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女神身罷りし世界にて  作者: aaahg
1 黄薔薇の天秤
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3章 絶たれた繋がり

 ()()れない匂いがする。


 生活の中で染みつく部屋の匂いは自分と他人とでどうしてこうも変わるのだろう。


 沈んだ意識が浮上したとき、最初にククナを刺激したのは馴染(なじ)みのない香りだった。


 ここはどこだ。


 覚醒しきらない(よど)んだ頭で違和感だけがはっきりと疑問を形にした。


 自分は首刈り魔に襲われて死にかけたが助かった。それとも捕らわれたのか?


 頭の中の靄が徐々に晴れ、未だに心臓が脈を打っていることへの答えを探す。


 ひとまず身を起こすと左肩が熱く痛み、思わず顔を(しか)めた。


「包帯……」


 最後の瞬間、切りつけられた左肩には包帯が巻かれ、頭部にも同様に真新しい包帯が巻き付けてあった。治療の証拠だ。どうやら首刈り魔に連れ去られた訳ではなさそうで胸を撫で下ろす。


 首元に刃を添えられているような命が(あや)ぶまれる危機は脱したのだ。理解して思い切り溜息をついた。皮も骨も肉も安全圏(あんぜんけん)に帰った喜びに震え、顔を両手で(おお)う。


「助かった……」


 治療の跡を見るに善意の第三者に救われたと考えていいのだろう。


 しかし、ここはどこだ。


 天井から吊られた角灯の明るさに目をしばたたきながら部屋を見渡す。


 板張りの床。飾り棚には荒い作りの人形。紙が散らばる机。そしてククナが腰掛ける寝台。


 治療のこともあったので病院の可能性も考えたが、どうにも誰かの私室といった印象だ。


 まさか個人がククナを拾って、治療まで(ほどこ)したということなのだろうか。


 そういえば、意識を失う直前に人影を見た気がする。本当にそうなのだとしたら、かなり見上げた心構えだ。いかれた殺人鬼、それも魔術師の前に身を(さら)して人助けとはなかなか出来ることではない。しかも医術の知識まであるとは感心するより他ない。


「起きたか」


 礼の一つや二つでもしなければと感動するククナの前に部屋へ入ってきたのは知っている顔だった。 


「アルカン?」


 拳闘倶楽部きっての強者。ククナの八百長(やおちょう)を疑う厄介者が立っていた。


「思い切り頭を打ち付けてたが、記憶に問題はなさそうだな」


「なんで?」


「何もかもが曖昧な質問だな。俺とお前は機微(きび)()()れるような仲じゃないぞ」


 アルカンは混乱するククナを小馬鹿にしたように笑って椅子に腰掛けた。


「あー、すまん。まずは何があったかの流れを教えてくれないか?」


 いつもの挑発的な態度から嫌な顔をするかと邪推(じゃすい)したが、意外にもアルカンは素直に経緯を教えてくれた。


「寝る準備をしていたときだ。何かが壊れるような音が外から聞こえ始めた。最初は無視しようとも思ったが音はどんどん近づいてくる。だから窓を開けて外を確認したらお前が血を流して走ってくるのが見えた」


 どうやらこの男はククナが必死に駆けていた通りに(きょ)を構えていたらしい。そして殺されかけている現場を見ていた。なんたる偶然だろう。信仰心などさしてないが、今だけは神に礼を言いたい。


「危ない奴に追われているのは一目で明らかだったし助けてやっただけだ」


「助けたって……、あの野郎を倒したのか?」


「倒した? 俺はそこの窓から『火事だ、助けてくれ』って大声で叫びまくっただけだぞ」


 賢いやり方だ。ククナは己の未熟さに頭を掻いた。


 闇に乗じる相手は人目を気にするのが自明の理。逃げ切ろうなどと考えず、人を呼び、衆目(しゅうもく)に晒そうとすれば相手は(おの)ずと逃げ出したことだろう。突然の襲撃に動転していたとはいえ、自分の愚かしさに嫌気がさす。


「俺の大声でそこらに住んでるみんなが窓を開け始めたのを見て、通りに転がるお前を回収した」


「そうか……」


 アルカンの極めて冷静な対応に感謝する。アルカンがいなければククナ・ウルバッハは死んでいた。


「おかげで表はしばらくうるさかったがな」


「治療もお前が?」


「いいや。隣に軍医をしてた爺さんが住んでてな。引っ張ってきた。曰く、肩も頭も傷は大して深くない。傷口を洗って適当に縫っただけらしい」


 受けた傷はもっとひどいものと想定していたが、アルカンの落ち着きぶりと小康(しょうよう)を保っていることから大袈裟なものではなさそうだった。少なくとも入院しての治療は必要なさそうだ。


 しばらく、うっとうしい痛みは付きまとうだろうが今後において障害を残すような怪我じゃないのは安心だ。


 ククナは身体の各部位をゆっくりと動かし感覚に違和感がないことを確認しながら、それにしても、と思いのままを口にした。


「お前が俺を助けるとはな」


 アルカンは人目を気にすることなく、真っ向から自分を嫌っていたはずだ。それが命を救ってみせるとは正直言って意外だ。救ってもらった身で偉そうにと自分でも思うが、普段のアルカンはククナに対してそれだけ苛烈(かれつ)だった。


