダフネはそれだけで満点を超えた笑顔になった。どうにもむず痒い気持ちになってしまう。
「少し変わった香りがするな」
「クルコの実を刻んで入れたからね」
「なんだそれ?」
「飲んだくれの身体を癒やしてくれるんだよ」
「へー」
適当な相づちを打って、付け合わせのパンをかじる。
食卓に柔らかな日が差して暖かい。こうして二人で朝食を摂っていると外の世界の喧噪が嘘のように穏やかな気分になった。
こんなにゆっくりと朝を楽しむだなんて、いつ以来だろう。
「なんか、こういうのいいね……」
ダフネがぽつりと呟いて、
「そうだな……」
まっさらな心で頷いた。
まるで恋人同士の睦み言。部屋の中は陽気だけではない暖かさが満ちて、それも悪くないと感じている自分がいた。
ただ、向かいに座った女が酒瓶に口をつけて飲むのをやめたら、もう少し雰囲気があったとも思うのだが……。
「おまえ朝から飲んでていいのか。仕事は?」
「今日はおやすみだもーん」
間違いを犯しそうな空気感が一瞬で吹き飛び。ダフネは酒を呷ると酒精に顔を溶かした。ククナのよく知るダフネの顔だ。一緒に飲めなくなってまだ数日だが、それでも随分と久しぶりに見た気がしてククナは安心した。
安心した理由は自分でもわからない。
わからないままでいいと思った。
やがて、ククナが食べ終わる頃にガノはやってきた。
「あら」
今日も当たり前のように部屋に入り、ダフネと目を合わせると白い巻き毛を払った。
「あ、ガノ様だ」
「ククナ。お客さんにお茶は出したの?」
ダフネは伝説の魔術師登場に目を丸くし、ガノは涼しげな顔でククナに問うた。
来て早々、まるでククナ以上に部屋の主といった振る舞いだ。
別にその程度で腹を立てたりはしないが、鍵を勝手に開けて入ってくる女に客をもてなすという良識があったのかと小さく驚く。
「いると思うか?」
尊大な師匠に顎をしゃくってみせる。
先には空になった皿の並ぶ食卓があるが、そちらではない。指し示したのはククナの向かいで硬直しているダフネだ。
ダフネが朝っぱらから赤ら顔で、手には空になった葡萄酒の瓶が握られている。彼女は恐ろしいことにククナがスープを平らげるのと同時に飲み干していた。この瞬間を切り取り、見せられた人間が抱く印象は言わずもがなといったところか。
ダフネも察したのだろう。猛烈な勢いで口を開いた。
「これはククナ君が無理矢理に飲ませたんです! 本当です!」
「嘘つくな、依存症予備軍」
「これはククナ君が無理矢理に飲ませたんです! 本当です!」
「おまえが勝手に持ってきて勝手に飲み始めたんだろ」
「これはククナ君が無理矢理に飲ませたんです! 本当です!」
「力押しが過ぎる!」
「二人ともやめなさい」
二人のやりとりをガノは兄妹げんかに呆れる母のような態度で諫めて、空いた席に腰掛けた。
「本当に違いますからね……?」
ダフネは無駄な抵抗なのだろうが念を押すように小さく付け加えると、とろけた顔を引き締めた。様付けをする呼び方といい、崇拝しているような様子だ。酒に乱れたところを見られたのは相当の不覚なのだろう。
少し、かわいそうなので話題を変えることにする。
「師匠はダフネと前に顔を合わせてるよな」
「ええ、私を襲おうとした娘よね」
なんてことのない風に言っているが、ダフネの受け取り方は違ったらしい。
「あ、いえ! あの、あ、ごめ、あのと、きはその!」
かっ、と目玉がこぼれそうなほど見開いて吃音を連発。
ガノは悪戯っぽい笑顔をしているが、ダフネは怒りをひた隠しにする仮面と解釈したのだろうかさっきまで赤かった顔が青くなっている。
「師匠、あんまり虐めるとまた襲われるぞ」
「あら、怖い」
ガノの笑顔からは毒気が消え、からかっていると理解したダフネも安心したように顔色を戻した。
「あのガノ様……、私、料理作ったんですけどよかったら……」
「点数稼ぎか?」
無言で臑を蹴りあげられた。
「ありがたいけど遠慮するわ」
一言断りを入れるとダフネはしょんぼり顔。食べてみて欲しかったらしい。ガノはそんなことお構いなしで、いつものように虚空へ線を引き、中から茶器を取り出した。
「すご……、空間魔術だ」
思わず漏れ出たような賛美だった。
ダフネは机に置かれた茶器を興奮して眺めているが、いまいちククナに凄さはわからない。
修行用の鍼もそうだが何度も当たり前のように出し入れをしているので、てっきり基本的な技能なのかと思っていたがどうやら違うらしい。魔術師であるダフネの瞳は憧れの輝きに満ちていた。
「今の凄いのか?」
「女神の魔術と同じで、ほとんど使い手がいないんだよ」
「へー」
感動するダフネを余所にガノは無表情で茶を飲んでいる。
が、うっすらと。
気のせいかもしれないが、うっすらと得意気な顔をしていた。ククナと違い、ダフネの率直な感想が嬉しいのだろう。伝説だろうと他種族だろうとやはり人の子だな、とククナは思った。
「じゃあ、俺にも使えないのか……」
空間魔術の実態は知らないが、物を収納できるのはかなり実用性が高そうだ。出かけるにも荷物が不要で、貯金をするにしても自宅に金庫を設えるより確実な防犯になる。他にも用途は多そうだ。使えるならば相当便利だろう。
「魔術師にも生まれついての適性があるからねー」
「俺は女神の魔術以外にどんな適性があるんだ? 調べたりできるのか?」
最優先で覚えるべきは癒やしを司る女神の魔術ではあるが、他にも覚えることができるなら覚えたい。
これは金策に繋がるとかではなく純粋な好奇心だった。子供の頃に夢想した超自然的な能力を覚えることができるならと高揚するのは誰しも同じはずだろう。
「そうね、修行の前に少し勉強しましょうか」
疑問に答えるようなガノの提案。
ゆっくりと優雅な所作でお茶を一口飲み、師匠は大人びた笑顔をたたえ、弟子は勉強という単語に苦虫を噛み潰した。




