2章 王都の処刑人4
「それで一日中、ガノ様と部屋に詰めてたんだー」
「ナーロもこいつに修行つけてやってるんだろ。これって一般的なのか?」
ガノによる肉体改造は宣言通りに夕刻まで続いた。治まることなく全身を襲う痒みに一度立ち上がり鍼を全て抜き去ろうとしたが、一瞬で身体が硬直させられ再び寝台の上で責め苦を味わった。
おそらく魔術を行使されたのだろうが、身体の自由を失って倒れ込む視界の端でガノは冷笑を浮かべていた。まるで少女に似つかわしくない笑い方に被虐趣味者を想像させられ、ついて行く相手を間違えたかとぞっとしたが他に魔術師へ続く道はない。
結局、そのまま耐えざるをえない状態で夕日が差し込むまでさんざんに嬲られた後、ガノはさっさと撤収してしまった。去り際に薬を飲まされ、次第に症状は落ち着いたが今も身体中が熱っぽい。
今はいつもの酒場──灰山羊の蹄にてダフネ、ナーロを相手に自分を慰めているところだ。
「理には適ってますけどかなり強引ですね。まあ、ガノさんあってこそのやり方といった感じです」
「そもそも硝子華の種って物凄く希少だしね」
予想はしていたが、やはり一般的な育て方ではないらしい。師弟互いに一足飛ばしで結果を求めた形なのだが、それが通常とどれくらい開きがあるのかは気になるところだ。
「それにしてもククナ君が魔術師かー……」
「まだまだ先でしょうけど、怪我をしたらよろしくお願いしますね」
「一割引にしといてやるよ」
「ばかけち」
「その割引率はむしろ男を下げますよ」
ククナの優しさは魔術師の先輩には響かなかったらしく、辛辣な返答で切り捨てられる。
まあいつも通りのことだ。
「そういえばククナ君ところの殺人犯、どうなったのかねー?」
銘々が酒を飲み脳も鈍り始めた頃、ダフネが間延びした口調で忘れかかっていた懸案事項を机に叩きつけた。
「さあな。新聞は読んでいないから」
「当事者でしょーよ」
「当事者ではねーよ」
「ククナさん。いい歳して社会情勢に無頓着なのはどうかと思いますよ」
なかなかぐさりと突き刺さる言葉だ。試合中なら膝をついたかもしれない。情けないが鋭い指摘に返す言葉もない。
「今、王都で一番注目を集めているのは大商会の癒着や貴族の不祥事ではなく、首刈り魔の犯行ですよ」
「今朝も首を切り落とされた死体が見つかったんだけど、ククナ君本当に知らないの?」
これまた黙るしかないククナに二人は同時にこれでもかという溜息をついた。悲しいことに甘んじて受け入れるしかない。
「二日連続で同じ手口の死体が出てきたんだよ。これからもこの犯行は続くのか、王都に下りし赤色の影! ってどこ行っても話題なのに」
胡散臭い新聞から抜き出したような文句だ。ダフネのことなので誇張した表現かもしれない。だが、それで納得できることもあった。
「いつもより客が少ないのはその所為か」
灰山羊の蹄の客入りはいつもの半分以下だ。毎度せわしなく動き回る女給も今日はどこか暇を持て余している。
最初の殺人は元より、次の遺体も今朝に見つかったのなら人目につかない夜に犯行が行われたと考えるのが自然だ。みんな殺人鬼に遭遇することを警戒して夜遊びを控えているのだろう。
だとすると、習慣に従ってのこのこと酒場にやってきた人間は相当の楽観主義だ。
「お前ら殺人鬼が彷徨いてるのを知ってて。よくこの店に顔出したな」
知らずにやってきたならまだしも危険を織り込み済みで来るほどこの店は上等じゃない。それなら適当な酒を買い込んで家で飲んでる方がいいだろう。
「私は住んでるところ結構近いし大丈夫」
「闇夜に乗じなきゃ戦えないような奴が僕を殺せるわけないですよ」
「つまり根拠なしかよ」
今度はこちらが溜息をつく番だった。