「俺がククナ・ウルバッハを嫌うことと、命を見捨てることはまったくの別問題だ」


 どれだけ嫌っていようと自分の善性を(そこ)ねることはしないということか。


「立派だな」


「皮肉か?」


「褒めてんだよ……」


 心からの言葉だった。


 感情に振り回されるのが人の常だ。アルカンも常日頃、ククナに食ってかかってはいるが、けして一線は越えない良識がある。そしてその一線は自分が不利益を(こうむ)る可能性があろうと揺るがないらしい。今回も犯人に狙われる危険がありながらもこの男はククナを救った。誰にでも出来ることではない。


「アルカン。助かった、ありがとう」


「気色悪いからやめてくれ。だいたい不用心過ぎるんだよ」


 アルカンは本当に気色が悪いのか端正な顔を歪ませてみせた。


 礼を素直に受け取らないのはやはり嫌っているからだろう。それでも幾分いつもよりは(とげ)が少ないのは怪我人への遠慮か手心か。少々、丸く感じる態度には違和感があるもののククナにはどうでもいいことだ。


「世話になったな」


 別れを告げて寝台から立ち上がろうとするが、


「待て馬鹿。念のため夜が明けるまではこの部屋にいろ」


 とアルカンに引き留められた。


「まだ犯人が彷徨(うろつ)いてたらどうする。明るくなってから帰れ」


 たしかに外はまだ暗い。首刈り魔がククナを諦めたからといって今晩の狩りをやめたとは言えない。もっともな指摘にククナは素直に従って寝台へ腰掛けた。


「ここはお前の部屋か?」


「じろじろ見るな」


 夜明けまでどれぐらいかかるのだろう。黙って座るアルカンとの空間が気まずくて適当な話題を投げかけたが瞬時に切り捨てられた。


「……」


「……」


 それ以上は適当な雑談も思いつかず、部屋には数百秒にわたり沈黙の幕が下りた。別にあえて喋る必要などないが特段親しくもない人間と、それも自分を嫌っている人間と長時間を過ごすのは流石に気が重い。


 まさかダフネたちとするような馬鹿げた雑談をアルカン相手にふっかけるわけにもいかない。盛り上がるとも思えなかった。


「……」


「……」


 この空気が美味しかろうはずもないのに、アルカンはアルカンでなぜこの部屋に居座るのだろう。気に食わない宿敵と神経をすり減らすなら他の部屋で過ごしたくないのか。


 正面切って訊くほど肝は太くない。かといって、救われた身で一人にしてくれとも言えず、ククナが宙に舞う(ほこり)を目で追っているとアルカンが口を開いた。


「おまえはこれからどうするんだ?」


「曖昧な質問だな」


 意趣返(いしゅがえ)しのつもりはなかったが、この返答にアルカンは渋い顔で言葉を()いだ。


「拳闘はできないだろ?」


 たしかにこの怪我で拳闘に出場するのは厳しい。だが、元より魔術の修行に集中するため拳闘倶楽部への出入りはやめるつもりでいた。一つ懸念点があるとすれば胴元(どうもと)が急に来なくなった八百長要員をどう思うかだ。


 明確に雇用関係を結んだ間柄ではない以上、行くも行かないもこちらの勝手なのだが、不法な地下拳闘を主催しているような輩に一方的に別れを告げられるとも思えない。ましてや儲けの片棒を担いでいたのだ。八百長要員がククナだけということはないだろうが、どこかで清算する必要がありそうだ。


 喫緊(きっきん)の問題となりそうだが、今は帰ってから考えよう……


「割のいい働き口が見つかりそうだから問題ない」


「そうか」


 問題を棚上げして濁した返答をする。


 魔術師云々(うんぬん)まで教える必要はないだろう。すぐに金になるわけでもないし、説明を求められても面倒くさい。


 ただ、アルカンはどこか遠い目で、


「お前も考えてるんだな……」


 と独り言のように呟いた。


「お前も?」


 拳闘倶楽部の強者が発した言葉が引っかかり、反射的に声をあげた。


「アルカン、お前もってなんだよ。まさかお前も拳闘倶楽部を抜けるのか?」


 ククナの質問にアルカンは眉を逆立て頭を()(むし)り、苛立ちを隠すことなくこちらを射竦(いすく)める。


 そんなに悪い質問だったろうか。アルカンの射殺すような熱視線にククナの脳内には困惑と疑問符が浮かんだ。


「何を馬鹿なこと言ってるんだ。拳闘倶楽部は解散だ」


「はぁ?」


 思いも寄らない回答に気の抜けた音が口から漏れ出る。


「今朝、殺された二人目の被害者はジョニー・ジュージャックだぞ」


「なんか聞いたことがあるような……」


 思い出そうとするも名前に一致する顔が見えてこない。名前は記憶の片隅に引っかかるのだが、いったいどこで聞いたのやら。こめかみを揉むと傷口がじくりと痛んだ。


「お前なぁ……」


 思い至る様子のないククナにアルカンはたっぷりの呆れと侮蔑(ぶべつ)を込めて溜息。


 そして、なぜそんなことも知らないんだと言うように天井を仰いだ。


「拳闘倶楽部の主催者だ」


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