3章 絶たれた繋がり2
あの男が死んだのか。
不法な地下拳闘の主催にして賭けの胴元。ククナの稼ぎを支えた八百長の大元が。
ぽかんと口の開くククナにアルカンは失笑した。
「おかげで拳闘倶楽部はてんやわんや。今後、どうなるかを運営に確認しにいったが答えはもらえなかった」
「だからって解散は飛躍しすぎだ。主催者が死んだところで運営している組織母体が残ってるだろ」
「運営の奴から聞いたんだが、ジョニーは元々裏稼業で重宝された魔術師だったらしい」
「なんだ突然。おまえ会話下手か?」
話の急転換に眉を潜めるもアルカンは至って真面目な顔だ。
「奴は戦闘能力がない代わりに嘘を見抜く魔術を使えたそうだ」
ククナの指摘もどこ吹く風のアルカンに仕方なく続きを促した。
「地味な魔術だな……」
頭の包帯をなぞる。今夜自分を殺そうと放たれた斬撃の魔術。物を自在に動かしたり、影から生き物を呼び出す師匠の魔術と比較するとどうしても垢抜けない印象をうけてしまう。
「ああ。だが交渉ごとや他人の秘密を探るには最適な魔術だ。おかげで奴は色んな人間の弱みを握っている。拳闘倶楽部の発足で資金が入り用になったときも、貴族の秘密を掴んで脅すことで調達したそうだ」
地位と金のある人間を脅して言いなりにするとは、八百長を指示していた相手はククナが知る以上の悪党だったらしい。
直接顔を合わす機会も少なく、指示も部下を介したものだったので印象に残ってはいないが、話を聞く限りかなり危険な男のようだった。不謹慎だがククナにとってジョニーの死はある意味幸運だったのかもしれない。
「それだけじゃない。脅しと賄賂を使って法執行機関以外にも王都の各所に情報を仕入れる耳を作った。倶楽部に手入れや摘発の情報が入ると関係者を洗い出して賄賂か脅しで事前に潰すためにだ」
「安全な運営基盤を作った重要人物ってのはわかった。だけど、基盤ができてるなら部下が後を引き継ぐだろ」
「運営のやつら曰くジョニーは部下をまったく信用してなかったらしい。あくまで自分の手足として扱い、価値のある情報はあまり与えなかった」
価値のある情報。この場合、脅す相手の弱みや秘密か。
これらが仮に失われたとするなら確かに危険きわまりない。相手を傀儡にするための糸が切れたということだ。
「これが脅してきた相手にばれでもしたら終わりだ。貴族は資金を回さなくなり賄賂に使える金も尽きる。もっと単純に、関係者全員が報復を受けることになるかもな」
「見せかけの泥船になっちまったってことか……」
「そういうことだ。最近、警吏が会場に出入りしてるって噂もあるし抜け時だろうな……。残された運営の奴らも散々美味しい汁を吸ったんだ。はったりで続けることもできるが俺なら危険を冒さず雲隠れするだろうさ」
後進が育たないままに中核を失った組織がうまく立て直しを図れるとも思えない。アルカンの言うとおり、遠からず拳闘倶楽部は消える公算が大きい。
どちらにしろ、ククナにはもう無関係の話だった。
「おまえこそ、これからどうするんだ?」
「さてな。同じくらい稼げる仕事があればいいが……」
アルカンは子供のように足をぷらぷらと揺らしながら遠い目をした。
「稼ぐって、名誉や誇りの為に戦ってたんじゃないのかよ」
「あんなものは欺瞞だ。あんなところにいる自分を誤魔化すための方便に決まってる」
自嘲するようにアルカンは笑う。
自分を敵対視していた男とは思えない弱々しい顔にククナは困惑した。
「俺は娘の医療費を稼ぐために王都まで出てきたんだ」
「あんた結婚してたのかよ」
意外な事実に苦笑する。
娘までいるとは殴り合いをしている姿からはどうにも想像しにくい図だ。
「娘は珍しい病気でな。人の何倍もの早さで死に向かってるんだ。ちゃんと治療を受けさせてやりたいが、症状を緩やかにする薬だけでも馬鹿みたいな値段がかかる。稼ぐには普通の仕事をしていても追いつかない。だから、都会で金払いのいい仕事を探してた」
「それで拳闘倶楽部に入ったのか。無謀すぎるだろ」
「ああ。だが、裏稼業や法から外れた場所では大きい金が動く。それに結婚するまでは軍で働いていたからな。素人との殴り合いで負けるわけがないと考えてた」
甘い見立てだ。しかし実際に一、二を争う拳闘士として結果を残しているのだから侮れない。さぞや優秀な軍人だったのか、それとも子を思う親の底力なのか。
「仮にも一度は国に尽くすと誓った身で違法賭博と知りながら金の為にと人を殴った。殴りまくった。そんな自分を正当化するのに気高い戦士を演じてたんだ。馬鹿みたいだろ……?」
「子供のためだったんだろ。馬鹿じゃねえよ……」
立派だ。
今度は声に出さなかった。
世の中には血を分けた子供だろうと一切の情をかけない親だっている。
子供のために立って戦う。誰にでも出来ることじゃない。
傷つく自尊心や誇りを守るのに小さな嘘くらいついて誰が責められる。
「金がいる……」
誰にともなく溢したアルカンは窓の外を見つめていた。
暗い雲が空を覆っている。
月は見えない。
夜はまだ明けないだろう。
「どうしよう……」
表情は変わっていないが、泣きそうな少年のような声だった。
稼ぐ場所を失った親は子供のためにどこで戦うのだろう。
救ってもらった身だが貸せるような力はない。
憐憫など期待していないだろう。
二人は日が昇るまで静かに窓を見つめていた。