「お前らも大概あほだよな……」
言いつつも、起きるかどうかわからない危険を心配する生き方より幸せかもしれない、などと考えてしまうのはククナも同類ということか。
「なんだよー、ククナ君がいると思ったから顔出したんじゃんかー。不満かー」
「それじゃ、今日はもう解散するか」
「うわ、流したよこの人。かわいいダフネちゃんの乙女的発言を」
酒臭い息をぶつけられながら言われてもな……。ククナは苦笑した。
それに連続殺人鬼が街を彷徨いていると知った以上は落ち着いて飲むことも出来ない。さっさと帰って、解決するまでの間は自宅でおとなしくしていた方がいいだろう。
「今日は俺が払ってやるから二人とも真っ直ぐ帰れよ」
店に来てから心配しても遅いだろうが、これ以上街の人通りが減らない間に帰るに越したことはないだろう。
ククナの物言いにナーロは「ま、仕方ないか」といった様子で席を立ったが、ダフネは不満そうに唇を尖らせるばかりで動かなかったので二人で無理矢理担ぎ上げて店から退散した。
「それじゃ、ちゃんと送ってけよ」
「任せてください」
随分と酔いが回ったらしく足取りが怪しいダフネをナーロが背負いはっきりと頷く。
ナーロとダフネの帰り道はククナと真逆だ。いつも自然と店先で分かれることになるので今晩もナーロがダフネを送る形になった。
ダフネの話では近くに住んでいることだしナーロも優秀な魔術師らしい。殺人鬼に出くわしても上手く対処してみせるだろう。殴り合いに強い程度のククナが一緒に行くのは大きなお世話になる可能性が高い。それにここで名乗りをあげればナーロの自尊心を傷つけることにだろう。同じ男としてそれは避けたい。
「次いつ飲めるのよー」
「犯人が捕まるまではおとなしくしとけ」
ぐったりとナーロの背中にもたれかかるダフネの額を弾く。
「どうせ数日中に捕まるだろ」
「なんだよもー、つまんないよー……」
駄々をこねるダフネはいつも以上に幼くて微笑ましいが、いつまでもナーロの背中でくだを巻かせているわけにはいかない。こっちもさっさと帰宅したいのだ。
「この酔っ払いを家に放り込んだらちゃんと鍵をかけるまで確認しろよ。なんだったらこの酔っ払いがどこぞに出歩いていかないよう一晩見張っとけ」
「そうした方がいいかもしれませんね……」
「ナーロめー、看護にかこつけてお姉さんにすけべなことをする気だなー? むっつり小僧めー。知ってるんだぞー」
「し、しませんよ!」
「あ、今、私のおっぱい触ったー。へんたい、へんたーい!」
「触ってませんって!」
酔い以外が原因で頬を染めるナーロのきっちりと分けられた髪を撫で回し、ククナは背を向け歩き出した。あとは初心で優秀な魔術師にまかせよう。
「ククナ君、本当に魔術師になっちゃうの……?」
石畳を数枚踏んだところで背中に声音がぶつかった。
とても弱く、なぜか泣くような、迷子になって呆然とするような小さな声だった。弱々しい幼子に袖を引かれたようで足が思わず止まる。理由も何もわからないが耳の奥に深く刺さるダフネの声に振り返ろうか迷ったが、結局そのまま足を踏み出した。
ダフネは今の関係性が変わることが嫌なのかもしれない。
ククナが魔術師となれば、きっと忙しくなる。なにせ世界でも希少な人の身体を癒やせる女神の魔術師だ。格のある貴族に雇われる可能性もかなり高い。
そうなれば今まで通りの気安い付き合いは望めなくなるだろう。貴族はなにより体面を気にする。自分の雇い入れた人間が三流魔術師と安酒場に入り浸ることによい顔をしないはずだ。
再三に渡っての確認は今の付き合いがダフネにとって心地良い居場所になっていることの証明に思えた。それが嬉しくもあり、今は悲しくもあった。